第3章 11話 最後の一手を打つまでは
通路の奥で、
赤い目が、わずかに細まった。
――減っている。
レッドキャップは、
戦場全体を一瞥する。
巣穴の内側。
ゴブリンの数は、
明らかに、先ほどより少ない。
外側。
本来なら、
とっくに崩れているはずの包囲が、
まだ、持ちこたえている。
“想定外”が、
いくつも重なっていた。
そして――
自分自身。
脇腹の傷が、
じわりと熱を持つ。
致命傷ではない。
だが、
“無視できる傷”ではない。
赤い目に、
苛立ちが滲む。
“操っていた盤面”だったはずの戦場が、
いつの間にか“読みにくい盤面”へと変わっていた。
レッドキャップは、
一度だけ、舌打ちした。
次の瞬間。
短く、鋭い合図。
巣穴のさらに奥――
“温存していた駒”が、動いた。
通路の闇が、
ぐにゃりと歪む。
現れたのは――
ホフゴブリン。
通常のゴブリンより一回り大きい体躯。
筋肉質の腕。
鈍い光を放つ鉄製の武器。
その影に、
もう一体。
壁際を這うように現れたのは、
”頭以外”が黒に変色したゴブリン。
――グリーンベレー。
索敵、潜伏、奇襲に特化した進化個体。
「……やっときたな」
「いると思ってたぜ」
シャルルが、にやっと笑う。
ジキルは、
赤い目の動きを見て、
小さく笑った。
「悪手じゃな」
「……底が、見えたわ」
グレンが、
前に出る。
「雑魚は私が引き受けます」
「二人は――」
「――あれを頼みます」
シャルルが、短く応じた。
グレンの盾が、
ゴブリンの群れを押し返す。
乱戦の中で、
あえて“数”を引き受ける。
その間に――
ジキルとシャルルが、
ホフゴブリンとグリーンベレーへ向かう。
重い一撃を繰り出すホフゴブリン。
影のように間合いを詰めるグリーンベレー。
だが――
相手が悪い。
「読みが浅ぇ」
シャルルの剣が、
ホフゴブリンの脇腹を裂く。
「気配の消し方が、雑じゃ」
ジキルの拳が、
壁際の影を撃ち抜く。
グリーンベレーが、
呻き声を上げて転がる。
レッドキャップの視線が、
僅かに揺れた。
駒が足りない。
計算が崩れていく。
その瞬間。
レッドキャップの赤い目が、
レンではなく――
ハルとルゥへ向いた。
自分が逃げるための、
“人質”にする対象。
赤い影が、
一気に距離を詰める。
「……っ!」
ハルが構える。
ルゥの体が、
びくりと強張る。
その背後――
レンが、動いた。
(……今度は)
(確実に……!)
風刃も使わない。
罠もない。
ただ――
横から、踏み込む。
剣が、
レッドキャップの脇腹を、
深く、正確に斬り裂いた。
――二度目の、
想定外。
レッドキャップの体が、
大きくよろめく。
膝が、
床に落ちる。
“戦場を操る側”が、
初めて、
明確に体勢を崩した瞬間だった。
赤い目が、
レンを睨む。
そこにあったのは、
評価でも、
嘲笑でもない。
――苛立ちと、
焦り。
レッドキャップは、
ふらつきながら後退しようとした。
だが――
足が、動かない。
ハルの魔法が、
床ごと拘束していた。
「……ここまでじゃ」
ジキルが低く、言い切る。
シャルルが、
剣を構えたまま、
吐き捨てる。
「頭を使わなくなったら」
「……お前は」
「ただのゴブリンだ」
レッドキャップは、
悔しげに歯を噛みしめ――
そのまま、
力なく崩れ落ちた。
“盤面を操る者”が、
盤上から、引きずり下ろされた瞬間だった。
レッドキャップが倒れ、
巣穴の中の“指示”が消えた。
ゴブリンたちの動きは、
目に見えて鈍る。
連携は崩れ、
無秩序に暴れるだけの存在へと変わった。
「……今だ。このまま」
「クイーンを潰すぞ」
ジキルが、短く告げる。
宙に浮かぶシリィが、
通路の奥を指さす。
『あそこよ』
『“あの痕”がついた壁の先……風の流れがある』
『奥に、空間が続いてる』
巣穴の壁にあった、
“別の痕で上書きされた傷”。
シャルルが言う。
「元凶は、退治にいきますか」
ジキルは、
無言で頷いた。
「クイーンは」
「知能はあっても」
「戦闘力は、ほとんどない」
グレンが、
周囲の闇を睨む。
「護衛も――」
「先ほどの乱戦で、ほぼ出払っているはずです」
だが――
奥から、
まだ動く影が見える。
数は多くない。
だが、
必死で、巣穴に入ろうとするのを防ぐ動き。
「……行ってください」
グレンが、
盾を構え直した。
「私が、ここを止めます」
「一人は無茶だ」
レンが叫ぶ。
グレンは、わずかに口元を歪めた。
「中は何があるかわかりません」
「ここは私一人で残ります」
盾が、
通路を塞ぐ。
ゴブリンたちが、
悲鳴を上げながら襲いかかる。
だが――
グレンは、
一歩も引かない。
「早く行ってください!」
ジキル、シャルル、レン、ハル、ルゥは、
シリィに先導されて
“不自然な傷跡”の前へと走る。
『この壁よ』
壁には入り口らしきものは見当たらなかった。
『……出入りしている以上』
