聖女を呼び出したハズが……
「……ついに、ついに成功しましたぞぉっ……!!」
カトラス王国王都レンディアにあるローフィア大神殿。
その地下に存在する召喚儀式の間に於いて、大神殿の長、グラッドギアス神殿長がそう叫んだ。
彼は神官であると同時に最高位の魔導師であり、大賢者の称号も持つ王国の重鎮。
そんな彼が興奮した様子でそう叫んだのは、召喚儀式の間が真っ白に染め上げられたその瞬間のことだった。
なぜ、そんなことになっているかと言えば……。
そう、《異世界召喚の儀》が成功したからだ。
四百年前、世界が暗闇に包まれたとき、その闇を払い、光をもたらしたと謳われる伝説の存在である《聖女》。
その《聖女》は、神殿に密かに伝えられてきた史実によれば、異界より呼び出した異世界人であるということだった。
このことは王家と四公爵家、そして神殿長だけが知っていることだ。
他の一般市民達は、唐突にどこかから現れ、颯爽と世界を救っていき、そして王家と婚姻を結んだ、ということしか知らない。
しかしそれでも、確かに《聖女》の痕跡は世界各地に残っており、いずれも《聖女》が世界を救った、という事実を証明するに足るだけのものばかりだ。
だから、救世主として、市民もその名と存在を知っている。
そんな存在であるから、いつの時代も、世界に暗雲が迫ったとき、誰もが《聖女》降臨を願った。
しかし、事実を知る者たちが何度、召喚の儀式を行っても《聖女》が現れることはなかった。
その理由は、単純な技術不足から、世界に正しく危機が差し迫っていなかったからだ、という推測まで、色々あった。
けれど、そんな難航していた儀式が、たった今、成功したのだ。
召喚儀式の間には、神殿長の他、その補助をする神官と、それにカトラスの第一王子リーズもいた。
彼らは数年に一度、行われてきたこの儀式において、このような光を見たことがなかった。
確かに成功したのだ……。
そう誰もが確信した。
光の中心、魔法陣の真ん中がゆらり、と影が揺らめいた。
何かがそこに現れた……。
光は徐々に静まっていく。
儀式に参加した者たちの目もだんだんと慣れていき……。
そして……。
「……ん? こ、ここ、は……?」
そんな声が広間に響く。
高く澄んだ、美しい声。
王子は、
「……神殿長! この方が……《聖女》で間違いないか?」
少し離れた位置から神殿長にそう尋ねる。
「ええ、間違いないですじゃ。王子、まずは貴方様からかの方に話しかけて頂けませぬか?」
「私でいいのか?」
「この場にいて、この国を代表する貴方にこそ出来る役割でございますぞ。さぁ……」
「承知した……」
少しずつ、近づいていく王子。
距離が詰まる。
中心にいる人物は、近づくにつれその姿をはっきりとさせていく。
光はまだ完全に静まっていないが、清冽な神気が辺りに漂っていた。
確かに、この方こそ《聖女》……。
見れば、見目麗しく、また小動物のように守ってやりたくなる空気も持っている。
王子は、これから先、この人物を守る第一の騎士となる。
かつての《聖女》に付き従ったのもまた、王家の者だったように。
だから……。
「……初めまして」
「……ええと、はじめ、まして……?」
おどおどとリーズを見上げた聖女のまつげが閃く。
少し潤んだ瞳が、不安と怯えを伝えてくる。
出来る限りそれを取り払うよう、細心の注意を払いつつ、リーズは言った。
「突然のことに、混乱されておられますでしょう。しかし、どうぞお聞き頂きたい。ここは、カトラス王国。貴女様がお住まいになられていた場所とは異なる、異界にございます」
「異界……?」
「ええ。そして、この世界には、今、危機が迫っている。魔王が闇の軍勢を引き連れ、我らに襲いかかってきておるのです。どうか、伏してお願い申し上げます……この世界をお救い下さい、《聖女》さま……!」
言うべきことは言った。
後の細かい説明は、返事も含め、混乱が収まり次第、改めて、という方がいいだろう。
そう思ったリーズだったが、《聖女》から意外な反応が返ってきた結果、その予定は狂う。
「……ん? 《聖女》?」
「ええ、《聖女》さま。貴女はおわかりになっておられないでしょうが、この世界において、貴女さまは《聖女》としての強い力をお持ちなのです。ですから……」
「いえ、ちょっと待って下さい……え? 《聖女》、ですか……?」
「はい……そうですが……?」
同じ事を尋ねられ、大きく首を傾げたリーズ。
酷く物わかりが良くないのか、と思ったが、そんな様子でもないとすぐに分かる。
深く考え込んだ《聖女》の瞳にははっきりとした理性の輝きがあったからだ。
それではどうしてこんな反応を……?
