01 再び始まる恋
これは追放された聖女ティアラが、運命の男性ジル・ハルトリア公と失われた記憶の愛を取り戻す物語。さしづめこの旅の記録は、二人の記憶の欠片を埋め合わせるパズルのひとかけらと言えよう。
旅の道中、いつも彼女の側にいた僕は、幻獣さながら小さな番犬のつもりだった。
ふわふわとした毛並みの僕を、その子犬のような見た目から『ポメ』と名付けた彼女はあながち間違っていない。少なくとも、本来の種族名である『カーバンクル』と呼ばれるよりは、社会的地位と照らし合わせてしっくりとくるからだ。
カーバンクル族特有の額にあるエメラルドカラーの魔石は、ふわふわの体毛のせいで、隠されてしまっていた。魔力が限定的な状態の僕にとっては、犬に擬態できるのは有り難いけどさ。
時はティアラ一行が、精霊国家フェルトを抜けて隣国ハルトリアへと列車に乗り込んだ頃に遡る。
僕の記憶が確かなら、後生大事そうに例の指輪をティアラに献上するハルトリア公は、大人の男でありながら、初恋を告白する少年のようだった。そんなことを言ったら本人はさぞ否定するだろうが、幻獣の僕には彼なんてまだまだ少年のようなものである。
あの時、ティアラの膝の上ですやすやと安眠を取りながら、列車の揺らめきを揺りかごのように感じていた。多分、強力な魔力の輝きを感じ取り、惰眠を貪っていた自らの目を開けたのだと思う。
僕の目の前で、ジルからティアラに手渡された運命を変える魔石の指輪。それは、プロポーズという名の一蓮托生の始まり。あの日から、魔石の加護がティアラの薬指を一生彩るとは、想像しなかった。
* * *
「ようやく、フェルトの都市部を抜けた頃だな。ここまで列車が無事に走れば、暗殺部隊に狙われずハルトリアまで辿り着くだろう」
プラチナチケットの上等席から見える景色は、フェルトの街並みから遠ざかり、夜空の星々と月明かりだけになっていた。
「本当、けどプラチナチケットまで譲って貰って。ボディガードまでしてもらえるなんて、今の私じゃ依頼料なんか払えないのに」
「いや、依頼料は既に貰っているようなものだ。アンタは忘れているかも知れないが、今回の精霊国家フェルト離脱計画は、要人との記憶を消される前のアンタが了承している。まぁオレと初めて会った時の記憶すらないんじゃ、説明するのも良くないけどな」
大公にしてギルドのSランクガンナーというのは、嘘ではなかった様子。ジルは胸元に潜ませていた小型拳銃をテーブルに置くと、カウンターバー備え付けのノンアルコールシャンパンを開けグラスに注ぎ始めた。
本来は酒好きのジルが、わざわざノンアルコールを選んだのは、十代のティアラへの配慮だ。
「せっかくのプラチナ席だし、ひと息入れよう。ノンアルコールなら、十代のアンタでも大丈夫だろう。では、離脱の記念に……乾杯!」
「ふふっまるで、本物のお酒みたいな見た目。ではお言葉に甘えて……乾杯」
レディファーストなのか、ティアラをもてなす様な仕草で、ジルが乾杯を取る。
ティアラを見つめるジル、鋭いはずの瞳はどこか憂いが見えて、寂しさが伝わる。まるで、駆け落ちのような計画を了承していたらしいティアラには、ジルに関する記憶が一切残っていない。
「ねぇ、ジル。私、期待外れだったかしら? 王宮を追放される日には、多分貴方をはじめとする要人の記憶は消去済みで。私の自惚れでなければ、まるで今回の計画は駆け落ちのようなものなのに……」
「構わないさ、そうなることも分かっていてオレがこの計画に乗ったんだ。自信があったんだよ、多分な……。そういうオレだって、実は肝心な記憶を消されていて、アンタより些かマシなくらいさ」
何度か面識のあるはずのティアラとジルが、どのような心の駆け引きで今回の離脱を計画したのか『今のティアラ』には見当もつかない。だが、ふとジルが取り出したアクセサリーの小箱には、当時のティアラに捧げるはずだった指輪が収められていた。
(私とジルは……既に、約束の指輪を交わすような仲だったのね。お互い記憶が欠けているなんて、酷い話だけど。やり直せるかしら?)
ふと、小箱を持て余していたジルとティアラの瞳がパチリと合う。お互いの心にわずかな恋のカケラが、ほんの少しだけ噛み合うように。