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裏切りの味

   第三章・裏切りの味




 翌朝、まだ頭がぼうっとしたままでアミナは廊下を歩いていた。目も重たい。

 出て行くつもりだった。ここにいたら迷惑をかける、と思った。でもそれは出来なかった。どうしても。

 だったら早く起きて、この家のことを手伝おう、と思っていたのに、柔らかいベッドが心地よすぎて眠りすぎてしまった。昨晩食べ過ぎて、おなかもすいていなかった。ジェフが起こしてくれればいいのに。

 文句を言いたかったところに、ジェフが通りかかる。はっと目が覚めて、その姿に躊躇いながらも、笑顔を作り、声かける。

「ジェフ! おはよー」

 すると、ジェフはちょっと目を泳がせたものの、照れたようにはにかんだ。昨日の涙、見られたかどうかはわからない。いつもどおりの反応に見えて、アミナは安心した。

「おはようございます、アミナさん」

「あっ、やっと様をとってくれたね」

 嬉しくて、自然な笑顔で近寄る。すると、ジェフは困ったように、手を前にして、止まるよう合図した。

「アミナさん、ダメですよ」

「え、なんで?」

 ジェフが親しげな態度をとるようになってくれたのは嬉しいけれど、何かに遠慮しているようだった。

「アミナ」

 怒気を含んだ声に、アミナは体を揺らす。振り向くと、レイが不機嫌そうに腕を組んで立っていた。

「レイ様! おはようございます」

 自然な笑顔を装い近寄っていくと、レイはふん、と顔を背けた。

 まだ不機嫌だ。怒っているのだろうか。まだ、アミナがこの家にいたことに。

 ふっと笑う声が背後で聞こえる。振り返ると、ジェフは真顔でこの場を離れた。

「ずいぶん楽しそうだな」

 アミナはわざとらしく眉をひそめる。

「レイ様」

「なんだ」

「そんな怖い顔をして……お腹でも痛いのですか?」

 昨日のことから話を逸らしたくて、腹部を見る。だいぶふっくらとしたお腹をじっと見てしまう。

「今、思ったより肉付きがいいと思っただろう」

 心を読まれたのか、と思うくらいぴったりで、思わず目を逸らす。

「そんなことは」

 わかりやすく動揺しながら否定する。

「いい。いくらでも触ってみろ。そしてバカにすればいい」

 手首をとり、自分の腹部にアミナの手をあてた。服の上からではあるが、息を飲みながら、むに、と掴む。いつも見ている舞音隊の男性踊り子の鍛え上げられた肉体ばかり見ているので、そのふんわりとした感触が物珍しい。

 もしかして、昨日怒ったからそのお詫び? まさか。そんな気遣いをしてくれるなんて。

 レイは言い訳がましく口を開く。

「仕方ないだろう。会議を兼ねた食事会ばかりで、運動する暇も無い」

「なんだか、ふわふわですね」

 むにゅむにゅ掴んでいると、さすがに恥ずかしくなったのかレイは、ぐい、と手をひっぱる。

「顔の調子はどうだ。かゆくはないか」

 少し背を丸めて、アミナの顔の側で言う。両手で頬を押さえ、観察するようにじっくり見てくる。いきなりのことで緊張して、うまく言葉が出ない。どんどんと、顔が熱くなっていく。

