二人の狂気
「ま、待て早まるな千紘!」
出刃包丁を握りしめる、千紘に必死に訴えかける。
「そんなことをしても、お互いのためにならない!!」
「なるよ?私たち一緒に死んで、ふたりだけの世界に行くの。それがお互いのためでしょ?」
「いや、それは頭悪りぃって!」
千紘はこんな不思議ちゃんだっただろうか。頭が悪過ぎる。
「仕方ないよね?お兄ちゃんがこの世界で私だけを見てくれないんだから」
出刃包丁をこちらへ向ける。
「おい、マジかよ・・・・・」
「私は本気だよ?疑うならまず私からお手本を見せようか?」
そう言って千紘は自分の手首に包丁の刃先を当てる。
「おい、やめろって!!!!!」
俺は咄嗟に千紘の手につかみかかり、手首から包丁を引き剝がす。
すると千紘は虚ろな瞳を歪ませ、今まで見たことのない様な妖艶な微笑を浮かべた。
「こうすると思ったぁ。だってお兄ちゃん優しいもん」
そこからの手際の良さはすさまじかった。物凄い力で俺をベットへ押し倒すと右手に持つ包丁を俺に突き刺す。
「ぐはぁっ!おい・・・・・千紘。マジでよくないって、、、」
辺りに鮮血が飛び散るが、俺は自分の事よりも、俺の血が千紘の目や口に入ることが心配だった。
「お兄ちゃん。私も後から行くからね?」
そう言って千紘は俺の胸に二回目の刺突をするのだった。
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三十分ほどたっただろうか、千紘は今も俺をめった刺しにしている。まるで愛してくれなかった俺への憎しみをぶつけているようだ。
実を言うと、俺はまだ生きている。これは別に、奇跡的に急所を刺されなかったと言う訳ではない。
俺が不死身だからだ。
かと言ってこれからどうするか考える。ここからどうにか抜け出して別の人間として生きていくしかなさそうだが。
そんなことを考えていると、千紘が恐れていた行動をとり始める。包丁を自分の首筋に当て始めた。
「私も、今から行くよ?お兄ちゃん」
まずい、それだけはダメだ。俺はまた、咄嗟に体が動いてしまった。
「だから!!、それだけは、ダメだって!!!」
不意打ちだったからだろう。俺が手を抑えると千紘は驚いて包丁を手から落としてしまった。
千紘は心底驚いているようだった。それもそうだろう。あれほど念入りに刺殺した人間が生きていたのだから。
「お兄ちゃん、、な、なんで死なないの?」
それはこの頃全てが予想外だった妹にしては珍しく、誰もが抱く当然の反応だった。
「はぁはぁ、今か、ら話すこと、は、はぁはぁ、、他言無用だ、、ぞ」
息が荒くなる、どうやら俺も限界が近いみたいだ。
「千紘や母さん、父さんには、ずっと隠してきたけど、はぁ、、ぁ、俺は、吸血鬼と人間の、、はぁ、ハーフなんだ」
「へぇ?、お兄ちゃんが、、吸血鬼、、?」
「ああ、それも、はぁ、かなり高貴な血筋らしくて、な。この程度じゃ俺は、死なない」
「う、噓」
千紘は絶望の表情を浮かべ、うなだれる。もう最後の願いも叶わないと知ってしまったからだろう。
虚ろな瞳の奥に宿っていた眼光は消え去り、それはこと切れた猛獣の様だった。
しかし、千紘はあきらめがつかないのか、俺の肩につかみかかり必死に訴える。
「でも!さっきから、息を荒くして!!苦しそうじゃん!!?」
「ああ、はぁぁ、ぁ、そのことなんだが」
「吸血鬼は、ぁ、血を見た時、血を失ったとき、吸血衝動に襲われる」
始祖の血が濃い高貴な血筋の吸血鬼ほど吸血衝動は少なく、人間と同じ食べ物で生きていける。俺の場合血を吸うのは月に一度程度でいいのだが、今回の場合は例外だ。
流石に失った血と目にした血の量が多過ぎる。もう、吸血衝動を抑えれそうにない。
「はぁ、だから・・・・・・・・・・」
「お前が悪いんだからな? 千紘?」
そう言って俺は、千紘の首筋に思い切り噛みつき、吸血した。今度は俺が見たことのないくらいの妖艶な微笑みをしていた。
「ふ、ふぁい」
すると千紘は恍惚とした表情を浮かべると、回らない呂律で返事をする。
それもそうだろう、吸血鬼の牙には催淫毒が仕込まれている。これは一度吸った人間がまた吸われたいと感じるための、吸血鬼の知恵なのだが、問題なのがその依存性だ。
この催淫毒の依存性は麻薬などの危険ドラッグに匹敵するもので、一度吸われると何度も引っ切り無しに吸血を求めることになる。
俺はこのこと知っていたから、最悪の事態を避けたかったのだが、こうなってしまってはもう遅い。もう俺も自分の本能を抑えられそうにない。
「お、お兄ちゃん!これ、なんか変だよ!変な感じがしてぇー、ふぁあ、ぁ」
「・・・・・・・・・・」
千紘が何か言っているが夢中で血を吸っているので何も聞こえない俺は、構わずに血を吸い続ける。
「だ、だ、め、変なの来るぅ!!」
バチャッ
千紘は、気を失ったのか血の海となったベットに倒れ込む。ちょうどその時、吸血衝動が満たされて正気を取り戻した俺が我に返った。
「はぁ、俺は、何を、、、?」
すると千紘が絶え入るような声でおれに話しかけてきた。
「お、兄ちゃん、また、ちぃ、吸ってね?」
恍惚とした表情の千紘の発言と首筋にある嚙み傷で、俺は全てを悟る。
「やっちまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
俺の脳内は大切な妹を吸血してしまった愚か者を叱責する、賢者の時間だった。