王家への呼び出し1
「はぁっ……はぁっ……」
夕日が差し込む中、花の港町のルーマン宅へ荷物の搬入を終えたシークは、疲労で庭に寝ころんでいた。
思えば目覚めてから今まで、何度肩で息をすることになったのだろうか。
目覚めた翌日の朝からシークはクロット、カーラと荷造りに勤しんだ。
シークは明らかに体力馬鹿なカーラはおろか、普通の主婦であるクロットの半分も役に立たなかった。
アルベルは、王に説明が必要だろうと朝から港町に向かっていた。
さらに翌日は朝から数台の馬車に荷物を詰め込み、昼前には出発。
港町には数時間で着いた。
馬車の中では疲労がたたり眠ってしまったため、四百年前とどれだけ変わったかなどを楽しむ余裕もなかった。
目覚めると塀で囲われた屋敷の中であり、すぐに荷物の搬入。それが終わってようやく今に至る。
頬に冷たい何かが触れた。
「弟くん、やっぱ体力なさすぎー」
カーラが水の入ったガラスコップを当ててきていた。上半身だけ起き上がりコップを受け取り、一口飲んだ。
「生まれてから王宮で魔法漬けだったからな。魔力は人並み外れて多いが、体力はその逆なんだ」
「なら、やっぱ王家に戻ったほうがいいんじゃないのー? 私はいやだけど……」
カーラはポスンとシークの横に座り込んだ。不安そうな視線がシークに向けられる。
出会ってまだ二日ほどだが、弟くん弟くんと犬のように懐かれていた。
「それはない」
シークはカーラの頭を軽くなでた。
「氷の中で、もし目覚めることがあったらとずっと考えていたんだ」
シークは空を見上げる。
「目覚めた時はその時代の統治者がいるはずだから、たとえどんな政治になっていようと俺が王宮に戻るべきではない。どれだけ考えても、それが最適だった」
「でも、うちより絶対快適にすごせるよー」
「そんなことはない。人々が劇的に変わっていない限り、他人の俺をこんなに暖かく受け入れてくれるところなど、そうありはしない。王家などさらにだ」
「他人じゃなくて家族だよー」
カーラがすねるかのように、服を引っ張った。
「そうだったな。こんな家族に巡り合えた俺は、本当にラッキーだ。だからこそ引っ越しの準備も容赦なく手伝わされたんだがな」
両親からの、特にクロットからの指示は容赦がなかった。
大量の荷物を前に、夕飯を食べたければ夜までに荷物の搬入と片づけを終えろという指示は、戦争時の突貫命令にも聞こえた。
腕が震え、ひざは笑っていた。戦争時でさえ魔法を頼りにしていた身としては、生まれて初めて感じる大きな疲労と言っても過言ではない。
「とーさんもかーさんも、ほんわかだからねー」
「二人ともお前に言われたくはないと思うぞ」
軽口をたたきながらも、シークは目の前の姉に感謝していた。
この子がいなければ、シークがルーマン家の子供となることはなかっただろう。
もし孤児になるのを認められず議論が平行線をたどってしまっていたら、何も言わずあの家を出ようとさえ考えていたのだ。
この子がここまで懐いてくれなければ、アルベルとクロットが遠慮なく接することもなかっただろう。子供として認めてくれていたとしても、敬意という名の距離を置かれることになったと思う。
だからこそ、この子には幸せになってほしいと思う。
シークの目覚めによって再び戦争が起こるだろう。その中で、カーラは間違いなく戦力として徴兵される。
この二日間だけでも、カーラの身体能力が常軌を逸することは明らかだ。
少しの経験を積むだけで一級の戦力になる。それはつまり第一線に駆り出されるということだ。
恩人であり、大事な姉である彼女を護るため、シークは、そしてこの国はさらなる力をつける必要がある。
よしっ、と決意を新たにしたところで、港町に着いてすぐ往生に呼び出されたアルベルが馬に乗って戻ってきた。
「帰ったぞー」
「おかえり」
「とーさん、おかえりー」
「おうっ」
挨拶もすっかりなじんできた。
「今すぐにでもシークに会いたい、連れてこないならば自身で会いに行くと王様に言われたけど、どうにか拝み倒して明日にしてやったぞ!」
アルベルがガッツポーズをした。
「ありがとう」
シークは重い右手を軽く上げて応える。
今の状態で王様に謁見する音になっていたならば、背筋は伸ばせず大変失礼な態度をとることになっていた。
「明日は早く起きないとな」
「なら弟くん、明日からやるって言ってたトレーニングはなし?」
「いや、やるぞ」
「そしたらまた今みたいに立てなくなるよー」
カーラがシークの足を突っつきながら笑った。
言うとおりさほど厳しくないトレーニングでも、シークの体は悲鳴を上げてしまうだろう。
「限界まではしないが、それでもやらなければならない」
「なんでー? 一日くらい、休んでもいいんじゃないー?」
