恋するお姫様の防衛線
真っ赤な薔薇が咲き誇る美しい庭園で椅子に座って悲しそうな顔で地面に向かって何度も同じ言葉を呟く少年がいた。
「僕は、姫様にふさわしくないので、婚約を解消しましょう」
アレクシアはセレスタンが庭園で悲しそうに呟いている姿を眺めていた。
初めて聞くセレスタンの悲しそうな声に体が動かなかった。
初めての庭園での二人の出会いは貴族としてはお粗末で、中傷の的になった。
それでも挫けずに、努力した結果王女の婚約者として相応しいと周囲に認められていた。
アレクシアはセレスタンから誰かを貶めるような言葉を一度も聞いたことがない。
傷の痛みも社交界の闇をよく知るのに染まらないセレスタンはアレクシアの世界で一番優しく純粋で綺麗な美しい存在である。
耳に響く、セレスタンの悲しい呟きにとうとうアレクシアの瞳から涙が落ちた。
「セレスらしくない言葉は愚か者の影響よね」
魔力がないだけで、不正も罪も犯していないセレスタンが絶望しているのも、責められるのも非常に腹が立った。
アレクシアは魔力の発現があったが、極めようと思っていなかった。でも、持たざる者の言葉が響かないこともよく知っていた。
セレスタンを絶望から救う方法を思いつかないアレクシアは涙を拭いた。
「セレスを絶望させるほどの価値があるのかしら?まずは、価値を確かめてみましょうか」
アレクシアは護衛魔導士に婚約解消の言葉を練習しているセレスタンを魔法で眠らせるように命じた。
セレスタンの寝顔を眺めながら、アレクシアは策を練った。
「セレスには申し訳ないけど、少し時間をくださいませ」
魔法を極めるために王宮魔導士への師事を決めた。
アレクシアが魔法を極めるまで、セレスタンが婚約解消と言えないように振り回した。
アレクシアの命令に嬉しそうに頷き、婚約解消のことなど頭から抜けたセレスタンの明るい瞳にアレクシアは微笑む。
鈍感なセレスタンはアレクシアの手のひらで踊っていることを気付かない。
アレクシアは手のひらの上で踊らせるのは得意だが、微笑ましく眺めていられるのは可愛らしいセレスタンだけである。
****
社交デビューを終えた王族は朝議への参加を義務づけられていた。
優雅に座り、魔法を極めたアレクシアは扇で顔を隠して大臣達の気に入らない言葉を聞いていた。
大臣達の言葉を止めない両親を静かに見つめながら、扇を閉じて微笑んだ。
獲物を見つけた狩人のような瞳のアレクシアに気づいたのは実の弟妹達だけだった。
聡明で物分かりのいいアレクシアの微笑みに安堵した大人達の耳にパキッと何かが折れる音が響いた。
アレクシアの膝の上には折れた扇があった。
「セレスが魔力がないから婚約者に相応しくない?魔力の発現前に婚約者を選ばせたのは貴方達の都合でしょ?思惑が違ったからって、選び直せなんて、おふざけもいい加減になさって」
「アレクシア姫殿下、私達はお二人のことを考えた結果お二人のために」
アレクシアは魔法を極め、一流の魔道士の称号を手にしても、セレスタンと比べるまでもなく価値を見出せなかった。
アレクシアは魔力を持っているだけで、役に立つ魔法を一つも使えない大臣達に魔力の価値を問うなど時間の無駄になる討論を繰り広げるつもりはなかった。
アレクシアの言葉に反対する大臣達を静かに見つめて、折れた扇を床に放り投げた。
扇が落ちた音が響き大臣達の声が止まったので、アレクシアは艶やかに微笑んだ。
「私はきちんと定められた婚約者候補の中からセレスを選んだわ。そして将来の伴侶として絆を育んできたわ。私達の時間と想いを疎かにするような者と共によき統治者になれなんてお断りよ。それなら継承権とともに、王族位も返上するわ」
アレクシアの高飛車な物言いと威圧感のある笑顔に大臣達の反応は様々だった。
