第64話 じゃあ今から私の事は呼び捨てで
遅くなりました
しっかりと戸締りをしてから家を出発した俺達はバスで早穂田大学を目指して移動を始める。そこそこ混雑はしていたが座る事が出来たためラッキーだ。
「普段はバイク通学だからバスで行くなんてちょっと新鮮、一般入試の受験で行った時以来な気がする」
「バイクなら待ち時間とか無いから楽そうですね」
「まあ、屋根がないから雨の日とかは最悪だけど。それと敬語になってるよ」
「……あっ、ごめん」
夏乃さんに指摘された俺はそう謝った。普段の夏乃さんとは絶対にタメ口では喋らないため意識しないとどうしても敬語が出てしまう。
「そう言えば夏乃さんって確かオープンキャンパスの参加登録の苗字を九条にしてたと思うけど、もしそこを誰かに触れられたらどう説明するつもり?」
「結婚して夫婦になってるから同じ苗字なんですって答えれば良いんじゃない?」
「いやいや、当たり前のように言ってますけどそれは駄目に決まってるでしょ。絶対面倒な事になりますって」
とんでもない事をさらっと夏乃さんが言い始めたため俺はついそう声をあげた。てか、お互いに高校二年生で十七歳って設定なんだから夫婦にはなれないだろ。
「また敬語」
「……夏乃さんが変な事を言うからだろ」
「なら夫婦じゃなくて双子の姉弟なら良い?」
「それならまあ」
俺と夏乃さんが姉弟という設定ならお互いに九条という苗字でも不自然ではない。
「でも姉弟って設定なら私の事をさん付で呼ぶのはおかしくない?」
「確かに姉をさん付で呼ぶのは違和感あるけど……」
「じゃあ今から私の事は呼び捨てで」
ニコニコした表情を浮かべた夏乃さんはそんな事を言い始めた。呼び捨てにするのは流石に抵抗があるため何とか軌道修正を図る。
「や、やっぱり同い年の従姉弟って設定にしよう。それならさん付でもそこまでおかしくはないし」
「ふーん、せっかく夫婦から譲歩して姉弟で勘弁してあげようと思ってたのに結人はそんな事を言うんだ」
「でも呼び捨てはちょっとハードルが高いじゃん」
「残念だけど夫婦か姉弟以外の設定は認められないな」
どうやら夏乃さんはこれ以上譲るつもりはないらしい。その二択から選ばなければならないのなら姉弟という設定の方がマシだ。
「……姉弟の方で」
「それならどうすれば良いか分かるよね?」
「分かったよ夏乃、これで満足か……?」
「うん、夫婦を選ばなかったのはちょっと気に入らないけどひとまず許してあげるよ」
満足そうな顔になる夏乃さんだったが全てが思い通りになったと言いたげな表情にも見える。そこで俺はようやく夏乃さんの手のひらの上で踊らされていた事に気付く。
初めに夫婦という明らかに受け入れられないような設定を提示し難色を示した俺に姉弟という比較的マシな選択肢をちらつかせる。
そしてそれに食いついた俺に対して夏乃さんは自分を呼び捨てにするように迫り、譲歩したからという理由で逃げ道を潰してきた。
うん、どう考えても絶対に初めからこれを狙っていたに違いない。やはり俺は夏乃さんには敵わないようだ。
「あっ、次で降りるから」
「……はい」
まだオープンキャンパス参加前だというのに俺は激しく疲れてしまった。その後大学前のバス停で下車した俺達はオープンキャンパスの受付へと向かい始める。
やはり日本にある私立大学の中でトップクラスに人気があるだけあって今日のオープンキャンパスに来ている人数はかなり多そうだ。
「なあ、あの子めちゃくちゃ美人じゃないか?」
「それな、あんな子と一緒に大学生活送りたいよな」
「凄い美人だけどもしかしてモデルとか芸能人だったりするのかな?」
「東京だから普通にあり得るかも」
夏乃さんとキャンパス内を歩いていると俺達を見ていた学ラン姿の男子四人組からそんな会話が聞こえてきた。普段の今どきギャル姿からは一転して清楚な外見になっている夏乃さんだが相変わらずモテるらしい。
それから順番待ちの列にしばらく並んで受付を済ませた俺達は資料を持って多目的ホールへと移動する。これから大学説明があるらしい。
「周りの話し声を聞いてて思うけどやっぱり皆んな日本各地から来てるんだな」
「うん、だから授業の合間とかに仲良くなった子と雑談してると時々何言ってるか分からない事があるんだよね」
「確かに目の前で津軽弁を喋り始められたら理解できない自信がある」
辺りからは関西や九州、東北など日本各地の方言が聞こえてきている。ちなみに俺や夏乃さんは生まれも育ちも東京で標準語なため言葉が訛る事はない。
だから方言に少しだけ憧れていたりもする。広島弁や京都弁などで会話出来たらカッコいいと思う。まあ、頑張って練習してもエセ弁になりそうな気しかしないが。
そんな事を思っているうちにオープンキャンパスが開始する時間となり最初のプログラムである大学説明が始まる。
事前に大学の事は調べていたため知っている内容も割と多かったが、改めて大学職員や大学生の先輩からの説明を聞くとより理解が深まった。