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闇に潜む鬼




「うわぁぁぁ〜」

そう叫びなが、リビングに駆け込んで来た光平が、いきなり陽二に抱きついた。

「おいおい、朝っぱらから何なんだよ。夜ならいいって訳でもないけど」

陽二が迷惑そうに光平を引き剥がした。

「また、夢?もう慣れたのかと思ったのに」

喜一が読んでいた新聞から視線を外すと、言った。

「今回は…凄いの見ちゃった」

光平が顔面蒼白で訴える。

「血まみれで幽霊みたいな女の人がっ、俺に手を伸ばして…」

「言ってしまえば、今までのも全部幽霊だと思うけど」

喜一はあっさりそう言った。

「今までとは全然違うんだってば!」

光平が抗議する。

「すっごく恨めしい感じで…どうしよう、呪われちゃうかも!?」

光平があたふたしていると、陽二が、

「もう呪われてるかもよ?俺にも見えてる」

「えぇっ!?やだ、やだよっ、陽二くん、祓って!早くっ、助けてっ」

「どうしようかなぁ」

陽二が楽しそうに言う。

「兄貴も、陽二くんに何とか言ってよっ」

光平が喜一に泣きつくのを見て、陽二が言った。

「あれ?兄貴にも何か憑いてるぜ」

「え?僕にも?」

喜一が、見えるはずもないのに自分の後ろを向く。

「なんか…平安時代のお姫様みたいな人」

それを聞いていた光平が、

「最近…すごい昔の人の骨が出てきたニュースなんてあった?」

と、大真面目な顔で尋ねた。

「…多分ない」

喜一が新聞を見返す。

「まあ、今までも憑いてる人全員に関わった訳じゃないし」

陽二はそう言うと、順番に二人の肩を叩いた。

その時、喜一の携帯が鳴った。

「こんな朝早く、もしかして如月さんから事件のお知らせか?」

陽二がそう言うと、喜一は画面を確認して、

「事件かもしれないけど…藤野さんだ」

と、リビングを出ながら電話を受けた。

「…初美ちゃんが、兄貴に何の用だ?」

陽二がドアの方を気にしながら言う。

「さあ?結構、いい雰囲気なんじゃないの?この前だって、ユウさんに会った後、二人で食事に行ったって聞いたし」

光平が、まだ少し自分の背後を気にしながら答える。

「…まさか、デートの誘いじゃねぇよな?」

陽二がぶつぶつ言っていると、光平が呆れたように、

「初美ちゃんに関しては、陽二くんもらしくないよね。悔しいのか応援してるのか、どっちな訳?」

「それは…どっちもだよっ。俺だって、どうしたいのかよく解んねぇんだから聞くな」

すると、電話を終えた喜一が戻って来た。

「兄貴、初美ちゃん、何だって?」

陽二がすぐに問い掛ける。

「何って…まだ用件は聞いてない。明日、会う事にはなったけど。僕も仕事が休みだし」

「デート!?」

光平がうきうきした顔をする。

「違うよ。何か相談したい事があるみたいだ」

喜一はそう言うと、着替えのためにリビングを出て行った。

「いよいよ告白だったりして」

光平が面白そうに陽二を見る。

「…お前なんか、呪われてしまえっ」

陽二はそう言って、光平の頭をこづいた。



翌日。

初美と待ち合わせた喫茶店に、喜一は少し早めに到着したのだが、初美も、ほぼ同じに姿を現した。

「すみません、無理言って」

初美が頭を下げる。

「お店に入る前に、お話しておきたい事があって…」

「いいですよ。何ですか?」

初美は辺りを見回すと、店の前にあるベンチを見つけ、喜一を促した。

「実は…知人に相談を受けまして」

初美は、腰掛けるなり言った。

「霊障に悩まされているそうなんです」

「霊障?」

喜一は、充分妙な体験をしているものの、それ自体が何かを引き起こすというのは、全く信じていなかった。

「それで…もしかしたら、そういう事に詳しいかもしれない人がいる、って言ったら…どうしても話を聞いて欲しいとお願いされて…」

どちらかと言えば、陽二の方が得意分野なのでは?と、喜一は思った。

「僕は、姿が見える訳じゃないし…お役に立てるかどうか」

「いいんです。とりあえず、話を聞いてみて頂けたら」

初美がそう言った時、

「こんばんは」

と、背後から声がした。

振り返ると、一組の男女が立っていた。

「初美ちゃん、無理言ってごめんね」

女が申し訳なさそうに、手を合わせる。

「いえ…じゃあ、入って話しましょうか」

初美は喜一にも頷いて見せると、店の中に入った。

男の名は、日浦和貴。

女は草壁亜美といった。

共に、初美が高校時代入っていたサークルの先輩だという。

「サークルは何を?」

喜一が初美に尋ねる。

「演劇をやっていました」

背景の役を?

と聞こうとして、喜一は言葉を飲んだ。

今の初美のイメージからは、舞台で芝居をしている姿など、全く想像出来ない。

しかし、高校時代だとすると、まだユウが兄だった頃だから、今よりは積極的だったのかもしれない。

「日向さんは、初美ちゃんの彼?」

亜美が興味のある顔で聞いた。

「い、いえ、違いますっ。上司の、身内の方です」

初美が慌てて否定した。

喜一は全く気にしていない様子で、

「それで…霊障というのは?」

と、切り出した。

「馬鹿げていると思われるかもしれませんが…」

口を開いたのは和貴だった。

多少、思ってるけど。

喜一は心の中で呟くと、耳を傾けた。

「俺達、今までずっと趣味で芝居を続けて来たんです。やりたい奴らが集まって、仕事の合間の事ですから、本格的と呼べるかは解りませんが…それでも定期的に公演をして来て、一部の人達には評判が良かったりするので」

