第3話「楯無」
4月6日。
この日、学生業を終えた十月 鵺咫路は、自分の職場へと向かう。喫茶パズル。
学生寮が犇めく地区の一角にある、喫茶店である。なんなら、夜はバーとして営業している。
主にアルバイトとして働くのは、喫茶店の方だが。
……いや、そもそもが、喫茶パズルは、喫茶店じゃない。喫茶店ではあるが、それだけではない。
探偵事務所を兼ねているのだ。その、店長だか社長だか所長は、むしろ、探偵業をメインとしている節がある。
節があるのはいいのだが、経営方針がふらふらし過ぎではないだろうか。鵺咫路は、雇い主である騙部に、何度か進言したものだ。
どれか一つに絞れと。とても、真っ当な指摘であった。
……どんなに真っ当なものであろうが、それを聞き入れる相手かどうかは、また、別の話ではあるのだが。
…………曜日によっては、喫茶店の一部が、花屋になるのは、マジで頭どうかしてやがると、声に出すほどの経営方針である。そりゃまあ、指摘されるよね、と。
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羅生門男子高校の授業は、鵺咫路の学力でついていけないレベルではない。と、云うより、だが。
羅生門男子高校自体が、生徒の学力の高さを売りにした学校ではないのである。どんな人間でも受け入れるという、学校というより、人工島ワダツミ側の方針だ。
十月 鵺咫路もまた、そんなカテゴリーに分けられ、ラベリングされた人種であった。都合のいい受け皿がそこにあったから、そこに乗る。
鵺咫路は、羅生門男子校のクラスメート内ではなく、同年代の学生と学力を比較した場合、実のところ、人並みではある。物覚えは、悪くない。
もちろん、全国トップの学力を有してはいない。あくまで、普通レベル。
可もなく不可もなし。だが、上を目指そうと思えば、それは可能だったのかも知れない。
ともあれ。彼には、それをやるだけのモチベーションというものがなかった。
生まれながらにして、心・技・体の、体の極致の様な肉体を持っていたのだから。彼は、生まれながらにして、百獣の王であった。
人工島ワダツミを見ながら、元漁港の町である工業団地で生まれ育ち、喧嘩というもので負けた事がない。彼は、強く生まれ過ぎたのだろう。
彼の好む好まざるに関係なしに、争いは数珠繋ぎ。
「お前、強いんだって?」
何度も聞いた。
何度も見た。
何度も負かした。
「お前、強いんだって?」
そう云って、争いを自分に持ち込む者達を。必要だったから、拳を握ったし、不愉快だったから、それを振り回した。
相手を入院させてしまっても、少しも心が痛まなくなってきたのは、いつからだろう。そんな相手に、いつも頭を下げていた母の背中を思い出す。
自分が、下げさせたのだ。それを自覚した時、十月 鵺咫路は、喧嘩の強さなんて、ちっぽけなものなのだと、ふと思うようになっていた。
十月 黄泉路。
鵺咫路の母の名前だ。
意識不明から奇跡的に回復した相手に、母が頭を下げても、鵺咫路は頭を下げなかった事で、本気でキレさせてしまった事がある。
………………────化物だった。
怪物だった。
別格だった。
当時、中学2年生の鵺咫路でも、その時すでに、身長は180センチ近くあったのに。頭一つ分、背の低い母親の拳を、高校2年生になった鵺咫路は今でも覚えている。
正直、車にはねられた時より、重い衝撃だった。
「────……は? 喧嘩教えて……?