アレクシアの王者の雰囲気に威圧され寒気に襲われる者やうっとりと見惚れる者、未成年の王族達は青い顔で震えていた。
アレクシアは周囲を威圧し、ゆっくりと立ち上がった。
「待ちなさい。アレクシア。座りなさい」
アレクシアが出ていくのを国王が慌てて止めた。
「お姉様、こちらを」
アレクシアはたった一人平然としている妹に扇を渡され、ゆっくりと椅子に座った。
アレクシアは扇を開いて、顔を隠し両親を静かに見つめた。
沈黙が訪れ、両親と姉の関係を熟知している王女の小さな笑い声が響く。
「失礼しました。可笑しくてつい、お許しくださいませ。お姉様に論破されるのがわかってますのに、お父様達は口を開きませんわ。有意義な時間のために、お姉様が譲歩されることを忠言させていただきますわ」
「妹のお願いなら仕方ありませんね。お父様達はご存知でしょ?私は玉座に興味はありませんが、王族として生まれた義務があるので、座る覚悟も準備もしてきました。でも心を支える伴侶と信頼できない家臣と共に宝である民を守るなどできませんわ。できない者は去るが王家の鉄則でしょ?」
話は終わりと扇を閉じたアレクシア。
大臣達はアレクシアの暴露に言葉を失った。
国王夫妻は据わった瞳を細め、嘲笑っていることを扇で隠すのをやめたアレクシアの逆鱗に触れたことにようやく気付いて固まっている。
実利主義の姉が扇を持って演じている王族の仮面を脱ぎ、宥めるべき両親が役に立たないと大人達よりも先に悟った子供達が動いた。
「お姉様にできなければ誰にもできませんわ。お父様達も冷静に考えてくださいませ。お父様達のお考えの婚約者候補はお姉様とそっくりな方達です。同族嫌悪のお姉様とはうまくいきません。人に無関心のお姉様の心を射止める偉業を成したセレスタンに感謝し、丁重に婿に迎えるのが得策です。国益のためにはお姉様が継承するべきです。お姉様以上に国益を上げる王族はいませんわ」
「意欲があっても、能力がない者が座っては災厄を招きます。姉様ならやる気がなくても、災厄のほうから逃げていきますので、国は安泰です」
「アレクシア姉様を止められるのはセレスタン公子だけです」
「天才で威圧的な女王の隣に優しい忠犬がいれば、イメージアップになります」
「弟妹達に姉を暴れ馬のようにたとえるような教育をした教育係と話さないといけませんね」
「お姉様の味方をしているのに酷いわ」
「お姉様、そんなことより有意義な時間を過ごすべきでは?」
大人達は成人前の王族の言葉に心を揺さぶられた。
常に慈愛に満ちた瞳だったアレクシアが今は実の弟妹達にさえも慈愛の欠片もない瞳を向けている。
かつての両親を敬愛していた態度の欠片もない。
「セレスタンを餌にお姉様を天才に育てたのはお母様でしょ?」
「お父様の尻ぬぐいをしてる姉様に敬愛されるなんて勘違いしている姿は愉快だったけど」
「年長者は敬うように教えられたとおりに演じているだけよ。産んでもらった恩だけで、敬愛できるようなここは優しい世界ではないもの」
子供達の暴露に国王夫妻は衝撃を受け、言葉を失う。
いつも少ない言葉で円滑な会議の進行を操作しているアレクシアが退屈そうに扇を床に放り投げようとしている仕草に気付いた宰相が声を上げた。
「陛下、ご決断を。公爵家当主としては息子はアレクシア王女殿下を支える資質に秀でていると確信しております」
国王は宰相の言葉で決断する。
「セレスタンとならよき統治者となれるのか?」
「私はセレスしか欲しくありません。義務とはいえ玉座に座るなら力を尽くしますが、ご褒美の一つもあってはいいのでは?」
アレクシアの高飛車な問いかけに異論を唱える者はいなかった。
過去にアレクシアが手掛けた施策による国益は群を抜いていた。
その時のアレクシアを補佐していたのはセレスタンである。
