朝に消える
第四章・ 朝に消える
アミナは馬車に乗せられ、屋敷の外に連れていかれた。その場所は、統主の管轄下である警備部の建物。そこで運営している地下の牢獄に入れられた。
カビくさくて、暗くて、じめじめしていて。アミナには、あの豪華な屋敷よりお似合いだ。
あの扉の先は、アリンガム家の財産保管所だった。
なぜ扉の前に立っていただけで捕まってしまったのか、不思議でならなかった。けれど、自分の無実を釈明する気にもなれなかった。
レイに信じて貰えなかった。信じて貰えるような人間ではないとわかっていたはずなのに、落胆している自分がおかしかった。
こんな最後が、自分の末路としてはふさわしいのかもしれない。そんな思いにさえなっていた。
ひとりでひたすらに落ち込んでいると、牢獄の外に人の気配を感じた。暗くて見えないが、手にした蝋 燭の灯りで顔がゆらめく。
「ジェフ……?」
日ごろ見慣れている、執事然とした様子ではない。その目は、動物のように警戒心が強かった。
「今、助けますから」
線をひくということでずっとコルニールの言葉だったのに、今は母国ジェジクトの言葉だった。同じように、ジェジクトの言葉で返す。異国の言葉ではもどかしかった。
「どうして? なんでジェフが? どうやって?」
脱獄など、簡単にできるものではない。それなのに、ジェフは臆することなく鍵に手をかけ、なにか細い棒で鍵穴をつついていた。そうしながら、言いにくそうに話し始める。
「レイ様に、今日、家に盗賊が入ると教えたのは私です」
「どうして、そんな……わたしがそんなに憎かったの?」
裏切られたのか、とアミナはまた脱力感に見舞われる。しかし、ジェフは否定した。
「焦らないでください。盗賊とは、アミナさんのことではありません。アミナさんが、今夜あそこにいるなんて私にはわかりませんでしたから」
「あ、そうか」
思いの外動揺している。冷静に考えればわかることもわからなくなる。
「では、なぜ?」
必死で鍵をいじくっているジェフを、アミナは見つめた。静かな牢屋に、金属のぶつかる音が絶えず響いていた。地下牢にはアミナ以外誰もいなかったから、ジェフは大胆に音をたてている。そのまま吐き捨てるように言った。
「……私は、元盗賊でした。盗賊というよりも、ただの物取りというくらいさもしいものでした。ジェジクトに働きに出たのはいいものの、生活に困っていたから。それで、エイルマー様の屋敷に侵入した時、捕らえられたのです」
驚きの告白に、アミナはジェフに寄る。鉄格子越しを握り締め、問い掛けた。
「じゃあ、なぜレイ様の側に?」
「エイルマー様は、私を投獄しようとレイ様の元へ連れていったのです。統主は、警備上の担当をしていますから」
アミナはそれを知ったときから、いつかはこうなるかもしれない、と思っていた。それが、冤罪だとは思わなかったけれど。
「しかし、レイ様は何も聞かず、私を雇いました。最初は、神経を疑いましたよ。でもあの方は、自分の直感を信じる方なのです。ただの、第一印象で」
ひたすら隠したがっていた過去の暴露に、アミナは何も声をかけられなかった。その様子を気にすることなく、鍵を開けようとしながら話を続けた。
「盗賊をやめるいいきっかけだ、と私は心を入れ替えて働くことにしました。エイルマー様も、レイ様のことはよくわかっていらっしゃいます。何も言わずに預けてくださいました。とはいえ、第一印象で私のことを雇ったレイ様を信用できなかったのですが」
そんなやりとりがあったのか。レイすらも知らない事実が、ジェフとエイルマーの間に存在していたということは驚きだ。
「それをよく思わない昔の仲間が、家に侵入してやる、と言ってきたのです。そうは言っても統主の家、わざわざ捕まりに行くようなものです。実行はしないだろうとは思いましたが、万が一を考えてレイ様に警戒するよう申しました」
「それって、自分が盗賊だったと告白しなくちゃいけないんじゃない?」
風の噂で聞いたのですが、盗賊がくるらしいですよ。で、信用するとも思えない。
