手に負えないほどの大火(改)
手に負えないほどの大火
僕の名前は朝田冬夜。日夜営業にいそしむサラリーマンだ。それなりに名の通った国立大学を卒業後、この街、いやこの国に住む人間なら誰もが知る大手企業に就職することに成功した。
といっても僕には特別な資格や留学の経験があるわけでもない。ではなぜこんな僕が就職活動である種の無双状態になることができたのか、端的に言うとそれはズバリ、巧みな話術である。このスキルを活かして、会社の売り上げに微力ながら長年貢献してきたことを、僕は一番の誇りとして生きてきた。
そんなどこにでもいそうな僕の人生にもある日、大きな転機が訪れる。それは僕が会社に就職してから丁度十年が過ぎようとしていたころのある日の夕方だった。僕は外回りを終え、いつものように自宅に直帰しようとしていた。
「しまった……、会社に扇風機忘れた。充電してそのまま忘れたんだな」
扇風機といっても大きいほうではなく、手に持てる、小さいやつだ。二分ほど迷ったが、明日の出社時のために取りに戻ることにした。
会社の前に二十分ほどかけて到着した。そのまま会社の中に入ろうとしたが、ふと敷地の右奥のほうを見ると、十数人ほどの集団が固まっていた。普段は見ない光景に、なぜか気になってしまった僕は、周囲の物陰に隠れて様子を伺うことにした。彼らは数分間何かを言い争い、一人の男が足早に会社から出ていった。その時何かを持って逃げたのか、残った者たちのうち数名は彼を追っていった。
その後会社で扇風機を回収し、僕は自宅への帰路についた。だが、先ほどの出来事がやけに気になった。とはいってもあの人を助けてあげよう、とかカッコいい理由ではなく、もしかしたら会社を困らせている何かを解決したら、営業以外の仕事を任せてもらえるかもしれない。そんな魂胆で、僕はあのときの男をろくな情報もないまま、探すことにした。
営業をしながらあの男を探しはじめて三週間が経ったある日の正午ごろ、僕は休憩として、目についた蕎麦屋に入った。初めて入る店だったので、好物である親子丼とオーソドックスなざるそばを注文した。親子丼が届き、その旨さとボリュームに驚愕していた時、あの男が入店した。僕は最初、彼に気づかなかった。以前彼を見たときは遠目だったし、太陽が沈みかけた夕方の出来事だったためである。男はうつろな表情をしながらも足取りはしっかりとしていて、店の中央の四人席に座った。店内にいる客は僕を含めて二人だけだったこともあり、一度気になると我慢できない性格の僕は男の正面の席に座った。男は突然現れた僕に驚いた表情を浮かべ、すぐに怪訝な表情を向けた。
「なな、何ですか!?」
「突然すいません。僕は朝田と申します。何やらお悩みがおありと見え、気になって座ってしまいました」
男はなおも怪訝な表情を保ったままだ。店内に気まずい空気が流れる。そんな空気を突き破るため、いつもの常套手段を使う。
「誰にでも悩みはありますからね、とりあえず僕の悩みを聞いてくださいよ。実は僕、ムーニーっていう会社で色々営業してるんですけどね、もうかれこれ十年くらい同じような仕事をしているんですよ。そりゃあね、人には向き不向きがあるってことも分かりますよ、でもここまで会社に貢献し続けてる僕にはもっと営業以外のこともさせてくれたっていいとおもうんですよね。どう思いますか?」
相手の悩みを聞くときはまず自分から、営業の、いや人生の常とう手段だ。だが、いつの間にか僕にも本当に悩みがあったらしい。話につい夢中になってしまっていたが、ふと男の顔を見ると、何やら険しい顔をしている。ことに気づいた
「どうかしましたか?」
そう尋ねると男はさっきまでの険しい表情は消え、声を荒らげ、話し始めた。
「あなた、ムーニーの人なんですか?私、財務省関東財務局の黒木と申します。私の話を聞いていただけませんか!?」
「勿論、お聞きしますよ。僕の話も聞いていただきましたし。でも、ちょっと落ち着いてください」
男は少し恥ずかしそうに頭を掻き、椅子に座りなおした。
「今から話すことはむやみに人に話さないでいただきたいのですが……。私の勤める関東財務局は御社との間で不正な価格で土地の取引をしているんです」
男の言葉は、僕が予想していた内容の、斜め上のそのまた斜め上を行くものだった。
