やっぱりTS勇者は魅了を抑えられない
ユグドラシル大陸の最東端。魔族領ヨトゥンヘイム。
世界征服を目論んだ魔王スリュムは、異世界から訪れし勇者に討ち滅ぼされた。
瓦礫と化した魔王城には、数多の光剣が突き立つ。それが聖剣であることを知る者は極一部だが、この地を訪れた者は神秘的な光景に息を呑む。
勇者ユウ
歴戦の魔族が次々と葬り去られた異常事態。勇者パーティはいる。だが勇者が見当たらない。音もなく、影もない。亡骸と聖剣の気配だけを残して消える正体の掴めない勇者。繰り返される惨劇。言い知れぬ恐怖に駆られた。魔王城が崩れ、王を失った魔族は無条件で降伏した。
魔族に限らず、人族も勇者の姿を知らない者が多い。
曰く、初陣でゴブリンキングを討伐した。
曰く、街を襲った数万の魔物を殲滅した。
曰く、戦場で泣き叫び許しを請う魔族を蹂躙した。
曰く、視線だけで四天王を倒した。
極めつけは、魔王城の惨状。
眉目秀麗な美青年。筋骨隆々のおっさん。女神のような美女。人外の化物。噂に尾ひれがつき、人物像があやふやになっている。まさか、聖女の後ろをちょろちょろしていた幼女こそ、勇者だとは露とも知らず。
凱旋パレードにも出ていたはずが、何故か認識されていない。
余談だが、魔王城跡地はヨトゥンヘイムの観光名所として知られ、その収入が復興の足掛かりとなっている。光剣に手を出そうとする者は後を絶たないが、周囲は次元が歪んでいるため、近づきすぎると次元の狭間に落ちるらしい。
魔王討伐から一年。
勇者は、のんびり過ごしていた。
◇ ◇ ◇
ミズガルズ王国、王都フォールクヴァング。
中央教会からほど近い場所に建てられた小さな民家。
「すぅ……すぅ……」
長い黒髪を緩めのお団子にした幼女が寝息を立てている。
「うふふ……」
幼女を見つめて怪しい笑みを浮かべるのは、聖女と呼ばれる女性。
プラチナブロンドのふんわりロングウェーブの髪とアメジストのように深い紫の瞳。女神に例えられるほど美しい容貌は、だらしなく緩んでいた。
ぷにぷに
「ふにゅ……」
頬をつついても起きない。
「(今日もユウちゃん可愛い!)」
聖女は流れるような動作で幼女が寝ているベッドに潜り込む。
そのまま幼女の顔を胸に押し当て、ホールドした。
「むぎゅ……ぅ」
一分。
二分。
三ぷ――
幼女が藻掻き始めた。
「(息ができない!?)」
しばらく手足をバタつかせていたが、ぴたりと動きが止まる。
急に幼女の身体が弛緩したことが心配になり、聖女は腕をほどいて顔を覗き込んだ。
涙目で恨めしそうに見上げる幼女と目が合った。
「ユウちゃん、おはよう」
「……おはよう、リリア」
魔王を討伐したユウは勇者の力を失った。得意の幻覚魔法はまだ使えるが、身体能力は幼女のソレ。抵抗することを諦めていた。
「王様が呼んでる?」
ベーコンと目玉焼きを乗せた薄いパンを咀嚼していたユウは、食事を止めて首をこてりと傾げた。
「いつも何かにつけて呼び出そうとしていますけど、今回は要件があるみたいですね」
「(王城かぁ)」
ユウは露骨に嫌そうな雰囲気を漂わせている。
王様が嫌いなのではない。気のいいおじいちゃんで、お小遣いもくれる。元の世界に帰れない自分を養子として迎え入れてくれた恩もある。用事がないのに登城をするのは流石に気が引けるが、呼び出しを受けて躊躇う理由はない。
「アカマース殿下、いないよね……?」
ユウが懸念しているのは、王様ではなく王子。
緩やかにウェーブのかかった金髪とアイスブルーの瞳。幼さは残るものの、均斉がとれて目鼻立ちがはっきりした美少年。彼は王立ウルザブルン学園中等部の学生で、今は寮で生活をしている。
ユウとアカマースは魔王討伐後、王城ではじめて顔を合わせた。意図した出会いではなく、ユウはアカマースの存在すら知らなかった。出会い頭に求婚され、側室にしてやると豪語する王子。
彼の母親のクラリスが止めに入るまで迫られたことを思い出して憂鬱になった。
「あれは不覚でした。わたくしも側を離れないようにしますので、心配しなくても大丈夫ですよ」
リリアの眼差しは優しい。
「(リリアはズルい。ふざけているときも多いけど、本当に危ないときはいつも助けてくれる。ふざけているときも多いけど)」
