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第七幕 そもそも役作りって何すんの?

 真優莉がソファに座っているので、俺はローテーブルを挟んで向かいの床に座り込む。


 そうやって真正面から真優莉に向き合うと、突如緊張の渦がぐるぐると巻き起こり始めた。


 勢い余って手伝うと申し出たはいいが、そういえば俺は演技の「え」の字も分からない、正真正銘の素人なのだ。


「あー・・・、で、何すればいい?」

「そうね・・・」


 真優莉も戸惑っている。


 そりゃそうだろう、素人相手にどんな練習をすればいいのか考えているのだ。


 逆に気を使わせてしまったかもしれない。


「あ、そういや俺読んだよ、『初恋』」


 空気を変えるために、原作を読んだ事を告げる事にした。


「読んだの?って、どうして私が『初恋』の舞台に出るって知っているの?」

「いや、それは綾辻社長が教えてくれたから」

「ああ、そうなの・・・」


 真優莉は台本を捲り続ける。


「・・・優生は、どう思った?」

「何が?」

「『初恋』を読んでみて、どういう感想を抱いたの?」

 

 全然面白くなかった。


 とでも言おうものならまた殴られるかもしれない。


 俺は慎重に言葉を選んで話した。


「まだ一回しか読んでないからあくまで第一印象的な感想だけど・・・、なんかよく理解できない事が多かったな、って思った」


 真優莉は台本を捲りながら俺に質問を重ねた。


「・・・そう・・・。それは、何に理解できないと思ったの?」

「いや、何にと言われると、具体的にこれ、と言うか・・・」


 俺は一生懸命、昨夜読んだ内容を思い出す。


 想像で浮かべたロシアの田舎風景、洋風の家の中、登場人物、馬。


 でもそれら全てに靄がかかったようだ。


「俺の読書のセンスがないだけだと思うけど、なんかそれぞれの行動がいちいちよく分からないんだよな」

「それは・・・例えば誰の行動が?」

「え、いや・・・それは・・・」

 

 さすがにもう限界だった。


 白状してしまおう。


「ごめん、昨夜徹夜で読んだから、正直そんなに覚えてない」

「徹夜で読んだの?!」


 突如、真優莉が台本から顔を上げて俺を見る。


「まあ、そのせいで結局あんま頭に入ってないけど・・・」

「そう・・・。でも素晴らしいわ。理解できない話を投げ出さずに徹夜してでも読み切るなんて」


 ん?


 俺、今、褒められたのかな?


 いつも嫌味しか言わない人間からの肯定的な言葉は、なんともこそばゆいものだ。


「あのさ、一個質問してもいいか?」

「え、何?」


 褒められたからなのか行動が大胆になった。


「役者って、どんな風に稽古すんの?」

 

 質問のレベルが低いかと思ったが、俺は役者でも劇場のスタッフでもないから、本番までの大体の課程は知っていても細かい部分は見た事がないのだ。


「どんな風って・・・。ざっくり言うと、本読みで演技や演出の方向性を確認して、立ち稽古で動きを付ける感じね。それから小屋入りしてからは音響や照明も付けてって・・・って流れかしら」

「へえ。じゃあ、役作りってのは音響とか照明付けるまでに完成されていればいいのか?」

「まさか、それじゃ遅すぎるわ。できれば本読みが終わる段階までには物にしていないと。演出家によっては本読みが始まるまでに掴んでないとダメって人もいるわよ」


 厳しいな。


 ・・・って、アレ?


 役作りで苦戦しているんだよな?


 もう本読み入っているなら・・・


「・・・まずくないか?」

「何が?」

「今、本読み中だろ?!役作りで苦戦してんのにこんなチンタラしてたら間に合わないじゃないか!」

「う、うるさいわね!って、何よ!苦戦してるなんて!」

 

 真優莉は顔を真っ赤にして叫んだ。


「いや、綾辻社長そう言ってたし!」

「信じらんない!本当お喋りなんだから!」

「そんな事より早く練習した方がいいだろ!」

 

 俺は慌てふためき真優莉を促すが、そういえばそもそも素人の俺相手にどうやって練習すればいいのか探っていたのだった。


 しかし真優莉は冷静に、


「あのねえ・・・別に役作りに苦戦している訳じゃないのよ。ちょっと理解できない所が一ヶ所あるだけ」

 

 と言ってのけ、


「ジナイーダの役なら入っているわ」


 そう宣言した。

 

 おお、カッコいい!


 でもそれならますます、俺が練習相手になる必要はなさそうだなあ。


 それならお役御免になる前に、聞きたい事がもう一個あったから聞いてしまおう。


「あのさあ、そもそも役作りって何すんの?」


 俺の質問に、真優莉は一瞬目線を上げ宙を見つめ、それからこう答えた。


「その人の、心の奥深くに・・・潜っていくの」

  


 ・・・は?



