離縁と言いましたね。もう後戻りはできません。
※タイトルを「見せしめにしようとするから」から変更いたしました(2月20日)。すでに読んだぞという方、ごめんなさい!
「アレクシア、本日をもってお前と、りえ――」
「フィリップ様、少しだけ、ほんの少しでいいので、お待ちくださいませ」
私は最後の猶予を与える。3年弱は妻だった私からの情けだ。
少なくとも最初の半年、私は夫を愛そうとはしていたから。
おそらく、少しは夫もそうしようとはしていた。すぐに側室のほうに愛は移ってしまったけれど。そのまま子供もできずに私は今年で21歳になった。
「うるさい。俺の気持ちはもう固まっているんだ!」
「ええ、それは痛いほど承知しています。フィリップ様が側室のオリアンヌさんを正室に格上げしたいというお気持ちもよく存じ上げています。別に私への愛が冷めてしまったことを恨む気持ちもございません」
「だったら、何を待てばいいのだ?」
フィリップ様はあきれた顔で周囲を見渡した。
伯爵家に仕える家臣団がずらりと左右に並んでいる。
ここは広間。城の中でも本来は祝宴や公的行事のために使う場所だ。
そこでフィリップ様は離縁を宣言しようとしている。
これは明らかに見せしめだ。
多数の家臣団の前で私に離縁を突きつけて、恥をかかせてやろうという魂胆なのは明らかだった。
残念、本当に残念。わずかの間でも愛し合った相手にする仕打ちだろうか。
「フィリップ様が何を言おうとしているかは私もわかっています。ただ、その言葉を言い終わったら、もう後悔しても取り返しがつかないのです。それでもかまわないのですか?」
「お前との愛は冷めているのだから当然だろう。アレクシア、正室のお前とはもう終わりだ。それでオリアンヌの地位を正室に引き上げる。これはオリアンヌも俺に何度も言っていたことだ」
何を言っても無駄か。最後のチャンスを与えてあげたのに。
「…………わかりました。では、はっきりと宣言なさってください。弧の広間の家臣団の皆様にも伝わるように」
「アレクシア、お前とは今この瞬間をもって離縁する!」
り・え・ん。
ああ、言ってしまった。本当に言ってしまった。
次の瞬間、その場で直立していた家臣団たちが動き出して、おもむろにフィリップのほうに無言で寄っていく。
「なっ、お前ら、どういう料簡だ? 元の場所に戻れ! ほら、早く戻れ!」
そんなフィリップの言葉など誰も気にせず、家臣団はフィリップを囲み、手を拘束した。
「謀反だな! お前ら、なぜ、こんなことをする! アレクシアに色仕掛けでもされたか? なあ、おい、答えろ!」
「前当主様、私がお答えしてもよいのですが、伯爵家の当主様がお伝えするほうがよいかと思います」
広間の横の部屋からフィリップ様の弟のマルタン様が入ってきた。すべての準備は整っていた。フィリップ様と比べると、理知的などことなく線の細い印象がある。
それと、同時に家臣団の面々がマルタン様に最敬礼をとる。
それは当主に対してとる礼。
すでにマルタン様はこの伯爵家の当主となっている。
「前当主様、あなたが離縁と発言なさった時点で、クーデターが発動して、このマルタンが当主となると取り決めがなされていました。長くの当主としての政務、お疲れさまでした。前当主様は私の3上でしたから、まだ26歳でしたか。長い隠居生活になるとは思いますが、隔離用の塔でゆっくりとおくつろぎください」
「なっ……。まさか、マルタン、お前、アレクシアとデキていたのか?」
そんなことするわけないだろう。政略結婚で赴いたほかの伯爵家の中で浮気を繰り返すほど、私は命知らずではない。
「前当主様、恋愛は素晴らしいものではありますが、かといって封土全体が危機に瀕するリスクを抱えるほどのものではないということですよ。このような一方的な離縁は、アレクシア様のご実家の伯爵家であるカルダン家への宣戦布告の意味になります」
「もし、実家のカルダン家との戦争状態になれば、このトゥーサン家にとって致命傷になります。たとえ滅ばなかったとしても、多くの方が死ぬ。それは私も嫌でしたから」
マルタン様と私は順に聞き分けの悪い前当主に説明する。
「アレクシア様のご実家のカルダン家との戦争を回避するには『当主が錯乱したので弟が跡継ぎとなった、カルダン家にはご迷惑をおかけした』と頭を下げるのが一番わかりやすいストーリーなのです。少なくともアレクシア様の顔を潰すことはないですからね」
「ええ。私が実家に戻っても、面目を潰されたとは主張できませんものね」
夫だった男はまだ私が何か策略を働いたと思っているらしく、こちらを睨んでいた。
「アレクシア、お前はいったい何をやった? 何をやったらこんなことになる?」
「別に私は魔法使いでもなんでもありませんよ。ただ、家臣の皆さんに一人ずつ、現状をお伝えしただけです」
その現状とはこうだ。
「『離縁された場合、私の意思に関わらず、実家のカルダン家がこのトゥーサン家に攻め込む可能性が高い。私が冷たくあしらわれていることはすでに周辺の領主みんなが知るところですから。実家もメンツを守るために戦うしかありません』とね」