優秀なアレクシアを手放さないために、二人の婚約は維持を認められた。
一部の者にはトラウマとなるような恐ろしい時間が終わった後、アレクシアは弟妹達をお茶に招いた。
「婚約解消したくないのに、婚約解消宣言しようと必死なセレスタンの邪魔をするのに協力したんだから許してお姉様!!」
「私は協力なんて頼んでないわ。でも、私も心が痛んでつい手が出てしまったら早計よね」
「お姉様の手が伸びた時は社会的抹殺ですものねぇ。引き継ぎ前に抹殺したら手間がかかるので、冷静になっていただけてよかったですわ」
「つまらないことの所為でセレスとの時間が減るなんて嫌だもの」
「実の弟より婚約者優先でしたものね。どこがいいのか」
拗ねている弟王子の頭をアレクシアは宥めるように軽く叩いた。
照れ笑いを浮かべた弟王子よりも小さかった頃のセレスタンを思い出し、アレクシアは瞳を細め、うっとりと語る。
「守るでもなく、理解者になりたいなんて可愛いでしょう?しかもお顔を真っ赤にして」
「あの頃のお姉様はきっと素直で可愛らしいものに飢えていたのよ。お姉様の側近は腹黒な曲者ばかりでしょう?」
「お姉様は素直な忠犬がお好きなのに、お側に当てはまるのは、セレスタンだけですもの。でも優秀なお姉様と比べて、セレスタンが見劣りするのは仕方ないのに、セレスタンは挫けず、努力しているお姿もお好きなんでしょ?」
「ええ。もう少し自信を持ってくれればいいけど、そんなセレスも可愛いもの。お父様達は私が王族教育課程を最年少で卒業したのはセレスのおかげってすっかり忘れてるのよねぇ」
聡明と褒め称えるアレクシアが天才と言われるようになったのはセレスタンと婚約した後のことである。
「セレスタンと遊ぶのはお勉強を終わらせてからとお父様達がおっしゃったので、当時から実利主義のお姉様は教師の解説を聞くよりご自分で学んだほうが早いと判断され、資料と書物、試験だけを要求されましたものね。王宮の教師はお姉様の難解な質問に答えられず、どうしても講義を受けさせたいお母様が学者を呼び、お姉様だけ私達とは別の教育を受けてましたのよね」
「セレスとの時間を増やすために必死だっただけよ。当時は幼かったから要領も悪かったのよねぇ」
「セレスタン公子がお姉様と過ごすための時間を作れるように、視察に連れまわしながら教育してましたものね。お姉様に直々に教育されたセレスタン公子が平凡に育つはずないのに」
「大人は目が曇っている者ばかりだもの。国益と称えられる施策だって、全てセレスのおかげなのに誰も気付かない」
「アカデミーまで最短で行ける手段を考えて汽車事業に手を出し、物語のデートスポットに憧れて観光事業に手を伸ばし、魔法で空調管理されてないアカデミーでも使える低コストの暖房器具を開発されーーーー」
「セレスがアカデミーに行ってしまって暇だったのよ。きちんと公務をこなしてるんだから、空いた時間をどう使うかは自由でしょ?」
動機がセレスタンでも、大義名分として民のため、国益になるように事業を展開するのがアレクシアである。
セレスタンが不自由なく過ごせるように、恋する人にだけは献身的な乙女とはアレクシアの弟妹達しか知らない秘密である。
「厄介な女性に一目惚れされたセレスタン公子が可哀想」
「恋するお姉様は可愛らしいからいいじゃない?私はお姉様の可愛さを引き出してくださるセレスタンに感謝しているわ」
「努力家のセレスを魔力がないだけで見下した者はいずれ左遷するわ。きちんと準備を整えてからね」
「セレスタンがお姉様をなだめられるかに賭ける?」
「セレスタンは忠犬だから、危険がなければお姉様を止めないに一票」
「姉様がいらない臣下ならなだめる必要ないでしょ?僕は子供が生まれてからようやく両想いの自覚が芽生えるに賭けるよ」
「お姉様が押し倒すほうに賭けようかな」
