試練へ向けてー1ー
「ラグナ様から聞いたが、お前も大きく出たものだな」
「条件付きでなら勝算はありますから」
呆れたようなサイトの声に、アレクは笑って答える。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ。何を要求されるかは分かりませんけど、その内容によっては俺にも勝算はあります」
「言い切るな」
「事実です。そして、そのための準備でこっちに戻って来たんですし」
アレクとサイト、二人が歩いているのは士官学校沿いの道だった。学校への退学届けの提出、それからラグナの友人に会うために、アレクはアスティンに戻って来ていた。
「しかし、一体どうやって戦うつもりなんだ?」
「それは、まだ秘密です。でも、人間は人間らしく戦いますよ」
人間らしく戦って、条件付きではあるが勝算はあると言うのだから、アレクの自信も大したものである。
サイトは呆れを通り越して、感心し始めていた。
正門前までやって来て、足を止めたアレクがサイトに言った。
「それじゃあ、俺は行って来ます。サイトさんは、あそこの喫茶店の窓際、一番奥の席で待っていてください」
「随分細かい指定だな」
「この後、少し人と会う約束があるので。サイトさんも知ってる人ですよ」
「は?」
サイトは訝しげな表情になったが、アレクはそれ以上何も言わずに正門へと入って行った。残されたサイトは言われた通りにするしかなく、些か不満を抱きながらも喫茶店へと向かった。
中に入って指定された席に座ったサイトは、適当に飲み物の注文をして小さく息を吐いた。
待ち合わせの相手とは、一体誰なのか。サイトも知っているとアレクは言っていたが、彼とサイトに共通する知人など殆ど、否、全く心当たりがない。もしかすると、ラグナを通じて知っているということなのだろうか。
思案を巡らせるサイトの耳に、客の来店を告げるベルの音が届いた。何気なくそちらへ視線を向けた彼の動きが凍りつく。そしてその視線の先にいた相手も同じタイミングでサイトに気付いたらしく、驚きの表情のまま固まっていた。
やがて店員に声をかけられて我に返った相手は、サイトの座る席へと歩いて来る。テーブルの側で立ち止まり、二人は視線を交わした。
先に口を開いたのは、何とも微妙な表情をした相手の方だった。
「…何故、君がここに?」
「それは、こちらの台詞だ」
サイトがそう返すと、彼、名桐鞠弥は軽く溜め息を吐いて、サイトの正面に腰掛けた。やって来た店員に注文を告げる鞠弥を、サイトはジッと見つめる。
ここで無意味な戦いをするつもりはサイトには、恐らく鞠弥にもない。だからといって、警戒を解く訳にもいかないのだが。
確かに、知人。だが、こんなところで顔を合わせるような関係ではない。アレクも、それは分かっているばすだ。
そう、分かっているはずなのに敢えてサイトをここで待たせるアレクは、一体何を考えているのか。
「私は、アレクに呼び出された。何故か、知っているかい?」
「知るはずないだろ。待ち合わせの相手が誰なのかも、俺は知らなかったんだからな」
鞠弥の問いに、サイトは低い声で答える。
「君は…アレクの護衛か」
「まぁな」
会話が途切れる。恐らく、この一角だけ妙に重い空気が漂っていることだろう。
幸い他の客はいなかったが、店員の精神衛生のためにもアレクには早く帰って来て欲しいものだ。
だが願ったところでそうなるはずもなく、アレクが姿を見せたのはそれから十分ほど経ってからだった。
「あぁ、やっぱり早く来ていたんですね。お待たせしてすみません」
サイトたちもところまで来たアレクは、そう言って笑った。サイトが位置をずれて、代わりにアレクが鞠弥の正面に座る。
「最初に聞きたいんだが、どうやって私のプライベートナンバーを?」
「調べれば、すぐに分かりますよ」
「…まさか、ハッキングかい?」
それも、狩人連合のメインコンピューターに。鞠弥の問いに、アレクは苦笑してかぶりを振った。
「自分のパソコンが使える状態なら、そうしたんですけど…」
したのか、と鞠弥とサイトは図らずも同時に考える。が、それを口には出さず、鞠弥はアレクに言った。
「それで、用件は?」
「伝言です、ラグナさんからの」
「ディアリッド公の?」
アレクの言葉に、鞠弥が驚いた表情でそう言った。声こそ出さなかったが、サイトも同じような表情をしている。アレクは頷いて、服のポケットから何かをテーブルの上に置いた。
ダークブルーのカバーに覆われた、手のひらサイズの薄い板のような機械。電話やメールなどの機能が付いた、人間側で広く普及している携帯端末だった。
「クーリオ」
アレクが、端末に向かって呼びかける。すると端末の画面に光が灯り、ホログラム映像が映し出された。軍服風の服を身に纏った青年が、呼びかけに応えた。
『お呼びですか、マスター』
人工知能ー通称【AI】。多くの端末に組み込まれている科学技術で、持ち主の声などに反応して、端末操作などを行う。
鞠弥の端末にも組み込まれているが、ここまで人間らしくはない。応答も、見た目も、鞠弥のものはもっと機械的だ。端末の見かけはさほど変わらないが、その機能はより高性能ということなのか。
鞠弥の視線に気付いたのか、アレクが彼に言う。
「俺の端末は、市販の最高性能のものに更に手を加えているので、普通のとは少し違うんですよ」
元になる端末を手に入れる伝と、手を加える技術がアレクにはあるということか。
