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崖っぷちの花は錆びれた聖剣のそばで咲く  作者: 夕山晴


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冒険の終わり1

 あの日は、少し灰色の、どんよりとした雲が空を覆っていた。そこまで珍しい天気でもないのに、うすら寒く感じたことを覚えている。感じた違和感をもう少し真剣に考えるべきだった。


 天気の良い日よりは少しだけ暗くなった森の中を、先にブルーノが歩き、その後ろを私が行く。いつもと同じ歩き方だった。


 あの日は、ウルフの牙を採取したくて、棲家になっている森の奥の岩場へ向かっていた。集団を相手にすれば手強いが、棲家から出てきた一頭を倒すのは容易だろうと思っていた。

 実際、ウルフの牙採取は難なく完了した。

 岩場がまだ見えない離れた位置で、気配を消して見張っていると、単頭で行動するウルフがいたのだ。ブルーノは魔物の気配探知が上手く、彼の指示通りに魔法で罠を張れば、必ず獲物を仕留められた。


「よし。完了。ティア、だいぶ魔法、早くなったなあ」

「ふふん、でしょう。アグネスに教えてもらったもの」

「これは何の魔法を使ってるんだ? 土、だけじゃないよなあ」


 ウルフが足を滑らせた地面を見て、ブルーノが言う。

 何にでも興味を持つようで、私が使った魔法にも興味深そうに聞いてくれるから、よく調子に乗って話していたと思う。


「これはねー、水魔法と土魔法の混合魔法でね、地面を沼みたいにしてる。土はあんまり得意じゃないんだけど、今練習中なのよ」

「へえ。水と土の魔法の割合は?」

「七対三くらいで水の方が多いかな。土は元々あるのを細かくしてるだけだから」

「細かく?」

「うん。土の粒が細かいと足を取られやすくなるのよ。もちろん水はたっぷりにして」

「ふうん。なるほどなあ。……これは、ティアに追い抜かれる日も近いかもしれないなあ」


 何度も頷きながら顎を撫でる。ブルーノの口癖だった。


「もう! 黒が何言ってんの! 私なんてまだ赤だし……」

「もうすぐ白じゃないか」

「そうだと思うけど、試験を受けないといけないし、受かるかはわからないし」

「まあまあ。ティアなら大丈夫だと思うけど、もし落ちたとしてもまた受ければいいし。別に急ぐ必要もないんじゃない。黒にもすぐなれるさ」


 いつの仕事の時もブルーノは優しげに微笑んでくれていた。

 彼が私に合わせてくれているのはわかっているが、それでも楽しい時間に違いなかった。


 そんなブルーノが顔色を変える瞬間を、はっきりと見た。


「……え? どうかした?」

「いや。魔物が、近づいているな。数が多い、か?」


 目を瞑って気配を辿る。まだ距離は遠いのか、私には読み取れなかった。


「ホーネット……だな。蜂だ」

「そこまでわかる?」

「おそらくだけど。ホーネットは毒持ちだからな、特に針には気をつけないと。あと顎も強いから」

「わかってる。前に何回か倒したことがあるやつよね」


 頷く私の頭をブルーノが撫でた。


「ここらに結界を張れる?」

「ええ。もちろん。任せて。防御は得意よ」


 張り終えた結界を眺めて、ブルーノはすごいなあと目を細めていた。


「じゃあ、ちょっと悪いんだけど、人を呼んできてもらえるか? 流石に数が多くて。今から呼んできてもらえば対処できるかも」

「通信具は?」

「今日は、たまたま整備に出していて持ってきてないんだよ。失敗したな。だからもし誰かと出会したなら通信具を借りてもいいし、その人たちに事情を話せばいいから」

「……ブルーノはどうするの」

「奴らがどこに行くのか気配を辿っておく。もし街の方に行くなら、退治しないといけないからなあ」

「私はいない方がいいの? 攻撃は……あんまり得意じゃないけど、防御なら役に立つわ、絶対」

「今、結界を張ってもらったから大丈夫さ。それより人手が欲しいからな。さあ早く、まだ奴らが遠いうちに」


 背中をそっと押されて、私は駆け出していた。

 ブルーノの指示は絶対だった。冒険者登録をしたときに、そういう約束をした。——黒のブルーノが全力を振るうには、私はいない方がいいのかと思ったのだ。




 幸い、ギルドに戻る前に、他のパーティと出会した。五人組のパーティで、ブルーノのことも私のことも知っているようだった。

 ブルーノの指示通りに事情を説明すると、そこのリーダーが大きな声を上げた。


「はあ!? 三十、だとぉッ!? ホーネットだぞ!?」


 その喉が枯れるような大声に少し萎縮した。怒りなのか、驚きなのか、焦りともつかない顔を見せられて、戸惑いもした。


「はい。ブルーノはそう言ってて」


 そう言うなり、リーダーはギルドに通信を入れた。


「こちら、パーティ名、風の鳥。白ランクのビリー。森にホーネットの大群が出現した模様。すぐに応援要請を。現在、黒のブルーノが一人応戦中のようだ! 至急、人を寄越してくれ! 場所も送る!」


 その慌ただしさに、私はあまりに未熟で、未熟すぎて、ついていくことができなかった。


「え、あの……」

「ええい! ホーネットは普通、三体くらいで行動してる! それが三十体だぞ!? 只事じゃない!! あんた、ホーネットを見たことねえのか!?」

「……前に、倒したことが何回か……確かに三体くらいで……」

「くそッ! いいからブルーノの元へ急ぐぞ。走りながらだ! ホーネットは蜂の姿をしているが、まずでかい! 人の三分の一くらいの大きさだろ!?」


 言葉通り、走りながら、リーダーであるビリーが言う。ブルーノが相対しているかもしれないホーネットのことを。その危険度を。


「顎は強力で人間の皮膚なんて噛みちぎられる、針の毒は致死量まではいかないが、即効性だ! そんなのを三十体、一人で相手できるわけねえだろうが!! 毒消しは!」

「私とブルーノで一つずつ持ってます」

「一つか。足りねぇ! なんであんたはここにいる!?」

「ブルーノが人を呼んでこいって。まだ、ホーネットが遠くにいる内にって……」


 先頭を進みながらビリーは大きな舌打ちを鳴らした。


「ちくしょう……! ()()()()()()()……!」


 意味をわかりかねて眉を顰めたが、次の言葉には頭が真っ白になった。


「ホーネットの移動スピードは、とんでもなく速いんだ」


 それでようやく理解する。ビリーの焦りようも、私の置かれた状況も。


 逃がされたのは、私で。

 ブルーノは一人、無謀な戦いに身を置いている。

 急がなければいけないのに、もつれたように、足は思い通りに動いてくれなかった。


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