「好きな女の子に好意を見せるとその恋が永遠に叶わなくなる呪い」のせいで冷たくしていた?赦さない。反省しろ。話はそれからだ。
エルウッド侯爵家の次女ナディアの元に、ウォーベック侯爵家から縁談が持ち込まれた。
エルウッド家の長男は次期当主として領地で実務を学び、長女はすでに商売上手な幼馴染の伯爵家に嫁入りしており、ナディアは王都屋敷では一人娘のように過ごしている。
お相手のウォーベック侯爵家の歴代当主は晩婚である。
多くの貴族が10代後半から20代前半で結婚して跡継ぎを儲けてから壮年期(ここでは3、40代)に爵位を継ぐのに対して、ウォーベック侯爵家は代々当主交代の前後に妻を迎える。
そんなウォーベック侯爵家で、次期当主ダスティンが16歳にしてエルウッド侯爵家のナディアを婚約者に求めたのだ。
政治的にも経済的にもお互い安定した家のため、政略的な面はそう重要ではないものの、新事業の協力を目的としてウォーベック家側から申し込まれた。
エルウッド家からすると、貴族学園で出会ったダスティンがナディアを求めているのだろうと予想しつつ、特に断る理由もないので受け入れた。
2人は級友ではあったが、しかし一方で、2人が個人的に交流しているところを見た者は学園には誰もいない。大体が数人の級友を交えてのやりとりであった。
さらに不可解なことに、婚約が結ばれてからというもの、ダスティンがナディアを露骨に避け始めたのだ。
もはやただの級友だった頃の方が会話があったくらいに。
婚約成立当初はナディアから交流を図ってダスティンの居る教室に顔を出してみたが、彼女が顔を見せるなり入り口までサッとやって来て「何しに来たんだ。用が無ければ自分の教室に戻りたまえ」だ。
当然、昼食を共にしたり街歩きをすることも無く。
ナディアはわけが分からないながらもしばらくはダスティンの元へ顔を見せたが、いつも追い返されるので、やがて面倒になって学園での交流は諦めた。
そうしてナディアとダスティンは学園で言葉を交わすことは無くなり、互いの屋敷での交流の茶会は定期的に催されるものの、会話は盛り上がらず1時間足らずで解散。茶会の度に受け取る贈り物はどこでも見かける流行り物と、とても関係の薄い婚約者同士になった。
ナディアは――釣られた覚えはないけれど、ダスティンは釣った魚には餌をやらないタイプなのかしら?まあいいけど――などと思い、最低限の交流をするに留めることにした。
ナディアは歴史ある侯爵家の娘ではあるが、兄姉から年が離れているため家族に甘やかされて少々自由に育ったので、興味が薄い事はあまり気にしなかったのだ。
そうしてナディアは、ダスティンとの関係について諦めと無関心で1年を過ごした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ナディアとダスティンが没交渉で過ごす中、学園で進級祝いのパーティーが開かれた。
ドレスはウォーベック侯爵家お抱えのドレスショップの既製品。ナディアも店頭に飾られているのを何度か見たことがある。これを受け取ったエルウッド家の針子が、ナディアのために、丈はぴったりだったのでそのままで、腰回りを少し詰めた。
アクセサリーに使われている宝石は一級品のようだが、ドレス同様に既製品。
パーティーまでにダスティンと顔を合わせる予定は無かったので、ナディアは礼状だけをしたためた。
当日はウォーベック家から迎えの馬車は来たが、ダスティンは乗っていなかった。
学園に着けば馬車寄せにはダスティンが居て、馬車から降りるエスコートはしてくれたものの、ナディアの両足が地に付くとさっさと立ち去ってしまった。
ナディアは小さくため息をつくと、大きく息を吸い込んで背筋を伸ばし、会場であるホールに足を向けた。
開会前の会場内は華やかに飾り付けられ、色とりどりのドレスの花が咲き、男子学生の盛装が花の彩りを引き締め、そこここから賑やかな笑い声が聞こえる。
ぐるりと見回して、ホールの中程にダスティンが男女の級友と語り合う姿を、奥には自身の友人たちがこちらに手を振る姿を認めたナディアは、品悪く見えない程度の早足で一直線にホールを横切り奥の友人の元へ向かう。
ダスティンから送られたドレスはタイトなシルエットで少々歩きにくいが、スタイルがとても良く見える。
――センスは良い方なのに――そう思いながらホールの半分を横切った所で、ひとつの影がナディアを目指して歩き出した。が、先に彼女を呼び止める声が聞こえた。
「ナディア様、ごきげんよう。少々よろしいかしら」
マガーリッジ公爵家の嫡女アナベラだ。傍には彼女の婚約者と分家の娘が控えている。