「もちろんです。私は、元盗賊であると言って、お伝えしたのです。昔だったら考えられませんが、いつの間にか、私のせいでアリンガム家に損害が及ぶなど考えられなくなっていたのです。ここにいられなくなることも覚悟の上で話しました。それが……」
ちょうどよく、アミナが居合わせてしまった。不幸にも、ジェフの警告は当たってしまったのだ。
「レイ様は、私が元盗賊であることについては後で話そう、とおっしゃいました。今はどっちつかずの状態です。でも、もう戻れないでしょう」
「そんな。レイ様はそれで解雇なんてしないと思う。あなたは自分の身よりも、レイ様のことを考えて告白したのだから」
首を振り、ジェフは怒りをこめた声で呟く。
「それもありますが、許せないのです」
がちゃり、と音をたて、鍵が開いた。鉄格子の一部を開け、ジェフはこちらに手を伸ばす。
「レイ様が、アミナさんを信用していなかったことが。そんなことをするのは、浅ましいジェジクトの人間だからだ、と思われているなら、それは私のせいです」
それはアミナだって悲しい。だけど、ジェフのせいでもない。首を振って反論しようとしたとき、手首を力強く握られる。
「アミナさんを、レイ様の手で裁かせるなど考えられません。アミナさん、レイ様を慕っておいででしょう。だったらなおさらです。私と共に、ここを出ましょう」
その申し出に、アミナは手を握り締めて拒否する。
「何言っているの。レイ様は、ジェフを元盗賊だからって辞めさせたりしない。あなたは、こんなことしちゃダメ」
指を開かせるようにして、握られた手を緩ませる。ジェフは、さらに力を入れようとしたが途中で諦めたようだった。
自由になった手で鍵を拾い、鉄格子につけようとする。重たいが、ジェフの手のぬくもりがまだ残っていた。せっかく鍵をあけたジェフは、手を出してその行為を制す。
だがアミナは、その手をそっと押し戻した。
「アミナさん」
なぜか絶望したような声だった。
「わたしは、いいの。今回のことは無関係だけど、レイ様を騙していたのは事実だから。だから……」
アミナは、なんと言うべきか言葉を探した。唇を噛む。何も、見つからない。
「ジェフも、騙していてごめんね。でも」
そして、コルニールの言葉に戻した。
「ここに、いる。そうすれば、また会えるかもしれない」
鉄格子の向こうに手を出し、内側から、施錠する。ジェフは苦しそうに見守った。
「どうしてです? そこまでレイ様にこだわるのは」
相変わらずジェジクトの言葉で問いかけてくるが、アミナはきっぱりと異国の言葉で答えた。
「レイ様が、今のわたしのすべてなの」
あの屋敷で、踊っていた時のことを思い出す。
いつもと同じ演目が、同じではなくなった。あの人に見てもらいたい。その思いで、いつもより熱のこもった踊りを披露している自分に驚いた。踊り子としてあるまじき考えだ。誰かのために踊るなど。それほど、レイの姿はアミナに衝撃を与えた。
それを、レイも見ていてくれた。
「最初、小さな舞台から、レイ様を見た時に……どんな手を使っても、この人の側にいて、何かしてあげたい。わたしにできることならなんでも。あの人が、わたしのすべて。そう思えたの」
それがアミナのすべて。本当の気持ち。やっと口に出せた。もう、嘘を隠す必要がなくなったから。
アミナが顔をあげると、そこには誰もいなかった。蝋燭が地面に置かれていただけ。
ジェフ、と声をかけようとして、もう一つ灯りがあることに気付く。ジェフじゃない。じゃあ……。
「独り言で何を言う?」
頭に思い浮かべていたレイの、現実の声にアミナは飛び上がって驚いた。
じーっとこちらを見ているレイに、恐る恐る尋ねる。
「どこから、聞いていました?」
「……小さな舞台から、辺り」
どうやらジェフは逃げたらしい。ちゃっかりしている。
炎が、不規則に揺らめく。アミナはなぜこんなところに蝋燭が、と不審がられると思ったが、どうにも出来なかった。だが、残された蝋燭を不思議に思うほど、レイには余裕がないようだった。
レイは地面に座り込み、鉄格子を背にアミナに話し掛けてきた。
「すべて、嘘だったんだな」
罵る声色ではなかった。自分に絶望している、そんな声にすら聞こえた。
