第三幕 ほうじ茶か玉露か
艶やかな朱色のさくらんぼはよく冷えていて、口に入れて噛むとパリっと皮が弾け甘酸っぱい果汁と果肉が一日の疲れを吹き飛ばす。
「うんめぇー!」
宮内庁に献上されるという大粒の佐藤錦を味わいながら、しばし皇族気分を楽しむ。
「たくさん食べてくださいねえ」
ばあちゃんはにこにこした笑顔で、俺がデザートのさくらんぼにがっつく傍ら食後のほうじ茶を淹れている。
「ばあちゃん、ありがとう。おかげで明日も頑張れるよ」
「あらあら、優生君ったら。嬉しい事を」
「いや、本当だって」
本当なのだ。
今日バイトから帰って一階のばあちゃんの部屋を訪ねると、夏バテ防止にと食卓にはしゃぶしゃぶの用意がされていてばあちゃんと東山と大出が俺を待っていた。
国産豚肉と佐藤錦、ほうじ茶、優しいばあちゃんと隣人達。
ああ、癒される。
「小峰氏、件の花絵巻というユニットはこれの事か?」
大出が愛用のタブレットで検索した画面には、花絵巻のオフィシャルサイトが表示されている。
黒いバックを背に、色とりどりの柄の和服を着たメンバーの写真がトップに来る、なかなか良い写真だ。
「そう。みんな可愛いだろ?」
東山と大出は揃ってほお~と声を上げる。
「でも女優さんって大変なのねえ。心が休まらないわ」
「いや、今日のはレアケースだと思うんだけどね・・・」
食事中、たった一日でやつれて帰って来た俺を心配したばあちゃんが何があったと聞くので、かいつまんで話した。
「大出氏、ムロマチ女史も検索したまえ」
「承知した。小峰氏、どういう漢字だ?」
二人して掛けている眼鏡のフレームをくっと上に持ち上げる。
いかにもガリ勉ですと主張する分厚い眼鏡に一番上のボタンまで留めたワイシャツ。
ひと昔前に秋葉原辺りにいたオタクの様な二人だが、これでめちゃくちゃ頭が良い。
東山は特別な特訓なしで数学オリンピック金メダル、大出は六ヶ国語で学術論文を読める。
「幕府の室町に、真実、優しい、りはえーっと、草冠に利益の利」
大出はタブレットを手早く叩き、真優莉の画像を表示させる。
「うおおおおおー!美しい!!」
そう雄叫びを上げると二人は食い入る様にタブレットに顔を寄せ、画面をどんどんスクロールしていく。
「おのれ小峰氏!おぬしこんな美女と毎日二人っきりなのか!」
「二人っきりではないし、お前が想像しているような楽園じゃねえよ」
「うぬぬ、世の中不公平ではないか!」
「我ら天下の東大組が清貧なる生活を送っているのにFラン卒のフリーターが美女と一緒だなんて!」
Fランは余計だろ。
そして俺の苦労を知らないからそんな事が言えるんだ。
あの後、昼頃事務所に来た三崎さんは大の字でひっくり返っている俺を見つけ、殺人が起きたのかと思いさすがに慌てたらしい。
なんとか起き上がった俺が事細かに一部始終を話すと、そんな修羅場は初めてだと腹を抱えて笑い転げ、いいものを見逃したと心底悔しそうだった。
「あの、結構ヤバくないですかね」
「何が」
「何がって、花絵巻の子達が真優莉の追放作戦考えるとか言ってるんですよ」
「あー、ないない」
三崎さんは俺に視線を向ける事もなく、そのまま起動したパソコンのキーボードを叩き始めた。
「いや、ないないって・・・実際に追放にはならなくても、何か真優莉に分が悪くなるような事を影でするかもしれないじゃないですか」
「それで消えたら真優莉はそれまでだったってだけだろ」
「そんな冷たい事言わんでも・・・」
「いいか小峰」
三崎さんは視線をパソコンから俺に移す。
「どんなに真優莉が後輩をコキ下ろそうと、上の立場にいるのは真優莉の方だ。あいつの方が集客力もあるし金も稼いでる。現実的に考えても花絵巻が真優莉を追放させるなんて絶対に起こりゃしないんだよ」
無精ヒゲを撫でながら三崎さんはまたパソコンに視線を移した。
「それに真優莉が言っている事は百パーセント正しいぞ」
「え?」
どういう事?