「お仕事は、何を?」

「俺は音響関係の仕事をしています」

「私は、普通の事務職です」

亜美が微笑む。

さっきから、亜美が喜一に注目しているような気がして、初美は少しハラハラしていた。

「その芝居の中で、舞台装置が故障したり、BGMに妙な音が入っていたり…最初はよくあるトラブルだと思っていたのですが…」

和貴が深刻な顔をして、

「役者やスタッフが怪我をする事もあり、とうとう…」

和貴が一瞬、言うのを躊躇った。

そして、小さな声で、

「…主役を演じた役者が死んだんです」

と言った。

喜一は、じっと和貴を見た。

嘘をついているようには見えないが。

「しかも、同じ演目に限って、変な事が起きるんです」

亜美が補足した。

「藤野さんも、その話をご存知だったんですか?」

喜一が尋ねると、初美が頷いて、

「私も、今まで公演を見に行ってますから、そういう不幸があった事も知っています。ただ、霊障と思っていた訳では…」

すると和貴が、

「その演目は、劇団を立ち上げた時から毎年公演してきたものなので、今回も準備を進めていました。でも、中には祟りじゃないか、って言い出す者もいて…」

「その公演を、止める事は出来ないんですか?」

喜一が聞くと、和貴が首を振った。

「実は、今回に関しては…プロの演出家が俺達の芝居を演出する事になって。どうしても、その演目で行きたいとの要望なんです」

「私達みたいなアマチュアの劇団には滅多にない機会だし、もしかしたら誰かがプロの役者として見出だされるチャンスかもしれないの」

亜美が少し目を輝かせながら言った。

「そうですか…」

喜一が判断に困っていると、和貴が鞄から本を取り出した。

「今回の台本です。一応出来上がってますので、良かったら読んでみて下さい」

喜一が、それを受け取る。

『闇の鬼』と、表紙に書かれていた。

「どんな話です?」

喜一がパラパラとめくる。

「犯罪者の話です。簡単に言えば」

和貴はそう言うと、

「良かったら、稽古も見に来て下さい。何か解るかもしれませんし」

「解りました」

帰って陽二にも話してみるか。

喜一はそう思った。



その足で、喜一は初美と共に帰宅した。

「おかえり。あれ?初美ちゃんも一緒だったんだね。晩御飯、食べて行く?」

キッチンで、すでに下ごしらえに取り掛かっていた光平が言う。

「いいんですか?嬉しいです」

初美が笑顔で答える。

「そのうち陽二くんも帰って来ると思うけど、気にしないでいつものように、あしらって」

光平は楽しげに調理を進める。

「ちょっと、僕はこの台本を読んで来てもいいですか?」

喜一が初美に尋ねる。

「ええ、どうぞ」

「じゃあ、少し部屋に行ってます」

喜一はそう言うと、リビングを出て行った。

ほぼ入れ替わりに、陽二が帰宅して来る。

「わ!今日の初美ちゃんはプライベートスタイルじゃん、いいねぇ」

「あ、ありがとうございます」

初美は、まだ陽二の勢いに慣れないながらも、何とか笑顔を返した。

「ところでさ、今日の兄貴との話って、俺達も聞いて大丈夫なの?」

キッチンから光平が尋ねる。

「なんか相談って言ってた事?」

まさか本当に告白して、晴れて恋人になりました、って報告じゃないだろうな、と陽二は内心ドキドキした。

「ええ、大丈夫ですよ。実は…」

初美はあっさり返事をすると、今日の出来事を話し始めた。

ちょうど説明を終えた頃、喜一が戻って来た上に、光平の料理も出来上がった。

光平が作った唐揚げとサラダを囲んで、日向家プラス初美の夕飯が始まった。

「藤野さんから、聞いたの?」

喜一が、陽二を見て尋ねる。

「あ、霊障の話?聞いたよ」

陽二が唐揚げを頬張りながら頷く。

「美味しいっ、光平さん、料理上手っ」

初美が一人、無関係な発言をしたが、喜一と陽二は話を続けた。

「お前、見に行ってみない?」

喜一が振る。

「別にいいけど、何か見えたら祓っちゃった方がいいって事?…祓えたら、の話だけど」

「それで丸く治まるなら、いいんじゃないか?」

「俺も一緒に行きたいっ」

光平が手を上げる。

「何だよ、結局全員じゃねぇか」

陽二が少し呆れたように言った。

「僕は、霊障ってものを信じてはいないけど、確かに芝居の内容は何か起きても不思議はないような話だった」

「どんな話?」

光平が興味津々な顔で聞いた。

「ある犯罪を犯した男の話。連続婦女暴行殺人。その犯人は精神鑑定の結果、責任能力が無いと判断され、犯行時に未成年だった事もあり、極刑は免れた。それによって、遺族は苦悩し、中には自殺する者もいた…そんな感じ」

「そんな感じ、って…随分重い内容だな」

陽二が呟く。

「悪趣味」

喜一が冷たく言った。

全員が、一瞬箸を止める。

「…俺は、そういうテーマが悪趣味だとは思わないけど…色々、考えさせられるきっかけにもなるだろうし」

光平が反論すると、

「それは僕だって同感だ。悪趣味っていうのは…」

喜一が少し険しい顔をして、

「あの話は、恐らく…実際に起きた事件をモチーフにしているから。そうですよね?」

と、初美を見た。

「…解りましたか」

初美が少し暗い表情になった。

「私も…初演を見た時に、そう思いました。後から、亜美さんにも確認したので間違いないと思います。でも、劇団の人達は、光平さんが言ったように、見た人が色々な事を感じて考えて欲しいと…そんなメッセージを込めて、真剣に取り組んでいると言ってました」

「あれ?…もしかして、その演目って、闇の鬼の事?」

光平の言葉に、陽二が驚いて目を丸くする。

「お前、知ってんの?」

「オカルト系のサイトで読んだ事があるの」

光平は得意気に頷いて、

「あるアマチュア劇団が公演している闇の鬼って演目は、公演の度に関係者が不幸になる、呪われた芝居だ、って。マニアの間じゃ、見に行った客にまで呪いがかかる、なんて都市伝説化してるよ」