「それをなぜ、僕に?ほかに知っている人はいますか?」
黒木はUSBをテーブルに置き、
「実は一カ月ほど前に、何回か公務で御社に伺うことがあったんです。その時、私、正義感なのか何なのか不正について調べてしまったんですよ。社員証コピーしてパソコン調べてって。結果的にばれて走って逃げることになりましたが。まあ、あちらも不正の内容が漏れるのが怖いのか、私にはまだ警察とかは来ていませんけど。つまり、知ってる人は、います」
と言った。言葉を発するたびに彼の一言一言に熱がこもっていった。
「僕に話したのは協力者が欲しかった、とかですかね?」
男は嬉しそうに頷いた。
「では、一度このUSBは僕に預けていただけませんか?ゆっくり確認させていただきたいです」
それを聞いた黒木は安堵の表情を浮かべ、何度も頷きながら、
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
と言い、USBを僕の手に握らせて、店を足早に去っていった。
家に帰り、シャワーを浴び夜ごはんを食べた。蕎麦屋では大口を叩いてUSBを確認する、などと黒木には言ったが、実際は自分のこれまで積み重ねてきたものが壊れてしまうのではないかと、尻込みしていた。小一時間リビングを周回して悩みに悩んだあげく、ようやくUSBをパソコンに接続した。パソコンがデータを読み込み始める。気のせいか、どこからか火花のパチパチという音が聴こえた気がした。パソコンが読み込みを完了させ、画面が映し出される。僕は一文字一文字を食い殺すように、読み始めた。
二時間を超えたころ、ようやく文書を読み終えた。僕はゆっくりと立ち上がり、もう一度シャワーに向かった。
文書には、政府の高官と友人関係にあると推測されるムーニーの理事の一人が進めている事業において、新設する予定の土地を本来の価値よりも十分の一ほどの値段で購入していたこと、また、その値引きの根拠とされるうちの一つである埋設廃棄物についての調査が十分に行われていないまま、政府の対応が終了してしまったことなど、政府とムーニーの癒着が事細かに書かれていた。恐らく黒木の財務省で得た情報と、ムーニーで手に入れた情報を合わせて作成されたものなのだろう。推測による文章が全体の三割を占めた。
その文書に、僕の知っていることすべてを補足していった。偶然かはたまた必然か、問題となっている土地は現在僕が扱っている土地だった。まさか自分がこんなことに関わっているとは知らずに会社のため、人生の十分の一を捧げていたかと思うと、悔しいのか、怒りなのか涙が溢れた。十年の中で他にも知らずに加担していた悪事があるのだろうか。文書に書かれていない事案も、僕の独断で追加した。パソコンを打ち付ける指は、午前三時を回っても、止まることはなかった。
夜遅く寝たのにも関わらず、翌日は朝早くに目が覚めた。パソコンとUSBを鞄に入れ、印刷した文書もクリアファイルに丁寧に挟み、同じく鞄に入れた。玄関から出るとき、僕の中で何かが変化した。熱が、心臓から全身に巡り、まるで周囲の空気まで熱しているような感覚になった。僕は口元をゆがませながら、外の空気を吸った。
「炎の男」__
ここ半年、町でひそひそと噂されるその男。
一見聞くと手から火を出したり、はたまた放火犯かと思うかもしれない。しかし、実際に火を操るわけではない。ただ、彼が現れるとそこにいた人々は燃え盛る。そう、炎のように。必ずと言っていいほど混乱と新たな世界の始まりが訪れる。また、終焉も。彼の火の粉のような言葉一つ一つに、そこにいた者はまるで火にくべられた薪のようにその熱にあてられ浮足立つ。
彼はこの町で起こる新しいことのほぼ全ての中心に立っていたし、そこかしこに炎の渦を作り出す。しかし、その炎が燃え尽きるころには既に新しい火種のもとに火の粉を飛ばしている。
私が最初に彼の話を聴いたのは、私がまだ記者を目指して新聞社を行ったり来たりして、ろくな記事を書いたこともない新人も新人のときだった。いつものようにネタ集めに、大通りに面するカフェで街をぼんやりと観察していたとき、くたびれたシャツに少しくずれたネクタイを通した若い男が二人、後ろの席についた。悪いとは思いつつ、ネタ集めに苦戦していた私はこっそりとうわさ話に耳を傾けた。