「アナベラ様、ごきげんよう。まだ時間もありますのでバルコニーで伺いましょうか?」
ナディアはにこやかに微笑んで尋ね、それを受けたアナベラもにこやかに返した。
「こちらで構いませんわ。今度隣国に住まう従兄が我が家にしばらく滞在することになりましたので、ナディア様も一緒にお茶会でもいかがかと思いまして」
アナベラは僅かに眉を上げたナディアを見やりつ、ほんの一瞬、視線をずらしてから続けた。
「ナディア様も婚約者がいらっしゃるけれど、たまには男性とまともな交流をなさるのも刺激になりますわよ。ほほほ」
ほんのひと時思案したナディアが「そうですね、それではお受けいたします」と返していくつか言葉を交わしてその場を辞したところで、突然後ろから腕を掴まれた。
学園内とはいえ本人の許可なく異性の肌に触れることはマナー違反だ。さすがにぎょっとして振り返ると、そこには眉をしかめたダスティンがいた。
ナディアは思わず温度のない視線を向けた。
「何かご用ですか、ウォーベック卿」
ナディアのその視線と言葉にダスティンはその手を離してぐっと息を呑んだが、どうにか表情は変えずに「君は私の婚約者だ。無闇に男性と交流するべきではないのでは?」と尋ねた。
尋ねた、とはいうが、その表情を傍から見れば尋問だ。
ナディアに見惚れながらアナベラとのやりとりを見ていた学生たちは、思わず2人の様子に注目してしまうし、周囲の学友がじっと一所を見つめる様子に気付いた他の学生からの視線も集めてしまった。
ナディアは様々な視線を感じながらもふっと小さく息を吐くと、じっと目を見て返す。
「友人に、従兄殿を交えたお茶会にお誘いいただいただけですよ」
思ったより冷たい声が出てナディア自身も驚いたが、一礼して振り返ろうとしたところ、今度は手首を掴まれていい加減に眉をしかめた。
「まだ何か?」
ナディアも不機嫌を隠さず尋ねた。
ダスティンは僅かに口を開き、また閉じてから、いつもとは違う言葉を吐いた。
「私の婚約者を引き留めて何が悪い」
珍しいセリフに面食らったナディアだったが、ふと周囲の好奇の視線を利用することを思いついた。
ナディアがダスティンに向き直り姿勢を正すと、ダスティンも掴んでいた手を離しつつ僅かな困惑を覗かせて彼女を見つめた。
「丁度皆様の注目も集まっていることですし、ここではっきりさせましょう」
ひとつ息を吸い込み、背筋を伸ばす。
「ウォーベック卿、あなたと私の婚約は、ウォーベック侯爵家から持ち込まれたお話でしたね」
ダスティンは頷くと、一瞬の躊躇いの後に「その通りだ」と認めた。
ナディアは――何を躊躇うのか――と訝しみながらも続ける。
「我が家の思い違いでなくて安心いたしました。
ただ私は…この1年の卿の私への態度は、婚約者どころか学友に対するものでさえなかったと存じますし、学園内の多くの方もそう考えていらっしゃいます」
ダスティンは何も言わずナディアを見つめている。
ナディアも目を逸らさない。
「そして幾度となくご親切な方々から、卿との婚約を解消すべき、ととてもありがたい助言をいただきました」
「他家の婚約に口を出す愚か者には警告を出している」
ダスティンが食いつくように言い返す。
「ええ、確かに。何人かの後に親切な男子学生からの助言は無くなりました。
ですが、親切な女子学生はまだまだ沢山いらっしゃいます。1日置きに別の方がお見えになりますよ。
皆さまご丁寧にも、卿からいただいた贈り物と同じ物を身に着けて声をかけてくださるのです」
そうしてひと時黙ると、ホールはしんと静まり返る。
「ウォーベック卿、我が家とウォーベック家の縁組には大した利益はありません。
卿が真に心を寄せることの出来る別の方と結ばれるべきです」
はっきりと言葉にはしていないが、婚約解消を求めるようにも取れる言葉。
いよいよ人の呼吸も聞こえない。
雪が降り積もる晩の方がうるさいくらいの静寂の後に、耐えかねた誰かが息を吸う音が聞こえ、それを合図にホールに小さく、しかし明らかな困惑のざわめきが広がる。
2人は変わらず黙ったまま互いを見つめていたが、徐々にダスティンの様子が変わっていく。
いつもの最高位貴族らしい堂々とした表情が消え、何か言いたいのか口をパクパクと、まるで陸に打ち上げられた魚のように開け閉めし始めた。
やがて顔色を失うと、苦悶の表情を浮かべて頭を抱え、膝から崩れ落ちその場にうずくまった。
再び静まり返るホール。
とっさに膝を付き肩を支えるナディアに、ダスティンは潤んだ瞳を向ける。
それを見て息を呑んだナディアの腕を掴むと、その場の誰にも予想がつかなかったことを語り始めた。
「嫌だ…婚約解消なんてしない!