「ちょっと興味あるなぁ」

陽二が口の端で笑った。

「しかも、主役の犯人を演じた人が自殺した、って話で、更に盛り上がっちゃってる」

「…犯人役が?」

喜一が初美を見る。

「はい、私が直接知っている人ではないですが、立て続けに二人」

「二人も?自殺?」

陽二が顔をしかめる。

「だから、きっと…実際の事件を扱ってるから、被害者の祟りじゃないか、って」

光平の言葉に、喜一が、

「不謹慎」

と、呟いた。

気分が悪いな。

喜一は思った。

他人の不幸は蜜の味とは言うものの、自分が被害者の遺族だとしたら、どうだろう。

ひどい目に遭って人生を終えた家族が、死んでからも侮辱されているような気分になる。

犯人を呪って殺してやりたいのは、被害者ではなく、生きている家族の方だろう。

「俺、やっぱり見に行ってみるわ」

陽二が言った。

「祟りじゃねぇって事、証明したくなった」

陽二も喜一と同じ感情を抱いたようである。

「じゃあ、藤野さん、稽古の予定を聞いてみて下さい。僕と陽二も、シフトの相談をしてみますから」

「解りました。お願いします」

初美が答えると、

「だから、俺も行くってば!」

と、光平が駄々をこねる子供のように言った。



稽古場は、なぜかざわついていた。

「何かあったんでしょうか?」

初美が不思議そうに呟くと、こちらに気付いて歩み寄って来た和貴の姿が見えた。

「先日は、どうも」

和貴は、まず喜一に頭を下げた。

「何か、あったんですか?」

喜一が冷静に尋ねる。

「…それが…一人、行方不明になっている役者がいまして…」

「主役の人ですか?」

そう聞いた光平を見て、和貴が、この人は誰だろう?という顔をした。

「あ、喜一さんの弟さん達です」

初美が慌てて紹介する。

「すみません、弟達も関心があるようなので、連れて来てしまいました」

喜一の言葉に、和貴は納得したように頷いた。

「そうでしたか。あ、行方不明なのは、主役の者ではありません」

和貴はそう言うと、近くのテーブルから何かを探して来て、

「今回、被害者の一人を演じる子で…この子です」

和貴が差し出したのは、劇団員の集合写真だった。

「うわっ!」

覗き込んだ光平が思わず声を上げる。

「…え?まさか、の?」

陽二が聞くと、光平は大きく何度も頷いた。

「えーと…」

陽二は少し考えて、

「この子、今までに死ぬ役を演じた事って、あります?」

と、和貴に聞いた。

「え、ええ…あります。別の芝居ですけど」

和貴が、意味の解らない顔をしていると、

「ちなみに、どんなふうに死ぬ役でした?」

更に陽二が質問する。

「…切り裂きジャックの話でしたから、刺殺される役です、けど…」

「…この劇団って、現代劇専門ですか?」

「いえ…過去に一度だけ源氏物語を」

「他にも、連絡取れない人、いません?」

陽二の矢継ぎ早の質問に、和貴は戸惑っていた。

「ちょっと待ってて下さい、確認してきます」

和貴が再び、騒ぎの中へ戻って行く。

「その子…多分、死んでるね」

光平が暗い表情で呟く。

「だとしたら、もう一人いるだろうな。源氏物語のお姫様が」

陽二はそう言って、喜一を見た。

「兄貴、忙しくなるかもよ?」

喜一は、無表情のままだった。

しばらくして和貴が戻って来る。

「どうだった?」

陽二は尋ねたが、和貴の顔色で、すでに答えは悟っていた。

「はい、もう一人いました。彼女も被害者の一人を演じる子です」

その言葉を聞いて、喜一は初美を見ると、

「如月さんに、連絡しておいた方が良いかもしれません」

「あ、はい」

初美は携帯を取り出すと、稽古場を出て行った。

「それにしても…演じた役柄で出て来るなんて、新しい展開だな」

陽二が呟く。

「よっぽど芝居が好きなんだろうな」

陽二は、本気か嘘か読めない表情で言った。



数日後の日向家では、捜査会議が開かれていた。

と、言っても、いつものよくある光景で、如月と初美が訪れているだけだが。

行方不明だった女性二人は、あの日の翌日、すぐに山中から遺体で発見された。

遺棄されていた場所が、道路から近かったせいで、人目についたのだった。

「劇団の関係者には、もう話を聞いたんですか?」

喜一が尋ねる。

「ああ。皆、彼女達がいなくなった原因に心当たりは無いと言っていた。それに、今回の犯人を演じる俳優に至っては、すっかり怯えてしまって…」

「だろうね。他の被害者役の子も、怖がってるだろうけど」

陽二がビールを飲みながら言った。

「ああー…。やっぱりひどい騒ぎだよ」

パソコンに向かっていた光平が呟く。

「ネットでは、一部のファンが盛り上がってる。今回のターゲットは被害者役だ、って」

その言葉に、初美が一緒にパソコンを覗く。

「ちょっと、前のレスから見てもいいですか?」

「どうぞ」

初美は、画面をスクロールして行くと、掲示板を遡った。

役者が行方不明らしい、という書き込みから、すでに様々な憶測が飛び交い、遺体発見の報道時には、祭り状態だった。

「…あの」

初美が声を発する。

「誰が書き込んだんでしょう?」

「え?」

光平が再び、隣で画面を覗き込む。

「彼女達が行方不明になっている時点では、ニュースに報道されていませんでしたよね?でも、掲示板では噂になっています」

「本当だ。しかも配役も書いてるし…」

「劇団関係者か…」

陽二が呟くと、喜一が言った。

「犯人」

全員が顔を見合わせる。

「どう思う?如月さん」

陽二が如月を見る。

「んー…確かに関係者だという線は濃厚だが、劇団員が誰かに思わず喋って、そこから噂が広まったという可能性もある」

如月が迷いながら、そう言った。

「ねぇ、今回だけ特別に演出を担当するって人は、怪しくないの?」

光平がパソコンを操作しながら、

「台本に書いてあった名前、調べてみたんだよね。その演出家も、すごく有名って訳じゃないけど、主に舞台演出をやってて…今回みたいに社会問題を題材にしてる作品が多いみたい」

光平が開いた画面に、その演出家のサイトが出てきた。

森本総一郎、四十五歳。

「明日、話を聞いて来る予定だ」

如月が言った。

「ところで、彼女達の死因は何だったんですか?」

喜一の質問に、如月は顔をしかめて、

「絞殺だよ。その前に、暴行されてた」

すると初美が、

「…芝居の元になった事件の被害者と同じです」

と、厳しい顔をした。

「その事件の犯人って、まだ生きてるの?」

光平が尋ねると、如月が頷いて、

「まだ刑務所にいる。奴は、ずっと独房だ。捕まった時から」

「VIP待遇か」

陽二が嫌味な言い方をした。

「今、考えられるのは…」

光平がぶつぶつ言い出す。

「犯人は捕まったままだから、そいつが再犯した訳じゃない。全く無関係な人間に、偶然同じ手口で殺されたか…当時の被害者の関係者が逆恨みして…」

「そんな事考えたくないけどな」

陽二が口を挟む。

「解ってるよ。でも、一応可能性としてだよ。自分の身内が被害者だとしたら、芝居が上演されるたびに、何度もその事件を思い出さなきゃならないんだ。俺なら、阻止したいと思うかもしれない」

