一日の残滓
終わってみれば、被害は最小限だったと思う。
街を背にして進んだ森の中、出くわしたボアは細い縦列になって突進してきていた。
それ以上広がって進まないように魔法で防御膜を張ってサイドに気を配りつつ、先頭のボアを順に叩いていった。集まった冒険者全員で当たれば、なんてことはなかった。
もしかしたら横に並んで進んできていたら対処しきれなかったかもしれないが、ボアの方もむやみに木には突進したくなかったのかもしれない。
ボアの死骸を捌きながら、ティアは独り言ちた。
「そうよ。気を抜かなければ、対処できるのよ」
魔物の集団という状況に脅え、傍にいるフレッドの存在に怯えたけれど、ビリーのおかげで持ち直していた。ちゃんと冷静でさえあれば、まだ戦える。
それをアランが耳ざとく拾った。
「でもティアは気を付けた方がいいと思うけどなあ」
合流してから度々言われた言葉にうんざりする。
「緑のあなたには言われたくないわ」
魔物の脅威がなくなってから、下位ランクの冒険者もまた集められていた。倒したボアの回収である。
ボアの肉は食料に、大きな牙や骨は道具や武器に、魔物の中から出てくる魔石は魔法具になる。五十体以上のボア素材を全て使おうと、総動員だ。
「本当に、無事でよかった」
「だから、あなたに心配されるわけにはいかないのよ。黒としては」
「うん、それでも。おれにとっては大切な相棒なんだよ。あ、雇用関係だとしてもね?」
一心にボアの肉を切る剣士と、取り出した骨を洗う魔法使い。ティアはアランの手捌きに感心しながら、少し目を伏せた。
「……あーもう。何度も言わせないで。心配させて悪かったわ。でも本当に大丈夫よ。あなたを守ると言ったでしょ」
「そうだよ。ティアはおれを守ってくれなきゃ。一人にしちゃ駄目だからね」
随分と傲慢で甘えた言い方だと思った。彼はいつもこんな言い方をする。苛々としないのはアランの雰囲気のせいなのか。
「はいはい。でもあんまり心配になるようだったら、やめる? 相棒」
「は?」
延々と水魔法を放ちながら、聞く。
「ああ、相棒じゃなかったわね。雇用関係。私を心配するくらいなら、やめた方がいいと思うの。これから先、あなたを置いて戦うことだってあるだろうし、怪我だって、するかもしれない。それが、あなたにとって負担になるなら」
冗談めいて言いながら、心からの言葉だった。
アランから心配する言葉を聞くたび、戦闘で疲れた頭で考えていた。戦闘前、フレッド相手に冷静になれなかったことも少なからず関係していると思う。
かつて、私の相棒はブルーノだった。私にとってブルーノは憧れで、それでいて大事な相棒で。
それこそ怪我なんてすれば心配でたまらなかった。
私のせいで足を失ってしまった時には、大きな後悔と終わらない懺悔に息も出来なかった。
——アランにとっての私は、私にとってのブルーノなのだろうか。雇用関係で、守る側と守られる側、期限付きであるにしろ。
ある時、急に現れて、相棒になっただけ。成り行きで交わした契約だった。
いつの間にか随分と懐かれている気はしていた。というより構われている、に近いかもしれない。私よりも年上の男だ。
けれど、もしそうであるならば。
そこまで考えて顔を上げた。
アランは一瞬、剣を振り下ろす腕を止めた。考えたように見えたのはその一瞬だけだった。
「やめないよ。おれは守ってほしいんだよ」
「……そう」
そう言いながら肉を切る作業に戻るアランは、一体何を考えているのだろう。一貫して守ってほしいとは言うが、危険が伴う高位ランクに上がりたいわけではないと言う。
「何から?」
口をついて出てしまったが、撤回する気も起きなかった。
ずっと不思議だった。アランは何から守ってほしいのだろう。
にこりと笑ったアランの顔は血で汚れている。
「ぜーんぶ」
無邪気に、それでいて諦めたように。
眉を下げながら頬を緩めたアランは、手にあった剣で勢いよく肉を切り落とした。
「全部?」
「——なんてね。冗談。でもせっかく相棒になれたんだし、契約をやめるつもりはないよ。それに心配くらいしたっていいでしょう? 見ず知らずの人が怪我したって、心配するもんなんだから」
アランとの間に厚い壁が見えたような気がして、踏み込むのをやめた。
自分は踏み込んで欲しくないくせに、と気が引けたのもある。それから、彼の抱えるものを受け止められなかったらとほんの少しだけおそろしくなったのだ。
「ふう、少し休憩しよーよ、ティア。ちょっと疲れてるんだよ」
「……そうね。そうかも」
言われてみると、どっと疲れが出てきたようだった。体力的に、というよりは精神的に疲労が多い一日だ。
杖を抱えたまま木に寄りかかった。
アランもまた足元に腰を下ろしている。薄い茶色の髪が風で靡いていた。遠くで、臆病な鳥が鳴いていた。薬草採取の時にも聞いた鳴き声だ。
「……私たちが薬草を採りに来た午前中は、森は静かだったのにね」
そう、静かすぎるほど。
嵐の前の静けさだったのか、なんなのか。随分と忙しい日だった。
同意を求めてアランの方へと首を傾げたが、彼はよくわからないといった様子で肩をすくめた。
ボアの脅威が去ったからか、冒険者のざわめき以外、再び森は静かだった。