「嘘じゃ、ないです」
苦し紛れに、アミナも声を絞り出す。嘘つきなのに。肝心なところは知られていないかもしれないと 考えたから、誤魔化そうとしていた。
その幻想はすぐに砕かれる。
「じゃあ、これからは顔がかゆくなっても俺は何も言わないが、平気か?」
アミナは目をぎゅっとつぶった。
嘘をつき続けることは可能だ。だけど、一度疑われたらもう長くは無い。終わりの時なのだろうが、 本当ならもっとかっこいい引き際にしたかった。
盗賊と、呪い。どちらも疑っているのか。呪いについても、レイに近付いてアリンガム家に入ろうとした盗賊だから、とでも思われているのかもしれない。回りくどい盗人だが。
それだけは違う。こんな誤解はされたくない。レイにとっては一緒かもしれないけれど、アミナにとっては大きな違いだ。
「……かゆい、です」
「まだ白を切るつもりか」
いつもの不機嫌な声が、逆に安心した。怒られているはずなのに。でも、二度と口をきいてもらえないことに比べればなんてことはない。
「いえ、元から、顔はかゆくなる体質ですから。昔から、心に不安があると、顔をひっかいてしまうんです。いつも、誰かになだめてもらっていました。レイ様に、言ってもらえれば……収まるんです」
聞いていられない、と言った様子でレイは肩を落としていた。自分が、情けないとでも思っているのかもしれない。
「これが、呪いの真実です。財産目当てではなく、レイ様目当ての、くだらない嘘です」
くそ、と悪態をつき、レイは髪をかきむしる。
心配していてくれた。でも、それも嘘だと知って……失望している。
「わたしは、後悔していません」
振り向いたレイは、アミナの顔を凝視した。睨むような凄みのある顔に、アミナは逸らしてしまいそうになる。そして、ふっと息をはいた。
「俺の気持ちを弄んでおいて、なにがくだらない嘘だ。後悔していない、だ」
馬鹿馬鹿しい、とまた背を向ける。
「ごめんなさい。だから、もう姿を消そうと思ったのです。なのに……」
「それも嘘だろ。財産を奪ってから。そうじゃないのか」
この期に及んで、疑われたことに腹立たしくなる。
「そう疑うなら、疑えばいいです。わたしは、嘘なんかひとつしかついていません」
偉そうに言うことではないが、ついむくれてしまい、ふん、と牢の一番端に向かって歩き、座る。ここにいれば、たまにはレイに会えるだろうか。だったら、やりもしないことで捕まるのも悪くない。
そんなことを考えていると、がちゃり、と鍵があけられた。こんなに頻繁に開け締めされるなら、あまり鍵の意味がないような。アミナは体を壁に寄せる。殴られても文句は言えないが、やはりそれは怖い。
「嘘つき女には近寄らないでください!」
ゆっくりとした足取りで、レイは牢の中に入ってきた。広くない牢では、入ってきただけでかなり近い。炎の明かりで牢の中が橙に染まる。
レイは、深く呼吸をし、口を開いた。
「アミナは嘘だったかもしれない。財産目当てだったかもしれない。でも、俺に嘘はない」
片膝をつき、アミナの目線に合わせる。それに、アミナは反抗した。
「それが嘘です。愛してもいない女に、愛しているなどと……」
一度睨み返してから顔をそらすと、その顎を掴まれる。強引に、目が合う。お互いの鼻がくっつきそうなくらい近かった。
「俺は、嘘なんかつかない。少なくともアミナに関しては」
「この状況で、何を」
アミナの問いかけには答えず、レイはまるで自分に言い聞かせるように、顔を少し離し、目を閉じて話す。
「最初は、面倒だから言ってやった。だが、俺は気に入っていたから言った。アミナの踊りが好きだった。それは本当だ」
愛していたのは、踊り。嬉しいような、寂しいような。
「じゃなきゃ、さっさと捨て置いたかもしれない。それから何度か囁くうち、踊りだけじゃなく、アミナに対して本当にそんな気持ちになった。作戦勝ちだよ。くだらない嘘から、真実が生まれてしまった」
何を言っているのか。泣きたいような、笑いたいような気持ちを抑え、冷静に言った。