「はい、だいじょ」

「愛している」

 アミナが何も言い終わらないうちに、レイは顔を近づけ、耳元で囁く。アミナは思わず固まった。

「あのっ。今は大丈夫ですから」

 そう言って押しのけようとするけれど、レイは顔から手を離さなかった。

「わからないけど、言っておかないといけない気がしたんだ」

「寝溜め、食べ溜めと同じで、出来ませんよ」

「……うん、まぁそうだな」

 そう言うと、ようやく体を離してくれた。離れた体や頬はひんやりしてきている。その感触を逃がさないようについ手で頬を押さえてしまう。

「どうした」

 その様子を、不思議そうな顔で見てくる。

「お腹が痛いのではなくてよかったです」

 真面目な顔で、話をそらした。

 しばし、沈黙が流れる。どうしよう、まだ不審がっているのかなと心配になる。そっとレイを見上げると、何かを躊躇うように宙を見ながら口を開く。

「なぁ、アミナ。もう一度、踊ってはくれないか?」

 代わりに出てきた話に驚いて、言葉が出ない。

 踊る? どういうこと? あんな風に馬鹿にしたのに。

「聞いているのか?」

「え、はい、聞いています。でも、どうしてですか? どこかで披露してほしいという依頼なら、わたしひとりでは無理です」

 レイは歯がゆそうに早口でまくし立てる。

「俺が見たいから、俺のためだけに見せてくれと言っているんだ」

 少し照れたようにそっぽを向いてしまう。自分の踊りを見たいといってくれるのは嬉しい。けれど、観客がたった一人の舞台、しかもそれがレイだなんて。緊張して上手に踊れない。しかも、音を出してくれる人もいないのだ。

 けれど、こんなことを言ってくれるのであれば……。レイの言うことならば、なんでも聞きたかった。

「喜んで、踊ります」

 昨日の発言について蒸し返そうとしたけれど、嬉しくなってその気分はそがれた。

 了承すると、レイは幾分緊張から解かれたように、気の抜けたような笑顔になった。この笑顔が見られるのならば、何度でも踊ろうと思えた。この職業がどう思われていようと、自分が誇りに思っていればそれでいい。

「俺は、これから出掛けなくてはいけない。本当は心配だから連れて行きたいけれど、それは出来ない場所で。昼には帰れるから、待てるか? 夕方、また出掛けるから時間が無いのだが、明日は一日あいている。だから、明日になったらアミナの呪いを解く方法を探そう」

 うなずくと、レイはそれでも心配そうな面持ちのままだった。

「だから、今日帰ってきたら、踊って見せてくれよ」

 その後しばらく考えるようなそぶりを見せて、また口を開き、思いをぶつけてくる。鋭い瞳と共に。

「俺がいない間に、あまりジェフと親しくしないように」

 ぴっと人差し指でアミナを指す。そして返事も聞かず、早足でその場を去ってしまった。

 言っている意味がよくわからなくて、アミナは立ったまま考え込んでしまう。親しくなりやすいだろうからと、同郷のジェフを紹介してくれたのに。何を言っているのだろう。しかし、人を指差すなど他の国だったら大変な侮辱行為だ、とアミナはどうでもいいことばかり頭を駆け巡っていた。

「アミナさん」

 後ろから、声をかけられる。今話題のジェフだった。

「ジェフ……今の、聞いていた?」

 いつの間にかいなくなっていたのに、また現れた。ぼんやりと尋ねると、ジェフは目を伏せ、肩をすくめた。

「申し訳ありません。出て行くのも失礼かと思っていたら」

「それは、別にいいの。ねぇ、今言っていた意味、わかる?」

 その質問に、ジェフは目を丸くした。

「私としては、その質問をするアミナさんの考えの方がわかりかねますが」

 面白そうに、しかし半分悲しそうにため息をつく。

「何ソレ。だって、言葉って難しいもの」

「私は、あまり親しくすると叱られてしまいますので。お着替えとお食事を置いたら失礼します」

「えぇー、ちょっと。もう、つまんないんだから」

 だけど、昨日の今日でどうして踊りが見たいなどと言うのだろう。どれほど考えてもわからなかった。

 今は踊るための腹ごしらえにしよう。すでに空腹を感じ始めていた。あまり食べ過ぎると、おなかが出てしまうから気をつけなければ。まずは、と顔を洗いに浴室側の水場へ向かった。


 赤い舞装束。最初にレイと出会ったのもこの格好だった。

 肌の露出は多くないが、胸元が大きく開いている。あまり胸に自信のないアミナには、ちょっと酷な衣装だった。でも、体の線が美しく出ること、広げると蝶の羽のようになる白い飾り布が両腰あたりから下がっている事はお気に入りだった。

 それを着て、一人部屋で踊りの確認をする。曲は、簡単なものがいい。レイに手拍子をしてもらえば成り立つもの。

 舞台に立つよりも緊張と興奮をしながら、レイが帰ってくるのを待った。こんな思いで待つ時間は最初で最後だろう、と幸せを噛み締めながら。


 予告どおり、レイは昼過ぎに帰ってきた。すぐに「顔、かゆくないか?」と尋ねてきてくれて、それが本当に嬉しかった。こんなに気に掛けてくれている、というだけで、どうしてこんなにも満たされた気分になるのだろう。レイは、すぐ部屋に案内した。