 抽象的過ぎてサッパリ分からん。


「いや、もう少し分かりやすく・・・」


 どうやら分かりにくい事を言ったと本人も気付いたのか、真優莉は人差し指を口許に当て考えながら、


「例えば、このキャラクターはこの時この場面で、なぜこういう事を言ったのか、なぜこういう事をしたのか、という事を考えるわね・・・」

 

 と説明し始めたのだが、俺のイメージしていたのと違う。


 てっきり仕草とか行動とかを丸ごとコピーするようなものかと思っていたのだ。


「そういう事をする場合もあるわ。ダンサーの役を演じるなら、まずはダンサーの人と同じ体の動きができなきゃいけないしね。躍るシーンがあるならなおさら本当に踊れなきゃいけないし。でもそれは私にとっては役作りの一部分でしかないわ」

「と、言いますと?」

「演じるのがダンサーと言っても、今まさに夢を追いかけている若手ダンサーと、自分の限界に直面して夢を諦めようとしているダンサーではその心境って天地ほど違うじゃない?道を歩くという動作一つとっても、前者は胸を張ってしっかりとした足取りで歩くだろうし、後者は目線を落として重い足取りで歩くかもしれない」


 なるほど。


「さらに言うなら、一口に夢を追いかける若手ダンサーと言っても、すごく我の強い性格なのと、みんなで夢を叶えよう、みたいな心持ちの協調性のある性格だとまた表現の仕方は違うわね」

「どんな風に違ってくるんだ?」

「例えばダンスアカデミーのレッスン生みんなで同じオーディションを受けたけど、自分一人が受かったとする。我の強いキャラクターなら周りの目なんて気にせず大喜びするけど、仲間みんなとプロになりたいと考える子なら複雑な反応になるでしょうね」


 確かに。


 性格や状況によって「喜ぶ」一つとっても違うのは分かる。


 受験の合格発表とかでもそういう光景は見られるな。


「じゃあ、我の強い子はオーディションに受かれば必ず喜ぶ演技をすべきなのか?」

「まさか。逆に喜ばない演技だってありえるわ」

「え、それは何で?」


 真優莉は不満そうな目で俺を見る。


「私が花絵巻の女の子達に言った事覚えてないの?オーディション一つ受かっただけでプロにはなれないのよ。志が高ければ、笑顔になるどころか闘志を燃やして怖い顔になってもおかしくないわ」


 はあー。


 奥が深い。


 それから真優莉は、これまでに自分が演じてきた数々の役を挙げ、どんな風に役作りをしてきたかを俺に話してくれた。


 その話はまるで、これまでにないジャンルの漫画かラノベの様で、俺をあっという間に魅了した。


「私の考える役作りって、つまるところその人を理解する事なの。人ってみんな、一番都合のいい自分という仮面を何枚も付けて生きているの。その幾重にも重ねて付けた仮面を一枚一枚剥がして、その人の真実を見つける。舞台演劇は、人間の理解の集合よ。」


 なるほど、そうなのか!


 役作りとはてっきり仮面を付ける事かと思っていたのだが、仮面を剥いでいく事だったとは!


「すっげえな!じゃあこの『初恋』だとどんな風に役作りしていくんだ?!」


 俺はすっかり興奮して、嫌いな真優莉相手だというのにどんどん質問を畳みかけている。


 しかし真優莉も自分の領域の事だからなのか楽しそうに答えてくれる。


 いつもつっけんどんで不機嫌なのに、今は笑顔だ。


 それほど演劇が好きなんだろう。


「そうね、主役のウラジーミル役を演じるのだとすれば、一番考えなければならないのは、なぜウラジーミル少年は父を好意的に見ていると思うのか?という所ね」


 なぜウラジーミル少年は父を好意的に見ていると思うのか!


 ・・・好意的?


「ちょっと待て、父なんて好感度高いキャラじゃないだろ」

「アンタの意見を聞いているんじゃないわよ!よく読みなさい、随所に父を慕う記述があるでしょ!」


 真優莉は俺の手から原作小説を引ったくり、捲った先のページを俺にバアン!と見せつけた。


 本当だ。


 父を愛し、父に見惚れ、とか書いてある。


「えーおかしいだろ。この少年アホなんじゃねーの」

「どうしてそうなるのよ!」

「こんなスケコマシの男をどうやったら慕えるんだよ。あ、少年も同じ穴のムジナか!将来浮気しまくるんだな!」

「そうじゃない!」

「いやそうだろ!そもそも冒頭中年男が三人で初恋の話をし合おうって時点でなんか思春期から抜け出せてないだろ!」

 

 我ながら良い深読みだと自負していたら、目の前の真優莉は頭を抱え青ざめていた。


「センスが・・・」

「え?」

「センスが絶望的にないわ!」


 なんですと!