「そんな気になっただけです。『愛している』という言葉を選んだのも、わざとなんですから。コルニールの言葉もよくわからないから、それくらいしか思いつきませんでした」
すると、レイはアミナの肩を握った。凄く力強くて、顔をしかめてしまう。開かれた瞳からは、怒りが感じられた。
「俺は、誰かの手の上で踊っているつもりはない。踊るのは、アミナの仕事だ」
レイは目を見開きアミナの顔を覗き込む。炎の明かりで、茶色い瞳が赤く燃えて見えた。
「嘘なのは、呪いだけか? 盗みは?」
これ以上騙すのは許せない、と言わんばかりに、強引に肩をゆする。暴力というより、懇願に似た感触だった。
「盗みなんて……わたし言いましたよね。自分の仕事に誇りがあると。裕福でなくとも、幸せです」
心からの声を届けると、レイは黙り込む。肩に置いていた手を腕に滑らせアミナを立たせようと持ち上げる。
「もう、出ていけ」
「レイ様……」
顔を、見せてくれない。髪に隠れるようにうつむいていた。
「俺は、アミナが盗みなどしないと信じてあげられなかった」
誤解は解けたのだろうか。なのに、どうしてそんなに悲しそうな声を出すのだろう。
「合わせる顔もないし、アミナもこんな俺は嫌だろう」
精一杯首を振るが、レイは見てはくれなかった。
「自分が信じた人なのに、信じられなかった。俺は、人を見る目がないとすら思ったよ。だが、今アミナと話してみて、自分の見る目は正しいと確信できた」
その言葉に、アミナは救われた気持ちになった。何も言葉が出ないアミナに、早口で伝えられる。
「いいか、まだここの人間にはアミナに容疑がかっている。これは俺の気持ちではどうにもならない。今のうちどこかへ行け」
そう言って、牢の外に追いやろうとする。だけど、アミナは鉄格子に腕をつっぱった。
「どうした、早く出ていけ」
「いいんです。レイ様が信じてくれたなら、わたしはそれだけで満足です。それに」
アミナは振り向くと、いつもは見ない情けない顔のレイがいた。すぐに顔をそらすが、見てしまった。その姿に驚きながらも、アミナは声をかけた。
「レイ様に会えなくなるなら、わたしは疑われたままここにいます」
途端、レイはアミナを抱き締めた。苦しい息遣いが、アミナの耳に触れる。
「バカか……アミナには家族がいるんだぞ。踊りはどうするんだ。好きなんだろ?」
瞬間、頭の中に家族と、砂漠の百合の隊員の顔がよぎる。すべてを捨てる程、まっすぐにはなれなかった。
レイは、アミナから体を離す。そして言い含めるようにゆっくりと言った。
「今は、元の場所に戻れ。きっといつか、また会えるから」
驚いて、アミナはちょっと裏返った声を出す。
「レイ様、またわたしに会ってくださるのですか?」
こんな、くだらない嘘で家にまで押し掛けるような女を。レイは、泣き笑いのような顔でおでこをつついた。
「その時、アミナより好きな女がいなければな」
意地悪を言う。だけど嬉しくて、微笑んでしまう。
「レイさ――」
「アミナが、俺を好きだというからだ」
アミナの言葉をさえぎり再び抱き締められる。
「統主として会うくらい、構わないというだけの話だ」
それでもいい。アミナには十分だ。
結局、レイの手のひらで、アミナは踊っていたのかもしれない。
これが最後にならないように。アミナは願った。
レイに手をひかれ、牢獄から出た。外はまだ薄暗く、逃げるには格好の時だった。
「俺の家で起きたことだから、なんとかおさめられる。何も心配するな。アミナは異国人だから俺が適当なことを言えば追われることもない」
「はい」
手をつないだまま、二人は警備部の裏庭で話した。
「またいつか会おう」
レイは名残惜しそうに、絡めた指をそっとほどく。
「元気で」
「レイ様も」
レイは振り向かず、早足で警備部の建物に戻っていった。
一人残されたアミナは、しばらく何も考えられなかった。
どうやらレイに信じてもらえて、しかも待っていてもらえるようだ、と理解するには、朝日は待ってくれない。
とにかくこの場を離れ、砂漠の百合のところへ戻ろう。はぐれたのは、本当の話だ。今ごろ心配しているだろう。
朝の闇の中、赤い舞装束は街に消えた。