 そこは広い応接室。ふたりっきりの舞台は幕を開けた。

 アミナが催促したレイの手拍子に乗り、軽い足取りで体を動かした。

 若い女だけに踊ることが許されている、飛び跳ねるような振り付け。大人になれば、この可愛らしい踊りを舞うことが出来ない。もうそろそろ、アミナも卒業しなければならないものだ。

 草原に住むうさぎの、楽しく自由な生き様を表した踊りだ。本来は数人が輪になって踊るが、今は一人。でも、愉快な振り付けなのでひとりでも様にはなっているはずだ。

 踊り子であることは、アミナの誇り。それを見たいと言ってくれた。目の前にいるレイのためだけに、気持ちをこめて踊った。今まで、誰か一人のために踊ることはなかった。幼い頃、両親の前で踊ったことはあるけれど、踊りと呼ぶにはつたないものだった。

 いつからか、お金にならない踊りはしなくなったから。いつも、お金を頂いて見てもらっているものを、タダで簡単に見せては失礼だからというのが、砂漠の百合の掟。

 今日だけは、ごめんなさい。掟に反したことを謝りながら。けれどもレイには世話になっている。その感謝の気持ちはお金には変えがたい。

 音楽がないので、踊りの終わりを示すことは難しい。レイの手拍子が空振りになったら申し訳ない。だから、アミナはレイに近付き、手拍子が打てないようにその手をとった。音がやみ、一瞬の静寂が訪れる。レイはどうしたものかと瞳を見つめてきた。茶色の瞳を見つめ返し、アミナは笑顔を見せる。

「わたしだけが踊るより、一緒に踊った方が楽しいですよ」

 軽く力を入れて、立ち上がるよう促す。困惑したまま、レイは腰をあげた。

「踊りなんて……こういったものは知らない」

「いいんです。踊りって、楽しければいいものですから。今は、誰も見ていません」

 少し荒くなった呼吸を整えながら、アミナは手をとり動き始める。それについてくるように、レイもついてきた。

「ねぇ、レイ様」

 ゆっくりとした動きをしながら、アミナは尋ねる。

「なんだ」

「どうして、最近優しいのです? 最初、馬車に押し入ったときはあれほど素っ気無かったのに」

 その時のことを思い出したのか、レイはふっと笑った。

「誰だって、ああなるだろう。見知らぬ女が急に侵入してきたら」

 少し間をあけ、いや、とレイは自分自身の言葉を否定した。

「最初から、気になっていたんだよ」

「そりゃ、馬車に押し入れば……」

「違う、舞台で踊っているときから、俺の後をつけ回しているところもだ」

 えっ、と思わず足の動きが止まる。舞台といっても余興だから、真面目に見ている人は少ない。それに、狭いところで、十数人が演奏し、踊っている。いくら真ん中に立つことが多いアミナでも、似たような化粧に同じ衣装では区別もつきにくいはずだ。

 ついて歩いていたのも知られていた。本当は、馬車に乗り込むなんて恥ずかしいことはしたくなかったが、どうしても声をかけられなかった結果が、あの行動だ。今思うとなんて恥ずかしい、と顔を赤らめる。

「舞台のわたしと、馬車に押し入ったわたしが、同じだってわかったんですか?」

「一人だけ、輝いて見えていた。俺には」

 立ち止まって話すのは恥ずかしいのか、レイは強引に体を動かす。引っ張られるように、レイの体に軽くぶつかる。

「ぼんやりとしか思い出せなかったけれど、従者と引っ張り合いをしている姿で鮮明に思い出した」

「そこで、ですか」

 正直、あまり覚えていて欲しくないのだけど。足の動きは緩やかになりながらも止めず、話を続ける。

「さっきも、こんな一生懸命な子がいたなぁと思って、ああ、さっき会ったじゃないかと。でも、その時はそれだけだった。うちに連れてきたのも、この領土でおかしなことが起きていたら困るという判断からだった。一応、警備部を管理しているからな。何かあれば牢にぶちこめばいいと思った」

 それを聞き、アミナはうつむく。正義感からの引き受けだったに違いない。

「だけど、どこかおかしいんだ。気がつけば、アミナの心配ばかりしている。今頃、顔がおかしくなっているのではないか。ジェフとずいぶん親しいらしいってエルは言っていたが本当だろうか、とか」

