第2話「これからよろしく頼むよ、少年君」
────…………1年と少し前。
「……大丈夫、ですか? ええと、その……あー……おじ、さん?」
「はっはっは。助けてもらった身で、大変恐縮だがね、少年君よ」
「あ、はい。……少年君」
路地裏のゴミ捨て場にて。その日、騙部は、彼にしては、べつに珍しくもない……つまり、よくやらかすタイプのミスを冒した。
何をやらかしてしまったのかと云えば、尾行がバレてしまったわけで。尾行相手が、まあ……暴力を得意としていた。
適当な愛想笑いでやり過ごせる相手ではなく、騙部は路地裏に引き摺り込まれる。幾らか殴られるだろうし、何なら入院する羽目になるかも知れないと、彼が覚悟を決めた頃、騙部が少年君と呼んだ少年が通り掛かる。
2メートルには届かないだろうが、身長は180センチを超えているであろう高身長。しかし、意外と声は若く、騙部はその少年を、少年君と呼ぶ事にした。
「何と呼べばいいか迷ったのなら、ひとまずは、呼称を自分の中で保留にしておくのは、処世術の1つだよ」
騙部探偵は、そう云って、人差し指を立てて見せる。彼が生ゴミを頭からかぶっていなければ、それなりに見れたポーズにはなっていただろう。
少年君と呼ばれた彼はというと、「少年君」という呼称に、首を傾けていた。曰く、そんな呼ばれ方をされたのは、初めての経験だったらしい。
少年君と呼ばれた彼は、冬の季節という事で、厚手のトレンチコートを羽織り、頭には茶色のニット帽を目深にかぶっていた。頭から生ゴミをかぶる騙部とは大違いだ。
「私の事は、気軽におじさんと呼びなさい」
「結局!?」
助け起こしてもらいながら、騙部は少年にそう云うと、彼を見上げた。既に成人済みの騙部が、見上げなければならないほどの身長。
騙部は、チラリと路地裏の壁で、呻き声1つあげない強面の男を見る。暴力に慣れた雰囲気の男だった。
それを、気軽に叩きのめしてしまった少年。
「…………ふむ」
騙部は、頭の生ゴミを払い落としながら、少年をまじまじと見ていた。
「助かったよ、ありがとう」
「あ、うん。余計な事をしたわけじゃなくて、何より」
騙部の感謝に、少年は少し安心した様な反応を返す。
「歩いてたら、いきなりおじさんが、そこのおっさんにブチギレられて引っ張っていかれたから、びっくりしたよ」
「誰がおじさんだ」
「あんただよ!」
騙部は「そうか!」と、快活に笑う。この時の少年の、騙部への印象は、「変な人を助けてしまった」である。
「治安ゴミカスなんだね、この街」
少年の、学生地区への評価に、騙部は「いや」と、首を振って否定した。
「この揉め事を見て、そう判断したのだろうがね、少年君よ」
騙部は、少年の胸に、人差し指を押し当てる。
ぐりぐり。
「私の職業柄、私の方が今回のトラブルの原因になってしまったのだ。……というか、存外、口が悪いな君は」
ぐりぐり、と。そこで、騙部は、押し当てていた人差し指を、少年から離す。
「あまり、大人の前で口の悪さを露呈させない方が、関係性をスムーズにするものだよ。覚えておきたまえ、少年君」
「あ、はい」
「まあ、治安がゴミカスなのは否定しないがね」
「何なんだよあんたは。マジで、何なんだ」
少年は、この時、騙部の事を、苦手なタイプかも、と思っていたと、後に本人に打ち明けている。
「さて、少年君。私はこの界隈で探偵業を営んでいる、騙部という者だ」
「騙部さん」
「おじさんと呼びたまえと云っているだろう。話を聞かないな君は」
「面倒くせぇなこの人」
少年は、騙部を嫌いになりそうだったと、後に本人に打ち明けている。
「少年君は、この界隈では見ない顔だね?」
騙部は、少年にそう訊ねた。そう、狭くもない島で、そう、狭くもない街だ。
今まで見掛ける事もなかった……なんて事は、十分あり得る。だが、少年のこの体格だ。
気付かなかったにしては、少しサイズがダイナミック過ぎる。
「うん。今日、初めて来たんだよ」
騙部の見立て通り、どうやら、少年とは初めて顔を合わせる。そして、この時期にここを訪れているという事は……────。
「なるほど。学生さんかね」
「はい。高校生です」
「高校生……」思わず呟きながら、改めて、少年を見上げた。
「……いや、声が若いとは思っていたが……マジか」
思った以上に離れた歳の差に、なんだか、騙部は膝から崩れ落ちそうになるのを堪える。まだだ、ここで倒れるわけにはいかない。
「おじさん?」
騙部の様子を訝しむ少年に、騙部は「ああ、大丈夫」と絞り出す様な苦笑い。
「寮、または、下宿先の下見といったところかい?」
「はい……そうです。でも、入る学校には、寮がないもので」
騙部は、口元を手で隠す。正確には、口元に浮かんでしまった笑みを。
「もしかして、【羅生門男子校】に入る予定かな?」
「そんなところです。……そんなところなんですが、よく分かりましたね」
これには、少年が少し引いていた。
「私は探偵だよ?」
まあ、それはそうなのだが。相手は、未成年なのだし、初対面でもあるのだから、もう少し、こう、なんというか距離感に手心というか。
まあ、何故、騙部が少年の入る先を羅生門男子校なのだと当たりをつけたのかと云うと、単純に、羅生門男子校という学校が、所謂、ヤンキー高、不良高と呼ばれるところだったから。
少年の体格と、喧嘩慣れしたその腕っ節の強さから、そう思い至ったのだ。
「羅生門校には、寮がないからねぇ」
「えぇ、未成年でも借りる事が出来る部屋を探しているところでして」
「なるほどなるほど」
うんうん、と、騙部は頷く。
「でも、保護者いないと、その辺の条件が、まあ、厳しかったり」
「だろうねえ」
どんなに未成年に見えない見た目であっても、高校生今現在、中学生の身分である少年が、1人で不動産を訪ねたところで、部屋を貸してくれるところなんて、簡単には見付からないだろう。
「見付かっても、なんか、妙に鉄臭い部屋だったりで」
「…………うん、そこはワケあって鉄臭いのだろうから、その部屋を借りるってのは、おすすめしない」
「……そうですか」
「推定事故物件じゃねえか」の一言を、騙部はなんとか飲み込む。
「部屋中、盛り塩なんかしてて、変な物件でしたねぇ」
「ほぼ確じゃねえか」
騙部は我慢出来なかった。
「失礼。それで、ええと」
騙部は咳払いを一つ。
「そんな君に、いい話があるんだ」
「大丈夫、損はさせないから」と、騙部は胡散臭い笑みを浮かべていた。その日、騙部が少年の事を、「とりあえずは、試用期間だね」と仕事に付き合わせた挙げ句の果てに、一緒に半グレ組織を一つ潰す事になるわけだが、それはまた、別のお話。
「これからよろしく頼むよ、少年君」
「………………十月ですよ」
「……んん?」
「十月 鵺咫路、です」
1日の働きを見た結果、少年の採用と下宿先が決まり、ビルの一室、その荒れ果てた半グレ組織事務所にて、騙部と少年は、言葉と握手を交わす。
「十月で十月?
……個性的な名前だね、少年君」
「お前が云ってんじゃねえよ」
少年は我慢出来なかった。騙部は、そんな少年に少し笑い、そして……──────
「それじゃあ、これからよろしく頼むよ、鵺君」