……いや、喧嘩を教えてってなに? あんた、いつも勝手にやってんじゃん」
母の拳は、重かった。
何故、あんなパンチが打てるのか。1日寝込み、その翌日、今まで入院させてきた全員に頭を下げてきた鵺咫路が、最後に頭を下げたのは、母であった。
「喧嘩の為に、パンチを教える気はないんだけど……べつに、あんたはわざわざ鍛えなくても、十分、今のままで強いでしょ」
「そうじゃない」
今まで、母親が、強いのかどうかなんて、気にした事すらなかった。その母親は、誰よりも強いパンチを打ち、鵺咫路はその1発で倒されたのだ。
「喧嘩は、今まで、特に苦労なく『こなせる』程度のもんだったんだよ」
鵺咫路は、自分の中で何とか言語化させていた。芽吹き芽生えた欲求の。
言語化。
「…………それをもっと早く覚えてりゃ、わざわざ喧嘩する事も、今までなかったろうに。すぐに暴力で済ますのはね、言語化の放棄だよ」
呆れた様に、鵺咫路の母は煙草の煙を吐き出す。
「まあいいや。どうせ、あんたもそろそろ必要になるかも知れないし」
この時、母である黄泉路が、何故、自身の技術の数々を教えてくれる様になったのか、鵺咫路は知らない。一通り、技術を伝えた彼女が、高校生になった彼を残して『いなくなった』理由も。
ただ、残されたものは……──────。
「いい? これから、あんたに教える最初のパンチ────その名前は」
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「楯無」
十月 鵺咫路の拳が、体重100キロを超える巨漢に叩き込まれた。
「ごッッふゥ……!?」
これは、まあ、極論ではあるのだが、格闘技というものは、相手を痛がらせる為の技術だ。相手を痛がらせれば、相手の攻めの勢いは弱くなり、そこに隙が生まれれば、より強力な一撃を見舞える。
しかし、彼が放つ楯無は、そんな生易しいものではない。当たれば、耐えられる様なものではなく、防御しようが、それを突き破るだけの威力がある。
細かい解説は次回に回すとして、大味な説明をすれば、全力のパンチに集約される。隙だらけだろうが、自身の守りを捨てた一撃。
故に、楯無。
その一撃を防ぐ楯など、存在しない。
故に、楯無。
人体が、「く」の字に折れて、巨漢が地面に沈む。
「やるじゃない、鵺とやら」
「どうも、ご声援ありがとうございます」
「あと30人くらいだ。頑張ってね」
「よーし、はりきっちゃう!」
素顔を見せない依頼人の言葉に、やけっぱちな返答をして、鵺咫路は自分達を取り囲む男達を見渡す。
怪しいスーツ姿だったり、分かりやすい目出し帽なんかのビジュアルだと、尋問するだけの価値は、まだありそうだが、しかし。
「マジかよ。大くんが動かねえんだけど」
「護衛がいるなんて、聞いてねえよ?」
「大ちゃん? おーい…………ダメだ、マジで起きねえ」
「なあ、加勢の話どうなった?」
「いらねえだろ。人数増え過ぎても分け前減るし」
「まあ、なぁー……それなー」
羅生門の生徒と変わらないガラの悪さ。
しかし、制服姿の者は、1人もいない。学校に行っていない少年の集まり。
所謂、不良グループ。
「頼んだぞ、騙部探偵社」
「いや、探偵の定義よ。なんで、放課後に見ず知らずの同年代と喧嘩してんの俺」
「それが君の仕事だろう?」
「だから、探偵の定義よ。俺の知ってる探偵じゃねえんだわ」
鵺咫路は、依頼人と軽口を叩き合いながら、『彼女』を観察する。
見た感じ、『戦える人』には見えない。捕まれば、抵抗むなしく、連れ去られてしまうだろう。
だからこそ、彼が護衛についた。騙部探偵社最強にして、最高戦力。
武力担当の鵺。
「探偵社の武力担当に、未成年を配置してる大人について、どう思う?」
「ギヨタンでも火炙りの刑にしそう」
その仮想の火炙りの刑にされる罪人が、鵺咫路の上司であり、雇い主であり、彼の保護者だ。
騙部が、命令を下したからには、鵺咫路はそれを、実行しなければ。則ち、依頼人の護衛を。
「大丈夫大丈夫、大ちゃんを倒した君なら、こんな人数、大したことないって」
「お前は、大ちゃんの何なんだよ。大ちゃんの何を知ってる」
この集団で、一番目立つ男を倒したわけだが、敵の人数が、こちらの30倍以上いることには、変わりがない。
「頼りにしてるよ、私の騎士様」
人の気も知らずに。鵺咫路は、口を「へ」の字にして感情表現。
だが、依頼人の様子は、何も変わらない。鵺咫路なら、こんな窮地、切り抜けるだろうと、信じているのか。
その信頼は、鵺咫路個人に向けられたものなのか、彼女の直感に対する信頼なのか。
「まあ、いいや。労働だ労働。
労働のお時間だ。全員ぶちのめす」
泥臭く、血の気の多い騎士もいたものである。