好きだ。好きなんだ、ナディア。ずっと好きなんだ。
君以外だれとも結婚したくない。君しか嫌だ。
君じゃないなら結婚しない!」
高位貴族どころか下位貴族だって公の場で見せないような姿で縋り付いている。
ナディアは困惑を隠せない。
「聞いて。ねえ聞いて、ナディア。お願い。お願い。聞いて。お願い」
雨に濡れた犬の方がマシなくらいに哀れな姿に、若干仰け反りながらナディアは頷く。
「こんな事になっているのは全てウォーベックの先祖のせいなんだ。
ウォーベックを名乗るよりずっと昔の先祖が、結婚直前に魔女をこっぴどく振ったせいで呪われたんだよ。
ウォーベックの男は皆、18歳になる前に想い人に好意を伝えると、その恋が生涯実らなくなるんだよ。
だから代々の当主は失恋の傷が癒えるまで結婚できなかったんだよ。
馬鹿な話だよね。本当に馬鹿な話だ」
この世に魔女と呼ばれる者は確かに存在していて、彼女らはとても自由で、人の常識が今ひとつ通じない存在だ。特に昔はそれが顕著だったという。
大好きな人ができて、大好きな人から同じ心を返されて、幸せで幸せで仕方なかったろうに、その幸せの絶頂から突き落とされたのなら、末代まで軽く数百年くらいなら呪ってもおかしくはない程度には自由な存在だ。
声を震わせダスティンは続けた。
「君のことが大好きなのに、僕はそれを伝えられなかったんだよ。
本当は毎朝迎えに行きたいのに…毎日昼食を一緒に食べたいのに…毎日毎時間ごとに君の顔を見たいのに…毎日毎日君の声を聞きたいのに!毎日君と一緒に帰って、たまには街にだって降りたいのに!茶会でだってもっと話したいし!観劇にだって出かけたい!エスコートだって、迎えの馬車に乗る前の玄関から帰りの玄関まで離したくないのに!
そんなことしたら僕の気持ちが全部ナディアに漏れちゃうから!