「近いうちに間違いなくサンロード国が攻めてくるからだ」
シークは遥か遠くを見た。
「昨日から険しい顔してるのはそういうことか」
アルベルが馬から降りてきた。
「うん」
「だがシークが戦った防衛戦以降、この国に攻め込んできたことはないんだし、考えすぎじゃないか」
「それは氷壁があったからだよ、父さん。俺の氷と一緒に砕けたから、氷がなくなったことを知られてくるとすぐに奴らは動き出すぞ」
「まさかそんな……」
「昔は何度攻めてきたことか」
「確かに歴史ではそうなっているが、いまさら攻めるなんて……」
「それだけこの地は重要な地なんだよ。広大なメリル海を挟んで、サンロード帝国とアースリード共和国が過激な宗教対立しているのは知っているだろ?」
「まぁ話だけならな」
「海からしか攻められない以上、メリル海の中心にあるここルミナス王国は最高の補給基地に……って話だけ? なんでそんな他人事なんだよ!」
「私はそもそも知らないよー」
どういうことだろうか。二つの大国は宗教国家であり、それぞれが別の神を信仰している。
ちょうど間にあったルミナス王国にはそれぞれの信者がいた。お互いが唯一の神を信奉し、教義の違いから四百年前は島内でも時々いさかいが起きていた。そのためこの二国の争いは周知の事実だったはずだ。
数百年たったところで、それが変わると思えない。
それくらい相いれない関係だった。
「この国に宗教はないからな」
「まさか……」
「戦争が終わった後、遠縁の王家が王座について禁教令が出たんだ。戦争の原因になったのは宗教になったのだから、と。だから大抵の人たちはそんなことあったか、ってくらいしか二国の争いを認識していないぞ」
「なら、その当時いた信者はどうなったんだ?」
「確か、迫害して追い出して徐々に減らしていったはずだな」
「そんなことするバカが親族にいたとは……」
宗教観が争いの原因なことは間違いないが、追い詰めたところでそれが解決するわけではない。
当時のルミナス国は争わない限り信教の自由を認めており、一部の過激派を除いてそれぞれの宗教の信者は平和に暮らせていた。
それを迫害するなど……
「というか追い出すってどうやったんだ?」
「史実では氷の壁を登らせ、向こう側にわたらせたらしいな」
「そんな……高さも相当だったがそれ以上に相当分厚い氷にしてたはずだ……氷の上に登れたとしても、そのあとかなりの時間氷の上を歩かなければ氷の端にはつかない。さらにそこから向こう岸まで泳がなければならないぞ。泳いでどうにかなる距離じゃなかっただろ……」
「その通りだ。だから追い出された人たちは、運よく船でも通りかからない限り死んでいった……」
「生き残った人に恨まれているのも間違いない、か。やはり攻め込んでくるだろう」
シークは、争いが避けられないことを確信した。
「だが氷壁が亡くなったことが伝わるまでに時間があるはずだ。準備はできるだろう」
「ガインは?」
「ん?」
「あの時、敵将ガイン・サンロードも凍り付き、吹き飛んでいった。その氷は俺のと同時に壊れたはずだ。ガインが壁の外まで飛んで敵に持ち帰られていたら、ガインの氷が壊れたことで、氷壁が壊れたこともすぐに敵に伝わるぞ」
アルベルは少し大げさに考え込むしぐさをする。
「少なくともルミナス史に回収したという話はないな」
「海の中に沈んでくれていればいいが、サンロード国に回収されていたら気付かれているだろうな」
「例えガインが復活したとしても、この島もあの時とは違う。俺たちのような騎士がいるからな」
はっはっはっ、と笑いながらアルベルが言った。
確かに四百年前、騎士たちがいたならばもう少し好戦できたかもしれない。
ただし戦況を覆すことは無理だっただろう。それだけあのガイン・サンロードという王子は異常な強さだった。
加えて現代は魔法が衰退しているという。ガインを追い返すためには、圧倒的な魔法を使うシークとフーシュラが身をささげなければならなかった。
今一度奴が来たなら、この国は無事でいられるのだろうか。もうフーシュラはいないのだ。
「もし奴が来たら、俺が倒さなければいけない。ならなおさらだな」
シークは決意をさらに固めた。
「近接戦闘もできるようにならなければいない。れには何よりもまず体力が必要だ。だから明日もトレーニングはする」
「しょうがないなー。弟くんがそこまでいうならトレーニングは付き合うよー。あと、そのガインっていう人とも一緒に戦ってあげる」
「そんな無茶は――」
シークの言葉が轟音と振動により遮られる。
目の前でカーラが拳を地面に叩きつけていた。
振動が周囲に広がっていく。
「ほら。私は魔法は使えないけど、力は強いよー」
肩を回しながら笑うカーラから、大量の魔力があふれていた。