まともな家臣の方々は真剣にその問題を憂えて、弟のマルタン様の擁立を考えたというわけだ。
「それと、私は間違いなくフィリップ様を愛しておりましたが、同時に政略結婚で嫁いできたカルダン家の人間です。実家のカルダン家と領民を救うために全力で行動する責務があります。つまり、戦争を回避できる選択肢があるなら、それを選びます」
私は純白のドレスに手を当てた。
「結納品であるこのドレスも、領民の血税で仕立てられたものです。領主がそれを忘れてはいけません」
と、泣きわめくような声が離れたところから響いてきた。
「ああ、兄をそそのかした罪人の方が到着されたようですね」
マルタン様が感情を交えずに言う。正室に昇格したオリアンヌさんが兵士に拘束されて広間に入ってきた。問題は前当主の正室ということだけどね。
「な、何? なんで私が捕まらないといけませんの?」
「ああ、オリアンヌさん、お久しぶりです。新しく当主となったマルタン・トゥーサンです。あなたをこの伯爵家に工作を仕掛けた罪で逮捕いたします。ですが、あなたのご実家の男爵家に戻るよりはまだ安全だとは思うのでご容赦ください」
「弟さんが当主? 私の実家が危険? わからないことばかりだわ!」
オリアンヌさんが甲高い声で叫ぶ。
「私は新当主として、あなたの実家の男爵家に攻め込む。このトゥーサン家はあなたの家の工作で前当主が錯乱する羽目に陥った、その復讐を行う――というストーリーが必要なのです。ここまですればアレクシア様のご実家がこの領地に攻め込むことはあり得ませんから」
まあ、戦争だから、多少の死者は出るかもしれないが、彼女の実家である男爵家の兵士の数など知れている。ほぼ無抵抗に近い形で降伏させることは可能だ。
「私は自分を正室にしてと言っただけよ! それでなんで逮捕されるのよ!」
「アレクシア様と兄の離縁が有力な伯爵家同士の戦争を誘発するからですよ。戦争を引き起こすきっかけを作ることが罪ではないと?」
「そんなことまで考えてなかったわ! 悪意は何もなかったのだから無実よ!」
「申し訳ないが、それはご自身の立場をあまりにもわきまえておられない。無知も罪なのです」
そう、マルタン様がおっしゃったように、私たちはそのへんの町娘ではなくて、領主の一族なのだ。言葉や振る舞いの一つ一つに重い価値が生まれる。
ちょっとした間違いで戦争になってしまうこともある。
マルタン様と話しても無駄と思ったオリアンヌさんがフィリップ様のほうにすがるような視線を向けた。
だが、フィリップ様は目を合わせようとしなかった。
結局、その程度の愛だったわけか。
だったら、もっと自分の地位を守るためだけに功利的に生きるか、それとも領民すべてを守るために汎愛的に生きるかするべきだったのに。
「ちょっと! フィリップ様! 助けてよ! 何か言ってよ!」
「なあ……その……離縁は撤回する! というか、ウソだ。離縁すると言ったのは冗談だ! アレクシア、冗談だよな?」
見苦しい。かつては私が間違いなく愛した、少なくとも愛そうとした人がこんなに変わり果てた姿になっているなんて。
私は後ろ手に拘束されているフィリップ様の前に移動して、ひざまずく。
「前当主様、それはかないません。なぜなら、多数の証言者がこの場にはいるからです」
そう、すべてはあなたの残虐な心が招いた結果なのだ。
「見せしめのために家臣を動員するなんてことしたから、取り返しがつかなくなってしまったんです!」
もしも、これが寝室(まあ、ずいぶん前から別の部屋になっていたけど)での会話であれば、本当に冗談で済ませられただろう。
なにせ、当主の閨房の中を監視して、その言葉を記録することなどできないに決まっているからだ。まさかベッドの中での睦言をすべて公式記録にするわけにもいかないだろう。
でも、あなたは家臣団一同を広間に集めて、正室を離縁するというショーを開いてしまった。今更、なかったことになんてできない。
自業自得、本当に自業自得。
「新当主として命じる。乱心気味の前当主とオリアンヌさんは塔へ幽閉しろ」
マルタン様が淡々と命じた。
それで決着はついた。
離縁する、と言ってしまった時点で、すべてが決まってしまったのだ。
◇
その日の夜、私は自室に戻ると、衣装などの確認をした。
今すぐ出ていけと言われることはないが、前当主の離縁の宣言は効力を持っているのだから、今の私は離婚された女でしかない。トゥーサン家というこの伯爵家とのつながりは何もないのだ。
いつ実家のカルダン家に戻るかもトゥーサン家との話し合い次第だろうけど、いずれ戻ることになるのは間違いない。
と、ドアが優しくノックされた。
優しくというより、何かためらうような静かなものだった。
「どなたでしょうか?」
返事はない。
まさか、私を殺したい誰かが来た? 私を殺して得をする人間はこの城の中に誰もいない。
