もぬけの殻
アランは翌朝、約束の時間になっても部屋から出てこなかった。
心配して、ドアを叩いたが、何の反応もなく。ドアノブを回せば、ぎいっと無機質な音を立てて扉が開いた。
フレッドと共に声をかけながら恐る恐る部屋に入る。
自分の部屋と同じ間取り。見覚えはある。ただ生活感が消えていた。
綺麗に整えられた部屋を戸惑いつつ進み、一つだけ自分の部屋とは違う——テーブルの上にある紙切れを見つけた。
見つけた瞬間、これだと思った。アランが私たちに残したもの。
真っ先に近づいて、フレッドと紙切れを読み上げれば、紙を持つ手に力が込もる。くしゃりと紙が潰れたが、この場に気にする者はいなかった。
丁寧な文字で書かれた、あまりにも短い手紙だった。
「『ごめんね、一緒にはいられなくなった。また試験が終わる頃に』……だと? このタイミングで? やっぱりあいつが勇者……」
フレッドがぼんやりと口にした言葉は、きっと聞かせるつもりもなかっただろう。
ただ、同じことを私も思っていた。
勇者探しの特別ミッションを聞いた次の日。このタイミングで消えるとは、やはりアランは勇者なのだろうと思う。
気配を消すのが上手く、低ランクの割に動ける身体。そしてあの似顔絵。
どう考えても、それが一番しっくりくる。
だが、薄々感じていたことだけれども、アランにとって勇者というのは、決して自慢できるものではないのだろう。人に言いたくないこと、聞いてほしくないこと——知られたくないことなのではないだろうか。
だからアランは消えた。
きっと、勇者として、私たちと向かい合いたくなかったのでは、と考えてしまうのは……早計だろうか。
つい視線を落とした先には、アランが残したしわしわになった手紙がある。
「——待って。まだ小さく書いてあるわ」
紙の裏面だ。下辺部に小さな文字が書かれていた。
テーブルの上に置いて手のひらで紙を引き延ばすと、その文字を読み上げた。
「『これを持って、ブレスレットの露店へ。ティア、おれは約束は守るよ』……?」
「ブレスレットってこれだろ?」
首を傾げると、フレッドが腕を掲げてみせた。その腕にはお揃いのブレスレットが巻かれている。わざわざ作ってもらった黒と茶と黄色の革紐は、私の腕でもじゃらりと動いた。
「なあに。フレッドも付けてるの。気に入ってるみたいで良かったわ」
「いや……! まあ、せっかくだから、な!」
思えば、フレッドとお揃いのものはなかった。二人になったことで急に思い出したが、もしかしたらこれもアランの気遣いだっただろうか。
本当は愛されたいくせに、意地を張る可愛くない私。
愛も銀ランクもどちらも手に入れると言ってしまえばいいのに、一つのことしかできない不器用な私。
そんな私を知った上で、相棒でいてくれた、私に寄り添ってくれていたアランなら、そんな気遣いも簡単にできてしまいそうで。思わず笑みが溢れた。
「ティア?」
「ふふ、どれだけ信用してるのよ。私ったら」
気合いを入れるため、パンと一度、両の頬を叩いた。
ぎょっとしたような顔を見せたフレッドだが、真似るように二度、自分の頬を叩く。
「……行くんだろ?」
「もちろん。アランが勇者だろうと、そうでなくても関係ないわ。ちゃんと話さないと気になるじゃない。しかもこんな意味深な手紙まで残してくれて……行かない理由はないもの」
今日、本当は自分の装具品を見に行くつもりで。
一人で見たかったからどうやってフレッドとアランを言いくるめようかと考えてもいて。
けれど、全部吹き飛んだ。
今するべきことは、ブレスレットの露店へと赴くこと。
ちゃんとアランに話を聞かなければと、フレッドと二人、意気揚々と出かけたのだ。
なのに、だ。
「……一体、誰なの。すぐに見つかるなんて思ってたのは」
手首のブレスレットをさすりながら、ティアは天を仰いだ。
ブレスレットを買ったのはほんの昨日。お昼過ぎだったから、それからまだ一日も経っていない。露店があった場所へ来てみたものの、もぬけの殻だった。
場所を変えたのかと思い、周辺をぶらついてみたが、ブレスレットの露店は見つからない。
「聞いてみるか?」
フレッドの提案のもと、近くの店の主人に尋ねてみたが、わかることはほんの少しだった。
「ああ! あのブレスレットの店の青年ね! 毎日は店を出していないみたいだね。時々見かけるが……場所もよく変えているみたいだ。え、今度いつ店を出すか? いやあ、ちょっとわからないねえ。そういうコンセプトだなんだと言っていたかなあ」
なんとも曖昧な店である。
礼を言って店を離れた後、街道の隅でフレッドと首を捻った。
「え、どうする?」
「どうするも何も、店を出す日もわからないのだから、見て回るしかないかしらね……毎日」
「……毎日、な」
少し面白くなさそうな顔をしてフレッドが頷くから、気になってしまう。
「どうしたのよ。何かあった? 試験も近いことだし、フレッドは別行動でも構わないわ」
「なんで、そーなるんだ」
ますますぶすっとしてしまったフレッドが理解できなくて、「え?」と尋ねた。
「わかってるさ。アランとちゃんと話したいのは俺も同じだしな。毎日ティアと二人で出歩けるってのもいいと思う。……けどな、せっかく二人で歩いてても、アランのことばっかりってのは……面白くねえなと思っただけだ」
深い青色の目で見据えられると、どきっと胸が鳴る。
不意打ちのようなその言葉に、不覚にも目を逸らしてしまった私を、フレッドはどう思っただろうか。
口ごもりながら「そ、そう」と頷くだけで精一杯だった私を、見逃してくれるように、フレッドは何も言わなかったけれど。
少し甘さを含んだこの空気感をどうしてくれようか。
周囲のお祭り騒ぎへと必死に意識を逸らしながら、そうして二人きりでの露店探索が始まった。