光平はそう言うと、

「あとは…劇団の関係者が、話題作りのために、とか?」

「話題作りねぇ」

陽二は、半信半疑な顔で、

「確かに、今までの話題を上回るとしたら、殺人くらいだろうしな」

「今までを上回る…今までのは、たまたま起きた事だったのかな」

喜一が呟く。

「は?」

陽二が解らない顔をする。

「前回は主役がたまたま自殺したから、話題は事欠かなかったって事か?もし、主役が自殺しなかったら、誰かが話題作りに何かを考えていたかもしれないって事?」

喜一はそう言うと、如月に向いた。

「以前、自殺した二人の遺品は、家族の元にあるでしょうか?」

「…聞いてみるよ。何か形見を残してるとは思うから」

如月が、頷く。

「でもさ」

陽二が悩んだように天井を仰ぐと、

「俺達が稽古場に行った時、彼女達は誰にも憑いてなくて、見えなかったんだよな。犯人が関係者なら、教えてくれてもいいのに」

「それは…」

初美が口を開いた。

「彼女達も、犯人が誰か解らないか、その場に犯人がいなかったせいじゃないでしょうか?」

「なるほど。冴えてるね、初美ちゃん」

陽二が賞賛する。

初美は、知人が絡んでいるせいか、いつもより積極的に見えた。

「まずは、その演出家が怪しいね」

光平は、如月に向いて、

「事情聴取、頑張って来てよ?」

と、微笑んだ。



演出家の森本総一郎は、忙しそうに時計を眺めていた。

何度も腕時計を見るため、如月も落ち着かない気分だった。

「納得、いただけませんかね?」

森本が少し早口で言う。

「僕はたまたま知ったアマチュア劇団の演目に興味があって、そのテーマに共感したから演出をさせて欲しいとオファーした。ただ、それだけの事ですよ」

森本は、また時計を見た。

「これまでにあった、あの演目の評判はご存知でしたか?」

如月は、気を取り直して尋ねた。

「呪われた…演目と呼ばれている事を」

すると、森本がピクッと眉を上げた。

「もちろん、知っていました」

「そこに、興味を持たれたのでは?」

森本は少し笑みを浮かべると、

「無いと言えば嘘になります。だから、僕は益々演出を手掛けたいと思っていますよ」

「今も、ですか?人が殺されたのに?」

「ええ、尚更です」

如月は、少し嫌な気分になった。

森本は、先程までと違って、やけにギラギラした目をしていたからだ。

「警察の方には、理解出来ないかもしれませんが」

森本は、身を乗り出すと、

「芝居っていうのは、エンターテイメントです。だから、演出を考えなきゃならない。不謹慎を承知で申し上げますが、今回のような話題作りは、したくてもなかなか出来ない」

「殺人が演出だと?」

「そういう捉え方も、あるという事です」

森本は、如月の心情を察したように、穏やかな口調になると、

「直接関わっていない人間にとっては、人の不幸ほど格好のエッセンスなんですよ。世間はこれで、あの演目を益々もり立てる。賛否どちらの意見も、です。人の興味をそそるというのは、難しい事ですから。いわば、チャンスと考えて良いくらいです」

自分の利益のために?

人の命が奪われたというのに?

如月は、嫌悪感を表情から隠すつもりは、すでに無かった。

「それだけじゃない」

森本は再び高揚した雰囲気になり始めた。

「元の事件を風化させずに済む。人々が、あの事件を思い出すきっかけとして、ひとつの大きな役割を果たすんです」

「都合のいい解釈ですね。あの事件を知らない若者達が、興味本意で事件を知って、触発させてしまう事もあるかもしれない。まして、いわくつきだという余計な情報まであれば…」

