動き出す歯車ー1ー
結局、データ確認やシステムの見直しなどで、作業は夜中近くまでかかってしまった。疲れが溜まっていたこともあり、アレクは夢も見ずに熟睡していた。
が、朝日が窓から差し込み始めた頃、突然激しい音がラグナの屋敷に轟いた。流石のアレクも驚いて飛び起きた、ということはなく、彼はゆっくりと起き上がる。
元々朝はあまり強い方ではなく、更に熟睡していたところを理不尽に叩き起こされたことで、アレクの機嫌は最底辺にあった。
「…うるさいな」
眉を顰め、低い声でアレクが呟く。そこへ、
「アレク、起きろ!」
と、サイトが部屋に入って来る。
「もう起きてる」
「お前、着替えもせずに寝たのか?駄目だろ」
「そんなことはどうでもいい。何が起きてるんだ」
いつもの敬語がないことで、サイトは漸くアレクの不機嫌さに気付いた。刺すような視線を受け、サイトは問いに答えようと口を開いた。
そのとき、再び轟音が響いた。ビリビリと、空気が震える。震動が治まって、今度こそサイトは言った。
「どうやら掃討派の連中が、早速お前のことを嗅ぎつけたみたいでな」
「それで、わざわざこんな朝っぱらから押しかけて来た訳か。暇だな…」
言いながらアレクは背伸びをして、軽く自分の頬を叩く。
「さっきからする音は、奴らが結界を破ろうとしている音ですか。狩人みたく結界破りに向いた能力があるならまだしも、純粋に魔力だけで五大公爵の一人であるラグナさんの結界を破るなんて無理でしょう」
まだ些か不機嫌は残すものの本来の調子を取り戻したアレクは、落ち着いた様子で身支度を始める。
「それはそうなんだが…。流石にうるさいな」
「なんなら、全員狙撃でもしますか?今なら外さない自信ありますよ」
「やめてくれ、余計こじれる」
黒い笑みを浮かべるアレクに、溜め息混じりにサイトが言葉を返す。
「分かってます、冗談ですよ。それで、ラグナさんは?」
絶対に冗談じゃなかったろ、と内心思いつつも、サイトは問いかけにだけ答える。
「玄関ホールに。あちらの代表を二人招き入れたようだ」
「代表がいるのに、結界を攻撃して自己主張…いや、威嚇ですか。馬鹿ですね」
やはりまだ怒っているらしい。
容赦ないアレクの言葉に、サイトは思わず息を吐くが何も言わなかった。アレクもその溜め息には気付いただろうが、こちらも何も言わずに部屋を出た。
「ラグナ様のところへ行くのか?」
「勿論です」
「向こうを煽るだけだぞ?」
「…それでも、放っておく訳にもいかないから」
少しばかり低くなった声に、サイトは目の前の背中をジッと見つめる。
「お前が責任を感じる必要はない。ラグナ様だって、こうなることを承知でお前を置いているんだから」
「分かってますよ」
アレクがそう答えたとき、玄関ホールから声が聞こえてきた。
「ディアリッド公、どういうことか説明していただこう!」
壁の陰に隠れて様子を伺うと、階下でラグナと掃討派の代表らしき二人の男が対峙していた。
「説明?何に関してだ?」
「とぼけないでもらいたい。貴公が連れ込んでいる人間のことです」
「連れ込んでいる、とは人聞きの悪い。陛下より許可は頂いている」
少し興奮気味の男に対し、ラグナは冷静に言葉を返す。
「陛下も陛下だ。パートナーでもない人間を国に入れるなど…。何を考えておられるのだ」
「陛下の目指す世界は、人間との共存が成し遂げられた世界。それに向けての一歩となるだろうとのお考えだ」
「人間との共存?あんなものはただの餌、本来の力を引き出すための道具に過ぎん!」
男の言い分に、アレクは眉を顰める。
魔族は、強い力を有している。本来ならば、人間などあっという間に滅ぼされてもおかしくない。それでも今、人間と魔族の力が均衡しているのは、彼らの本来の力が制限されているからだ。
その制限を解く唯一の方法が、人間の血を摂取すること。そして、多数の犠牲を出さず安定して血を摂取するために作られたのが、一人の人間と契約を結んで傍に置くパートナー制度だ。
しかし、現在パートナー持ちの魔族は、確認されている中でも非常に少ない。未確認の者でもさほど数がいないとされているのが、現状だった。
「それ以上は、陛下に対する不敬になるぞ」
ラグナの声が、冷ややかさを帯びる。
「餌、道具などと言うが、人間がいなければ魔族は本来の力を発揮できなくなる。それに、人間だから、と甘く見ていると痛い目を見ることになるぞ」
「…それは、どういう意味で?」
「そのままの意味だ。人間は、我々にはない技術というものを持っている」
その言葉に、男は嘲るような笑みを浮かべた。
「たかが技術ではないですか。元々能力で劣っている奴らが、その程度のもので我々に対抗できるはずがない」
「驕るなよ。陛下が今回、人間がこちら側にいることをお許しになられたのは…」
ラグナが昨日の戦いのことを話そうとしていることに気付き、アレクが少し焦りを覚えた。
