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「プリンが食べたいわ!」
目が覚めた途端発したリリスの言葉に、傍に控えていた侍女のテーナは首を傾げた。
「ぷりん、ですか?」
「そう、プリン。プリンプリンしていてとっても美味しそうなの」
「……リリス様」
「いやだ、ダジャレじゃないわよ。本当にそんな感じなの。だからきっとプリンなのね」
白けた目をするテーナにリリスは慌てて弁明した。
だけど、どうして私が言い訳しないといけないのかしら、と気付いたリリスはつんと顎を上げる。
「とにかく、メモしてあとで作るわ」
「はいはい。今度は成功するといいですね」
「成功するに決まっているわよ。だって、すごく簡単そうだったもの」
鼻息荒く自信満々に宣言するリリスを見て、テーナは疑わしく思いつつも何も言わなかった。
リリスがメモをしている時に邪魔をするのはご法度である。
それはリリスに仕えることになる者が最初に厳しく言い含められること。
その理由について知っている者は古参の侍女であるテーナやリリスの家族など、ごく一部ではあった。
ここは世界最高峰のマルン山を含むホッター山脈を背に、ドレアム王が治めるフロイト王国。
高地では牧畜を、山脈の麓では畑作を中心とした農業の盛んなのどかな国である。
しかし、東に古い歴史を持つ大国フォンタエ王国、南に商業都市として独立しているマチヌカン、そして西に広大な国土を持つエアーラス帝国に挟まれ、今は微妙な立場に陥っていた。
そして先ほど、寝起きの開口一番「プリンが食べたい!」とのたまったリリスは、このフロイト王国ドレアム王の第三子にして一番目の姫であった。
この一番目の姫アマリリス――リリスは病弱なためベッドからあまり出ることができない。
そのため、日の光にさらされることのない肌は抜けるように白い。だが髪の色は薄い茶色で目鼻立ちも特に美しいとは言えなかった。ただエメラルドに例えられる緑の瞳だけはリリスの自慢である。
だが人々はめったに姿を現さない病弱なリリスに幻想を抱いて、いつしか『美しきフロイトの眠り姫』と呼ぶようになっていた。
――が、病弱設定は世間向けのもの。ただ単に、リリスはよく眠るのだ。
一日のうち三分の二は眠っている日もある。
その姿を見ながら『眠り姫』とはよく言ったものだと、テーナなどは笑い交じりに納得していた。
ではなぜリリスがここまでよく眠るのか。
その秘密を知っているのは家族である父のドレアム王、母のカサブランカ王妃、兄のスピリス王太子、次兄のエアム王子、妹姫のダリア、そして古参の侍女テーナ他数名だけである。
ちなみにもう一人、弟王子のリーノはまだ一歳なので理解していない。
リリスが幼い頃は「赤子は眠るのが仕事」とばかりに皆も気にしていなかった。
それが三歳を過ぎてもよく眠り、どこか悪いのではないかと医師の意見を仰いだ。
そして下された診断結果は、体がそれだけ睡眠を欲しているということは、おそらく日常的に体を動かす能力に問題があるのだろうと、要するに体が弱いのだろうとのことだった。
だが、そのうち幼いリリスが不思議なことを口にし始めたのだ。
初めは幼子が見た夢の内容を話しているのだと思った。
それが現実に遠くで起こっていることであったり、未来に実際に起こってしまうことに王妃が気付いたとき、事態は一変した。
「ドレアム、大変よ!」
「どうした? カサブランカ何があったのだ?」
「あの子は……リリスは……」
「リリスに何かあったのか!?」
「リリスは天才よ!」
「それは真か!?」
「ええ、間違いないわ!」
「そうか、それは将来が楽しみだな!」
と、親ならほとんどの者が一度は口にする親馬鹿発言を王妃は王に告げたのだ。
そんな呑気な国王夫妻ではあったが、さすがに賢君と名高いドレアム王は、リリスの周囲には信用のできる者しか置かなかった。
リリスの見る夢は特殊である。
それは過去であったり、未来であったり、他国での出来事であったり、まるで物語のような世界のことであったり……。
その物語のような世界――異世界でリリスが得る知識はとても素晴らしいものだった。
最初の頃は半信半疑ではあったのだが、リリスの言う通りに事を進めれば問題が解決することも多々あり、信じざるを得なかったのだ。
要するにドレアム王は、リリスの得た知識によって問題解決に当たり、今では賢君と呼ばれるようになった。――と、本人はよく言っているが、そもそも年端もいかぬ子供の夢の話を信じて実行することこそが、固定観念に囚われず新しいことを試すその姿勢こそが賢人であると、周囲の者は思っている。
ちなみに、リリス曰く「私の場合、寝ている間に夢を見ているんじゃなくて、現実を見ているの。過去や未来や、違う世界のね。異世界風にいうと、幽体離脱ってこと。だから寝ているようでいて、すごく疲れるのよ。いわゆるノンレム睡眠が短くなってしまうの。それで人の倍以上眠らないといけないってわけ。あとね、私がどんなにうなされていても無理には起こさないでほしいの。意識がない状態で体だけ起きてしまうと、私が戻ろうと思っても体が意識を拒絶するのよ。それで一度大変な目に遭ったから、絶対に私が寝ている時には無理に起こさないでね」とのことである。
家族をはじめとして、リリスが何を言っているのかよくわからなかったが、とにかくみんなその通りにした。
普段からリリスの寝室には限られた者しか入れないよう徹底し、さらに間違いがあってはいけないということで、昼間リリスが寝ている時には秘密を知る者が傍についているようにしたのだ。
これに関しては当初夜も行われていたが、リリスが「夜はみんな眠らないとダメよ。それが人間の本来の生活リズムなんだから。夜警などは仕方ないにしても、無駄な仕事は増やさないで」とのことで、中止されたのだった。