「そんな事を言っていたら、エンターテイメントなんて成立しません」

如月は、言葉を飲んだ。

理解出来ない事だらけだ。

どんな事件でも、犯人が捕まったからと言って、心が晴れた試しがない。

世の中、どうなってるんだ。

まるで怪物だらけじゃないか。

「僕は、公演を実現させるつもりです。あなたに何と言われようと」

森本はそう言って時計を見ると、

「すみません、時間が無いので。また何かありましたら、連絡下さい。なんでもお話はしますよ」

と、慌ただしく席を立って行った。

如月は、大きく溜め息をついた。

時々、本当に自分の仕事が嫌になる。

人を疑い、相手が言う言葉のニュアンスを、裏の裏まで読もうとする。

そして、時には知りたくない事を知らされ、見たくないものを見る。

私情を挟むな、と部下には言うが、自分にだって情けはある。

人並みに感情はあるのだ。

「オレンジジュースと、チキンクリームパスタひとつ」

目の前でいきなり声がして、如月は驚いて顔を上げた。

「やあっ」

光平がニコニコしながら、右手を上げた。

「こ、光平っ」

如月は、突然訪れた癒しのオーラに、思わず泣きそうになった。

「なんて顔してんの?俺、休憩だからご飯食べるね」

「あ、ああ、構わないよ」

如月は何度も頷いた。

「何か…落ち込んでた?」

光平が、頼んだジュースが運ばれて来ると、一口飲んで尋ねる。

「ん?いや…世の中には本当に色んな人間がいるもんだな、と思って」

如月が苦笑する。

「会ってたんでしょ?演出家の人に」

「うん。殺人をエンターテイメントと捉える人もいるんだ、って…ちょっと嫌な気分になった」

「きっと、毎日が楽しくないんだね」

光平は少しだけ微笑むと、

「でも…自分の毎日をどう思うかは、自分次第なのにね。俺は退屈な日なんて一日も無い」

如月は、立ち上がって抱き締めたい衝動を必死に抑えた。

本当に、この子はなんていい子に育ったんだろう。

「で、どうだった?演出家は犯人じゃないみたい?」

そう尋ねられ、如月はハッと我にかえった。

「どうかな…怪しいような気はしないでもないが…でも、もし奴が犯人だとしたら、証拠を残しすぎてる」

「…ああ、暴行されてた、って言ったっけ、被害者。酷いね」

光平がやりきれない顔をした。

「とにかく、これから被害者の遺品を持って、喜一くんに会いに行くよ。手掛かりが解るかもしれない」

「そうだね」

光平が頷くと、パスタが運ばれて来た。

光平はフォークにくるくると一口分を巻き付けると、如月を見て、

「食べる?」

如月が即頷いたのは、言うまでもない。



遺品を見た後、喜一は気の重さから立ち直るのに、少々時間がかかっていた。

毎度疲れるのは同じだったが、言い様のない恐ろしさを感じていた。

「…喜一くん、大丈夫かい?」

如月の言葉に、喜一は首を縦に振った。

「え?具合悪いの?」

光平の問い掛けに、喜一は更に頷いた。

「普通じゃない」

喜一は目を開けて呟いた。

「犯人は、異常者です」

そして、

「犯罪者ですから、異常なのは間違いないんですけど…何ていうか…普通の感覚じゃないというか…完全に犯行を楽しんでる」

その言葉に、全員が絶句した。

「いかれたサイコ野郎って事?」

陽二は、憤りを隠せない様子で言った。

「そんな野郎が犯人なら、また捕まえても重い罪にはならない、って事になっちまうんじゃねぇの?」

如月は、何だか自分が責められているような気がして、胸が痛んだ。

「それを決めるのは、警察じゃないよ」

光平がフォローするように言った。

「犯人の顔、見えました」

喜一がそう言うと、全員が黙った。

「でも…彼女達の方じゃなく…彼ら、の方です」

「彼ら、って…自殺じゃなかったのか…」

陽二が驚いた顔をする。

「自殺に見せかけて殺された。二人とも」

これはまた、警察の失態だな。

如月が落胆の溜め息をついた。

「彼女達の方は…犯人が顔を隠していたので解りませんでした」

「じゃあ、同一人物かも解らないって事か」

光平がそう呟くと、再びパソコンであれこれ検索を始めた。

その時、日向家に初美がやって来た。

「すみません、色々と調べていまして…」

初美はそう言うと、重い空気に気付いた。

「…何か、あったんですか?」

すると喜一が答える。

「自殺した役者は、殺害されていました。その犯人は、遺品から見えました」

初美は警察官として、如月と同じ事を思っていた。

それでも、気を取り直して、

「その人は、この中にいますか?」

と、劇団員のプロフィールが載っている冊子を鞄から取り出した。

喜一は、そのページに目を通すと、

「いいえ、いません」

と、残念そうに言った。

「兄貴に見える映像、俺達にも見えたらいいのにね」

と、光平がパソコンを操作しながら言う。

「だな。接続したら、モニターに映る機能とかあればいいのに」

陽二が大真面目に言った。

「でもさぁ」

光平が不思議そうに、

「何で、闇の鬼を選んだんだと思う?」

「え?」

如月が光平を見る。

「だって、調べてみたら、あの劇団って結構色んな演目やってるよ。中にはホラーもあって、いかにもいわくつきな感じなのに…どうして、闇の鬼なんだろ」

「実際にあった事件だからじゃないの?」

陽二が、当然という顔をして言う。

「そもそも、これって…誰がやろうって言い出したんだろう」

光平はそう言うと、ふと手を止めた。

「あれ?」

「…どした?」

陽二が後ろから、パソコンを覗き込む。

「この人達、脚本も団員の人が何人かで書いてるみたいなんだけど、闇の鬼一本しか手掛けてない人がいる。後は、だいたい複数の脚本に関わってるのに…」

光平は、パソコンを皆に見えるように動かして、

「ほら、日浦和貴。この人は、闇の鬼だけだ」

「和貴先輩が…?」

「いや、だから怪しいって、決めつける訳じゃないけどっ…」

光平は、それが初美の知り合いだと気付くと、慌ててフォローした。

「私、和貴先輩に話を聞いてきます」

初美が深刻な顔をする。

「藤野…聞くって、何を?」

如月は心配そうな顔をした。

それこそ、日浦が犯人だとしたら、こちらの手の内を明かす事になりかねない。

「大丈夫です。ただ純粋に、脚本の事を聞くだけです」

初美がそう言うと、横で聞いていた喜一が、

「何なら、僕も一緒に行きます。彼が何を思って、この脚本を書いたのか興味があるので」

「お願いします」

初美が頭を下げる。

「まだ、これから会えそうじゃないですか?」

喜一が時計を見る。

「連絡してみます」

初美が携帯を手に、リビングを出て行った。

「なんか最近、この二人の間に割り込めない雰囲気なんだよね」

それを見ていた陽二が、つまらなさそうに呟く。

「陽二くんには俺がいるじゃん?」

そう言った光平に、陽二が反論した。

「バカ。お前には如月さんがいるだろ。俺だけ一匹狼な感じ…」

陽二が拗ねていると、初美が戻って来た。

「喜一さん、これから会えるそうなので、行きましょう」

「はい。じゃあ、留守番よろしくな」

喜一は陽二の心境などお構い無しに、そう言うと部屋を出た。


和貴の家から近いらしいカフェに喜一と初美が到着すると、すでに和貴の姿があった。

不安そうな顔をしている和貴は、二人が席に着くなり言った。

「急にどうしたの?犯人の事、なにか解ったの?」

すると、初美は首を振って、

「事件の捜査については、話せません。個人的に聞きたい事があって…」

初美は、運ばれて来るコーヒーを待ってから切り出した。

「あの、闇の鬼の脚本…和貴先輩が書いてるんですね」

和貴は、少し動揺したように、初美から一瞬視線を外した。

「和貴先輩は、他の作品を手掛けていませんよね?」

「それは…」

和貴は笑顔になると、

「俺、脚本なんて得意じゃないし、あれは劇団が出来て間もない頃で人手も足りなかったから…」

「内容も、あなたが考えたんですか?」

喜一の質問に、和貴は少し戸惑いながら、

「そうです、けど…」

「実際の事件をモチーフにして?」

「…あれは、フィクションですよ」

「でも…」

今度は、初美が言う。

「亜美さんに聞いた事があります。あれは、実際の事件を元にした、って」

すると、和貴は困ったような顔をした。

「あいつ、そんな事を言ったんだ…」

「何か、隠さなきゃいけない理由があるんですか?」

喜一が冷静に尋ねる。

和貴は、諦めたように小さく溜め息をつくと、

「…確かに…実際の事件をモチーフにしました」

と、認めた。

「でも、決して面白半分に書いた訳じゃありません。あの事件は、忘れられてはいけないと思ったからです」

和貴は二人を見つめると、

「被害者の一人が、友人でした」

「え…?」

初美が驚いて、思わず声を発した。

「俺と亜美が、大学に入って仲良くしていた仲間の一人です。とても性格のいい子で…」

喜一は黙って耳を傾けていた。

「犯人の事が許せなくて…でも、いざ捕まってみたら、死刑に出来ないなんて…」

和貴は訴えるように喜一を見た。

「悪いのは犯人なのに…世間は被害者にも落ち度があるとか…特にネット上は酷いものでした。簡単にやられる奴が悪いとか、一人で出歩いてたから自業自得だとか…そんな…そんな訳がないでしょう!?」