「上の連中はまだやる気だけはあるみたいだけどさ、正直もう何を目指してるのか分かんないよ。毎日毎日昨日言ってたこと忘れてんのかってくらい新しいこと言いやがる」
「ああ、何か月か前に来たあの男、役員たちに色々吹き込んでいつの間にかいなくなっていたが、最近は学生団体にまで手を伸ばしているらしいぞ」
「……『炎の男』か。燻る火種は最期にすべてを燃やし尽くす、なんて言葉が生まれたくらいだ。いっそのことこの世界ごと燃やして見せてほしいもんさ」
二人は『彼』のことをおちょくるような雰囲気だったが、どこか彼に対して尊敬や畏怖の混じったような気持ちがあるようだった。かくいう私もこの話を聞いたとき、心の奥底で何かがくすぶり始めた気がした。
翌日から私は彼について町で取材を始めることにした。いつもは何をするにしても世間からのウケを考えていた私だが、その時の私の頭からはそんなことはすっぽりと抜け落ちていた。日々同期として競い合ってきた友人たちの文章が人々の目にとまるたび、自分のしていることがただ時間を浪費していくだけの意味のないものに感じていた私にとって、彼の存在はまさに、一種の火花のように見えた。
取材をしていると、彼の足跡は町のあらゆるところに見受けられた。とある倒産しかけた会社を彼の一言で再び立て直したかと思いきや、ある大企業の幹部らを焚き付け、次々と起こさせた新事業により業績を悪化させ、業界に混乱をもたらしていた。さらに、彼の炎はとどまるところを知らないのか政界までをも巻き込み、自由を謳う政治家には更なる自由を求めさせ、高給取りの議員らは自らのボーナスを下げる法案を提出した。彼の足跡は行くところ全てで必ずと言っていいほど見られるにもかかわらず、一向に私の前に彼が現れる気配はしなかった。しかも、半年間の調査の結果彼について分かったのは、彼の名前と大体の人物像だけだった。
彼の名前は朝田冬夜。想像していたものより普通だ。取材をしたあらゆる団体の構成員たちからは彼について、このような声が聞かれた。
「彼と話していると自分も何かしなくてはいけないという気持ちになる。熱い男さ」
「いつの間にか話に割り込み、いつの間にか話の中心に立ち、いつの間にかいなくなっている。とにかく、熱い男さ」
「まるで火種に新しい風と火花を近づけるようなやつだよ。あいつが手を出したものは、いつも手に負えないくらい燃え上がる。まあ、嫌いじゃないけどね。とにかく、熱い男だ」
彼の炎によって倒産した会社、仲間割れが起こった組織でも、多くの人から同じような声が聞かれた。
「とにかく、熱い男らしい」
彼は初めは小さな火種にちらちらと火の粉を散らすに過ぎないが、その熱は瞬く間に大きな渦の中心となっていく。そして最期にはあるゆるものを巻き込み、灰となって消えてしまう。
取材を始めて二カ月が過ぎようとしていたころ、私は編集長から呼び出しを受けた。緊急の用件ということでいつもより足早に会社に向かった。
呼び出された会議室の前に立ち、襟とシャツを手早く直し、二度ノックをした。編集長の返事は何週間か前に聞いたときより、少し力がこもっているように感じた。
「突然だが、君の記事はうちでは扱わない」
私は一瞬、息が詰まりそうになったが、
「なぜですか?今この街で一番需要のある人物をなぜ記事にしないんですか」と一応の反論を見せた。編集長は深くため息をつき、胃腸が痛むのか、腹をさすりながらことの経緯を話し始めた。彼の話によると、朝田冬夜に関する記事を新聞社で扱うことによって法的なリスクを生み出す可能性がある、と委員会で判断されたことが大きな原因であるとのことだった。絶対原因それしかないだろ……。と心のうちで毒をはいたが、口にはしなかった。もっともこのとき私は、取材をしながら、もしかしたら自分は関わってはならない男を追ってしまっているのかもしれない、というある種の疑心暗鬼に陥っていた。しかし、今までで一番長い取材を経験し、腐っても記者を名乗るものとしての小さなプライドが取材から手を引く機会を失わせていた。だが、会社の判断には一記者として納得せざるを得ない。悔しいけれど、仕方がないという感情が胸を通り過ぎるとともに、まるで焦げる前の豚トロが、手に入れるはずだった何かが、知らぬ間に取り上げられた感覚もあった。