ユウは少し俯きがちに、朝食を再開した。
王城、談話室。
「よく来たな、ユウ!」
国王は手を広げ、ユウを迎えた。
「ごきげんよう、王様」
ユウはリリアの後ろから顔を覗かせている。
「(いつもの王様だ。用事ってなんだろう。妙な胸騒ぎがするんだけど)」
ユウは警戒していた。
「元気じゃったか? もう少し近くで顔を見せてくれんか」
断る訳にもいかない。ユウは国王の側まで近づいた。
国王はユウの目線と合わせるようにしゃがむ。
「どれ、お小遣いをやろう」
国王はユウに銅貨が入った小袋を手渡した。
「ありがとう、王様」
ユウは花が咲くような笑みを浮かべた。
ユウはお金には困っていない。魔王討伐の報奨金だけで遊んで暮らせる。
以前、国王はユウに金貨を手渡そうとしたことがある。中身を聞いたユウは頑なに受け取らなかった。愕然とした国王にリリアは口添えをした。
『陛下、銅貨なら受け取ると思いますよ』
それならと銅貨を用意して、小袋に入れて手渡した。
『ありがとう、王様』
ユウは不器用な国王の気遣いが嬉しかった。
国王とユウの繋がり。出会いの儀式。
「ごふッ」
国王は蹲り、悶えた。
その様子をリリアはしばらく眺めていた。「王様? どうしたの?」「尊い……ッ」側に控えている侍女は生暖かい目をしている。「王様、苦しいの?」「…………」背中を擦る幼女と蹲り震える国王。要件はどうしたのか。
「陛下、満足されましたか?」
「……うむ。堪能した」
何事もなかったかのように立ち上がった国王は、ユウとリリアに席を勧めた。着席したタイミングを見計らい、侍女が紅茶を用意する。
「単刀直入に言おう。ユウ、学園に通う気はないか?」
「ありません」
もともと表情に乏しいユウだが、感情の抜けたような声で即答した。
心なしか、瞳から光が消えているように見える。
「(無理だから! 魅了が漏れて大惨事になるから!!)」
学園に行きたくなくて魔王討伐を強行した経緯がある。あのときは漠然とした不安だったが、今では確信している。
「(この魅了は女性にも影響する……)」
ゴブリンの巣穴での光景がユウの脳裏を掠める。
「(勇者の力を失った僕に何ができる?)」
ユウは小刻みに震える手を見つめた。
旅が始まって間もない頃。魔族に匹敵するほどの脅威に晒されている地域があった。ゴブリンの被害が相次ぎ、廃村が増えている。
賢者フェシリーを仲間に加えたばかりの勇者パーティは、戦闘経験を積むためにも依頼を受けていた。
「勇者様、本当に大丈夫ですか?」
リリアに手を引かれて歩いていたユウに問いかけたのは、剣姫イレーヌ。
「問題ないよ」
ユウは淡々とした口調で答えた。
「(勇者の力は間違いなくチート。見た目はこんなだけど、以前とは比べ物にならないほど身体能力が高い。魔法も聖剣もある。ゴブリン程度なら余裕だし、束になって襲ってきても負けない)」
村で見たおどおどとした様子は、そこになかった。
無表情だが、どこか自信に溢れた幼女に瞠目する。
それでも、幼女は幼女だ。
「無理はしないでくださいね。勇者様を守るために、わたし達がいますから……」
イレーヌが無理をしていることは、ユウでも一目でわかった。
「(剣姫とは言っても少し前までは、ただの村人。潜在能力は分からないけど、今の僕には及ばないはず。夜な夜な魔物を狩って鍛えた力を見せてやる!)」
ユウにとって魅了はバッドステータス。それを気にする必要のない魔物相手であれば、ユウはどこまでも強気だった。
ゴブリンの本拠地である巣穴を見つけた勇者パーティは村に戻り、準備を整えて襲撃をする計画を立てていた。
「(今も苦しんでいる人がいる。僕なら救える)」
村に向け戻り、夜営をしていた勇者パーティ。
ユウは一人で抜け出し夜の森を駆ける。
見張りのゴブリンを薙ぎ倒して、単身ゴブリンの巣穴に突入した。
亜空間から引き抜き、手にした聖剣の輝きが闇を照らす道しるべとなる。
ユウは聖剣に魔力をあえて緩急をつけて流して、聖剣をランダムに明滅させていた。
「(この暗闇で不規則な光源。眼の順応を妨げれば、闇はなお冥くなる。当てにならない視覚は捨てるのかな? 別の感覚を幻覚で嵌めやすくなるだけだから、どちらでもいいけど)」