和貴は感情的になって、体を震わせた。

「だったら…俺達は犯人が真の悪人だと伝えていかなきゃ…責められるべきなのは犯人だと言い続けなきゃと…そう思って、あれを書いた」

そんな和貴とは裏腹に、喜一は静かに尋ねた。

「…その演目が、妙な噂になっている事を、どう思いますか?話題にはなっていますが、あなたが望んだ意味合いでは、決してないはずです」

すると、和貴は小さく頷いた。

「そうですね…でも、話題になれば風化しない。そのたびに、好き勝手な事を言う奴もいますが、犯人が鬼畜である事を、言い続けてくれる人もいる」

喜一は、そんな和貴を少し不幸だと思った。

結局はゴールなど見えないのだから。

もしかしたら、そんな事は百も承知かもしれないが。

「…和貴先輩…以前自殺した役者さんは、自殺ではないかもしれません」

初美の言葉に、和貴はもちろん、喜一も驚いた。

「…本当か?」

「まだ、はっきりとは言えませんが…今回の事件と何か繋がりがあるかもしれません。だから…何か知っている事があったら、教えて下さい」

初美が真剣な顔をしているため、和貴はそれが真実なのだと察したようで、

「…解った…当時の事、もう一度思い出してみるよ」

と、返事をした。

帰り道で、喜一が尋ねる。

「いいんですか?あんな事言って」

すると初美が、

「彼らが自殺じゃないって事は、警察の見解ではありません。あれは、喜一さんが見た、という個人的なものです」

と、堂々と言った。

「それに、もし和貴先輩が事件に関わってるとしたら…何か動きがあるかもしれません」

初美は、少し複雑な色を浮かべたが、

「信じてます…信じたい、と思ってます。でも、警察官の立場としたら、疑う事も仕方ないのかな、って」

そう言って、微かに笑みを浮かべた。

喜一は、やや成長を遂げたであろう初美を少し頼もしく見つめた。

次の瞬間、

「あっ!」

という叫び声と共に、初美が思いきり転倒した。

「あ…大丈夫ですか?」

喜一は、ばらまかれた鞄の中身を拾い集めるのを手伝った。

「す、すみません、偉そうな事言って、調子にのったせいですねっ」

初美は、少し恥ずかしそうに、早口で言った。

喜一は、拾い上げた資料のひとつに目を止めた。

「あ…それ」

初美があたふたしながら、

「それ、本当は持って出ちゃいけない物でっ…無くしたら大変でっ…」

初美は、喜一がじっと資料に見入っている事に気付くと、

「喜一さん…?」

「これ…誰ですか?」

喜一は、ファイルに挟まれた一枚の写真を見つめていた。

「あ…それは…」

初美が困ったような顔をして、

「見なかった事に、して頂けますか?」

と、聞いた。

「どうしてですか?」

喜一は不思議そうに、その男の写真を眺めた。

「…連続婦女暴行殺人の…犯人です」

初美が小さな声で、そう言った。



家に戻ると、如月はすでに帰った後で、陽二と光平が二人でパソコンを見ながらあれこれ協議していた。

「おかえり、兄貴。あれ?何かあった?」

陽二が浮かない顔の喜一を見て尋ねた。

「もしかして、初美ちゃんと何かあったんじゃない!?」

光平が、陽二をつつきながら言う。

「そうじゃなくて」

喜一がソファに腰掛けながら、

「何も言えなかった、逆に」

二人は、不思議そうな顔をした。

「どういう事?」

光平が喜一の横に移動して来る。

「…お前達、連続婦女暴行殺人の犯人、どんな顔か知ってる?」

喜一が二人に尋ねる。

「知らねぇな。犯人、当時未成年だったから、顔も名前も公表されなかったよな?」

陽二がそう言うと、光平が、

「俺は当時の事もよく解らないけど…大人になってからだし、事件の内容を知ったの」

と、答えた。

「僕は、さっき偶然見た。その犯人の写真」

「…なんで?」

「藤野さんも、もう一度その事件から調べてみようと思ったらしくて、資料を持ってた…その犯人が…役者二人を殺した男だった」

喜一の言葉に、二人は固まった。

「…ちょっと、待て。あの事件って…」

「八年前」

陽二の質問に、光平が答える。

「役者が死んだのは?」

「一年半前」

「で、犯人は?」

「ずっと独房の中」

「…何でだよっ!?」

陽二が納得のいかない顔で喜一を見る。

「何でかは解らないけど、そうだったんだ」

喜一が疲れたように溜め息をつく。

「まさか…影武者?」

光平が思い付いたように言う。

「お前…本当にそう思ってるの?」

陽二が半ば呆れた顔をした。

「だって…犯人がいる訳ないじゃん?現実に」

「犯人、双子なんじゃないか?」

陽二が喜一を見る。

喜一は少し考えてから、

「また、如月さんに相談してみるか…」

と、呟いた。

「初美ちゃんの資料の事、ちゃんとフォローしてやれよ?」

と、陽二が言った。



警察署の前で、如月と喜一が話していると、初美が急いで出て来た。

「あ、喜一さん、昨日はありがとうございました。如月さん、お呼びですか?」

「お呼びですか、じゃないだろう」

如月はそう言うと、軽く初美の頭をこづいた。

「事件の資料、持ち出したんだって?」

「あ…す、すみません」

自分はいつも遺留品を持って来るのに、と喜一は少し思った。

「如月さん、そのおかげで解ったんですから」

喜一が言うと、如月が溜め息をついて、

「まあ、喜一くんがそう言ってくれてるから、今回は大目に見るけど」

役目は果たしたぞ、陽二。

喜一は心の中でそう呟いた。

昨日の事を説明すると、初美が信じがたい顔をして、

「…犯人に双子の兄弟なんていないです。他人のそら似って事はありませんか?」

「…そうかもしれませんけど」

喜一が自分の記憶を辿る。

「しかし、犯人は間違いなく刑務所にいるし…」

如月がそう言った時、喜一の携帯に光平から着信があった。

「兄貴、ちょっと気になる事があって…」

「どうした?」

「調べてみて欲しい人がいるんだ」

「今、ちょうど如月さんと一緒だから、代わるよ」

喜一はそう言うと、如月に携帯を渡した。

「光平からです」

「…もしもし?何かあったのか?」

「父さん?陽二くんと色々調べてて、ちょっと気になる人を見つけたんだ」

「誰の事だ?」

「内村圭吾って男の人。以前、あの劇団で脚本を書いた事がある人なんだ」

「その人がどうした?」

「その人、今回亡くなった女の人が主演した作品を書いてるんだよ。絶対、関係あるはずだ。それに気付いた時から、二人が俺から離れないの」

最後は少し切羽詰まったような声で、光平が言った。

「わ、解った、内村圭吾だな?」

「何です?」

電話を終えた如月に、喜一が尋ねる。

如月が今の話を伝えると、喜一が、

「なるほど。切り裂きジャックと源氏物語…それを書いた人物って事を、最初から教えてくれてたんだな」

と、お姫様の事を思い出して言った。

芝居が好きだから、なんて陽二は適当な事を言ってたが。

「私、和貴先輩に聞いてみます」

初美はそう言うと、署内へと戻って行った。


三人で日浦和貴の会社へ出向いて行くと、和貴はロビーに出て、到着を待っていた。

「先輩、お仕事中にすみません」

初美が先に声を掛ける。

「いや、構わないけど…急に内村の事を聞きたいだなんて、どうしたの?」

「その方は、今も劇団にいますか?」

「ああ…いるよ。発足当時からいた訳じゃないけど…でも、役者の方じゃない。照明の関係だから、あまり稽古場には来ないけど」

「照明?」

喜一が呟く。

「照明担当なのに脚本を?」

「それは、俺達と同じような感じです。たまたま人手が足りない時期に、試しに書かせてくれと言ってきたので…」

和貴はそう言うと、ふと思い出したように、

「そういえば…一度、闇の鬼をリメイクしてみたいって言われた事がありました」

「…それで、なんて返事を?」

「断りました。あなたにも話した通り、あの作品には思い入れがありましたから」

「内村の連絡先は、ご存知ですか?」

如月が尋ねると、

「ちょっと待って下さい」

と、携帯を取り出し、アドレスを検索すると初美に差し出した。

「ありがとうございます」

初美が急いで控える。

「…もしかして、内村が?」

和貴が聞くと、

「そうと決まった訳じゃありませんが、念のためです」

と、如月が答えた。

「…まだ、誰かが狙われる可能性がありますか?」

和貴の顔が、急に怯えたように青くなる。

「…なにか気になる事でも?」

普通じゃない雰囲気を察して、喜一が尋ねる。

「この前…公演の配役をどうするか打ち合わせをして…犯人と被害者の役者が、どうしても嫌だと言うので…結局、俺が犯人役を…それで、亜美が被害者役に…」

「今回殺されたのは被害者役の女性だ…」

如月はそう呟くと、初美を見て、

「藤野、一応、彼女に事情を説明しておくか」

と、初美の肩を叩いた。


草壁亜美の勤務先に連絡を入れると、体調不良で欠勤していると言われた。

初美が携帯に連絡をしても、亜美は出なかった。

妙な胸騒ぎを覚えた三人は、直接亜美のマンションへ向かった。

インターホンを鳴らすと、少しの間があって、亜美の声が聞こえた。

「…はい」

「あ、初美です。体調が悪いと聞いたので、お見舞いに来ました」

亜美の声がひどく弱々しくて、初美は急に不安が大きくなった。

「…だ、大丈夫。心配いらないわ」

「少しだけ…お会い出来ませんか?」

初美が食い下がる。

「本当に大丈夫だから…だから、今日は…帰ってくれる?」

亜美の様子が明らかにおかしい。

次の瞬間、エントランスへのドアが開いた。

他に、人影はない。

亜美が開けたのか。

帰れ、と言っているのに?

