第1話 石化する眼を持つ令嬢
私が自分の力を知ったのは、九歳の頃だった。
あの男性使用人は非常に厳しく、他の人間がいない時には、私や妹をよく叩く人だった。
あの日も、私は食堂で紅茶をこぼしてしまって、黄色のワンピースを汚してしまった。
「お嬢様……何をしているのですか!」
使用人が手を振り上げた――私は叩かれる、と思って身を強張らせた。
その時だった。
使用人の体が、スーツごと灰色にみるみる染まっていく。ちょうどハンカチに紅茶を染み込ませた時のように。
まもなく、その全身が灰に変わり、使用人はピクリとも動かなくなった。
「え……?」
突然起こった怪奇現象。私にもわけが分からない。
「どうしたの? ねえ、どうしたの!?」
いくら声をかけても、手を振り上げた格好のまま、全く動かない。
触ってみると、ひんやりしていてとても硬い。
なのに姿形はあの使用人そのものだった。
私は少ない知識を総動員させて、使用人の今の状態を推理する。
これは――いつだったか美術館で見た石像? そう石像だ! 使用人は石になっている。
どうして石になってしまったんだろう。
あの一瞬、私は自分の視界が真っ赤に染まった。その途端、使用人は石になってしまった。
ひょっとして……私のせい? いえ、そんなはずがない……。
だけど、こんな力を持っていることに、思い当たる節はあった。
「お姉様……?」
すぐ近くには妹のミルフィーネがいた。
二歳年下で私と同じ銀髪だけど、私は背中まで伸びるストレートなのに対し、妹は肩に触れる程度の長さで、ふわりとした髪質をしている。
「ミルフィ、今なにが起こったのか分かる?」
ミルフィは首を横に振った。
「ええと、お姉様の髪が少し浮き上がって、目が赤くなったのは見えたんだけど……」
やっぱりそうだ。
この石化は私がやったんだ、と直感できた。
その後、どうしたのかはよく覚えていない。だけどどうにか使用人の石化を解くことができた。
使用人はひどく怯えて、その日のうちに屋敷を飛び出してしまった。
よく叩く人だったから、私としては正直嬉しかったし、ミルフィも喜んだ。
「よかったねお姉様。あの人いなくなって。あの人、私がダンスしてるとすぐ怒鳴るし、叩くし」
「そうね」
妹の頭を撫でながら、私は考える。
あの力はなんだったんだろう。
私のせいじゃない。きっと色々な偶然が重なって、あの使用人は石になってしまったに違いない。そう思い込むことにした。
だけど残念ながら、石化は偶然でもなんでもなく、私のせいだった。
***
それからというもの、私は家の使用人を石化してしまう事件を何度も起こすようになった。
分かってきたのは、どうやら感情が高ぶると目が赤くなり、その時見ていた人物を石にしてしまうとのこと。
最初の石化は私や妹をよく叩く使用人から身を守るために発動したという感じだったけど、二度目以降はちょっと驚いたり悲しくなったりするだけで発動するようになった。
その都度、なんとか石化は解除できたのだけど、その解除の仕方も条件がさっぱり分からない。
自分の手で触る? もう一度石化した相手を見る? 「戻って」と言ってみる?
色々試したのだけど、「これだ」という方法が見つからない。
すぐに治る時もあれば、なかなか治せない時もある。
もし永遠に治せなかったらその人はどうなるんだろうと想像すると恐ろしくなる。
やがて、恐れていた事態が起きた。
父と母に私の力のことがバレてしまったのだ。
夕食時、私は両親に呼び出され、リビングのソファでテーブルを挟んで向かい合う。
「セルフィス、まさかお前にそんな力が宿っていたとはな……」
父が大きく息を吐く。母も悲しそうな顔をしている。
「知っての通り、我がルトゥーラ家は古の魔物“メドゥーサ”を源流としている……とされる家系だ」
メドゥーサとは、我が国に伝わる女性の姿をした魔物のことだ。
銀色に輝く蛇の髪を持ち、見た者を石化する眼を持っていたらしい。
ルトゥーラ家はメドゥーサを源流とするところから、生まれる人間の多くが銀髪だ。
父もそうだし、私もそうだし、ミルフィも銀髪である。
私が思い当たる節があるといったのはこのことだ。
もしかしたら私にこのメドゥーサの力が宿ってしまったのかな、と。
だけど、ルトゥーラ家の歴史の中でこんな眼を持った人間はいない。
当然だ。もしそんな人間がいたら、ルトゥーラ家は貴族として今日まで存続できなかっただろう。迫害され、貴族の資格なんかとっくに剥奪されていたはず。
