第2章 14話 違和感が牙を剥く時
異様だった。
ゴブリンたちの中心に立つその存在だけが、明らかに“違って”いた。
赤黒い頭巾のような皮膚。骨と羽根を編み込んだ装飾は、儀式的でありながら歪んでいる。
何より――
動かない。
周囲が騒がしく蠢く中、そのユニーク個体だけは、まるで戦場全体を「見下ろしている」かのように静止していた。
低く、喉の奥で何かを刻むような声。
言語とも呪詛ともつかない、耳に残る響き。
「……まずい」
シャルルが、歯を噛みしめる。
その瞬間だった。
――ずしり。
「っ……!?」
全員の身体が、同時に沈んだ。
地面に引きずられるような感覚。
鎧も、武器も、空気すら重くなる。
「……スキルだ!」
シャルルが叫ぶ。
「全体にかけてきてる!」
周囲から、低い咆哮が上がる。
前列には、体格の大きなホブゴブリンが二体。
粗悪だが明確に“武”を意識した装備。
その背後を、二十体ほどのゴブリンが埋め尽くす。
――そして。
影。
物陰から、刃が走った。
「――っ!!」
シャルルが、反射的に身体を捻る。
だが、重さが一瞬遅れた。
刃が、脇腹を裂く。
致命には届かない――が、確実にヴェールを削られた。
「シャルル!」
ハルが叫ぶ。
「大丈夫だ!」
声は荒い。
「……グリーンベレーだ。進化個体が、潜んでる」
ハルは警戒しながらシャルルのヴェールを回復させる。
物陰に、緑が揺れる。
獲物を待つ、熟練の動き。
「ハル!」
レンが、即座に叫ぶ。
「頼む、ブレイブを!」
一瞬の迷いもなく、ハルが頷く。
「――《ブレイブ》!」
光が、レンを包む。
重さを押し返すように、身体が前へ出る。
「うおおっ!」
一体。
ゴブリンの首を、確かに断ち切る。
――だが。
二体目。
剣が、途中で止まる。
「くっ……!」
重さが、まだ残っている。
その時。
「――遅れた!」
轟く声。
ジキルとグレンが、戦線に躍り出た。
「ユニークがいる!」
シャルルが、叫ぶ。
「あいつはスキルを使う! 気をつけろ!」
一気に流れが変わった。
グレンの盾が前に出て、ホブゴブリンの一体を受け止める。
ジキルの魔力が弾け、もう一体を吹き飛ばす。
「今だ!」
シャルルの合図。
ホブゴブリン、一体撃破。
一瞬、希望が見えた――
だが。
ユニーク個体の頭が、はっきりとジキルを向いた。
敵意。
明確な、脅威認識。
再び、影が動く。
グリーンベレーの刃――
だが、今回は。
「通さん!」
グレンの盾が、火花を散らして受け止めた。
その隙。
ユニーク個体が、杖を強く地面に突く。
空気が、歪む。
「――じじい!」
シャルルの叫び。
重さが、さらに増す。
加えて――
足が、動かない。
腕が、封じられる。
「……くっ!」
ジキルが歯を食いしばる。
ユニーク個体の全身が、軋むように震えていた。
――力を、このスキルに注ぎ込んでいる。
その間にも、ゴブリンは増える。
グレンが前を塞ぎ、
ハルとレンが必死に応戦する。
「ナナ!」
フーリーが叫ぶ。
「分かってる!」
ナナは、ルゥの肩に手を置いた。
「私の魔力を、移動する!」
流れ込む、温かい力。
「……ありがとう」
ルゥは、その魔力を――
迷わず、シリィへ送った。
淡い光が、わずかに強まる。
『……足りる』
かすかな声。
シリィが、最後の力を集める。
――風が、逆流した。
『精霊魔法――』
坑道の空気が、一斉に震える。
『《ストームブレス》』
次の瞬間、
暴風が、解き放たれた。
渦を巻く風が、ゴブリンたちを叩きつける。
悲鳴と共に、数体が宙を舞い、壁や地面に激突した。
――だが。
「……っ!」
ユニーク個体の前に、ホブゴブリンが踏み出していた。
盾のように、身を差し出す。
嵐を真正面から受け、装甲が軋み、肉が裂ける。
それでも――倒れない。
暴風が収まった時。
床には倒れ伏すゴブリンの死体が転がっていたが、
中心のユニーク個体は、無傷だった。
ホブゴブリンが、傷つきながらも立ちはだかっている。
「……防がれたか」
レンが、悔しそうに呟く。
その瞬間。
弓弦が鳴った。
「――じじい!!」
グリーンベレー。
物陰から放たれた、一直線の矢。
だが。
「させるか!」
グレンの盾が、即座に割り込む。