「純情なお姉様は押し倒した後に固まり、寝台を共にするだけで初夜は成功しないに賭けるわ」
「押し倒されたセレスタンが狼になるにしようかなぁ」
「教育の仕方が悪かったようね。王族は賭け事は禁止と教わってないのかしら?」
「時代は変わりゆくものとして改革好きのお姉様らしくないお言葉ですわ」
アレクシアが求愛してもセレスタンには通じない。
セレスタンはアレクシアを敬愛しすぎて、自身の欲に気付いても固まってしまう。
婚約解消されると思い込んでいた青年が王女に翻弄される日々は時が経っても続いていく。
翻弄されることさえ喜んでいる青年は王女の婚約者としての資質に優れる、魔力より稀有な才能を持っていることに将来の義理の弟妹達だけが気づいていた。
そして無自覚なセレスタンのほうがアレクシアを翻弄していることも。
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真っ赤な薔薇が咲き誇る王宮庭園はアレクシア女王のお気に入りの場所である。
アレクシアは向かいの席ではなく隣に座るようになったセレスタンに体を預ける。
自然に肩を抱く夫に満足げに微笑む。
「ガーデニングパーティーが婚約披露の定番となりましたね」
「美しい景色よりも私に見惚れることは相変わらず?」
「美しい姫様以上のものはありませんから」
「幼い頃の誓いは永遠ね」
「姫様の最大の理解者であるように精進致します」
「物語なんて夢物語と思っていましたが、セレスのおかげで恋した人と結ばれる奇跡が王宮でも起こると証明されたわ」
偉大な女王に寄り添うのは、努力で手に入れた武器を持つ青年。
アレクシアは高貴な生まれでも愛を手にいれられること、セレスタンは努力はきちんと実るということを証明した。
敬愛される女王夫妻が結ばれるまでの攻防戦は最大の功労者である聡明な家族達の心の中にのみ留められた。
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おまけ
婚約解消することなく結婚したセレスタンに待っていたのは王配教育ではなく、義妹達により恋愛の授業だった。
姉の逆鱗を踏んでしまううっかり体質の王女達が唯一宥められる可能性を持つセレスタンの教育に勤しんだ。
「義兄様をさらにお姉様を骨向きにしてくだされば、スパルタ教育から回避!!」
「無駄な足掻きかと思いますが、義兄様への教育は賛成なので協力しますわ。妻に求愛されたら答えるべきでは?義兄様は臣下ではなく王族ですよ」
「お姉様の憧れる資料を集めましたので熟読し、行動してください」
「何をしても義兄様なら素敵と満足するお姉様の愛に胡坐をかく余裕はなくてよ」
素直なセレスタンは時々赤面し固まりながらもアレクシアのために励んでいた。
アレクシアは一生懸命学ぶ夫の可愛さに魅了され、妹達の暴走を止めなかった。
「お互いがいれば満足なんて国庫に優しい」
「偉大なる女王陛下の欲しいものは夫からの愛情。女王に溺愛される幸運な男は愛の重さに引くことはなく受け止める度量の持ち主。やっぱりお互いにとって最高のパートナーを見つけるのが幸運の鍵ね」
セレスタンさえ傍にいれば、扇で顔を隠し理想の女王を演じるアレクシアは文句のつけようのない女王であった。
大臣達はアレクシアが優秀な君主であるためにセレスタンが必要と身を持って体験したため排除しようとする者がいれば女王より先に排除した。
そして身内には女王以上にセレスタンに敬意を払うことを命じた。
セレスタンに無礼を働く者には出世の道はないという噂が事実であると一部では周知され、幸せそうに寄り添う女王夫妻の姿は平和の象徴であった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