私は来た時とは反対に、ゆっくりと歩を進めた。建物から出ると周囲の静けさに、まるで時間が止まったかのように感じた。ただ、靴の底がコンクリートを削る音だけが聴こえる。靴の音を聴きながら少し経ち、周囲を見渡すと、家に帰るのであろう、ジャケットを手に足早に駅に向かうサラリーマン、店じまいにシャッターを下ろす店員、はたまた路上ライブの準備なのだろうか、道路一面に機材を広げる集団もいた。たまに辺りを見回すことで、普段は気にもしない些細なことに目を向けることができる。自分がこの数カ月街の中心だと思っていた男は、彼らのように街を創り出す存在のうちの一つでしかなかったのだ。なにも一つの事に縛られる必要はないのかもしれない。
翌日から、私は最近街で若者が多く訪れるという施設にやってきた。ここでは最先端の技術を使い、アートとの融合を果たすことによって次世代の世界を創り出す、そんなコンセプトが掲げられていた。そんな注目の施設を記事にすべく、今朝アポイントの電話をした。すると、「今日の午後にでも!」とのことだったので、喪失感に悩まされる一歩手前にいた私はありがたくその日の午後に施設を訪れた。
「失礼いたします。私夕焼新聞社の木ノ下と申します。十四時に比嘉様とお約束させていただいております。お取次ぎをお願いいたします」
「夕焼新聞社の木ノ下様でいらっしゃいますね。少々お待ちください」
受付の前のロビーにはいかにも最先端、というような車輪のない自動車や、画面が浮き出す不可思議な携帯電話の模型が所せましと飾られていた。五分ほどそれらの展示品を眺めていると、責任者と思われる女がやってきた。
「遅くなりまして申し訳ございません。私
、比嘉と申します。木ノ下様、本日は取材の件、よろしくお願いいたします。お部屋までご案内いたします」
比嘉はそう言い、速足で奥へと歩いていく。私の足も彼女の足の回転に呼応するように、速足に跡を追った。案内された部屋は小さな会議室で、施設の外見やロビーで見られるような、先進的で最先端な物は見当たらない。質素で、あくまでも簡易的な会議室といった感じだ。席に着き、リュックから手帳とペンを取り出し、一息ついてから取材を始める。
「御社は昨今特に若者からの熱い支持を受け、この街を超えて事業を展開していますが
、御社の見据える目標の具体的な内容と、その現時点での達成度は何合目ぐらいでしょうか」
「まだ一合目にもたどり着いていませんね
。私たちは世界を創る、変革することを目標としているので、まだまだです」
「新しい世界を創る、という言葉を御社の標語として設立当初から掲げ、実際に建物内は目新しいものであふれていらっしゃいますが、なぜ世界を創り変えたいのか、本当に世界を変革できるのか、お聞かせください」
私の中に何かがまだ残っていたのか、少し強気の質問をした。どのような答えが返ってくるのかうかがっていると、比嘉は目を細くして私を見つめ、何かを長考してからこう言った。
「館内を案内させましょう。そちらのご質問は担当のものにもう一度お聞きください」そういうと、比嘉は会議室の扉を開け、「少々お待ちください」と言い残し、足早に去っていった。会議室に一人残され、殺風景な壁を眺めるのにも飽きてきた頃、二度のノックと共に一人の男がやってきた。白い半そでのTシャツに、白い長ズボン。おまけに白髪である。そのため首元に結び付けた赤いネクタイがよく目立つ。その男は、口元に笑みを浮かべながら、館内を案内し始めた。
「このステージは、この街の五十年後を描いているんです。赤い光に照らされ、白だった光も、たとえ黒だったとしても目を離した瞬間にさらに大きな炎となっている、そんなイメージです」
彼はステージ一つ一つをまるで自身の子供のようにじっくりと眺めながら、話を続けた。そんな彼を見ながら、私もステージについてとりあえず目についたことを聞いてみたりした。何回か質問をした後最後に、
「あそこの線香花火のような明かりがぽつぽつと地面に滴り落ちているステージは、何がモチーフなんですか?」
という私の質問に、男は横目でそのステージに目をやり、すぐに視線を外した。
「ああ、あちらはもう次のものに取り換える予定ですので。気にしないで下さい」