ゴブリンは訳も分からず虐殺されていく。巻き上がる血飛沫を避ける余裕すらユウにはあった。
聖剣の導きに従って疾走していたユウは広間のような空洞に辿り着いた。篝火が焚かれ、視界が確保されている。
毛色の違うゴブリンがいた。知性を宿した瞳は注意深くこちらの様子を伺っている。
「派手ニヤッテクレタヨウダナ?」
「(喋った!)」
「ソレハ聖剣カ?」
「(そうだよ)」
「勇者ガアラワレタトイウ噂ハ真デアッタカ……」
「(そうみたい)」
「引カヌノダナ?」
先ほどから、ユウはこくこくと頷いている。
唐突に広間の地面を覆いつくつほど大きな魔法陣が浮かび上がった。
「我ハ、ゴブリンキング。ゴブリンヲ統ベル王ダ」
次々とゴブリンが召喚されていく。ユウは知らないが、下級のゴブリンだけではなく、シャーマンやジェネラルといった上級のゴブリンもいる。
広間を埋め尽くし、ユウを包囲するゴブリン。
「モウ小細工ハ通用シナイ。貴様ガ真ノ勇者トシテ目覚メル前ニ排除サセテモラウゾ」
ユウはこてりと首を傾げた。
「でも、ゴブリンでしょ?」
ズドンッ
棒立ちのユウに、武装したゴブリンジェネラルが剣を振り下ろした。
身体が縦に両断され、真っ赤に染まった幼女だった肉塊が崩れ落ちる姿を幻視した。
剣を地面に叩きつけた格好でゴブリンジェネラルの身体が斜めにズレた。
続けざまに近くに居たゴブリンシャーマンの首が飛ぶ。
瞬きをする暇もない。
ゴブリンキング以外のゴブリンが倒れるまで十秒も掛からなかった。
「ナンダ……ナンダ、コレハ……」
呆然と呟くゴブリンキングの胸を聖剣が貫いていた。
「(これが、勇者だよ)」
息絶えたゴブリンキングを放置して、更に奥に進む。
すえた臭いに思わず、顔をしかめた。
縛られた女性が数人いた。かなり衰弱しているようだ。
ユウは縄を切断してから、亜空間から取り出した白いシーツを彼女たちに手渡した。
「(まだ深夜。残党もまだいるはず。明るくなるまで動くのは危険かも)」
焼き固めたパンのようなものと水筒も取り出して、それも手渡す。
そのとき、捕らえられていた女性の中で、最も年若いと思われる少女と目が合った。
気がつくと、少女に押し倒されていた。
ユウの胸に顔を埋め、すすり泣くような声と震える身体。ユウは彼女をあやすように頭を撫でた。
他の女性は慈愛の眼差しで二人の様子を見ている。
しばらくその状態が続いていたが、次第に少女の様子がおかしくなりはじめた。
「んっ……んっ……」
妙に艶のある声。呼吸が乱れ、ユウの足を太腿で挟み擦りつけている。
ユウは慌てて少女の両肩を掴み、引き離す。
少女はユウのお腹に跨るような体勢で、とろんとした瞳と熱に浮かされたような表情でユウを見下ろした。
ゾクッ
ユウの魅了は女性の母性に絶大な効果を発揮する。少女は直前まで感じていた恐怖とユウの魅了によって引き出された母性が強烈な吊り橋効果を生み錯乱していた。思慕と恋慕を取り違えている。
「(ひぃぃぃぃぃぃ!?)」
ユウはゴブリンの巣穴で初めて恐怖した。
薄暗い洞窟で怪しく嗤う少女。どう見ても正気ではない。
ユウは少女を抱き上げ、他の女性に預けた。「待ってて」とだけ伝えて巣穴の入口まで走る。何が何だか良くわからない。粘着いた視線は、身の危険を感じさせた。
外の景色が見えたところで、ユウは壁に背を預けてずるずると座り込んだ。
「(これは、魅了の影響なのか? もし本当にこれが魅了なのだとしたら、誰も信用できなくなる。リリア、イレーヌ、フェシリー。彼女たちも、いつか僕を襲うのだろうか)」
膝を抱きかかえて顔を埋める。
ギギャギャ
夜はまだ長い。遠くでゴブリンの鳴き声が聞こえた。
どのくらい時間が経ったのだろう。 薄明を迎えた頃。
「勇者様!」
イレーヌの声が聞こえた。
ゴブリンの巣穴の入り口に立ち尽くす小さな人影。
乱れた長い黒髪は幽鬼のような様相になっている。
「みんな倒したよ」
ユウは笑顔だった。
イレーヌは初めてユウの笑顔を見た。
散らばるゴブリンの死骸。ユウの周囲だけぽっかりと空いている。
イレーヌはユウに駆け寄り、抱きしめた。
