不動の宇宙論
天の星々は、一見すると好き勝手な場所でまたたいているようだが、実はちゃんと中心があって、その周りを回っている。
その中心はちょうど真北の方角にあって、その位置にまたたく二等星が、星々のうちでもっとも偉い北極星である。
中国では天帝とか言ったりもする。
北極星、つまり天帝は、わりといつも退屈していた。なにしろこの世に自分の思い通りにならない星はないので、何をするにも簡単でやり甲斐というものがないのだ。
それは下々の者たちからすれば、宇宙が秩序だって、十全に動いている証であって、大変結構なことなのだが、いくら全天の支配者といっても、顔に浮かぶ退屈と鬱屈はかくしようがなかった。
「なにか面白いことはないものかのう」
と、北極星は人間のようなことをのたまった。言うまでもないが人間など星に比べれば塵芥のような存在であり、これは天帝にあるまじき発言なのだが、それを諫める者は天の玉座の前にはいなかった。その事実がまた、北極星の退屈を加速させる。
「おい北斗七星。今日は何月の何日であったか」
北極星は、側近であり、天の裁判官でもある北斗七星――中国、というか道教では北斗星君とも呼ばれる――に話題を振った。北極星と違って、死んだ人間の処遇を裁くのに忙しい北斗七星は、迷惑そうな色を隠そうともせず、だが一応は丁寧に、
「七月七日でございます、陛下」
と答えた。
北極星はその答えを聞いて、鼻の穴をふくらませた。
「七夕ではないか」
「はあ。左様でございますな」
「左様でございますな、ではない。なぜもっと早く申さぬか、うぬは」
「と仰せになられましても、七夕に何をなさろうとおっしゃるのです」
そう言われると困った。
まさか短冊に「暇つぶしの相手になってくれ」などと書くわけにもいかない。天帝としての威厳が台無しだし、いくら北極星でも、一年に一度夫婦が会える日を邪魔するのは忍びないのだ。
そこまで考えて、北極星はあることを思いつき、にやりと口角をつり上げた。北斗七星はいつの間にか仕事に戻っていた。
彦星と織姫星が謁見の間に呼ばれたのは、翌日のことであった。
何の用で呼ばれたのか見当もつかず、不安げな二人を安心させようとしてか、北極星は好好爺然とした笑みを浮かべ、自慢の長い白髭をしごいていたが、実のところかえって不気味であったのは知る由もなかった。
「あー、どちらでも良いから答えよ。その方等、結婚していくらになるか」
「かれこれ、二千年ほどになり申します」
「ほお、二千年とな。それは長いの」
北極星が問いかけると、答えたのは彦星の方だった。
ちなみに北極星は独身である。彦星と織姫星は当然そのことを知っているので、よもや既婚者が気に食わないのかと恐れた。
「しかし一年に一日しか会えないというのなら、二千日程度しか一緒にいないではないか」
なんと言って良いのか分からず二人が沈黙していると、とくに反応を求めていたわけではなかったらしく、北極星は独りで話を続けた。
「今日その方等を呼んだのは、それが哀れに思えたからでの。もう良いじゃろう。今日からその方等、ずっと共に暮らしても良いぞ」
孫にとっておきの玩具を披露するように、北極星は得意満面で言い放った。
「どうじゃ」
反応のない二人をみて、感動のあまり言葉も無くしたか、まあそれも無理からぬこと、と勝手に解釈した北極星は返事を促した。
「あの、陛下のお慈悲は大変もったいないものと存じますが」
と口を開いたのは織姫星である。
ようやく、何やら気まずい空気が漂っていることに、鈍感な北極星も気づいた。
「我々は、今の生活に満足しておりますので」
彦星も言いにくそうである。
「な、なにゆえ」
北極星は狼狽した。これは、自分の度量の深さを全天にアピールし、しかも退屈しのぎもになる、考えうる最高の行動だと信じていた彼にとって、まったく理解不能な事態だった。
「どれほど深く愛し合っていようと、一緒に暮らしていればどうしても気に食わないことの一つや二つ、生ずるものでございます」
「我々は二千年の間に、一年に一度しか会えないこの結婚生活は、むしろ他所より幸福なのだと気づいたのでございます」
それは、天の中心でひとり君臨する北極星には、全く分からぬ感覚であった。彼は目を白黒させるしかなく、そこにはもはやひとかけらの威厳も存在しなかった。
「さ……、」
「左様か」
やっとの思いで喉から絞り出せたのは、途切れ途切れのこんな言葉でしかなく。
「わざわざ呼び出してすまなんだの。さがって、よいぞ」
なんども気遣わしげに後ろを振り返りながら二人が去った後、謁見の間には憔悴した北極星がひとり残された。
結果として、宇宙は今日も平和である。
牽牛星、すなわち鷲座の一等星アルタイルと、織女星、すなわち琴座の一等星ベガ。この夏の大三角の二角が何万光年という距離を超え、とつぜん衝突、融合するという天文学的スペクタクルは、こうして未然に防がれたのであった。