「民放のドラマ決まったからってこんな所で浮かれて遊んでる場合じゃないだろ。オーディション受かったのも運が良すぎたんだろ、俺は落ちると思ってたからな」
「そうなんですか?!」
三崎さんは淹れたばかりのコーヒーを一口飲んで、椅子に深く寄りかかる。
「たりめーだろ。あんな基礎のなってない身体でよくオーディション行かせたよ」
「え、そんなにダメなんですか?真優莉も姿勢がどうとか言ってたけど・・・」
「あいつら姿勢悪ぃじゃん」
「どこが?!」
「猫背とかじゃなくて、付くべき筋肉が付いてないから正しい発声ができる姿勢になってないんだよ。今度真優莉と比べてみろ」
「え、でもみんなレッスン受けてますよね?」
「レッスン受けてるだけで、家でのトレーニングを毎日してなけりゃ意味ねーだろ」
そう言うと三崎さんは立ち上がって、キッチンの換気扇のスイッチを入れてから煙草を吸い始めた。
「そもそも後輩のくせに事務所の先輩に挨拶してないだろ」
「あ、まあ・・・」
そうなんだよな、あれはマズい。
挨拶するように促さなかった俺も悪いんだろうが、芸能界は縦社会。
一に挨拶、二に挨拶。
まあそれは一般社会でも同じだが。
「おまけにあいつらハッキリ言ってパッとしないからな」
「なんて事を!」
「お前も分かってんだろ」
三崎さんが吐き出した煙が、ゆらゆらと換気扇の方に吸い込まれていった。
俺は、花絵巻の女の子達みんな好きだ。
可愛いし明るいし、俺がバイトを始めた時から今日の様なノリで接してくれていた。
みんな仲良く一致団結して、人気ユニットを目指している。
だが。
目が肥えていない、いわばまだパンピー目線の俺から見ても、どれだけ贔屓目に見ても、花絵巻がブレイクする予感がしない。
いや、個々人はすごく良いと思う、本当にそう思う。
しかし悲しきかな。
時ちゃんは父親がゴンゾーというだけで他に興味を持たれるポイントがない。
モアちゃんはキレイだけど渋谷を歩いていても多分気付かない。
李衣ちゃんは売れない地下アイドル時代からの下積み疲れ感が漂い過ぎている。
咲ちゃんはお姉さんポジションの責を負い過ぎて、他の子がグイグイ前に出ようとするところを「どうぞどうぞ」と譲ってしまう。
宇美ちゃんはミスコンのファイナリストだったとは言ってもそれは地元の観光地を盛り上げるためのミスコンで、残念ながらそのミスコン自体はまったく盛り上がらないネームバリューのないものだ。(・・・てか宇美ちゃん、学校は?)
東山と大出の反応を見ても分かる。
花絵巻は「ほお~」で、真優莉は「うおおおおおー!!」なのだ。
俺はため息をついて、少しぬるくなったほうじ茶を啜る。
このほうじ茶は静岡の実家から送られてきたものだが、茶処静岡出身の俺は一口飲めば大体その茶のランクが分かる。
これは家で普段飲みする用の安いやつだ。
ほうじ茶に限らず、ランクの高い茶は総じて味も香りも良い。
そしてあまり多くは生産できないし手間暇かかっているから当然値段も高くなる。
茶は自分で自分のランクを決める事はできない、十把一絡げの袋売り用として育てられたらもう玉露になる事はできないのだ。
しかし人間は違う。
ルックスは真優莉レベルには勝てなくても、演技だとかは技術でカバーできるもので努力次第でどうにでもなるはずだ!
「やっぱり俺は花絵巻を応援する!」
突如叫んでしまったので、東山と大出がビクっとする。
しかしその隣で、両手で湯呑を包んでいるばあちゃんは微笑みながら
「優生君がいいと思う女の子ならきっと人気も出ますよ」
と言ってくれた。
ばあちゃんの優しい笑顔はそれだけで俺を元気にする。
そうだ、人を勇気づけるものは何も天性の美貌だけではないはずだ。
大丈夫、あの子達は売れる!
