忠犬令息とお姫様
真っ赤な薔薇が咲き誇る美しい庭園で椅子に座って悲しそうな顔で地面に向かって何度も同じ言葉を呟く少年がいた。
「僕は、姫様にふさわしくないので、婚約を解消しましょう」
膝の上で固く握った拳は震えている。
少年の拳の上に真っ赤な花びらが落ちてきた。
少年が顔を上げると、美しい真っ赤な薔薇が目に映る。
少年は真っ赤な薔薇を見ていられず、目を閉じた。
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「僕は忠臣であり、姫君の最大の理解者になれるように精進いたします」
美しい庭園に咲き誇る真っ赤な薔薇に負けないほど真っ赤な顔の少年は真顔で豪華なドレスに包まれた少女に告げた。
椅子に座って少年の言葉を聞いた少女は扇を開いて口元を隠した。
「貴方に決めたわ。私の最大の理解者になりなさい」
高飛車な口ぶりの幼い少女の言葉に周囲が騒然となる。少女は周囲のざわめきが大きくなる前に周囲を見渡し、扇で顔を隠したまま口を開いた。
「お父様もお母様も公爵閣下も満足でしょ?お膳立てされても、選んだのは私ということをきちんと覚えてくださいませ。エスコートしてくださる?」
第一王女アレクシアは婚約者選びのパーティーで最初に挨拶した宰相を父に持つ公爵子息のセレスタンを見つめ、パチンと扇を閉じ、艶やかに微笑んだ。
「婚約者との時間を邪魔しようなど、無粋なことはしませんよね?私は婚約者には誠実でありたいので、他の殿方のお話をすることもありませんわ。セレスタン?」
5歳の誕生日を迎えたばかりとは思えない大人びた王女の微笑みを向けられ、動揺して動けないセレスタンの隣に立っていた公爵はアレクシアをエスコートするように息子の肩を叩いて囁いた。
緊張でぎこちない仕草でアレクシアをエスコートするセレスタン。
アレクシアは微笑みながら、セレスタンのエスコートに身を委ねるフリをしてセレスタンをリードしていた。
「私達は成長途中ですわ。最大の理解者になってくださいませ。未来の旦那様。舞踏会の始まりですわ」
パーティーの主催者のアレクシア王女の一言で会場の雰囲気が変わる。
アレクシアは挨拶の順番待ちをしていた貴族の令息達の前を優雅に歩き、会場の中心で礼をして、演奏家達に合図をした。
演奏家達による美しい音楽が流れ、アレクシアはセレスタンをリードし、ダンスを踊る。
「お日様の下でのダンスは素敵でしょう?薔薇が見頃の時期に私の婚約者を選ぶパーティーを開くように言われて、思いつきましたのよ。自慢の庭園があるのに、パーティーに使わないのは勿体ないでしょ?美しい薔薇とパートナーを共に楽しめるのも一興でしょ?」
緊張しているセレスタンはアレクシアの顔しか見られない。
「美しい景色よりも、パートナーに見惚れる姿も一興ですね。ガーデニングパーティーはうちでは初めての試みですのよ。きっとこれから流行するわ。私達のこととどちらが先に話題になるかしら」
真っ赤なドレスのアレクシアは真っ赤な顔のセレスタンを見つめる周囲の物言いたげな観客に挑戦的な微笑みを浮かべる。
真っ赤な薔薇の咲き誇る中で、美しい少年と少女が躍るダンスに周囲は魅了されると物語には綴られるが現実は甘くない。
事実をおもしろおかしく、時には残酷に脚色して噂とするのが社交界である。
翌朝セレスタンが美しい姫君とのやりとりを思い出し、うっとりしたり不甲斐なさに頭を抱えたりした。
セレスタンにとっては、情けなくも大事な記憶の一つである。
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セレスタンの婚約者との初対面は失態ばかりであった。
周囲に笑われても事実のため、挽回するために行動するのがセレスタンの方針だった。
「僕を選んでいただいた姫様に恥じないように立派な男になる!!」
「失敗を糧にして、励みなさい。支援は惜しまないわ」
アレクシアの婚約者選びのパーティーでのセレスタンは両親に指摘されるまでもなく公爵子息として失格だった。
常に正々堂々と背筋を伸ばし、落ち着いた表情と微笑みだけで感情や心を周囲に悟らせないように教育を受けたのに何一つできなかった。
ロマンチックな求婚の言葉を両親達に教わり、練習したのに、出てきたのはロマンチックさの欠片もない言葉だった。