僕だって!ナディアと!話したい!隣に居たい!手を繋ぎたい!独り占めしたい!」
終いには一言ごとに拳で床を打ち泣き崩れる男に、同情の視線が集まる。
「せめて婚約者になればナディアに僕だけを見てもらえると思ったんだよ。
ウォーベックもエルウッド侯爵家も政略なんて必要ないくらいに安定しているからね。
毎日毎日も朝から晩まで考えて理由をひねり出したんだよ。
僕の気持ちを伝えられなくても、せめて僕が君を彩りたいと思ったんだ。
君のドレスもアクセサリーも今までの贈り物全て、君のためにデザインさせたんだよ。
君に僕の好意を悟らせないために、君が街に出る時にだけ店頭に置いて、君だけのデザインを既製品のように見せていたんだよ。
ドレスは完全一点物だからね、既製品でも君だけのための一枚だ。
サイズだけは分からないから、茶会の侍女の中に針子を紛れ込ませて目で測らせたんだよ。今日のは少し大きかったんだね。
アクセサリーは既製品と同じように見えたけど、君が持っている物以外は全て模倣品だよ。
全て君だけのために僕が選んだ特別な石なんだよ。
不純物が無くて光をよく集めるからね、ナディアだけが煌めいているんだよ。
今日もよく似合っているよ。素敵だねナディア。誰よりも美しい。
僕は上手く隠せていたんだね。
ああでも、だからあんなに虫が集まってしまって。ナディアを悲しませて…」
哀れな男はふらふらと視線を彷徨わせると、やがてナディアの手を取って優しく立ち上がらせ、自らはその場に跪くと彼女のその絹に包まれた細い手を額に寄せた。
「ナディア。僕の大好きなナディア。
お願い。お願いします。チャンスを下さい。
君が笑う声が好きだ。笑うと少し上がる目尻が好きだ。
庭園を歩く君の軽やかなその妖精のような足取りが大好きだ。
熱いお茶が苦手で冷めるまでこっそり待っているのも好きだ。
落ち込んでいる友人を放っておけずに何時間も寄り添う君の優しい心が好きだ。
苦手な科目を克服するために一人で努力を重ねる君が好きだ。
怒ると黙るけど気持ちの整理をつけたら相手を理性的に言い負かすその気の強さが好きなんだ。
内緒話の時少し声が掠れるのが好きだ。ああでも、もうずっと聞いてない…
僕がどんなに冷たくしても、いつだって背筋を伸ばして凛と立つ、その気高い魂を愛してる。
君がどんなに素敵なのか、本当は誰にも教えたくないよ。
でも僕の気持ちを分かってほしいから。
たとえ魔女が許さなくても、僕に君を愛するチャンスを下さい。
愚かな僕に、君に愛を伝えるチャンスを下さい。お願いします。お願いします」
高窓から差し込む陽光がシャンデリアに当たり、グラスに反射する。そして一体どんな奇跡なのか、その光の粒が2人を包み、ナディアのアクセサリーがプリズムを作る。
侯爵家の次期当主が涙と鼻水に塗れて跪き、光輝の中で婚約者に縋り付いて愛を乞う様は、まるで静謐な祈りのようで、まるで神聖な宗教画のようで、それは情けなくも美しくも見えた。
ホールのそこここから鼻をすする音が聞こえる。
アナベラは傍に控える分家の娘にそっと何事かを耳打ちし、ひとつ頷いた娘は懐から紙とペンを取り出し、何事か一心不乱に書き付けている。
静かに自らの婚約者を見下ろしていたナディアは、ひとつ息を吐くと、そっと口を開いた。
観衆が期待を込めた視線を向け、そして――
「ご勝手になさいませ」
観衆の予想を裏切る返答に、ホールに再び困惑の声が広がる。
しかしナディアは靡かない。
視線は冷たく理性を湛える。
「私はこの1年間、卿の私に対する態度に戸惑い、失望し、諦めて過ごしてまいりました。
卿には卿のご事情があったことを理解はいたしました。
ですが、私のこれまでの日々を、今ここで全て水に流すことはできません」
哀れな男がさらに項垂れる。
「卿にはこれから、私が過ごした1年をそのまま過ごしていただきます。
まずは毎日私の教室へお越しなさいませ。私は卿が私になさったようにいたします。
昼食も休み時間もその都度私がお断りいたしますので、3ヶ月は毎日お越しなさいませ。
そのほかはこれまで通りご友人とお過ごし下さい。
4ヶ月目からは月に一度、学生主催のお茶会のお誘いの時にだけお顔をお見せ下さい。その場でお断りいたしますので。
互いの屋敷での交流は週に一度。半年を過ぎたら2週間に一度。30分から1時間未満でお開きです。
贈り物は既製品です。私は既製品のように見せるような真似はいたしません。既製品そのままです。
そして卿と街に出ることはございません。