如月は頷くと、中へ入った。

初美と喜一も、それに続く。

亜美の部屋は七階だ。

エレベーターの中でも、初美はそわそわと動き回った。

ひどく嫌な予感がする。

ようやく七階へ着くと、初美が真っ先に部屋へと急ぐ。

お願い。

そう思った初美の思いが叶ったのか、鍵は開いていた。

「藤野っ、待てっ」

如月が止める。

しかし、それは届かなかったらしく、初美が大きくドアを開いた瞬間、バチッと音がして、初美が倒れた。

「藤野っ!」

如月が駆け寄る。

初美は意識を失っていた。

喜一はドアノブに巻かれた電線を見た。

「気を付けなきゃね」

部屋の中から声がして、如月と喜一は顔を上げた。

廊下に、倒れている亜美の姿が見える。

そして、その後ろから、声の主がゆっくりと姿を現した。

「意外と早く見つかっちゃったみたい。やるじゃん、警察」

男は、喉の奥で不気味に笑った。

喜一は、その顔をじっと見た。

間違いない。

写真の男だ。

「お前は…神谷…」

如月はそう呟くと、すぐに首を振って、

「いや、そんなはずはない。奴は刑務所にいるんだ…」

男はクスクスと笑った。

「僕はどこにでもいるよ。だって、僕は神だからね」

「バカな…」

如月が唖然としていると、

「如月さん、救急車を呼びます」

と、喜一が言った。

「そっちの人は、警官じゃないみたいだね?」

男が喜一を見る。

「この刑事さんより、よっぽど冷静だ」

喜一は構わず、携帯を取り出した。

「じゃあ、僕はこれで。またねっ」

男はそう言うと、身をひるがえして、部屋の奥へ消えた。

「おいっ!」

如月は、初美と亜美を踏まないように避けると、室内へ足を踏み入れた。

そこで如月が見たものは、信じられない光景だった。

溢れる血の海の中で、男が倒れていた。

痙攣を起こしている男の首から、血が流れ出ていた。

自殺を図ったのだ。

こんな一瞬で。

「喜一くんっ!こっちには来るなっ!救急車をあと一台頼む!」

如月はそう叫ぶと、近くにあったシャツで男の首を押さえた。

なんてこった。

如月は、唇を噛み締めた。



幸いにも、初美と亜美は電流のショックを受け、失神しているだけで、他に異常は見られなかった。

男の方は、病院に運ばれる時には、すでに息絶えていた。

夜も更けてきた頃、如月はやっと初美のいる病院に来る事が出来た。

「また、随分と落ち込んでるね」

ロビーでそう声を掛けられ、如月は立ち止まった。

待合所に、喜一、陽二と光平の姿があった。

「大丈夫?」

光平は、そのまま如月の前へ近付いて来た。

「光平…」

如月はそう言うと、ギユッと光平を抱き締めた。

光平は、一瞬迷ったものの、そのまま如月の背中を撫でた。

「兄貴、コーヒー買ってこようぜ」

陽二の言葉に、喜一は黙って席を立った。

「ちゃんと親子になってきてるな、二人」

コーヒーを買いながら、喜一が言った。

「そうか?俺は時々、恋人同士に見えるぜ?」

陽二はそう言って、クスッと笑った。

「確かに。如月さんに関しては、そんな時もあるかもな」

喜一もつられて微笑んだ。

待合所に戻ると、光平と如月が並んで座っていた。

「どうぞ」

喜一がコーヒーを差し出すと、如月は大分ましな顔に戻っていた。

「ありがとう…今日は色々、すまなかった」

「いいえ。あの男…誰でした?」

「…内村圭吾だったよ。あの顔は整形だった…」

「整形?」

如月は一枚の写真を差し出した。

「それが内村の素顔だ」

「…別人ですね」

喜一が呟く。

「今の顔は?」

光平が尋ねると、

「…これが神谷。内村はこの顔になってた」

と、如月は更にもう一枚写真を出した。

「…これが、連続婦女暴行殺人の犯人か」

陽二が覗き込んで呟く。

そして、すぐに、

「…わざと内村は、この顔に?」

「…内村は、神谷隼人に面会をしていたらしい」

如月が言う。

「内村が劇団に関わる少し前から、刑務所に訪れていた記録が残っていた」

「もしかして…」

光平が呟く。

「ファンだな」

陽二が続ける。

「サイコ野郎に共感出来るのは、サイコ野郎だけだしな」

如月は、コーヒーに口をつけると、

「今回の暴行殺人の犯人は内村で間違いない。掲示板に役者が行方不明だと書き込んだのも。あの時、他の人間が内村にも心当たりがないか、確認の電話を入れたそうだ」

「それで、上手く騒ぎになったタイミングで書き込み出来たのか」

光平が納得したように頷く。

「しかし、気味が悪いよなぁ」

陽二が口を開く。

「いくらファンだからって、全く同じ顔になって、挙げ句にあんな死に方って…面会しながら、どんな会話してたんだろ、二人で」

それを聞いていた如月は、黙り込んだ。

じっと何かを思い詰めたような様子で、一点を見つめている。

「如月さん」

喜一の声に、如月はハッと顔を上げる。

「お願いがあります」

喜一は、隣に座った。



刑務所に来たのは、初めてだった。

手続きを済ませると、喜一は如月と共に、その時を待った。

如月が一緒のおかげで、比較的スムーズにここまで辿り着けたのかもしれない。

神谷隼人は、落ち着いた様子で、二人の前に現れた。

陽二がよく言う、サイコ野郎のイメージは、全く感じない第一印象だ、と喜一は思った。

整った顔立ちと、少し笑みを湛えた表情。

過去に残虐な事件を犯した人物とは、とても思えない。

知的な好青年と言う方がふさわしく感じた。

「なんですか?刑事さんが今頃」

神谷はそう言って微笑んだ。

「こちらの方は、初めましてですね。お名前は確か…日向喜一さん、でしたか」

神谷が喜一を見る。

喜一は、小さく頭を下げた。

「内村圭吾を知ってるな?」

如月が唐突に切り出す。

「それが何か?」

「内村との関係は?」

「関係?」

神谷はフッと笑って、

「知人ですよ」

「いつから?」

「最初から、です」

神谷はそう言うと、リラックスしたように頬杖をついた。

「内村、どうかしました?」

その質問に、如月は少し迷って、

「死んだよ」