伝説上の魔物や怪物を源流とするとされる貴族の家は実は多い。
例えばドラゴンを起源とするとされる侯爵家もあるし、ケンタウロスを始祖に持つとされる伯爵家もある。
そして、ドラゴンを起源とする家は豪傑が多く、ケンタウロスを始祖に持つ家は馬の扱いに長けている……などとされている。
しかし、これらはあくまで言い伝えであり、家名に箔をつけるためのいわば宣伝文句に過ぎない。
もしドラゴンの家系に本当に鱗や牙の生えた子供や、火を吐く子供が生まれたら、大騒ぎになってしまうだろう。周囲からの化け物扱いは免れない。
そして、まさに私はそんな状況になってしまった。
メドゥーサの子孫を謳う家系から、本当に石化する眼を持つ女の子が生まれました。みんながすごいぞと褒め称えてくれました。私は幸せになりました。めでたし、めでたし……。
――なんてことになるわけがない。
父は腕を組む。
「本当に人を石化する力を持つ女子が生まれたなどと知られたら、ルトゥーラ家は終わりだ」
隣に座る母もうなずく。
「そうね……。あの一家は怪物の一家だと恐れられてしまうわ」
二人の話を聞き、私の心臓がバクバクと動く。汗もじっとりとにじみ出る。
私は……私は怪物なんだ。
その後は能力についてあれこれ聞かれた。
私は正直に答える。自分に不利にならないような嘘をつく余裕もなかった。
初めて使ったのは私をよく叩く使用人に対してだったこと。どうやら感情が高ぶると見た相手を石化してしまうこと。解除はできるが、その方法は自分でもよく分かっていないこと……。
「なぜもっと早く教えなかったんだ」
「ご、ごめんなさい……」
こうやって責められるからだ、と言いたかったけど、その言葉はどうにか飲み込んだ。子供心に、父と母の機嫌を損ねてはならないと感じていた。
私と両親の間で、長い沈黙が続く。
不安、恐怖、困惑……嫌な感情が次々に襲ってくる。
やがて、父が言った。
「とにかく……お前を家から外に出すわけにはいかんな」
母もうなずく。
「そうねえ……石化するところを誰かに見られたら大変だもの」
胸が重しでも乗せられたように痛くなる。
私はもう、貴族女性として日の目を見ることはできない……。
王都に出て貴族学校に通うことも、夜会に出て色々な人とおしゃべりすることも、そしてまだ見ぬ素敵な男性と出会うことも……。
私の人生は、九歳にして閉ざされてしまった。
「もちろん、その石化の力をどうにか封じることができれば、なんの問題もない。それまでの間だけだ」
「そうよ。あまり気にすることはないのよ」
そうは言うけど、それはいったいいつまで?
もし石化の力を封印できなければ、私は一生家の中で暮らさなきゃいけないの?
私にだって、色々やりたいことはあったのに。
幸運にも貴族の家に生まれ、私の目の前には光り輝く道が広がっている。そう思っていた。だけど、突然周辺の景色が洞窟に変わり、道も石の蓋で閉ざされる。暗闇の中に私はひとりぼっち……。
こんな光景が目に浮かんだ。
同時に、父と母の気持ちもよく分かった。
石化する力を持つ令嬢がいる家なんて、不気味がって誰も相手にしない。確実に孤立する。家を守るためには仕方ない決断ともいえる。
私は誤って父と母を石化しないよう目を閉じつつ、受け入れることにした。
「分かりまし……」
その時だった。
「ちょっと待ってよ、お父様、お母様」
ミルフィだった。
「メドゥーサの家系に石化する人間が現れた。面白いじゃない!」
「何を言ってるんだ、お前は……?」
父が眉をひそめる。
「何かの役に立つかもしれないし、こんな力を封印したらもったいないわよ」
ミルフィが私に向かって歩いてくる。
顎を上げ、いかにも高飛車な少女という風に。
「ようするに、感情が高ぶらなきゃいいんでしょ? だったら訓練すればいいじゃない」
ミルフィは私に近づいてきて、右手で私の顎をクイッと持ち上げた。
「お姉様、これからはセルフィスって呼ばせてもらうわね」
「ミルフィ……」
「ミルフィなんて馴れ馴れしく呼ばないでくれる? これからはちゃんとミルフィーネって呼んでちょうだい」
父が「ミルフィーネ、お前なにをする気だ?」と尋ねる。
「決まってるでしょう? セルフィスが鉄の心を手に入れられるよう、いびってあげるのよ。いびっていびっていびりまくってあげるわ」
ミルフィは私をきつく睨みつける。
その目つきは鋭かったが、瞳孔は揺れていた。私には彼女の真意がすぐ分かってしまった。