1年間、私は男子学生とも交流いたします。街には男女の学友と参りますので。
そして学内の男子学生の皆様には、卿に親切な助言をしていただくようにご協力をいただきます」
哀れな男は話の途中から背中を丸めて青い顔をして再び涙と鼻水を垂れ流し呻いていたが、ナディアはダスティンのつむじを見つめて構わず続けた。
「そうして来年の…次は卒業祝いのパーティーとなりますが。
卿のお心がまだ私にあるということでしたら、婚約者として先に進みましょう」
ダスティンが涙に塗れて赤く充血した目を上げると、ナディアの慈悲を孕む視線とぶつかった。
あまりに哀れなその姿に――雨に濡れた子犬には餌を与えて屋根の下に入れてやるかな――くらいの情が芽生えた視線だったが。
それでもダスティンにはとっては分厚い雲を切り裂く希望の光だ。
「ありがとう、ナディア…」
ダスティンが再びナディアの手を額に擦り付けるように寄せると、ホールの奥から穏やかな旋律が聞こえてきた。
楽団が演奏を始めたのだ。
やがて徐々に軽やかな音に変化して、ホールの空気もすっかり変わったところで学園長が壇上に現れた。
丁度開会の時間だ。
気付くと2人の間には級友らによって壁が作られている。
学園長が進級を祝う長々とした挨拶を述べ、最後にウォーベック君を甘やかさないように、と付け加えると、パーティーが賑やかに始まった。
婚約者や恋人、友人とダンスに興じる者、種々の料理に舌鼓を打つ者、学友との歓談で笑い声を上げる者、静かに語り合う者。それぞれがパーティーを楽しむ。
ナディアが友人たちと輪になって語り合っていると、顔を洗ったらしいダスティンがやって来た。
先ほどの華やかなシャツとタイは涙か鼻水で汚れたのだろうか、簡素なシャツに着替えられ、その腕にはジャケットを抱えていた。
ナディアにそっと声をかけたダスティンが頭を深く下げる。
頭から水を被ったのだろうか、先ほどまで一本も乱さず撫でつけられていた金の髪がぱらぱらと落ち、シャンデリアの灯りを散らす。
そうこの男、先ほどのあまりの哀れな姿に誰もが忘れていたが、身分はもちろん何しろ見目が良いのだ。
金の髪は日の下はもちろん月明かりでも輝き、眉はその強い意志を示すようにきりりと水平を描き、瞳はサファイアの青を湛える。
輪郭は美しい曲線を描きながら同時に雄々しさを示し、すっと通った鼻梁に薄い唇は凛々しく引き結ばれている。
その容貌に引き寄せられた女性は数知れず、だからこそナディアの元には多くの親切な女子学生が日替わりで助言に訪れたのだ。
が、今その眉は情けなく垂れ下がり、瞳には涙の膜が張り、唇は弱々しく震えている。
これまで横恋慕していた女子学生たちも、先ほどからのダスティンの様子にもはや恋情も枯れ果て、同情心さえ湧いている。
「ナディア。ずっと君を傷付けていてごめん。
今まで僕は自分の事だけしか考えられていなかった。
これまで君がどんな気持ちでいたのか、僕はずっと君を見ていたのに、君の気持ちが何も見えていなかった。
本当にごめん。申し訳なかった。
赦してほしいけど、赦されなくても…仕方ない…うぅ…うぅ…
魔女の呪いには勝てないかもしれないけど…、だけどそれでも…僕の気持ちを伝えたい。
僕が君を思うことを許してほしい。
これからの僕を見てほしいんだ」
後ろで佇んでいたダスティンの友人たち数人も前に出ると、彼の謝罪に続いた。
「俺達もごめん。ダスティンが君に冷たくしながらいつも幸せそうにナディア嬢を見つめているから、何か理由があるんだと思って様子を見てたんだ。
ダスティンに止められても理由を聞き出して、ナディア嬢のフォローをするべきだった」
そう言うと、ダスティンと同じように頭を下げた。
その様子を見たナディアは目を丸くして隣の友人と目を見合わせた。
そうして。
「どうぞ頭をお上げ下さい。卿と皆様の謝罪は受け入れます。それでも終わった事は戻せません。
今日は進級のお祝いです。それぞれで楽しみましょう。
魔女の呪いというものが如何ほどか、1年後に何が起こるか楽しみにしております」
ナディアは顔を上げた彼らに道端の花に向ける時の微笑みで返すと、再び友人の輪に戻り、その日はそれ以上言葉を交わすことはなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
パーティーの数日後、ウォーベック侯爵夫妻とダスティンがエルウッド侯爵家を訪れ、エルウッド夫妻に事情を説明して頭を下げた。