俺はそう信じてほうじ茶を飲み干した。
「ああそうだ、優生君。先週のサスペンスに狐塚さん出てましたよ」
「え、マジで?酔いどれ刑事シリーズ?」
「いいえ、船場さんの。犯人役」
舩場さんという事は、「火元はオマエだ!」が決め台詞の火災捜査官・紅蓮華郎シリーズだな。
オフィス綾辻のベテラン俳優・狐塚さんはテレビドラマでは主にサスペンスに出演していて、刑事役と犯人役と被害者役をぐるぐるローテーションしている。
稼ぎ頭の真優莉を筆頭に、オフィス綾辻には多数の役者が所属している。
ドラマや映画が主戦場の人もいるが、ほとんどの役者が舞台俳優なのは事務所の前身が劇団だったからだ。
その昔、遡る事三十年前。
演出家である綾辻社長の友人、俳優の 大濱健吾が『バリカン・トップ』という劇団を立ち上げた。
毎回役者かスタッフの誰かが舞台上でバリカンで髪を刈られるという演出がウケて、人気に火が点き下北沢の人気劇団の一つになる。
しかし昔から人気あるものはパクられる宿命にあり、今度は狐塚登一郎(サスペンスの狐塚さんね)が『モヒカン・トップ』という劇団を立ち上げ、あろう事か下北で上演を開始した。
最初は大濱達『バリカン・トップ』も自分達の二番煎じで誰かをモヒカンにする演出のこの劇団を笑っていたのだが、このパクリ連中の方が人気が出てしまった。
その理由は、なんと観客まで舞台に上げモヒカンにするという過激さにあった。
怒った大濱一派はモヒカンに宣戦布告。
深夜の下北沢でバリカンとモヒカンのメンバー、役者・スタッフ・ファンの総勢六十名が全面衝突。
それはそれは悲惨な殴り合いと髪の刈り合いで、警察が出動した時にはすでにバリカンで刈られた髪が下北の駅前を覆い尽くしていた・・・。
人はこれを、第一次バリモヒ抗争と呼ぶ。
この抗争のせいで毛がなくなった両劇団員は困り果て、そこに部外者でありながらも大濱と狐塚両方の友人であった綾辻社長が仲裁に入り、どちらも人気の劇団であるため合併する事を提案した。
和解しなければ劇場から出禁を食らう恐れがあったため、両者はしぶしぶこの案を受諾。
そして自分達の衝突と和解のいきさつのストーリーを上演するという捨て身の公演が大ヒット。
追加公演をする事三カ月、ようやく一つの劇団として再出発する事になり、劇団名をちょっとカッコ良く『シェービング・トップ』にして、以後数々の”迷作”を世に送り出した。
今日、シェービング・トップは解散しているが、この劇団出身で今も舞台やドラマで活躍するベテラン俳優は数多く、オフィス綾辻とはその役者達の所属事務所なのである。
「録画しているけど見る?」
「えー見たい。いい?」
「もちろんですよ、面白かったわ」
ばあちゃんは手を伸ばしてリモコンを取り、テレビを点けた。
「狐塚さんは事務所にはあまり来ないの?」
「そうだなあ、時々大濱さんや綾辻社長と打ち合わせするけど俺が帰ったあとが多いなあ」
「あら残念。サインが欲しいんだけどねえ」
「今度会えたら頼んでみるよ。多分くれると思う」
「まあ、嬉しい」
ばあちゃんは狐塚さんファンなのだ。
俺も狐塚さんは好きだから、ばあちゃんの気持ちが分かる。
狐塚さんはいつも、黒縁の丸い眼鏡にのび太君ヘアといった外見でお笑い路線を走る事が多いが、時々眼鏡を外して隠されたイケメンぶりを披露する。
ばあちゃんはそのギャップにメロメロで、狐塚さんの出演するサスペンスは全部録画して、リアルタイムとCM早送りで二回観るのがお決まりだ。
再生ボタンを押すと、番組が始まる。
「狐塚さんったらねえ」
俺に顔を寄せて、少女の様なあどけない嬉しそうな表情でばあちゃんは耳打ちする。
「今回、国会議事堂をドローンで放火しようとしたのよ。うっふっふっふっふ」
ほう、狐塚さんは議事堂じゃなくてばあちゃんのハートを燃やしたのか。
放火は罪が重い。