第2章 5話 交易都市セルトゥール
酒場を出る頃には、外はすっかり夜気に包まれていた。
街路灯の淡い光が、石畳を濡れたように照らしている。
「ところで、グレンさんは」
歩きながら、レンが尋ねた。
「今夜は、どこに泊まる予定だったんですか?」
グレンは少しだけ歩調を緩めた。
「町の東にある孤児院です」
「知り合いがいまして」
ハルが、驚いたように目を瞬かせる。
「孤児院、ですか?」
「ええ」
頷く。
「この街には、何度か来ています」
「そのたびに」
「裏手にある小さな小屋を、休み場所として借りているのです」
「小屋?」
「ええ、そうです」
「もう」
「今夜、寄ることは伝えてあります」
「ですので、明日の朝、改めて合流を」
「そうだな」
少し顔に赤みが差したシャルルが言う。
「今日は、宿に戻ろう」
「いろいろあった」
ジキルも同意する。
「明日からが本番じゃ」
「今夜は、ゆっくり休むがよい」
グレンは頷いた。
「では、明日の朝に」
*
翌朝。
宿の窓から差し込む光は柔らかく、町はすでに活動を始めていた。
宿屋の前でグレンと合流し、大通りに出ると、活気ある声が飛び交っていた。
「とりあえず」
シャルルが切り出す。
「レンに街を案内しよう」
「あ、うん。ありがとう」
「ハルは来たことがあるの?」
「うん、私は何度も」
「大きな街の中で、一番近いから」
通りの両脇には、所狭しと店が並んでいる。
食料品を扱う露店、革製品や道具を並べた商家、
冒険者向けの武具店に、薬草の香りを漂わせる薬屋。
どの店も早朝から扉を開け、客を迎え入れていた。
「……すごいな」
レンは思わず、声を漏らす。
人の数も、音の重なり方も、世界そのものが違う。
「ここは何という街なんですか?」
「ここは“交易都市セルトゥール”じゃ」
「“村”と同じ、ガナという国に属しておる」
「えーと、フェレル諸国連合でしたっけ……」
その疑問を、ジキルがすぐに拾う。
「フェレル諸国連合は4つの国で成り立っておる」
「ガナ、ルディア、バルグラッド、セレスタじゃな」
「へぇ」
「フェレル諸国連合のガナという国、その国の都市ということよ」
ハルが補足した。
「セルトゥールは複数の街道が交わる場所でな」
「人も物も、自然と集まる」
「ガナで一番大きな街じゃよ」
「ガナの首都より大きいぜ」
シャルルが付け加えた。
その言葉どおり、周囲を見渡せば種族は実にさまざまだった。
果物屋の前では、尻尾のふさふさしたケットシーが、
器用な手つきで籠を運んでいる。
猫の耳がぴくりと動くたび、鈴が小さく鳴った。
「新鮮だよー!」
「朝採れだよー!」
その向かいでは、背の低いコボルトたちが、
革製品の露店を広げている。
犬に似た顔立ちに、働き者らしい引き締まった体。
仲間同士で短い鳴き声のような言葉を交わしながら、客を呼び込んでいた。
誰も、特別に見咎める様子はない。
この町では、違いは日常だった。
ただ、そんな中でも、グレンは、少し後ろを歩いていた。
今日も兜を深く被り、外套で体格を隠している。
「この町は」
レンが、周囲を見渡して言う。
「いろんな種族が、自然に暮らしているんですね」
「ええ、私も、気に入ってます」
グレンが答えた。
町を一通り歩き、昼前の喧騒が少し落ち着いた頃だった。
「さて」
シャルルが、首の後ろに手を回しながら言う。
「そろそろ行こうか」
ジキルが、頷く。
「うむ」
「修行を兼ねるなら」
「そろそろ、あの場所に行かなければの」
レンが、二人を見る。
「あの場所?」
「冒険者ギルドじゃ」
ジキルが、あっさり言った。
その言葉を聞いた瞬間。
レンの表情が、わずかに変わる。
「……冒険者ギルド?」
シャルルが、にっと笑う。
「そうだ」
「依頼を受けて、実戦を積む」
「今のお前らには、ちょうどいい」
「身分を隠したままでも」
ジキルが続ける。
「登録は可能じゃ」
「勇者や巫女と名乗る必要もない」
「ただの冒険者として、腕を磨ける」
レンは、一瞬だけ言葉を失った。
そして――
「……いいですね」
思わず、声が弾む。
自分でも驚くほど、素直な反応だった。
レンは、慌てて咳払いをする。
「いや、その」
「修行になるなら、って意味で」
シャルルが、肩を揺らして笑う。
「顔に出てるぞ」
「いや、なんというか」
「ちょっとだけ憧れというか」
レンは、少し照れたように続ける。
「依頼とか、ランクとか」
「そういうの……」
「実際に経験するんだなって」
ハルが、くすりと笑った。
「楽しそう」
グレンも、静かに頷く。
「この町のギルドは、管理も行き届いています」
「腕試しには、適切でしょう」
「決まりじゃな」
「まずは、冒険者登録じゃ」
冒険者ギルドは、大通りから一本入った場所にあった。
石造りの建物は頑丈で、入口の上には剣と盾を組み合わせた紋章が掲げられている。
中に入った瞬間、空気が変わる。
依頼掲示板に張られた紙。
武器の触れ合う音。
冒険者たちの低い声。
レンは、無意識に周囲を見回していた。
「……本当に、冒険者ばっかりだ」
「当たり前じゃ」
シャルルが笑う。
「ここは、そういう場所だ」
レンは、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
「受付に行きましょう」
ハルの声に、レンははっとして頷いた。
「ああ」
「行こう」
冒険者ギルドの扉の向こうには、
彼らにとっての“修行”と、
新しい日常が、静かに待っていた。