先に書面での謝罪は受けていたが、ナディアは「これはマイナスからのスタートですから」と同席しなかった。
ウォーベック侯爵夫人は当主と次期当主の頭を押さえつけて応接室のローテーブルにその額を擦り付けると、傷付いた乙女心に深く共感し、またこの重大事を自身も知らなかったとはいえ長く隠していたことを詫びた
そして、事の発覚からこの訪問までの数日のうちに、今更見つからない魔女への贖罪の代わりに愚かな先祖の墓を突き止め、一族の男総出で各自持参した木の枝を手に墓石を叩きのめし、よく冷えた水を引っ掛けたことを伝えた。墓石は少し欠けたらしい。
そのウォーベック侯爵夫人が当主と次期当主を押さえつける底知れぬ笑顔に、エルウッド夫妻は謝罪を受け入れた。
しかしそこはナディアの両親である。この一言だけは忘れない。
「1年後、娘がダスティン君を受け入れられなければ、話はそこで終わりです」
それを受け入れて顔を上げた当主と次期当主の頬は赤く腫れていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうして新年度が始まると、あのパーティーでの約束通り、ダスティンは毎日ナディアの元へ通った。朝も昼も授業の合間も、下校時も。
「ナディア、おはよう!教室まで送るよ」「ナディア、昼食を一緒にどうだい」「ナディア、中庭の花が見頃だよ。一緒に見に行かないか」「ナディア、今日もお疲れ様!馬車まで送るよ」
という具合に1日に何度も接触を図るが、もちろん約束通りにすげなく追い返され、毎回背中を丸めて友人に慰められた。
その様を見た何も知らない新入生たちは、これは高位貴族の理解し難い崇高な遊びか趣味かと納得しかけたが、正しい意味で親切な上級生から事情を聞き、何も言わずに見守ることと、自らは同じ轍を踏むまいと心に決めた。
ナディアは時折遠くから――特に級友と街歩きをしている時に――ダスティンの物言いたげな視線を見つけることもあったが、ひと時目を合わせると、感情を残さず視線を滑らせた。これもまたダスティンがナディアにしてきたことだ。
そうして、まずは3ヶ月を耐え、やがて4ヶ月目に入った。
その頃から1日置きに代わる代わる「親切な学生」がダスティンの元を訪れて「ありがたい助言」を与えた。少々気まずげにではあったが。
それでもダスティンは、月に一度の茶会の誘いだけではなく、これまで通りに教室のナディアの元を日参することも止めなかった。
これにはナディアも驚いたが、宣言通り断固として受け入れなかった。
ダスティンは誰から見ても気の毒なほどに萎れながらも、それでもナディアの元を訪れることを止めなかったし、もちろん学業を疎かにすることもなかった。
周囲はというと、ダスティンがナディアの元に通い始めてそして追い返される日々が始まってしばらくすると、一時的に「可哀想だし赦してもいいのでは…」というダスティン有利な空気が流れた。
が、更に日々を重ねるうちに「えっ、エルウッド嬢はこんなに長い間無碍にされてたの?ヒド…」とナディア寄りの空気になった後に、「人の恋路でやきもきしても仕方ない」と彼らの関係をあるがまま受け入れる学生が大部分になった。
そしてダスティンは周囲の空気にも構うことなく毎日ナディアの元を訪れ、週に一度から2週間に一度になって久しい交流の茶会では、いつも両手一杯の季節の花束と小さな贈り物を手に彼女への愛を伝えた。
それはナディアがダスティンとの交流を諦める前、好きだと伝えたことのある色の小物であったり、花であったり、そもそも婚約を結ぶ前に興味があると話していた分野の本であったり。
1年間…いやもしかしたらその前から、幾重にも包んで隠してぎゅうぎゅうに閉じ込めてきた恋心を、今こそ爆発させるかのように惜しむことなく伝えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
卒業まで残すところ3ヶ月。
2人が成人してから初めて参加する、新年を祝う舞踏会の夜。
両親と普段は領地で暮らす兄夫婦はエルウッド侯爵家の馬車に。ナディアはダスティンの手を借りてウォーベック侯爵家の迎えの馬車に乗り込み、王宮へ向かう。
その日もまた、ダスティンがナディアのためだけに誂えたオーダーメイドのドレスに控えめながら存在感を主張するサファイアのアクセサリーで全身を彩られたナディアは、人知れずひとつの決意を胸に秘めていた。