そう言われると気になってしまう性分の私だが、男が一言も入る間を与えないほどのマシンガントークを続けたので、再び質問をする機会は訪れなかった。勿論、初めは取材として場を設けたくせに、何でしゃべらせないんだよ……、と怒りを抱いた。しかし話を聞いているうちに、男の話す言葉にどこか共感し、怒りが増すどころか、むしろ私の社会への思いを代弁されているような感情にすらなっていった。その結果、彼に案内者が変わった理由すら忘れ、いつの間にかその話を聞くことだけに熱中していた。
その後も男に連れられ館内を練り歩いた。目の前に鮮やかな光のショーや今までに見たことのないほど美しい銀世界が広がっている中
、私はむしろ彼自身についての興味心が、時が過ぎるほど強くなっていくのを感じていた。その話の中で彼について分かったことがある。それは、彼が終始一貫として「変革」を求めていることだ。しかし、その変革は必ずしも健全なものであるとは言えず、むしろ多くのものにとっては破壊的で無秩序、崩壊をもたらすものであると言えるだろう。彼の目指すものは何なのだろうか。なぜ彼の一見荒唐無稽な言葉に人々は突き動かされるのか。その答えを知るため、私はさらに“彼について”探ることにした。
彼についての取材と称した調査を進めると
、彼がかつては街をけん引する大企業に勤めていたこと、業界の大部分を不正に独占している事実について内部告発を行い、その代償として会社を追われた過去をもつことが分かった。その後、彼は今まで彼の心の奥底に隠し持っていた火花を散らすように、街に蔓延る不正や政治家たちの腐敗を公に暴く活動に身を投じるようになる。一見すると、彼の行動は正義の執行のように見える。しかしその手段や結果は多くの場合、過激であり、多くの人々にとっては穏やかな日常だったものが激動の非日常へと引きずり込まれる、まるで嵐のような存在であった。彼はまるで、街中に散らばる火種を孕んだ炎の渦のように、人々を扇動し、熱を帯びさせ最期にはすべてを灰にして消えてしまう。
やがて私は再び彼と話をする機会を得た。
指定されたのは、私が最初に彼のことを知ったカフェだった。私の心臓は一度会ったことがあるというのに、鼓動をまるで初対面であるかのように速めていた。一度深呼吸をしてから店内に足を踏み入れると、店の奥のほうの席に座っていた男がゆっくりと顔をこちらに向けた。
「君が僕について調べている記者だね?」
低く芯の通った、店内によく通る声だった。以前の彼とは違う雰囲気に面食らったが、私はひとまず彼の正面に座った。彼の眼は私の奥底を鋭く見ているようで、またどこか愉快そうだった。彼は静かに、また豪快にコーヒーを口に運び、口元を緩ませた。
「僕の何が知りたい?」
私は彼の唐突な言葉に逡巡した。頭の中で、編集長の言葉や彼と関わって灰のように消えていった人々の影が渦巻いた。彼の影響力は絶大だ。にもかかわらず、それが我々にとって善か悪かなどは誰にもわからない。そう、朝田冬夜本人でさえも。ただ一つだけ確かなことは、彼の言葉によって、私のこれからの人生が創り出されるということ。
「あなたは、一体何が目的なんですか?」
これまでの取材で唯一分からなかったことを正直に尋ねた。彼は少し驚いたように目を見開き、口元をゆがませた。笑っているようにも見えた。
「目的、か。そんなものがあったら、とっくに燃え尽きているさ」
彼の言葉は抽象的で、謎めいていた。だが、どこか真に迫るものがあった。もしかしたら、朝田冬夜の正義は純度の低い、彼自身の恐怖観念に囚われたものであるかもしれない。しかし、少なくともこの街には彼の言葉に共感し、共鳴する者たちがいる。かくいう私もその一人だ。
その夜、私は記事を書き始めた。タイトルは、「手に負えないほどの大火」
記事が掲載されるや否や、人々は街に残った彼の足跡を探し始めた。彼の足跡は初めいたるところに残されていた。しかし、人々の彼に対する熱も冷めやらぬうちに、朝田冬夜は忽然と街から姿を消した。
彼はどこに行ってしまったのだろうか。目的を見出し、燃え尽きたのか。はたまた今も世界のどこかで人々の心に火を灯しているのだろうか。
私は今でも、ひょんなときに炎のように燃え盛る何かを見るたびに思う。
それは彼の残した火種なのかもしれない、と。
ぜひ感想お聞かせください。