「な、何だよセンスって!そもそも俺は役者じゃねーんだぞ!」

「それ以前の問題よ!国語力と創造力の!」


 国語かあ・・・漫画好きだから漢字は結構得意だったんだけどな。


 でも創造力って・・・


「いや、創造力ってつまり妄想の事だろお?妄想は暴走しちゃイカんのよ」


 俺のモーソー!常にボーソー!ってラップをしていたら突如、真優莉がソファに沈み込んだ。


「どうした!貧血か!」

「ええ、一気に何かが引いたわ・・・」


 明かりが眩しいのか腕で目元を隠すようにしていたが、がばっと起き上がると俺をキッと睨みつけた。


「特訓よ!優生も演技レッスンをするべきだわ!」

「え、なんで?!」

「このままじゃダメよ!仮にも役者事務所の人間が演技や役作りに関してこの体たらくだなんて事務所の恥だわ!」


 恥?!


 そこまで?!


「いや、だから俺は役者じゃないから・・・」

「役者じゃなければ何も知りませんでいいと思ってるの?!じゃあもし、あの花絵巻の連中がオーディションを前にして相談してきたらどうするのよ!台本や設定にケチ付けて終わりじゃ絶対に受からないわよ!」


 うぐっ、確かに・・・


「それに優生が演技を学ぶ事は意義があるのよ」

「意義?」

「役者でなくても演技を知っているという事は、つまり日本の演劇界の発展に繋がるのよ」


 なんと!


 俺が演技を学ぶと日本の演劇界の発展に繋がる!


 俺が日本の演劇界を発展させる!



 俺の主催した新人発掘オーディションで次々スターが生まれる。



 『オフィス小峰』に履歴書と写真を持った役者が長蛇の列を作り俺に会いたいと言ってくる。



 テレビ局のドラマ制作部が提示するギャラにウチの役者使いたければゼロが一個足りないと言う俺。



 次々舞台の招待チケットが舞い込む俺。



 ポスト・スピルバーグと言われる俺!



 役者の頂点はハリウッドではなくミスター・コミネのいるサンチャ!



 世界中の役者が世田谷区に集まる!



 そして俺の尽力により世界で最も権威のある演劇賞はコミネミー賞に・・・そんな未来が来るのか!



「どうすればいいんですか真優莉さん!誰に教えを請えば!」

「安心なさい、私が直々に教えて差し上げるわ」


 は?


「え、いや、忙しいだろうよ・・・そもそも自分の稽古・・・」

「大丈夫よ。確かに私はとっても忙しいけど、でも優生のために作ってあげる時間がないわけでもないわ」


 すげえ役者魂だな。


 まあでも人に教える事で自分にも気付きがあるとはよく言う。


 本人がもうやる気満々な顔しているから嫌だなんて言えない。

 

 全てはコミネミー賞のために!


「お願いします!」

「いいお返事だわ。じゃあまずはこの土日で台本一冊丸暗記してきてね」


 ・・・はい?


「無理に決まってんだろ!てかなんの台本をだよ!」

「この『初恋』の台本よ。大丈夫よ、二日間ひたすらセリフを暗唱すればイケるわ。私は一日で暗記できるけどね」

「お前と一緒にすんな!しかも俺台本持ってねえし!」

「大丈夫よ、綾辻社長の部屋に予備があるから・・・」


 立ち上がって社長室に向かおうとした真優莉が、そのままハムスターの様に固まった。


「ん?どうした?」

「ねえ、綾辻社長ってもう帰ったの?」


 ・・・あれ?


 俺が帰ろうとした時、確か綾辻社長にも声掛けようと思って・・・って事は・・・?


 俺と真優莉が社長室のドアをそっと開けると、そこには椅子の上でデレーンとヘソ天状態で寝ている社長の姿があった。


「綾辻社長!起きてください!」

「こんな所で寝ちゃダメです!」


 何とも気持ちよさそうな顔で寝ているが、揺さぶるとむにゃむにゃ言いながら目を覚ました。


「・・・あれ、もう練習終わったのかい?」


 俺と真優莉は二人でポカンとする。


「いやいや、二人が練習するとか話しているのが聞こえたから邪魔しちゃ悪いと思って・・・途中まで聞いていたんだけど、気付いたら寝てしまったよ」

  

 聞いてたんかい。


 ふと壁の時計を見ると九時近い。あっという間に三時間経っている。


「社長、もう帰りましょう。私達も今日はここまでにしますから。あ、『初恋』の台本の予備ってどちらですか?」

「ああ、そこの本棚の一番上の段に・・・」


 真優莉に促され立ち上がった瞬間、綾辻社長までハムスターの様に固まった。


「・・・しまった・・・」

「え?」

「やってしまった・・・」

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