「姫様に相応しい言葉……こんな陳腐な言葉じゃなくて、あぁ姫様が美しすぎてどんな言葉も物足りない」
真っ赤なドレスを着た美しい王女の隣に相応しくなるために努力する息子を公爵夫妻は全力で応援していた。だが、品行方正な息子が突拍子もないことを言いながら頭を抱える姿に不安を覚えていたが、息子に気付かれるようなことはなかった。
公爵夫妻の不安は的中していた。
セレスタンは今までどんなことも卒なくこなしていた。
授業態度もよく、初めての乗馬の授業では馬に怯えることなく近づく度胸もあった。
ただアレクシアの前では優秀な公爵子息の欠片もなかった。
婚約者同士のお茶会の席に先に座って待っていたアレクシアの美しさにセレスタンは真っ赤になり固まった。
「私に見惚れてお話できませんか?」
「はい。姫様は美しく、どうしても顔が、言葉も……」
「ではセレスが慣れるまで、お茶会を増やしましょう。慣れれば、自然にできるようになりますわ。無礼講ですから、座ってくださいませ」
真っ赤な顔のセレスタンの拙い言葉にもアレクシアは嬉しそうに微笑む。
アレクシアは椅子から立ち上がり、立ったまま動かないセレスタンをエスコートして椅子に座らせた。
「私はセレスとの時間が増えるのは嬉しいですわ。お互いを知っていくことが理解者になるには必要でしょ?」
アレクシアに甲斐甲斐しく世話を焼かれながらセレスタンは味のしない、アレクシアの美しさしか記憶に残らないお茶の時間を過ごしていた。
何度かそんなお茶会が繰り返されると、アレクシアは扇で顔を隠した。
アレクシアは周囲を見渡し、扇を閉じた。
「お天気のいい日にここで過ごすのも勿体ないですね。視察にお付き合いくださいませ。慣れるまでは私がリードしますが、いずれはセレスがしてくださいませ」
アレクシアはセレスタンの手を繋ぎ、椅子から立ち上がる。
アレクシアには護衛の王宮魔導士がついているので、外出の自由が与えられている。
アレクシアに手を引かれて歩き、王都の市場に着くとセレスタンは物凄い勢いで走る子供を見つけた。アレクシアがぶつからないようにセレスタンはそっと腕を引いて、抱き寄せた。
アレクシアは大きな瞳を見開いた。セレスタンは腕の中に収まる小さな体に驚く。
いつも手を引く美しく威厳のある少女は小さく、華奢で、温かい存在だった。
「ありがとうございます。セレスは私と同じ歳なのに、力がありますのね」
豪華な正装と堂々とした所作で、すでに外交や国政に携わる偉大な王女は、風が吹けば飛んでいきそうな小柄なお姫様だとセレスタンは気付く。
「姫様をお守りできるように精進致します」
「セレスなら私を本物のお姫様にしてくださるかもしれませんね。期待してますわ」
セレスタンらしくない流暢な言葉にアレクシアは満足げに頷く。
この日からセレスタンはさらに武術の訓練に力を入れるようになった。
アレクシアとの逢瀬を重ね、成長したセレスタンはアレクシアとも赤面せずに流暢に話せるようになった。
「姫様の美しさに慣れることはなさそうだ。どんどん美しく成長される」
「恋は盲目かしら。相応しくあるために精進するのはいいけど、姫様を蔑ろにしないように気をつけなさい」
セレスタンは優秀な者のみが入学できるアカデミーの合格通知書を母から受け取った。
定例の婚約者とのお茶会の席で、セレスタンはアレクシアに合格通知書を見せた。
「セレスと学園生活も素敵よねぇ。制服姿でデートもしてみたいわ」
「全寮制の学園に姫様が通われることを陛下がお許しにならないでしょう。制服での外出を望まれるなら、制服で参りますよ。姫様はどんな服装でも美しいので、わざわざ制服に着替える必要はありますか?」
「留学やお忍びもいいわね」
「手紙を書きますし、休みには会いに帰ってきます」
「帰ってきますね、ええ。待ってるわ。私の理解者になるために励みなさい」
「もちろんです」
セレスタンのアカデミー入学を祝福しながらも、寂しさを隠さないアレクシア。
セレスタンの言葉に高飛車な口振りに不釣り合いな満面の笑みを浮かべるアレクシアに愛しさが芽生えていた。
全寮制のアカデミーに入学すれば二人で過ごす時間が減るが、周囲にうらやまれる通りの明るい未来が待っていると疑っていなかった。