と、答えた。

神谷は楽しそうに笑って、

「解ってますよ。僕だって、ここにいてもニュースくらい見ますから。複雑でしたけどね、僕の顔した男が自殺したと思うと」

神谷はクスクスと笑った。

確かにそっくりだ。

しかし、内村とは全く放っているオーラは別物だった。

神谷には、不思議な力がある。

思わず引き込まれそうになる、圧倒的なカリスマ性を感じる。

「内村は、お前によく会いに来ていただろ?まさか一連の犯行も、お前が指示した訳じゃないだろうな?」

如月が問い掛けると、神谷は大きく溜め息をついた。

「がっかりです。刑事さんがそんな事言うなんて」

そして、今度はまた笑顔になると、

「出来る訳ないでしょ?看守の人が聞いてる前で、誰かを殺せ、なんて言えると思いますか?」

二人が黙っていると、神谷が続けた。

「時間も限られてるし、面白そうだから話しますよ」

神谷は、ニヤッと微笑んで、

「内村は、最初から知人だと言って僕に会いに来た。もちろん知らない人だったけど、連続殺人犯に、そんなふうに面会してくるなんて、どんな奴だろうと思って会ったんだ」

「それで…どんな話を?」

如月が尋ねる。

「内村は、僕を好きらしい」

神谷はクスクスと笑って、

「僕の事件をモチーフにした演劇があると、内村は嬉しそうに話してた。その劇団に関われる事になった、って、そりゃあ大喜びで」

「…あの顔は?」

「顔?あれは勝手に内村がやった事だ」

神谷は思い出すかのように上を見て、

「僕はただ、僕の顔は世間に公表されていないから、君が僕を一番よく知っていて、一番近い存在だ…って言っただけ」

そして、視線を戻すと、

「僕になりたかったのかな。だったら、その発言が整形のきっかけを与えちゃったのかもね」

喜一は、じっと神谷を観察していた。

この男が、責任能力を問えないと判断された男なのか。

自分には、とても頭が良く見える。

「ねぇ、日向さん」

と、神谷が喜一を見た。

いきなり名前を呼ばれて、喜一は少し驚いた。

「世間は盛り上がった?今回の事件で」

喜一は返答に困った。

しかし、視線は外さなかった。

「事件を風化させないため…でも、覚えておいて。犯人を許すな、と叫び続ける限り、僕の存在も色褪せないって事を」

そうだ。

内村だけじゃなく、これから先も、神谷に心酔する者が現れないとも限らない、という事なのだ。

現に今も、多くの人間が興味を持っているはずだ。

ただでさえ、顔も名前も明かされていない凶悪犯罪者という存在は、謎に包まれている。

単なる好奇心だとしても、そのヴェールの向こうが見たいと思う人間は、無数にいるだろう。

「あ、そうそう」

神谷が思い立ったように、

「内村に聞かれましたよ。どうしたら、首吊りに見せかけて殺人が出来るか」

喜一はその言葉に、自分が見た光景を思い出していた。

役者二人が最期に見たもの。

それは、ロープを手にした男の姿。

顔は神谷になった内村だった。

神谷は、自分が関わっている事を、わざと匂わせているのだ。

実際に手を下している訳じゃないから、罪に問えない。

まるで警察を挑発しているかのように。

世間を嘲笑うかのように。

「そろそろ時間です」

看守が如月に告げる。

すると神谷が、喜一の顔をじっと見つめて呟いた。

「…煩悩は、苦しくて儚い…過去も、未来でも…」


刑務所を出ると、二人はしばし無言でいた。

車に乗り込んで、しばらく走ってから、やっと如月が声を発した。

「…絶対に、あいつが影で手を引いてると思ったんだが」

「…そうですね。ただ者ではないでしょう」

喜一は確信にも似た感覚があった。

神谷が内村を操っていたのは確かだろう。

何か特別な方法で、伝えていたはずだ。

「…また、内村みたいな奴が出て来るのかと思うと、うんざりだ」

如月が頭を掻いた。

いなくならないだろうな。

神谷を崇拝する者も。

神谷の存在に関係なく、犯罪を犯す人間も。

喜一は、窓の外を見た。

眩しい日射しが、今の気持ちと裏腹すぎて、喜一は少し妙な気持ちになった。



「なんか、すっきりしねぇな」

陽二がソファに転がりながら言った。

「後味の悪い事件だと思ってたけど、兄貴の話を聞いたら、余計にすっきりしなくなった」

「そんな事言ったって仕方ないよ。もう俺達に出来る事は無いんだし」

光平がなだめるように言う。

「よし、今日は兄貴も飲もうぜ」

陽二にそう言われ、喜一はハッと我にかえった。

「あ、ああ…そうだな」

「じゃあ、俺、つまみ作ろうっと」

光平がニコニコしながらキッチンへ向かう。

「…兄貴、何考えてる?」

陽二が、小声で尋ねる。

「あ、うん…神谷の事、思い出してた」

神谷が最後に言った言葉。

あれは、どういう意味だったのか。

「考えたって無駄だよ。俺達とは次元が違うんだから。一生理解できねぇよ」

陽二はそう言って、

「あれだろ?最後に言われた、煩悩が云々…てのが気になってんだろ?そんなの、意味なんか無いって。面倒くさい奴が言いそうな事だ」

「暗号だったりして」

ビールを運んで来た光平が、いきなり言った。

「どんな暗号だよ。意味解んねぇし」

早速陽二がビールを開ける。

「ねぇ、初美ちゃんが元気になったら、また家で食事しようよ」

光平が楽しそうに言う。

「もう病院にはいねぇだろ。復帰してるんじゃない?」

陽二はそう言って喜一を見ると、

「初美ちゃんも色々疲れただろうから、呼んで労ってやるのは賛成だけど。な、兄貴」

喜一は、再びボーッとしていたところを、現実に引き戻され、

「そうだな」

と、出来るだけ冷静に言った。

光平が暗号なんて言うから。

神谷の考えそうな事だ。

簡単に解るようにしたのも、わざとだろう。

『煩悩は 苦しくて儚い 過去も未来でも』

頭文字を並べてみた。

ぼんのうは

くるしくて はかない

かこも みらいでも


『僕は神』






《第八話・完》

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