知る度に分からなくなるアレクに、鞠弥は内心溜め息を吐く。
「さて、クーリオ。ラグナさんの伝言を再生してくれ」
『了解しました。暫しお待ちください』
言って、クーリオは姿を消した。そして代わりに、ホログラムモニターが現れた。そこに、ラグナの姿が映る。
『昨日は満足に挨拶も出来なかったな。改めて、私はラグナ・ディアリッド。五大公爵の一人だ。わざわざ呼び出したのは、余計な手間を取らせてしまったことを謝るためだ』
「え…」
ラグナの言葉に、鞠弥が呆気に取られたように声を漏らす。よほど意外だったらしい。
そうしている間にも、映像は進む。
『私の気まぐれのために、すまなかったな、それから重ねて言うようになるが、私がアスティンに住んでいたことに特別な意図は何もない。それだけは分かってもらえるとありがたい』
それではな、という言葉を最後に映像は消えた。
画面のあった場所を困惑した表情で見つめている鞠弥に、苦笑しつつアレクが声をかける。
「変わった人でしょう?魔族にもああいう人がいるんですよ」
人間を襲う魔族には、人間を見下している者が多い。そのため、魔族全体がそう見られがちなのだが、実際はラグナのように人間を平等に扱おうとする者もいる。
アレクが鞠弥へ伝言を届けたのは、そういう魔族も中にはいると知ってもらってもいいのではないかと思ったからだった。
「不思議な人だ」
「とても優しい人でもありますよ、俺なんかと違って」
「君は違うのかい?」
鞠弥の問いに、アレクはにっと笑う。
「自分勝手ですよ、俺は」
「加えて、性質が悪いしな」
今回のことを根に持っているのか、サイトが冷ややかに言った。それを聞き、アレクは困ったように眉を下げて見せた。
「…怒ってます?」
「怒ってないように見えるのか?」
「見えないですね」
しれっと答えたアレクを、サイトが睨みつける。
「お前な…。大体、どういうつもりで鉢合わせさせたんだ」
「ラグナさんは人間擁護派ですからね。その騎士であるあなたも、人間と仲良くしておいても損はないのでは、と思って」
「分からないでもないが、相手を考えろ」
「だって、他に当てがないから仕方ないじゃないですか」
「……」
飄々と言ってのけるアレクに、サイトは返す言葉を失う。二人の様子を見ていた鞠弥も、思わず苦笑を零していた。
そんな二人に笑みを浮かべてから、アレクが口を開く。
「まぁ、俺としてはサイトさんも鞠弥さんも…って勝手に呼びますけど、二人とも気に入っているので、仲良くしてもらえたら嬉しいだけです」
「んな自分勝手な…」
「それが俺ですよ」
にっこり笑って言ったアレクは、ふと手元の時計に目を向けた。
「そろそろ時間か…」
「次の約束でも?」
「はい。…今日は突然お呼び立てしてすみませんでした。来てもらえて良かったです。…たとえ、一人でなくとも」
「…っ⁈」
鋭い瞳と共に告げられた言葉に、鞠弥がはっと息を呑んだ。
「コウヤさん、でしたか。外の黒い車にいますよね?昨日も来てましたし、俺の“目”は誤魔化せませんよ」
「…すまない」
「いえ、別に責めている訳ではありません。むしろ、一人で来いと言われてそうするなんて、特別な事情がない限り迂闊すぎますからね」
あっさりとした口調で、アレクは言う。それに対して、鞠弥は少しだけ笑みを浮かべる。
「会話までは聞こえていない。信じてもらえるかは分からないが」
「信じますよ。あなたはここで嘘を吐くような人じゃない」
「そうか。…ありがとう」
その言葉に、アレクは微笑んだ。
「さて、それじゃあ、俺たちはこれで。コウヤさんにもよろしく伝えておいてください」
「あぁ」
挨拶もそこそこに席を立ち、アレクはサイトと共に店を出た。すぐ近くの路肩に例の黒い車が止まっており、偶然なのだろうがコウヤが外に出て煙草を吸っていた。
アレクと目が合った彼は、露骨に嫌そうな表情になった。対するアレクは笑顔だ。
「そんな顔しないでくださいよ、傷付くじゃないですか」
「うるせぇよ。ったく、タイミングの悪い奴らだな」
「それは俺たちの台詞でもありますけどね」
そんな会話を交わしつつ、アレクはコウヤの前を通り過ぎようと歩を進める。
「…鞠弥に何の用だったんだ」
「さぁ。直接聞いてみたらどうですか?」
答えるかは知りませんけど、と軽い口調で言いながらアレクは笑う。そんな彼の態度に、コウヤは小さく舌打ちをした。
「それじゃあ、失礼します」
「二度と会いたくねぇよ」
「奇遇ですね、俺もです」
お互い、そうもいかないことは分かっているけれど。
一種剣呑な雰囲気を纏ったまま、二人は別れた。アレクの後ろを歩いていたサイトは、呆れたような視線をアレクに向ける。
「…仲悪いな」
「好きじゃないですから、あの人」
「そうか。まぁ、お互い様だろ?」
「ですね。…さて、この辺りなら転移しても大丈夫そうですね。サイトさん、お願いします」
「あぁ」
ひと気の少ない通りまで来てアレクが言い、サイトが頷いた。
サイトがアレクと共に来たのは、護衛の他にも移動のためという理由がある。ソリュート皇国とこちら側などを何度も行き来するためには、魔力による転移が不可欠なのだ。
アレクに言われて頷き、サイトは足元に魔力陣を広げた。
「準備はいいな」
「はい」
「じゃあ、飛ぶぞ」
サイトが言うと共に、魔力陣から光が放たれる。そして、光に包まれた二人の姿は消えた。