ティアの大事なもの2
「そう、そうね。きっと楽しいと思うわ。だけど、」
曇った顔をしてしまったのだろう、ブルーノの大きな手が頭を撫でた。
その手は昔も今もずっと変わらず温かくて、優しい彼への憧れはずっとなくならない。
「ああ、ごめんよ。何も無理に誘ってるわけじゃなくて。そういう選択肢もあるよってこと。自分が決めないといけないことだからねえ、こういうことは。後悔はしないように」
相棒だった頃のブルーノも、大事なことは自分に決めさせた。
いくら相談しても嫌な顔一つしなかったが、最後の決定権は必ず自分自身だと言うように、選択肢をいくつか提示してくれるだけだった。もちろん他にもあると思う、とよく言い含めていて、その徹底ぶりに、私も鍛えられたと思う。
「うん、分かってる。だから私が銀になるまでは——私が満足できるまでは、続けたいと思ってるの。……心配をかけてるのも分かってるわ。でも私はやらなくちゃ、進めない」
私のせいでなくなってしまった左足を、取り戻すことは叶わない。けれど、せめて。
俯きそうになった顔の目の前に、買ってきたお菓子を突き出された。
思わず上を向く、その唇に押しつけられた。マドレーヌだ。
「〜〜〜〜美味しい、けど!」
「でしょう。ティアが買ってきてくれるお土産はいつも美味しいんだ」
「自信たっぷりに言わないで。私が、買ってきてるんだから当たり前でしょ」
「うん、ありがとうな。はいコーヒー飲んで。冷めちゃったらもったいない。ティアにはいつも笑顔でいてほしいんだ。元相棒としてな」
細められた眼差しは優しく、少しくすぐったい。
ブルーノとよく似た色の瞳を持つ彼は、こんな風に私を見ないから。兄弟と言ってもそれぞれ違うのだと思い知らされる。
「ああ、そういえば、俺の愚弟は、今もティアの周りを彷徨いているって?」
思い描いていた人物の話題に思わず吹き出した。さすが元相棒、よく分かってる。
「フレッド? ふふ、そうね。本当にありがたいことに。……まだここには顔を出さないの?」
「ああ、あいつもまだまだ子供なんだろうねぇ。可愛いじゃないか」
「そうは言っても私と一つしか変わらないのに。……まだ怒ってるんじゃないの、このお店のこと」
「そうかな? なんだかんだもう怒ってないと思うけどねえ。きっかけがないだけ、とか」
そんな殊勝なことをフレッドがするだろうか。
小さく首を傾げるとブルーノが笑っていた。その顔はずっと変わらない。私のことを憎く思っても仕方ないと思うのに。
「……ブルーノが怪我をしてからのフレッドは、相当荒れてたのよ。しかも一人でお店なんて始めちゃって。今も心配してるんじゃないの」
「そうだとして、ティアだって心配して見に来てくれるだろう? あいつも俺が心配だと言うなら見に来たらいい。それで安心して、毎日コーヒーを飲みに来ればいいんだ。で、売上に貢献して行くべきだと思うなあ」
また冗談混じりに片目を瞑って、私を笑わせてくれる。
ブルーノの足が無くなってから、いやその前からも、彼は一度も私を悪く言わない。身に降りかかる出来事は全て自分の責任だと考えている人だった。
一度も責めてはくれないから、私も気まずそうな顔をブルーノにだけは見せられない。
「ふふ、今度会ったら言っておくわ」
「いやあ、ティアから言われちゃったら、ますます俺、嫌われるかもなあ」
「違うわ。嫌われてるんじゃないのよ、フレッドはブルーノのこと大好きなのよ。私と一緒」
「はは! んー、あいつにも聞かせてやりたいね。どんな顔するのやら」
「全力で否定するでしょ」
「だろうねえ。いや喜ぶかも? ああ、コーヒー、おかわりはどう?」
「ええ? 喜びはしないと思うけど。……コーヒーはお願い」
空になっていたカップをひょいと持ち上げるとブルーノはカウンター内に引っ込んでいった。鼻歌まじりに歩く姿はいつも機嫌よく見える。
ブルーノとの長閑な時間は、自分への戒めだ。
犯してしまった罪を嘆かないために……嘆くだけにならないように、通い続けている。
優しくて強くて大好きなブルーノは、きっと気づいている。それでいて見逃してくれるから、この店は居心地が良いのだ。