一定の速度で穏やかに走る静かな車内で、窓の外を眺めるナディアに、いつものように向かいに座って1人で話し続けるダスティン。
一体いつ息継ぎをしているのか心配になるほど止めどなく、今夜のナディアがどれほど美しいか、いつものナディアがどれほど愛らしいか、毛先から爪先まで、その心から見た目の美しさまで褒め称えるダスティンが、しかしほんの一瞬その口を止めた時。
それは不意にナディアがダスティンに視線を向けた時。
ナディアのその僅かな光をも捉える紅唇が開かれた。
「ダスティン様。私はあなたを赦します」
その言葉に、ダスティンの目が徐々に徐々に、零れ落ちんばかりに大きく開かれ、唇が小さく震える。
ナディアは膝に置いた自身の手に視線を落とす。絹の手袋は車内のろうそくの灯りを受けて滑らかな艶を見せている。
「あなたに冷たくされた日々は、それはそれは辛うございました。
それでもあの頃は、私のあなたへの気持ちが級友以上には無かったので耐えられましたが――」
ダスティンがぐっと喉を鳴らすが、ナディアは構わず続ける。
「けれど、誰かの好意を無視して冷たく接する日々も、これもまた辛いのですね。
それが私を想う方からと知っていれば、尚更に」
ナディアのエメラルドの双眸がダスティンのサファイアを強く捉える。
長らく向けられなかった微笑みがダスティンを照らす。
「私、あなたにすっかり絆されてしまったみたいです」
半年を過ぎても日参することを止めず、隠すことなく愛情を示すダスティンに。
赦される約束もないのに、その愛を言葉に形にして与えるダスティンに。
「私ももう、お慕いする方が冷遇されているのは我慢なりませんわ」
ダスティンの瞳から一粒の雫が落ちる。
ナディアはそれをハンカチでそっと拭って続けた。
「私にもあなたを愛させてくださいますか」
そうして差し出された手を、大きな手の平で恭しく包み込み、跪く。
静かに止まった馬車の扉が開かれ――
―――――――――――――――――――――
これは余談ではあるが、あの進級祝いパーティーの時のナディアと跪くダスティンの姿をモデルに、後にいくつもの名画が生まれた。そしてまたその構図は後世でも愛され続けることになる。
始まりはマガーリッジ公爵家からだったとか。
また件の舞踏会でウォーベック家の馬車の扉が開かれる瞬間に居合わせた者らは、扉の向こう側の出来事をこちら側から覗く構図を好んで描かせ、ひと時の流行を作ったという。
そしてこれもまた余談だが、ウォーベックの先祖にこっぴどく振られて呪いをかけた魔女は、実はウォーベックの子孫の長い絶望に反してかなり早い時期にその呪いを解いていた。
「あんな男よりもっといい男に会えた!あんなやつ選ばなくて良かった!もうどうでもいい!」と。
魔女は自由で常識が通じなくて、好奇心旺盛で、そして彼女は特に飽きっぽかったようだ。
もっと早くにダスティンのようになりふり構わず突っ走る男が現れていれば、こんな長くまで苦しむことはなかったのだが。それができないのがウォーベックの男の性質だったということ。なのかもしれない。
よくある「訳あって本当は大好きなヒロインに冷たくするヒーロー」と「謝られたらホイホイ赦しちゃうヒロイン」や、時に「ヒロインの赦せない気持ちをひっくり返して赦させようとする周囲」に対しての、どうしても我慢できないイラッを消化(昇華)するために書きました。
周囲の「赦してやったらどうや」の空気に流されず「まずは反省しろ。話はそれからだ」の姿勢を崩さず、目には目を、歯には歯を、の精神を持つヒロインを書きました。
読み返しては書き、読み返しては書きを繰り返して書き進めながら、途中で「おいおい待て待て、謝ってへんやん!」と気付いて慌てて謝罪パートを入れました。危うく許されないままお断り放流されるところでした。
あと情けない姿を強調しようとしたらヒーローがストーカーみたいになりました。加減が難しいですね!でもこの手の訳ありヒーローってみんなストーカーみたいですよね!(偏見です)
ナディアがダスティンの涙を拭うシーンでは、ナディアが腰を上げてまた戻る描写を入れるかどうか迷いました。だっていくら馬車の中とはいえ座ったままで向かいに座る人の顔に手を持っていくの難しそうですからね。ダルシムでもないと。
でもこれを入れるとちょっと冗長になるかなーと思ったので割愛しました。
最後に、この作品を書くにあたって「許す」と「赦す」の違いを学びました。日本語だけで生きてきましたが、いくつになってもまだまだ学ぶことが多いです。




