第1章 18話 帝国の選択
夜が、完全に森を覆っていた。
集会所を出たあと、シャルルは一人、砦の外れに立っていた。
見張り台の影に身を寄せ、短く息を吐く。
「……ったく」
吐き捨てるように呟いてから、ジキルのいる小屋へ向かった。
扉を叩くまでもなく、中から声がする。
「シャルルか」
ランプの灯りの下、ジキルは椅子に腰かけ、すでに茶を淹れていた。
「何かあったんだな」
問いではなかった。
シャルルは、短く頷く。
「……ああ」
一瞬、言葉に詰まる。
「契約した」
「正式に」
「勇者と、巫女として」
ジキルは、目を閉じた。
深く、深く、息を吐く。
「そうか」
それだけだった。
「止められなかった」
シャルルの声が、低く震える。
「分かってる」
「覚悟があるのも」
「逃げ場がないのも」
「それでも……」
拳を握る。
「無関係のレンに背負わせてしまったか……」
ジキルは、ゆっくりと目を開いた。
「ワシやシャルルに契約の資格があればの」
「種族と年齢……」
シャルルは、静かに言った。
「次はワシの番じゃな」
ジキルは立ち上がり、外套を手に取る。
「騎士団に、伝える」
「……危ねぇぞ」
「分かっとる」
振り返らずに言った。
「だが」
「隠し続ける理由は、もうない」
*
夜明け前。
ジキルとシャルルの小屋から少し離れた場所の騎士団の仮設拠点に、予定外の来訪者があった。
見張りの騎士が緊張した声を上げる。
「サイード様っ……!」
拠点の空気がわずかにざわついた。
通された応接用の天幕で、ジキルは背筋を伸ばして立っていた。
鎧は着ていない。
武器も帯びていない。
だが、その佇まいだけで、場の空気を支配している。
「そちらから出向いていただけるとは」
副長サイードが現れ、薄く笑う。
「やっと案内する気になりましたか?」
「報告があって来た」
ジキルは前置きなく言った。
「神託の巫女は」
「すでに勇者と契約した」
一瞬。
サイードの笑みが止まった。
「……それは」
視線を細める。
「事実ですか?」
「事実じゃ」
「教会は?」
「関与しておらん」
「国は?」
「どこにも属しておらん」
天幕の中が、静まり返る。
サイードは、指で机を軽く叩いた。
「ばかな。信じられませんね」
ジキルは、ゆっくりと懐に手を入れた。
「なら」
「これを見ろ」
そう言って、机の上に置いた。
――淡く脈打つ、石。
夜明け前の薄暗い天幕の中でも、はっきりと分かるほどの光を放っていた。
サイードの視線が、釘付けになる。
「……これは」
「契約に使った石じゃ」
ジキルは、低く言う。
「巫女の魔力と」
「勇者の魂が」
「同時に刻まれた石じゃ」
サイードは、ゆっくりと近づく。
手を伸ばしかけて、部下に指示を出した。
「解析できるものを呼べ」
*
ローブを着た初老の男がサイードに報告する。
「間違いありませんな……」
「現存する4人の巫女の魔力、そのどれとも一致しない魔力で」
「勇者契約が結ばれた痕跡がございます」
「――っ」
サイードは一瞬、目を閉じる。
紛れもない、契約の痕跡。
「……くそ」
吐き捨てるように言う。
「本物、か」
苛立ちを隠そうともせず、机を拳で軽く叩いた。
しばらくの間、沈黙が続いた。
「……なるほどな」
低く、吐き捨てるような声。
「“未契約の巫女”じゃなくなった、か」
視線を上げ、ジキルを見る。
「つまり」
「教会にとっても」
「国にとっても」
一拍置く。
「――価値が、なくなった」
言い切りだった。
ジキルは否定しない。
サイードは、舌の上でその言葉を転がすように、ゆっくりと続ける。
「奪う理由も」
「利用する価値も」
「……全部、消えた」
机に背を預け、天幕の天井を見上げる。
「笑えるな」
「契約した瞬間に」
「“特別な存在”になったはずなのに」
口元が、歪む。
「同時に」
「“道具としては使えなくなった”」
小さく、息を吐いた。
その時、控えていた副官が一歩踏み出した。
若いが、現実をよく知っている目をしている。
「……副長」
サイードが視線だけで続きを促す。
「一つ、良いでしょうか」
副官は、慎重に言葉を選びながら続けた。
「その勇者と巫女をこちらで確保し」
「帝国の“勇者”として扱う、というのは」
「軍事的抑止力でも、象徴としてでも利用する価値はあるのではないでしょうか」
一瞬、ジキルの空気が張り詰める。
「却下だ」
「意味が違う」
副官が、怪訝そうに眉を寄せる。
「……と言いますと」
サイードは、ゆっくりと立ち上がり、天幕の外――帝国軍の紋章がはためく方向を見る。
「“帝国が勇者を誕生させた”のと」
「“帝国がどこかで勇者を見つけてきた”のとではな」
低い声で、言い切る。
「意味が、いや価値が、まるで違う」
副官は、息を呑んだ。
「前者なら」
「神の加護は帝国にある」
「信仰は帝国に集まる」
「寄進も、免罪符も、巡礼も」
「全部、金になる」
指を一本立てる。
「だが後者はどうだ」
「“ただの拾い物”だ」
「神が帝国を選んだわけでもない」
「帝国が導いたわけでもない」
苛立ちが、声に滲む。
「そんな勇者を掲げたところで」
「民衆は帝国に熱狂しない」
副官が、慎重に問う。
「……勇者という事実だけでは、足りないと」
「足りるわけがない」
サイードは、苛立ちを隠さずに吐き捨てる。
「物語がない」
「神話にならん」
「“帝国が選ばれた”という一番大切な筋書きが欠けている」
そして、決定的な一言。
「それでは」
「金も、信仰も、集まらん」
天幕の中が、静まり返る。
「未契約の巫女なら、使い道があった」
皮肉混じりに続ける。
「儀式の主役にもできる」
「勇者選定という茶番も打てる」
「だが、すでに契約済みだ」
「演出もできない」
「利用価値がない」
副官は、静かに理解した。
「……つまり」
「そうだ」
サイードは、背もたれに体を預ける。
「リスクに対して」
「旨味が少なすぎる」
そして、疲れたように付け足す。
「勇者とはな」
「“存在”よりも」
「“誰が生み出したか”の方が重要なんだ」
副官は、ゆっくりと頭を下げた。
「……理解しました」
「ならいい」
サイードは手を振る。
「この件は終わりだ」
「追うな」
「触るな」
「拾い物に、国の名を刻むな」
「……オーネスト殿、やってくれましたね」
「本家にも、必ず報告いたしましょう」
「……好きにせえ」
天幕の布が揺れ、ジキルが去る。
一人残されたサイードは、小さく舌打ちした。
「……皮肉なものだな」
「本物の勇者ほど」
「商売にならん」
それは、苛立ちと本音が混じった独り言だった。