不思議に思ったリーズに、《聖女》は驚くべきことを言う。
「あの……」
「はい」
「大変申し上げにくいのですが……私は《聖女》ではありません」
「え? いや、そんなことは……。御身に宿る神気。私にもはっきりと分かります。貴女様は《聖女》で間違いなく……」
「あぁ、いや、神気とかはどうでもいい……というと問題になっちゃうのかな……ともかく、そこは関係ないんです。そうじゃなくて……」
「はぁ……?」
「私は……いや、僕は、《男》です」
「えっ?」
「僕は、聖《女》ではありません。あの……とても恥ずかしいのですが……ご覧になりますか……?」
そんなことを頬を赤らめつつ言いながら、自らの服をはだけようとした《聖女》に、リーズは慌てて、
「い、いえ……! それは結構です。少なくともこの場では……でも……ええと……これは……どういう……」
「僕に言われましても……誰か、責任者というか、この儀式?ですか。を取り仕切った方などは……」
そう言われて、リーズはぎゅるん、と首を回して神殿長グラッドギアスを凝視した。
グラッドギアスは汗をだらだらと流しており、消え入りそうな声で、言った。
「……時間を下さいませ、殿下。それに《聖女》殿……何か手違いがあったのやも……」
◆◇◆◇◆
「結論から申し上げれば、確かにカオル殿は間違いなく、《聖女》です。ですが……それはその、力の面では、ということで……性別は男性でいらっしゃいますな……」
王城の謁見の間で、グラッドギアスは国王レーベンドルクにそう言った。
隣には王子リーズと、《聖女》カオルも控えていて、グラッドギアスの言葉を聞いている。 人払いをしているため、護衛の類については、騎士団長ただ一人だ。
「……ふむ。まぁ……なんと言えば良いのか分からぬが、力が正しく《聖女》であるのならば問題はあるまい。《聖者》と呼べばいいのではないか?」
国王はグラッドギアスにそう言ったが、これにグラッドギアスは首を振った。
「いえ……《聖女》の力はあくまでも《聖女》のもの。この万物の瞳にも、カオルどのは《聖女》と表示されます故……名前を勝手に変えれば神罰があるやもしれませぬ」
「……それはまた、難儀なことだ……」
「また、《聖女》の力は神と民とによって与えられるとも……」
「……どういうことだ?」
「おそらくは、神が《聖女》と認定し、民がその信仰を持っていることが力の源泉であるのだと……」
「つまり?」
「……《聖女》殿には《聖女》殿として振る舞って頂く必要が」
「……はて?」
大きく首を捻る国王に我慢ならなくなったのか、神殿長は言う。
「はっきり申し上げましょう。カオル殿には女性として振る舞って頂かなければなりませぬ。民衆に男性だと広まれば、そのお力が失われるやも……」
「……実に、難儀なことだ。カオル殿。いかが思われる?」
《聖女》は国王と同格とされているため、国王ですら礼を失することは出来ない。
そのためこのような言葉遣いになる。
国王の言葉に、《聖女》カオルは返答する。
「……あの、僕は……構いません。その、この国が、僕の力を必要としているのなら……僕に何か出来るのなら、それをすることは」
「良いのかな? 正直申し上げて、我々がしたことは誘拐に等しい。実のところ、異世界召喚というのが、他の世界で一般人として生活していた者を呼び出す儀式だとは伝わっていなかったので、我々も知らなかったのだが……てっきり、聖女として訓練を積んでいる……神のような存在を呼んでいるのだと……」
「僕は、故郷に親類縁者もいませんでした。全く国に未練がなかったといえば嘘になりますけど……何がなんでも帰りたいというほどではありません。こっちでは陛下も、それにリーズも良くしてくれますし、それに報いたい、という気持ちもあります」
「そうか……ありがたい話だ。しかし、しかしだ。カオル殿が《聖女》として活動する際にはその……」
流石の国王もその先は言いにくそうにしていたので、カオルが自ら言う。
「……女装が、必要なんですよね……?」
「そう、それだ。大丈夫だろうか……?」
「……は、恥ずかしいですけど……あの、せ、世界のためなら……」