金属音。
矢は弾かれ、火花を散らして床に落ちた。
「チッ……!」
その隙を――見逃さない。
「今だ、レンいくぞ!」
シャルルが叫ぶ。
重さを引きずりながらも、二人が同時に踏み込む。
狙いは
――弱ったホブゴブリン。
「はああっ!!」
レンの剣が、装甲の隙間に突き刺さる。
シャルルの一撃が、追い打ちをかける。
骨が砕ける音。
ホブゴブリンは、ついに崩れ落ちた。
一体、撃破。
だが。
ユニーク個体が、ゆっくりと杖を持ち上げる。
喉の奥で、低い音が鳴った。
言葉だ。
短く、命令だけを刻む声。
周囲のゴブリンたちが、一斉に反応する。
「……まさか」
シャルルの顔色が変わる。
奥の部屋から――
重い足音。
どん。
どん。
坑道が、揺れる。
姿を現したのは、
天井すれすれの巨体。
鈍重な動き。
だが、筋肉の塊のような腕。
「……トロル、だと?」
二体。
唸り声を上げながら、前に出てくる。
シャルルが、信じられないものを見るように呟いた。
「……ゴブリンに、飼われたトロル……?」
本来なら、ゴブリンに従うことなどない存在。
それを――
指示で動かしている。
戦場の空気が、さらに重く沈む。
倒した。
だが、増えた。
一進一退。
いや――
わずかに、敵の方へ傾き始めていた。
「……ふん」
ジキルが、低く息を吐いた。
全身にまとわりつくような重さの中で、足を踏みしめる。
「重いのは変わらんが――」
口角が、わずかに上がる。
「……慣れてきたわ」
「来ます」
グレンが、盾を構え直す。
トロルの巨体が、唸り声と共に突進してきた。
愚鈍だが、質量そのものが凶器だ。
「グレン、わしにかまうな!」
「はい!」
ジキルが、真正面から受け止める。
踏み込み、拳を叩き込む。
衝撃が坑道を震わせる。
*
その少し離れた場所。
――いた。
シャルルは、壁際の闇が“動いた”のを見逃さなかった。
「……そこか」
次の瞬間、矢が飛ぶ。
だが、もう遅い。
刃が閃き、グリーンベレーの位置を抉る。
姿を現した緑の影が、低く唸った。
「お前は、俺が相手だ」
二人の戦いが、坑道の端で静かに始まった。
*
「……もう一度、行く」
ナナが、震える手でルゥの背に触れた。
残る魔力を、絞り出す。
「……お願い」
光が、ルゥへ流れ込む。
次の瞬間――
ナナは、その場に崩れ落ちた。
「ナナ!」
ハルが叫ぶ。
だが、その声をかき消すように――
「――おおおっ!!」
フーリーが、駆けた。
一直線。
ユニーク個体へ。
邪魔をするようにゴブリンが割り込もうとした、その時。
「《光縛》!」
ハルの魔法が放たれ、光の鎖がゴブリンを絡め取る。
「そのまま!」
フーリーの一撃が、ユニーク個体を捉える。
完全ではなかった。
ユニーク個体が何かを唱えると、
空間に衝撃が走り、フーリーの身体が弾き飛ばされ、激しく壁に叩きつけられる。
「ぐっ……!」
「フーリー!」
ルゥの声。
だが――確かな隙できる。
その一瞬を――
「逃がさない!」
レンが踏み込んだ。
「《風刃》!」
鋭い風が、ユニーク個体をわずかに切り裂く。
体勢が、崩れる。
――今。
淡い光が、再び息を吹き返す。
『……いける』
シリィの声。
「《ストームブレス》!」
先ほどよりも弱い。
だが、十分だった。
風が、ユニーク個体を包み込む。
同時に――
ジキルの身体を縛っていた力が、霧散した。
「……解けたか!」
「今です!」
グレンとジキルが、同時に動く。
盾が、トロルを押し返す。
拳が、骨を砕く。
二体。
立て続けに、崩れ落ちた。
*
ユニーク個体が、後退する。
何かを唱える――
「させない!」
レンの風刃が、先に走った。
ユニーク個体の足に当たり、体勢を崩した。
「――今だ!」
グレンの一撃が、正面から叩き込まれ――
「終いじゃ!」
ジキルの拳が、深く沈む。
ユニーク個体は、声もなく崩れ落ちた。
*
「こちらも終わったぜ」
シャルルが戻ってくる。
汗を拭いながら、短く告げた。
「グリーンベレーは、倒した」
片手には大きめの魔石を手にしている。
「フーリー!」
ルゥの叫び声。
「まずいな」
シャルルが言う。
「……ヴェールが切れておる」
ジキルがフーリーに向けて、そう言った。