しかし、そんな後先を考えない人間が多数いることを私は前の夫の行状で知っている。腹が立つというだけで殺そうとする人間だっているだろう。
それでも別にいい。すでに私は領主の正室としての役目を完全に果たしたのだから。
ドアをゆっくりと開けた。
ドアの前にはマルタン様が立っていた。
「まあ。ああ、新当主になったから、当主の寝室を使ってなさっていたんですね」
当主の寝室は正室や側室の部屋と同じ区画にある。逆に言えば、当主の弟や叔父、甥であってもこの区画に入ることは許されない。誰の子供かわからなければ、地位の継承ができないからだ。
逆に言えば、新当主になったばかりとはいえ、マルタン様はプライベートの時間はこちらの区画にいることになる。
「アレクシア様、少し話をしませんか? 二人きりでご不安なら、侍女を呼んでくださってもけっこうです」
「いえ、別にかまいませんわ。昨日までのマルタン様であれば大問題ですけれど、今は当主様ですから。近くの部屋に寄ったぐらいであれば、そう気になさることもないでしょう」
私はマルタン様を部屋に入れた。
窓際のサンルームの小さなテーブルに彼を案内した。夜だから日は当たらないけれど。
「マルタン様にもお手数をおかけいたしました。マルタン様の同意が取れなければ、もっとややこしいことになっていましたから」
「兄に子がいない以上、何かあれば自分が継ぐつもりでいました。覚悟はできていましたよ」
椅子に座ったマルタン様の足はすらりと長い。私も対面の席に座る。
兄弟でずいぶんと気質が違うと思う。フィリップ様は良くも悪くも直情径行で、爵位をもらった山賊みたいなところがあった。年中戦乱をしている時代ならあの太い足と腕でもっと活躍できたかもしれないが。
しかし、理知的なマルタン様もいつもよりは落ち着きがない。顔に笑みが消えている。政変があった日だからしょうがないかもしれないが。
「それで、どういったご用件でしょうか? お兄様の愚痴でもけっこうですよ。いくらでもお聞きいたしましょう」
「いえ、そんなつまらないことではないのです」
ふう、とマルタン様は息を吐いた。
「アレクシア様、私と婚約していただけませんか?」
私は思わず、口を押さえた。すぐに何を言っても場にそぐわないものになりそうだった。
「先に申し上げておきます。まず、兄の行状に問題があったことは明らかですし、それは家臣団も認めております。私と結婚したからといって、私やアレクシア様が仕組んだ陰謀だと言われるおそれはありません。さらに付け加えると、兄が早くに死んだ場合に弟がその妻と婚約することは前例も多いこと、今回もそれに近いことと考えます」
一息にマルタン様はおっしゃった。
「それと、これも付け加えておきますね。私は23歳ですが、いまだに誰とも婚約をしておりません。なぜかわかりますか? 兄より先に子ができると自分が消されるリスクが上がると兄が警戒したからですよ。ですが、おかげで堂々とプロポーズができる」
自嘲気味にマルタン様は笑った。
「ええと……たしかに、私を正室として娶れば、私の実家と敵対する可能性は0になりますね。ですが、別に私が実家に戻ったところで、トゥーサン家に攻め込めだなんて絶対に吹き込みませんよ。私の実家も戦争がしたくはないのです」
「私は実利で動いているのではありません。アレクシア様のことはずっと以前からあこがれておりました。これはたわごとではございません。自分の心にウソをつきたくはありませんので。愛しております」
マルタン様の視線を受け止めながら、私はこうお願いした。
「神に誓って間違いないとお思いでしたら、もう一度、繰り返していただけますか」
「愛しております、アレクシア様」
どうせ実家に戻ったところでまた政略結婚に出されるのだ。
愛していると言ってくれる人のところに留まるのも悪くないか。
「わかりました。婚約、お受けいたしましょう」
マルタン様の表情がやわらかくなる。
「ですが、マルタン様、一つだけお約束がございます」
「はい、何でもお聞きいたします」
「あくまでも、表面上はこの伯爵領を守るために、私の実家のカルダン家ともめないようにするために、私と婚約するのだと家臣の方たちにはお伝えください。あなたは家と領民を守るために好きでもない女と結婚する――そう見えるように振る舞ってください」
少し、マルタン様の顔が曇ったが、彼はゆっくりとうなずいてくれた。
「意図は十全に承知しております。私が浮かれているように見えては、兄の妻を横取りするために兄を失脚させた極悪人と思われかねないということですね」
「そうです。貴族の恋愛一つで、多くの罪のない方々の血が流れるかもしれませんからね。でも、これは神に誓って申しますが――」
私は立ち上がって、マルタン様の手を握り締めた。
「マルタン様、あなたのお気持ちは本当にうれしいです」
マルタン・トゥーサンは賢明な正室アレクシアとともに長く安定した統治を行ったという。
◆終わり◆
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