ユウはびくりと身体を強張らせる。
「連れ去られた女性も助けた。これでこの依頼は解決だよ」
いつになく饒舌なユウ。まだ少しか一緒に旅をしていないが、それでもわかった。
「駄目、だよ」
ユウの笑みは幼い子供が褒めて欲しくて浮かべるようなものではない。全てを呑み込んで、それでも大丈夫だと強がる類のもの。この子は、紛れもなく勇者だ。身も心もあまりにも強い。それなのに不安になるのは、壊れてしまいそうな脆さ。こんなに哀しい笑顔を浮かべる子が居て良いはずがない。
「わたしは……わたしたちは、仲間。この先、どんな困難が待っているのか想像もつかないけれど、一人では耐えられないことも、みんなで分け合えば乗り越えられると思うの」
イレーヌは身体を離してユウと目線を合わせる。
「もう無理をするなとは言わない。その代わり、もっと頼って。ユウちゃん」
「……わかった」
いつもの無表情に戻ったユウはそれだけを答えた。
しばらくして、リリアとフェシリーが合流した。どうやら、イレーヌが先行していたようだ。リリアに諭され、フェシリーに揉みくちゃにされる。
「あたしもユウちゃんって呼んでも良いのかな? 良いよね?」
「は、はひぃ」
まだ少し身体が震えるが、イレーヌの言葉を思い出して受け入れた。
ユウの案内で巣穴を進む勇者パーティ。入口の惨状が児戯と思えるほど凄惨な光景とむせ返りそうな血の匂い。「あ、ゴブリンキングがいますね」軽い調子で話すリリア。「ジェネラルやシャーマンもいますよ! 良い触媒になりそう!」興奮した様子のフェシリー。「(うん。気にしないようにしよう)」イレーヌは現実から目を逸らした。
最奥にいた女性たちを連れて、村に戻った。
村ではささやかな宴が催された。イレーヌが村長の勧めでお酒を飲んでいると、宴の隅でユウと少女が何か話している姿が見えた。耳を澄ますと「友達でお願いします……」とだけ聞こえた。
宴が終わり、借りた空き家でわたしたちは疲れを癒す。
寝る前に、ドミニクに宛てた手紙を書いていた。ドミニクからの手紙は村の様子や近況報告、そして最後には《愛してる》の文字。ドミニクとの何気ない日常が恋しくなる。わたしはユウちゃんのことを書いた。この子の頑張りをドミニクにも知ってもらいたかったから。
「(今なら絶対に抵抗できないよね? 終わりだよ! ジ・エンドだよ!!)」
平静を装い、心の中で百面相するユウ。
「学園に行けば友達も増えるぞ?」
「必要ないです」
「(アカマース殿下も学園にいる。クラリスさんが言っていたけど、婚約者と側室候補が揉めてるらしいじゃん! どう考えても危険地帯だよ!!)」
「わしはユウが心配なんじゃ……」
「無理、です」
表情には現れていないが、ユウとしては土下座をしてでも止めて頂きたい心情だ。ちょっと腰が浮いている。
「ユウがそこまで嫌がるとはのぅ。気が変わったらいつでも言って欲しい。気が変わらなくても遊びに来るのは大歓迎じゃぞ!」
「ありがとうございます……」
王立ウルザブルン学園。ユウには魔王城を超えた魑魅魍魎が蔓延る人外魔境に思えた。
接する時間が増えれば、それだけ魅了のリスクも増える。まともな学園生活を送れるはずがない。
ユウはリリアに手を伸ばし、机の下で手を握った。
皐月優/ユウ:元高一の男の娘。魔族を恐怖に陥れ、魔王を倒した幼女勇者は、幻覚魔法が使える非力な幼女に成り下がった。勇者の力は失っても女神フレイヤの加護はあるので、魅了は健在。リリアとのんびり暮らしている。
聖女リリア:ユウをユウとして接している女神フレイヤ。幼女化した身体も男の自意識も全て受け入れて楽しめる強者。正妻の余裕。
剣姫イレーヌ:ドミニクと結婚してせっせと子作りに励んでいる。
賢者フェシリー:王都に呼び出した義兄を攻略中。
王女クラリス:息子の成長に頭を悩ませている。ユウの事情はそれとなく伝えたが、聞いてくれなくてやっぱり頭を悩ませる。
王子アカマース:婚約者の目の前で他の女性を口説ける豪気な少年。それはやめた方がいいと皆が思っている。
国王テーセウス二十一世:ユウを猫かわいがりしている。ユウが城に寄り付かない原因の一端が、孫にあることは知らない。