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第1部 2

「ただいまー」

 俊平が家に帰ったのは午前0時を少し回ったところであった。田島と話した後、すぐに帰るつもりだった。しかし商店街の人達が来て遅くまでカラオケをするハメになってしまった。

「おかえりなさい。随分と遅くなったのね。」

 母の明子はすでに帰っていた。リビングのテーブルでいつも通り一人晩酌をしている。明子の大衆割烹は夜10時半に閉店する。閉店してから片付けをして帰るため家に着くと日が変わることも珍しくなかった。

「うちの店で食事した後、あけみちゃんの店に行ったって聞いたよ。」

 明子は俊平の行動を知っていた。おそらくスナックにいた商店街の人とSNSでつながっているのだろう。

「プライスマーケットが商店街が潰れそうになるくらい安く売っているって本当なの?」

 俊平は田島の話を確かめたかった。さっき聞いた話を明子に話す。ただ解決策を考えてくれと打診されたことは黙っておいた。自分が考えることではないと思っているからだ。何もしないと次、田島に会った時が気まずいので、取り組んだという実績だけ作りたかった。

「私はプライスマーケットで買い物しないからあまり実感がないな。でも店に来る商店街の人達はプライスマーケットの話になると恨み節が止まらないことは確かね。

 聞いた話が正しければ、プライスマーケットは商店街の品や価格をかなり意識して売っているね。」

「安ければ売れるってわけでもないでしょ?」

 俊平の指摘に明子はうーんとうなる。そして手のひらを頬にあてる。

「どうかな。安ければ安い程いいと考えている人もいるわ。私の店ではお客が安心できる価格にしているの。安すぎると利益が出ないこともあるけど、不安な安さってあるでしょ。

 生ビールが1杯100円だったらどう。本当にビールか疑うでしょ。相場は500円~1000円だけど、阿佐ヶ谷に住む人のことを考えて600円にしてる。アンケートなんてやってないから感覚ではあるけどね。」

 明子の店が繁盛している理由の一つは、価格設定にあるんだなと俊平は思う。

「それじゃ300円で売ったらどうなるの?」

「正直な話をすると、飛びつく人は多いと思う。生ビールって原価が200円以上するからお店としては厳しい。」

 明子は真剣な顔で言った。

「プライスマーケットがどんなに安く売っても母さんの店には関係ないよね。飲食店とスーパーが競合するなんて聞いたことないし。」

 俊平は一番聞きたかったことを口にした。思わず口調が強くなってしまう。

「それは間違っているわ。商店街が潰れたら、うちはやっていけないよ。すぐに潰れるかな。」

 俊平は明子が冗談を言ってるのだと思う。明るい性格の明子はいたずら好きの面を持っていた。表情を変えずに軽い嘘をつくことが多い。ただ俊平には気になる点もあった。

「常連客が減ってしまうから?」

 明子の店は商店街の人がよく使っている。俊平はそれを知っている。

「それもあるけど。俊平は私の店のことが分かってないなあ。」

「だって母さんが店のことには関わるなって昔から言い続けてるじゃないか。」

 明子は俊平が店を継ぐことを望んでいない。大学を卒業して大企業に就職することを願っていた。

「仕入れの問題よ。肉は田島さんから買ってるし、他の食材も商店街の店から入れてもらっている。みんな潰れたらやっていけないよ。」

「もし潰れたら他の仕入先を探せばいいだけだよ。今の時代、肉や魚なんてネットでもできそうだし。」

 俊平は決めつけるように言った。

「そんなに簡単ではないのよ。みんな私の料理を知っているから、それに合う食材を選んでくれているの。そんな仕入先がすぐ見つかるわけないじゃない。」

「品質の良いものならネットに溢れてるよ。口コミとか見ればいいし。僕だって手伝える。」

 俊平は引き下がらない。明子はため息をつく。

「品質を求めすぎると高くなるのよ。それで客に出す値段が高くなるわけにはいかないの。私の店は質と価格のバランスが大事だから。サンマだったら一匹100円の冷凍じゃ美味しくない。かといって400円の高級品じゃ店では出せない。250円で質が良いのが欲しい。私は目利きができないから仕入先に頼ってるの。これだけ説明すれば分かるでしょ。」  

 俊平は肉屋田島が潰れても明子の店には関係ないと高をくくっていた。どうも対岸の火事とはならないようだ。明子の店がなくなれば今の生活は続けられないだろう。家のローンや俊平の学費など、明子が月々払っている額は多い。一度、明子の 税務申告書を見たことがあるが、年収は1千万程あることを知った。生活を維持するにはプライスマーケットをどうにかするしかない。

 俊平の考え方は変わり始めた。

「このままプライスマーケットに好き勝手やられていいの?」

 俊平の声に力が入る。

「よくないけど時代の流れよ。地方なんて大型のスーパーやショッピングモールができると、商店街はたちまちシャッター街になってるでしょ。」

「そんなこと大企業がやっていいの。地域のためになっていないじゃないか。」

「大企業には大企業の考え方があるの。だからあなたは早く大学を卒業して大企業に就職しなさい。勝ち組になれば人生安泰よ。」

 明子は俊平をなだめるように言った。

「人から恨まれるくらいなら大企業なんて行きたくない。」

 俊平は強く言った。

「大企業に入っても母さんの店がなくなったら今の生活は維持できないでしょ。」

 俊平は続けた。

「店がなくなっても私はどこかで働くよ。生活はできる。」

「この家のローンとか考えると無理だって。」

 俊平は店が潰れた後の経済状況について考えていた。二人の収入合わせても年収600万程に減るだろう。今の半分になる。

「そんな収入のことばかり考えたらダメ。今の私は年収1000万はあるからこの生活ができている。でもね、年収300万でも幸せな生活はあるのよ。」

「そうは思わないな。」

 俊平は否定した。

「年収1000万の人って一番貧乏だよ。マスコミでは勝ち組みたいに報道されているから、お金持ちって勘違いしちゃうの。ヴィトンのバッグを持って回らない寿司を食べると何も残らない。税金や社会保障料もたくさん払うし。」

 俊平の周りには年収1000万を一つの目標にしている学生が多かった。大企業の管理職になれば可能な数字ではある。

「それなら大企業に入ってもいいことないじゃないか。」

 俊平は言った。

「僕が商店街を何とか救ってみせる。今日、田島さんから頼まれたんだ。」

 明子は俊平の発言に目を丸くする。

「やめておきなさい。わざわざ負け戦に参加するなんて馬鹿げている。」

 明子は何とかして俊平を止めようとした。

「プライスマーケットに負けるなんて決まってないじゃん。」

「来年には就活が始まるでしょ。今はじっとしてなさい。」

 明子は言った。

「じゃあ就活が始まるまでギリギリまで戦う。」

 俊平は一歩も引かなかった。明子は勝手にしなさいと言ってテーブルの上を片付け始める。俊平は思う。これは生活を守るための戦いだ。プライスマーケットは安さで攻めてきている。対抗手段は何かあるだろう。就活まで捨て身でやってやる。

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