第2章 10話 ケットシーの依頼
翌朝。
冒険者ギルドの扉を開けた瞬間、レンは違和感を覚えた。
――騒がしい。
普段の喧騒とは違う。
切迫した声が、受付付近で鋭くぶつかり合っている。
「だから、お願いします!」
「昨日の夜からなんです!」
声の主は、ケットシーだった。
受付の前に立つのは2人の猫の獣人。
一番前で声を上げているのは、そのうち小柄な方だった。
灰色の毛並みで、目元は赤く腫れている。
声からすると雌、いや女性のように思える。
泣きはらしたのが、一目で分かった。
その後ろにいた、もう片方が少しだけ低い声で言う。
「一番下の妹が……」
尻尾は落ち着きなく揺れている。
小柄なケットシーが、必死に言葉を絞り出す。
「戻ってこないんです!」
「夜になっても帰らないなんて、あの子らしくない!」
もう一人も、声を荒げる。
「森に入る理由もなかった!」
受付の女性は、困ったように首を振る。
「事情は分かりますが……」
「緊急依頼として出すには、情報が足りません」
「それに、提示されている報酬額では……」
言葉は柔らかいが、内容は冷酷だった。
「そんな……」
二匹ケットシーが、唇を震わせる。
「全財産なんです」
「それ以上のお金なんて、出せない……」
レンは、胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じていた。
ハルも、じっと二人のケットシーを見つめている。
「……ねえ」
小さな声で、ハルがレンに囁いた。
「放っておけないよね」
レンは、迷わず頷いた。
「うん」
「どうにか……できないのかな」
昨日聞いた話が、嫌でも脳裏をよぎる。
ゴブリン。
攫う。
増やす。
レンは、思わず口にしていた。
「ゴブリンに、さらわれた可能性は……?」
ケットシーは、レンの方を振り返る。
「断定はできない」
少し大きいケットシーが、低く言う。
「でも、森の方角に行った形跡がある」
「……嫌な予感しかしないんです」
小柄なケットシーの声は、震えていた。
「だったら!」
「俺たちだけで行く!」
周囲の冒険者が、顔をしかめる。
「ケットシーだけでか?」
「行くって、ゴブリンの巣穴にか?」
「無謀だ」
「死にに行くようなもんだぞ」
「分かってる!」
「でも……妹なんだ!」
その様子を、シャルルは腕を組んで見ていた。
そして、はっきりと言う。
「……よくある話だ」
レンが、思わず彼を見る。
「金がない」
「情報もない」
「それでも、大事な人が消えた」
突き放すような口調。
「だがな」
「冒険者は慈善事業じゃない」
「感情だけで動けば」
「命が、いくつあっても足りない」
「……それでも!」
ハルが、耐えきれずに声を上げる。
「何もしなかったら……!」
ジキルが、静かに言葉を継いだ。
「気持ちは分かる」
「じゃが、無策で突っ込めば」
「救えるものも、救えん」
二匹のケットシーは、悔しそうに唇を噛みしめる。
「……それでも」
雌のケットシーは、目を逸らさない。
「私たちは、行きます」
その時だった。
「一つ、提案があります」
落ち着いた声。
グレンだった。
「知識としてですが」
「ケットシーは、精霊と契約している者が多い種族です」
ジキルが、すぐに反応した。
「……なるほど」
「レンのスキル……」
「精霊契約を報酬に、ということか?」
レンの胸が、跳ねた。
《精霊契約》。
雌のケットシーは、首を振る。
「私たち二人は……契約していません」
「でも……」
一瞬、言葉を詰まらせてから、続けた。
「攫われた妹は」
「精霊と、契約しています」
空気が、はっきりと変わった。
「もし」
グレンが、静かに言う。
「彼女を無事に救い出せたなら」
「その精霊を通じて」
「他の精霊を紹介してもらえる可能性がある」
ハルが、レンを見る。
レンも、強く頷いた。
「……それなら」
ジキルが、ゆっくりと言う。
「金以上の価値がある」
「精霊との契約はよほどの幸運が必要……」
シャルルも肩をすくめる。
「賭けてみる価値はあるな」
「……必ず紹介ができるという確約はできませんが」
「私たちも一緒にお願いはしてみます」
「……妹を助けてください……」
小柄なケットシーの声が、かすかに震える。
レンは、一歩前に出た。
「はい」
「力になりたいです」
「ありがとう……ございます」
「私はナナ」
「こちらは兄のフーリー」
「妹の名前は……ルゥ」
ハルも、隣に並ぶ。
「一緒に、探しましょう」
「では、せめてこちらの依頼を」
受付の女性が一枚の紙を提示する
――《ゴブリン巣穴の調査》
――受注制限:1パーティ単位
――ランク:E
――証明:ギルドによる聞き取り
――達成数: 0
――報酬:1銀 → 2銀
「ほんの少しだけですが、報酬を上乗せしておきます」
ジキルが、場を締める。
「では決まりじゃ」
「情報を集める」
*
――暗い。
湿った土の匂い。
腐った肉と、獣の体臭が混じる、息苦しい空間。
ルゥは、巣穴の奥、崩れかけた岩陰に身を潜めていた。
膝を抱え、耳を澄ます。
(……まだ、探してる)
遠くで、ゴブリンの足音が重なった。
低く、苛立った唸り声。
一度、捕まった。
逃げ場を塞がれ、囲まれて――
その記憶を、必死に振り払う。
ルゥは、そっと肩の上に視線を向けた。
淡い光。
小さく揺らめく、精霊の姿。
「……シリィ」
『なに』
素っ気ない返事。
けれど、その光は、いつもより少し弱い。
輪郭も、ぼんやりしている。
「……無理、してない?」
その問いに、シリィは一瞬だけ黙った。
『別に』
『これくらい、普通よ』
いつも通りの強がった声。
でも――
ルゥは知っている。
精霊は、本来、契約者の魔力で顕現する存在だ。
自分の魔力が尽きかけている今、
こうして一緒にいられること自体が、おかしい。
「……私の魔力」
「ほとんど、残ってないよね」
『…………』
否定は、返ってこなかった。
ルゥは、胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。
「じゃあ、今……」
「シリィの、魔力で……」
『ち、違うし』
少し強めの声。
『ただの、気まぐれ』
『放っておく方が、気分悪いだけ』
そう言いながら、光がふっと揺れる。
それを見て、ルゥは確信した。
(……しんどいんだ)
自分のせいだ。
逃げるために、あんな無茶をさせた。
「……ごめんね」
小さく、囁く。
『謝らないで』
即座に返ってきた。
『ルゥが生きてるなら』
『それで、いい』
ぶっきらぼうなのに、声は優しい。
巣穴の奥で、また足音が近づく。
土を踏みしめる、嫌な音。
ルゥの喉が、ひくりと鳴った。
「……シリィ」
「もし、私が見つかったら……」
『見つからない』
言い切りだった。
『それに』
『あなただけ、置いていく気なんてないから』
光が、そっとルゥの頬に触れる。
温かい――けれど、どこか儚い。
(……時間、あんまりない)
(……でも)
「……きっと」
「探しに、来てくれる」
『……当然でしょ』
少しだけ、誇らしげな声。
巣穴の闇の中で、
精霊の小さな光は――
限界まで削られながらも、消えずに、寄り添っていた。




