逢魔、斬る
【第90回フリーワンライ】
お題:
隠れ鬼の運命
鴉が嗤う
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
一般に……
人は見えぬものを警戒する。見えるものを恐れる必要はないからだ。
故に人は夜を恐れる。辻の角に、叢の影に、闇の底に潜む、得体の知れぬ存在を恐れる。
では夕刻は? 言うまでもなく昼と夜は断絶した時間ではなく、地続きのものである。
最も危険なのは夕刻なのだ。昼の光が残り、見えているつもりになって、影になった夜の面を容易く見落とす。
死角から背後を取れば、頚を落とすのは造作もない。
風が吹くのに合わせて背中を取った男は、素早く脇差しを閃かせ、喉笛から最期の呼吸と血飛沫を吹かせた。
頚を斬られたのは侍だった。何処の出で、何者に仕えているかは知らぬ。ただ、斬れ、という指示だけがあった。
脇差しの血糊を拭い取る男は、陽の下で一見すると単なる旅装だが、闇に溶ける黒装束だった。未だ茜色の差す山中でも、西日に伸びる木の影に紛れれば判別は難しい。
影になった横顔からは感情の残滓も窺えない。しかし、頭上でバサリという音を聞いた時、不快な表情がちらりと覗いた。
見上げると、近くの松の枝に黒々とした鴉が一羽止まっていた。その脚には銀の輪が嵌まっている。
鴉は誇示するように翼を広げ、カアと鳴いた。カア、カア、カア。何度も何度も鳴いた。そうするうちに、鴉の一声が太く短くなっていった。
カア、カァ、がぁ、が、が、が、ぐぐぐ――
それは笑い声だった。鴉が鴉の声で人間のように嗤っていた。
『フフフフ。流石の手並みよ』
鴉が首を傾げ、はっきりとそう呟いた。
『逢魔が刻の仕事。人に逢うては人を斬り、鬼に逢うては鬼を斬る……まこと、お前をオウマと名付けたは慧眼であったな』
黒装束の男――オウマは、言葉を額面通りには受け取らなかった。侮蔑の視線を鴉に向ける。よしんば本心だったとしてもその態度は変わらない。
泰平の世と言われて百年にもなるが、裏に生き、影に忍ぶ者たちの需要は尽きなかった。暗殺である。それを己は安全な場所にいて、鴉を使って人を手足のように操り裏の家業を行う薄汚い男。オウマは一度たりとも鴉の男の正体を拝んだことはなかった。
生粋の獣使い。鴉に限らず様々な動物を操るが、殊に鴉を好んだ。オウマは、薄汚い性根が合うからだろうと見当を付けていた。
射るように鴉を睨み付ける。畜生を手先に人を呪縛する鬼畜生。鴉は意に介した風もなく、いや気付いた様子すらなく、何処とも知れぬ方角を見、瞬膜を瞬かせた。オウマに語りながら、オウマを見ようともしない。
『兎角御苦労であった。近々手当と次の行き先を届けさせる』
バサリと大きく一度空を打つと、鴉は夕焼けに向かって飛び去った。脚の輪が黄金に輝く。
オウマはいつまでもその黄金を目で追った。空はもう暗く沈み始めていた。
戻った鴉を、壮年の男が撫でた。市井に赴けばあっという間に姿を見失うような、存在感のない男だった。人里離れ打ち棄てられた堂に籠もるこの男こそ、獣使い、鴉の男だった。
男は筆を執って、燭台の下で書き付けを認めようとした。報告書だろう。
不意に。堂内の温度が下がったような気がした。隙間風を確認しようとした男の顎に、背後から脇差しの刃が当てられる。
その刃はまだ血の匂いを発している。
「……ずっと……あんたを探していた」
背後で気配を殺しているのはオウマだった。
「どんな鴉も暗闇では目が利かん。飛び去ったのなら、きっと近くにいるだろうと踏んだ」
静かに怒気を孕む声音に、鴉の男は喉に当たる刃以上の冷たさを感じた。
「人に逢うては人を斬り、鬼に逢うては鬼を斬る、だったか?」
喉に当てた脇差しに力を込める。鴉の男が口を開きかける気配だけを感じて、オウマは脇差しを引いた。どす黒い血が墨の代わりに書き付けを汚した。どう、と倒れ込んだ男の体に、縊り殺しておいた鴉の亡骸を投げ落とした。
闇の世界で鴉の声を聞く者はもういない。
ふっと、燭台の火が消える。
暗闇に身も心も憎しみも溶かしながら、オウマは呟いた。
「鬼とは、魔とは、あんたのことだ」
『逢魔斬る』了
山田風太郎的な。嘘です、山田風太郎読んだことないです、ごめんなさい。
この話の元は先月頭に話題になった某作家の泥を操る的ないくじなしの獣騎綱が原点。どくりどくりのべろんべろん。初夏に電子書籍版が出るようなのでみんな『封仙娘娘追宝録』を読もう!(伏せてたのに言っちゃったよ)
そうそう、そう言えばカラスってオウムと同じように喋れるらしいですよ? 頭もいいし喋る鳥特有の声帯をしてるから、訓練次第で喋れるようになるんだとか。