第2章 2話 オーク
森を抜けた先で、街道はなだらかに続いていた。
舗装は甘く、ところどころに車輪の跡が深く残っている。
近くに町がある証だった。
「この道をまっすぐ行けば、昼前には着くはずだ」
シャルルが、あまり見ていなかった地図を畳みながら言う。
「まずは、あそこで情報を集める」
「元の世界に帰る方法も、だな」
レンが頷こうとした、その時だった。
風に混じって、金属がぶつかる音が聞こえた。
続いて、何かの唸り声と悲鳴。
「……争ってる?」
ハルが足を止める。
街道の先、緩やかなカーブの先に、馬車が一台見えた。
ただ、荷台を囲んでいたであろう魔物たちは、ほとんどが、すでに地面に転がっている。
そして、その中央に立っていたのは――
ひときわ大きな獣人だった。
全身を覆うフルプレートアーマー。
少し離れた地面に、大きな兜が落ちている。
戦闘の最中に外れたのだろうか。
露わになっているのは、猪の顔。
大きな牙と、厚い毛並み。
「……オークか」
シャルルが低く呟いた。
以前にジキルから聞いた。
オークは人族に属する種族。
だが、見た目だけで魔物寄りとされ、警戒と差別を向けられやすい存在だと。
商隊の者たちは、助けられたにもかかわらず、
馬車の陰に身を寄せ、怯えた視線を向けていた。
オークは、大剣を静かに地面へ下ろす。
呼吸は整っている。
「もう大丈夫です」
低く、落ち着いた声だった。
「彼らは退きました」
商人の一人が、恐る恐る顔を出す。
「……あ、あの」
「助けてもらったのは、感謝しますが……」
一歩、距離を取る。
拒絶ではない。
だが、線ははっきりと引かれている。
オークは、その反応を理解したように、わずかに視線を落とした。
「……失礼しました」
「驚かせるつもりは、ありませんでした」
深く、丁寧に頭を下げ、足もとの兜を拾い上げた。
「私は、グレンと申します」
「見ての通り……オークです」
その名乗りに、商隊の空気が張りつめる。
そのタイミングで、ジキルが一歩前に出た。
「一歩遅かったようじゃの」
「ワシはジキル」
「こちらは同行者だ」
「とはいえ……」
ジキルは周りにあるモンスターの死骸を見渡す。
「加勢するつもりでしたが……グレン殿と言ったか」
「見事な手並みじゃな」
「グレンで結構です……」
グレンの視線が、ジキルに向いた。
一瞬、目を見開き――
そして、息を呑む。
「……もしや」
「あなたは」
「“英雄ジキル”では?」
シャルルが鼻で笑う。
「有名人だな」
ジキルは、わずかに眉を上げた。
「ほう」
「ワシの顔を知っとるオークは、久しいのう」
グレンは、すぐに背筋を正した。
「存じております」
「悪魔との防衛戦争で」
「幾度も戦線を支えた剣」
「……父から、そう何度も話を聞かされました」
その言葉に、ジキルの目が細まる。
「父、か」
「……もしや」
「ハートランドの――」
「……!」
グレンが、ほんの一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……お忘れください」
静かだが、はっきりとした声だった。
「今は、ただの旅の途中の者です」
ジキルは、それ以上は踏み込まなかった。
だが、どこか懐かしむように素振りを見せた。
少しの間が空いて、グレンがわずかに苦笑する。
「なるほど」
「あなたがいらしたのなら」
「私が手を出すまでも、ありませんでしたね」
完全な謙遜だった。
そこへ、商隊の長らしき男が、意を決したように前へ出る。
「……ええと」
「もし、よろしければ」
視線は、グレンを避け、ジキルに向けられている。
「あなた方に」
「この先の町まで、同行させていただけませんか」
露骨だった。
シャルルが何か言おうとしたのを、ハルが制止する。
グレンは、何も言わない。
ただ、表情を変えずに受け止めている。
ジキルは、短く鼻を鳴らした。
「ワシらは護衛ではない」
「だが」
一拍置く。
「今の戦闘で、モンスターが集まる可能性がある」
「街道が危険なのは事実じゃ」
そして、グレンを見る。
「グレンよ」
「目的地は?」
「この先の町です。用がございまして」
「なら」
ジキルは、自然に言った。
「一緒に来てくれんかの」
グレンが、わずかに目を見開く。
「……よろしいのですか」
「こちらがお願いしとる立場じゃ」
「強い者は、多い方がいい」
レンは、そのやり取りを聞いてから、一歩前に出た。
「レンです」
視線は、猪の顔をまったく気にしていない。
「助けてくれて、ありがとう」
グレンは、一瞬だけ言葉を失い、
それから、穏やかに頷いた。
「こちらこそ」
「レン殿」
「ハルと申します」
「シャルルだ。よろしく」
「ハル殿、シャルル殿。よろしく頼む」
こうして、街へ向かう道に、新たな同行者が加わった。
この出会いが彼らの旅に、静かだが確かな厚みを加えたことを、
まだ誰も意識していなかった。