『開く方法があると思うんだけど……」
シリィの言葉を聞いた、次の瞬間。
ジキルの拳が、
岩壁を真正面から叩き砕いた。
『これだから脳筋は……』
シリィは少し呆れたようにそう言う。
“隠されていた壁”が崩れ、
奥に――
湿った空気の流れる空間が露わになる。
その先には――
いくつもの空洞が連なっていた。
どれも、
数十体単位のゴブリンが
身を潜められる広さ。
別の出口に繋がっているのであろう細い脇道。
そして――
さらに奥。
そこにいたのは、
巨大な腹部を引きずる、
ゴブリンクイーンだった。
腹部の下から、
新たなゴブリンが、
ぬちゃり、と生まれ落ちる。
「……戦う力は、ほとんどない」
ジキルが、
低く言う。
「だが――」
「放置すれば、脅威そのものだ」
クイーンは、
こちらに気づき、
鈍い声を上げる。
だが、
動きは遅く、
威嚇するように
腕を振るだけだった。
「……迷っている時間はねえな」
シャルルの声が響く。
ジキルは、
大きく踏み込み、
正拳を叩き込んだ。
衝撃が、
クイーンの核を貫く。
断末魔。
巨大な体が、崩れ落ちる。
生まれかけていたゴブリンは、
動くことなく、その場で力尽きた。
残っていた護衛も、シャルルとレンの連携で、瞬時に斬り伏せられる。
レンは、
湿った床を見つめる。
この場所で、
“元凶”は、
確かに断たれた。
産卵用の巣穴が沈黙した、その瞬間。
巣穴の奥に漂っていた“圧”が、嘘のように消えた。
レンは、息を吐く。
重く、深く。
ようやく――
“終わった”という実感が、胸に落ちた。
「……戻るぞ」
シャルルが短く言う。
グレンが足止めしている通路の方へ、一行は駆け戻る。
*
通路の手前。
そこは、まだ“戦場”だった。
ゴブリンたちは、
指示役を失ったことで、
完全に統率を失っている。
数はまだいる。
だが、動きは鈍く、
連携もない。
「……終わりましたか」
グレンは、
盾にいくつもの傷を刻まれながらも、
踏みとどまっていた。
「よく耐えた」
ジキルが、低く声をかける。
ジキルが前に出る。
正面から、素手でゴブリンの頭部を打ち砕く。
シャルルが、背後から回り込み、急所を断つ。
レンは、風刃で通路の奥を削り、進路を確保した。
統率のない群れは、“強い個体に押し返される”という単純な力関係に耐えられない。
じわじわと、
だが確実に――
数を減らしていく。
「……もう、持たないな」
シャルルが呟く。
最後の一体が倒れた時、
通路は、
ようやく静けさを取り戻した。
*
一方、巣穴の外。
援軍により、
外側の戦線も、完全に押し返されつつあった。
ナナは、
後衛の魔法師たちの間を駆け回り、
魔力の枯渇しかけた者へ、
淡い光を送り続けている。
「……まだ行ける?」
「ありがとう……!」
フールーは、
側面から回り込もうとしたウルフ種を、
別の冒険者と挟み込む形で仕留めていた。
「……一体ずつなら、なんとかなる……!」
トロルはすでに倒れ、
ウルフ種も数を減らしている。
「……見えてきたな」
ベテラン冒険者が言う。
「おそらく、先発組が敵の大将を潰した」
「もう一息だ」
「いけ!」
包囲は、
今度は討伐隊の側へと、
逆転していった。
*
すべてが終わったのは、
日が高く昇り始めた頃だった。
森には、
討伐の痕が生々しく残り、
焦げた匂いと、血の匂いが混じる。
だが――
もう、“戦いの気配”はなかった。
ジキルたちは、
巣穴の外で、ゆっくりと合流する。
「……終わった、んだよな」
レンが、
ぽつりと呟く。
「終わったさ」
シャルルが、
珍しく穏やかに言った。
グレンは、盾を下ろし、深く息を吐く。
「……皆さん、
ご無事で何よりです」
ハルは、
地面に座り込みながら、笑った。
*
数日後。
冒険者ギルド。
報告を終えた後、
リディは、
書類の山から顔を上げた。
一同を見る。
「君たちがいなかったら」
「この一帯は、いずれ“手遅れ”になってた」
「知能の異常に高いレッドキャップと」
「産卵ペースが速いクイーン」
「同時に潰せたのは奇跡に近い」
リディは、
深く息を吐いた。
「……ありがとうね」
レンは、
その言葉を聞いて、
ようやく肩の力が抜けた。
リディはレンに小声で言う。
「敵の大将を倒したそうだね」
「大金星じゃないか」
そのまま視線を、
ジキルたちへ向ける。
「“強い連中の戦場”に、ちゃんと踏み込めた」
「強くなったな」
レンは、
小さく頷いた。
*
その夜。
宿の一室。
レンは、
剣を磨きながら、
今日までのことを思い返していた。
強い敵。
数で押し潰す戦場。
頭を使う敵。
(……厳しい戦いだった)
(でも……)
ハルの支援。
ルゥと精霊。
ジキルたちの背中。
それらがあったから、
今日も生きている。
レンは、
剣を鞘に納め、
小さく息を吐いた。
今日の一歩は、
確かに、“前に進んだ一歩”だった。