 いつの間に、告げ口なんてしているんだ、あの男は。へらへら笑っているエイルマーの姿を思い浮かべる。

「それで……また踊りが見たくなった」

 レイ自身、自分の行動がよく理解できていない様子だった。呼吸と、声と、汗ばむ手と。すべてがアミナにも伝わってきて、どうしてだか涙が出そうだった。

「レイ様」

 足の動きを止めず、アミナは呼びかけた。

 本当は、この空気を壊したくはない。けれど、聞かないわけにはいかなかった。本当のことを。

「昨日、踊り子を馬鹿にしたこと、言いましたよね」

 もやもやが続いたので、思い切って尋ねることにした。

 レイは心当たりがないといったように、目を開いて小さく首をかしげた。

「昨日、の夜です。わたしが食器を持って歩いていたら、踊り子風情がそんなことするな、と」

 そこまで言って、レイは思い出したようだ。眉をひそめてアミナの目を凝視する。

「それ、だいぶ話が違うぞ」

 体は動かしたまま、レイはため息とともに告げる。

「俺は踊り子風情などと言った覚えはない。そうではなく、客人で、踊り子であるアミナが、人の家で家事をする必要がないと言うつもりだったのだが」

「え」

 そういう気遣いだったの? そう知らされ、アミナは足取りを乱す。あやうくレイの足を踏みそうになった。

「あんな不機嫌な顔をしていたから」

「不機嫌じゃなくて、こういう顔になりやすいのだよ」

 不機嫌、は失礼だったか。言葉選びに間違え、アミナは落ち込んでしまう。

「難しそうなお顔をしていたので」

「今更言い直しても遅い」

 笑みを含む声で言われ、アミナも微笑んだ。よかった。すべては自分の勘違いだったのだ。職業軽視をするような酷い人だと一瞬でも疑った自分が情けない。

「ありがとうございました。こんなに良くしてくださって」

「何を改まって。まだ、問題は解決できていないんだぞ」

 その時、部屋がノックされた。でも、誰も入ってこないし、声もかけてこない。

「ああ、もう時間か」

 惜しむような声で、レイはアミナからゆっくり離れた。どうやら、時間になったらノックをするよう言いつけてあったらしい。

「じゃあ、また夜まで帰れないから」

 躊躇したあと、レイはアミナの耳に口を寄せた。

「愛しているよ、アミナ」

 顔も見せずに扉を出て行った。あっという間で、アミナはただ立ち尽くしていた。

 言われて、嬉しい言葉のはず。夜まで帰れないから、言っておいた。それだけなのかもしれないけれど、座り込みたいほどその言葉に心酔してしまっていた。

 だけど、と震える足に力を入れる。

 そんなことを言ってもらえるのも、これで最後になる。

 言いたいことはあった。伝えたいこともあった。でも、レイを前に言えることはないだろう。

 悟られたらいけない気持ちだから。


 アミナはレイが帰る前に屋敷を出る準備をした。日が暮れたら、すぐに出よう。幸い、荷物も何もない。

 衣装だけ着ていればいい。


 だが、慣れない屋敷で誰にも言わずに抜け出すのは難しかった。誰にも会わないように、とそちらに気をとられているうちに知らないところへ来てしまった。

「大きな扉」

 アミナの前には、細工の施された白い扉があった。食器を持ってうろうろして、レイとすれ違う前に見たものだ。何度見ても、その重厚感に圧倒される。特別な部屋なのだろうか。

 一体なんの部屋だろう。そんな興味本位から、取っ手を握る。でも、動かせなかった。

やはり、人の部屋を覗いてはいけない。すっかりこの家に馴染んでしまっていた。部屋の中が気になるが、諦めて廊下を戻ろうとする。

薄暗い廊下の中、眩しい炎の明かりに照らされた。反射的に目を細める。

「そういうことか」

 酷く悲しい声のレイと、恰幅のいい男たちが数人、アミナを囲んでいた。みな、手に燭台と、剣を持っている。

 どうして、そんなに悲しそうな声を出すの?

 なぜ、囲まれているの?

 アミナは何も言えず、男たちに拘束された。レイから目を離さずに訴えかけたが、無駄だった。

 レイは、ずっと顔を逸らしていた。



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