「なんと献身的なお方か。確かにあなたは《聖女》であらせられる。こうなれば、できるだけ早いほうが良いだろう。リーズ。着替えなど、身の回りの準備についてはお前に任せていたな? カオル殿に《聖女》としての衣装を来て頂くのだ」
「はっ……ではカオル。こっちだ」
◆◇◆◇◆
「こ、これが全部僕の衣装……?」
リーズに案内された衣装部屋には、数十、数百の衣装が並べられていた。
その全てが当然ながら女性ものである。
この国としては女性を呼んだつもりだったのだから、当たり前と言えば当たり前だった。
実際に来たのは男性のカオルだったが。
リーズはカオルの言葉に頷いて、
「あぁ……。無駄になるかと思ったが、どうもそうはならないらしい。カオルは男性にしては非常に華奢で小柄だ。顔立ちも……その、大変愛らしいし……。城の侍女の手によれば、十分に女性として見せることも出来ると太鼓判をもらっている」
「……その太鼓判、喜ぶべきかな……?」
「……なんとも。ただ、この状況では歓迎すべき事実だろう」
「そう、だね……」
リーズとカオルがこうまで親しげに話しているのは、あの召喚の儀式から一週間、友人のように過ごしたからだ。
お互いに初めは敬語だったが、カオルがそれをやめるように言い、それならばとカオル自身もやめてくれということになった。
そこからは仲良くなるのは早かった。
年も近く、リーズは十七、カオルは十五だ。
リーズはカオルの年齢に驚いていたようで、それはカオルがあまりにも幼く見えたからだという。
確かにリーズはかなりしっかりとした体格で、見た目の上では若い騎士、という雰囲気の、完全な大人に見える。
それに対してカオルはとても男性には見えないような華奢な骨格に、童顔。
リーズは男性であるというのなら、十歳くらいの子供だろうと思っていたくらいだという。
「……まぁ、やると言ったからにはしっかりやろうと思う。僕も、男だし……おっと、もう僕、って言わない方が良いかな」
「そうだな。女性でも使う者は稀にいるが……少ない。普段はやめておいた方が良いだろう」
「だよね? 使うとしたら、リーズの前くらいかな」
「私の……そうだな。私の前でなら、全く構わない」
「じゃあ、そろそろ着替えるよ。なんというか……本当に恥ずかしいから、リーズは一旦外に出ていてくれるかな?」
「分かった。ただし、女性服は一人で着れないような構造になっているので、侍女の手伝いはいるぞ」
「……僕が男でも大丈夫かな……?」
「それについては口の硬い者だけを集めた。事情も伝えてある。だから問題はない」
「そっか。じゃ、また後で、リーズ」
「あぁ、また後で。カオル」
◆◇◆◇◆
「……おぉ、これは……」
再度、謁見のまで声を上げたのは、国王のみならず、四公爵家の主、それにその継嗣、加えて神殿長とリーズ、その他の貴族もであった。
国王の前に跪く、真っ白な衣装を身に纏った少女の美しさに感嘆の声を上げているのだ。
漆黒の黒髪に、同色の瞳、しかし肌は白く滑らかで、長い睫毛が静かに俯く瞳を彩っている。
小さく華奢な体つきだが、吹き出る神気は確かに《聖女》の気品を辺りに醸し出しており、これには普段はいがみ合うことも少なくない四公爵家の者も揃って頷いていた。
「本当に《聖女》さまが降臨なされたのだ……」「見よ、あの美しい佇まいを……」「我らの国は救われる……」
そんな声があたりから響いている。
そんな彼らに国王が言う。
「静まれ! 見ての通り、《聖女》様がついにご降臨された。これによって、我が国は魔の者たちの侵略から守られるだろう。それに、聖女様のお力はそれだけに留まらない。史書によれば、いずれ行幸された土地は精霊の祝福を受け、豊作を約束されるとも、流行病が静まるとも書かれている。その全てが事実だとは言えぬだろうが……少なくともこれだけは言える。我が国の未来は、明るいぞ!」
その言葉に、貴族達は喜びの声を上げ、そして満足して帰って行った。
残された《聖女》カオルはこのとき思っていた。
果たして、これから先大丈夫だろうか、と。
特に、自分が男かバレないかどうかが、心配で堪らなかった。