アレクの使った技術を外部に漏らすのは、まだ早い。瞬時にそう判断し、アレクは陰から出た。
「そう思うのなら、身を持って経験してみればいい」
聞こえてきた声に驚いたように振り返り、ラグナは階段を降りてくるアレクを見た。
「アレク⁉お前は下がっていろ」
「嫌です」
「お前な…。サイト」
呆れたように溜め息を吐いて、ラグナがサイトを呼ぶ。すると慌てたように、サイトも上から降りて来た。
「申し訳ありません。引き止めるのが遅れました」
「いや、構わない。言ったところで聞かないだろう。…アレク、一応自己紹介を」
諦めたように、ラグナがアレクを促した。
「初めまして、俺はアレク・リアファルド。先ほど話に出ていた人間です。以後、お見知り置きを」
「お前が…。どうせ狩人連合か軍のスパイだろう?」
「違う、と言っても信じてもらえないでしょうね」
「当たり前だ!ここで始末してくれる!」
男が叫び、その足元に水色の魔力陣が広がった。サイトが剣の柄に手をかけ、ラグナが結界を張ろうとする。しかし彼らが動くよりも、そして男が攻撃するよりも早く、一発の銃声が鳴り響いた。
静寂がその場を支配した。そして、動きを止めた男の頬を、生暖かいものが一筋流れ落ちる。
男の正面、そこには右手で銃を構えたアレクがいた。魔力で作ったものではなく、紛れもないアレクの銃だ。誰も反応が出来ず、全員が驚きの表情を浮かべていた。
そんな中、アレクが口を開く。
「今、ラグナさんにまで攻撃しようとしましたよね?」
アレクの言葉に、何故、と男が小さく零す。
アレクからすれば、当たり前の話だ。慧眼を用いれば、放出されようとしている魔力量も、魔力構成の前兆も、属性も、情報は幾らでも見ることが出来る。あとはそれらと今までアレクが集めてきた情報を照らし合わせて、何をしようとしているか判断すればいい。
「ラグナさんを傷付けるなら、容赦はしませんよ」
アレクだけを狙ったなら、結界を張るなり何なりやりようがあった。だが、ラグナを狙うというなら話は別だ。
「次は、当てます」
「くっ…、人間風情が!」
「その人間風情の攻撃に反応出来なかったのは、誰ですか?」
挑発するようにアレクが言えば、男はその表情を怒りに染めた。そして、今度はアレクだけを狙って水の刃が放たれる。
その場から跳び退いてそれを避けたアレクは、男に銃口を向けて躊躇なく引き金を引いた。
結界で全て防がれることは、分かりきっている。今の装備だけで当てるなら、もっと近くから撃つ必要がある。
考えながら、アレクはリロードを行う。それから、再び襲って来る刃を横っ跳びに避けた。
「アレク!」
自分を呼ぶラグナに一瞬だけ笑みを向け、アレクは男に向かって床を蹴る。破裂音が響き、彼が一気に男の懐に踏み込んだ。
驚愕の表情で動きを止める男の心臓の真上に、アレクはピタリと銃口を付けた。そして、躊躇なく引き金を引く。
寸前で、彼は動きを止めた。理由は、背後から首筋に当てられた剣の刃。その柄を握るのは、掃討派のもう一人の男。動けば首から上を持っていかれるこの状況、それはその男も似たり寄ったりだった。
男の首に当てられたサイトの剣、そして周囲を囲むのはラグナが作り出した雷を帯びた剣。
緊張感の漂う中、最初に口を開いたのは、アレクに剣を向けている男だった。
「先に手を出した非礼は詫びよう。だが、その男もそれなりの地位にある男。下手に手を出して立場が悪くなるのは、ディアリッド公だ。お前も、それは望まないのではないか?」
男の髪と同じ空色の瞳が、アレクを真っ直ぐに見据える。
それを横目で見ながら、アレクは引き金から指を離した。それを見て男も剣を引き、それと共にサイトとラグナもそれぞれ刃を引いた。
男が、アレクに突きつけられたままの連れに言う。
「今日はもう帰るぞ。続きは、また今度だ」
「…分かった」
「それではディアリッド公、失礼します」
ラグナへの挨拶もそこそこに、二人は屋敷を出て行った。ラグナは深く息を吐いて、銃を収めているアレクに言う。
「アレク、少しやりすぎだ」
「すみません」
悪いと思っているのかいないのか、ラグナの諌める言葉にアレクは静かな声で答えた。そんな彼にもう一度溜め息を吐き、ラグナは話を変える。
「そういえば、今度は陛下がパーティーを催されるようだ」
「またですか。本当に陛下は催し物がお好きな方だ」
「そうだな。それで、アレクも出席するように、とのことだ」
ラグナの言葉に、アレクは目を丸くする。
「俺も、ですか?厄介なことになりません?」
「今更だからむしろ堂々と出席すればいい、と仰っていたよ」
「確かに、そうですね」
フェルレインがそう言っているなら、断る理由はアレクにはなかった。
「分かりました。いつですか?」
「五日後だ」
「了解です。じゃあ、俺はやることがあるので部屋に戻ります」
「あぁ。流石に何もないと思うが、一応注意しておいてくれ」
その言葉に頷いて、アレクは自室へと向かって行った。