目覚めと出会い2
「カーラ。港町に行く準備はできているかい?」
夕食を食べながら、カーラの父、アルベルが聞いてきた。
パン、スープ、肉料理とほぼひととおり食べてしまったが、後ろのキッチンにはカーラのおかわりが控えている。おかわりはいつもするのだが、今日の料理がいつになくおいしいため、カーラはうきうきと食事をしていた。
「うーん。勉強とかはもう大丈夫だけど、荷造りはまだいいかなぁと思っててしてないよー」
「そうか。なら今度港に出た時には、カーラの一人暮らしによさそうなものを見繕っておくよ」
「ありがとー」
今日は土の月のちょうど中日。半月後、つまり四十五日後にはカーラは南側の港町である花の港町に下宿し、学院に通うことになる。だがその前に入学試験を受ける。
入学試験では一般的な知識の筆記試験と身体能力、魔法能力のテストがあり、その結果によって志望する学科に入れるかどうかが決まる。
カーラは女子では珍しい騎士学科を志望していた。現役騎士のアルベルからお墨付きをもらえるほどの身体能力があり、一般知識も日々の空いた時間で母のクロットから学んでいるため、問題なく志望学科に入れると両親からお墨付きをもらっていた。
「でも、うちにそんなお金あるの? 贅沢なんてしたことないから貧乏なんでしょー」
「お前、昔から何も欲しがらなかったけど、そんなこと思っていたのか」
カーラの問いに、アルベルが頭を抱えた。
「小さなころからこんな辺境で質素な暮らしをしていたら、そう思うでしょ」
「カーラ、それは違うのよ」
クロットがスープのスプーンをゆっくりと食器の上に置いた。
「お父さんは代々騎士の中でも上位の位を承っている家系。お給金も悪くないし、港町にはここよりもはるかに大きな家も持ってるの。だから、娘の門出を何度も祝えるくらいの蓄えはあるのよ。ただ食事も自給自足できるし、こんな離れたところだから、誰かに見せるための豪華なものを用意する必要もなくて、こんな質素な生活になっちゃったみたい」
「俺も母さんも贅沢が好きなわけじゃないからな」
「そうそう。私はお父さんとカーラがいれば十分。だから来月からはさみしくなるのよね……」
クロットがさみしげな表情を浮かべ、食卓全体がしんみりとした空気になる。
カーラはこれまで友人が出来たことが無く、港町でたくさん友人ができたらいいと思っていたのだが、考えてみると家を出るということは両親と離れるということだ。
父は騎士として仕事でよく町に出てくるが、母はそうはいかない。
「って、今日みたいなことがあったらどうするの? 私もういないんだよ!」
襲ってきたベアクアッドを思い出して、カーラは声を上げた。
同じことが起きた場合、戦う力のない母は殺されてしまうのではないだろうか。
「大丈夫よ。カーラが街に出たあとは、お父さんが港町に行くときは付いて行くようにするから。覚えてないかもしれないけれど、あなたが小さいときはあなたも一緒に港町に行っていたのよ」
初耳であった。というより――
「それならいつでも会えるじゃない! なんでそんな何年も会うことできない、みたいな顔をしてるのっ?」
「そういえばそうね」
のほほんとクロットが答えた。
「もういっそみんなして港町に移り住――」
「「それはできない」」
カーラが言い終わる前に、両親が声を合わせて言った。視線はカーラではなく、部屋の奥にある扉を見ていた。
「そうだったね。ごめんー」
二人の視線の先には、この家のもう一人の住人がいる。生きているかどうかもわからない住人が。
「俺たちは先祖代々ここを守ってきたんだ。あの人はこの地に固定してあるから一日二日離れたところで盗られる心配はないが、それでも長期に家を空けることは出来ない」
「そうよ。私たちはここを守っていかなければいけないの。これから私たちに新しい子が生まれたとしても、この役目はカーラが継がなければいけないのよ」
「うん……それはわかってるよー」
カーラは項垂れた。これから学院でどんな友人が出来、どれだけ仲良くなっても、結局はこの地に戻ってこなければならない。気が重いが、それだけ重要なものがこの家に眠っているのだ。カーラは自身の境遇に納得は出来ていないが、理解はしている。
「あの人を守っていることが、私たちにとって誇るべきことなんだよね……」
あれがなければ、一家がこの地に縛られる必要がなくなるはずだ。いっそ壊してしまえないだろうかとにくい気持ちで扉を、そして気持ちは扉の先を睨むと――
ピキッ。
高い音が、家全体に響いた。
ピキピキッ。
音は止まらない。
「まさかっ!」
真っ先に動き出したのは、この地に最も長く住んでいるアルベルだった。椅子を倒して立ち上がり、扉に駆け寄り勢いよく開き、そのまま中に入った。
「こっ……これは……」
アルベルの驚愕の声が聞こえた。
カーラは追って奥の部屋に入ると、そこにはいつもと変わらない光景が――いや違う。
「ひびが入ってるーっ?」
カーラの悲鳴が部屋に響いた。
これまでカーラが隠れて全力で攻撃したとしても傷一つつかなかった氷の塊が、頂点から真下に向かってゆっくりとひび割れていっている。
氷の中には黒を基調としたローブ着、杖を持った少年が目を閉じている。
ピキピキピキピキッ。
ひびが真下に到達すると、今度は氷全体に小さなひびが生じた。
パリンッ。
ついには氷が崩れ落ちた。
氷の中にいた少年はゆっくりと地に降り立った。何百年も氷の中にいたはずなのに、不自由を何一つ感じさせない動きである。
その光景は実に幻想的だった。
ゆっくりと少年が目を開き、こほっ、と一度せき込んだ。
「声出すのも久しぶりだな」
少年は、あー、あーっと慣らすように発生をしだした。
「初めまして。俺はシーク・ルミナスといいます。お互い色々聞きたいことがあると思うのですが、まずは今はいつでしょうか? 感覚では、大体四百年眠っていたと思うのですが……」
何年も氷漬けにされていた少年は、まるで悟りを開いた老人のような落ち着きで聞いた。
言葉を聞くとともに、アルベルとクロットが跪いた。
「初めましてシーク王子。私はアルベルト・ルーマン。この地とあなたのお体を護る使命を負った家系でございます。今は八八八年でございます」
「そうですか。思ったより十年以上誤差がありますね。体感感覚だけではさすがに正確には測れませんでしたか」
ははっと少年が笑う。
それを見て、カーラは我に返った。
「って、氷漬けなのに時間間隔あったのーっ?」
カーラは驚愕した。四百年くらい経ったとしれっと言う感覚は、理解できない。
「あの氷は概念的に肉体を凍らせるものだったから、意識ははっきりとしていたんだよ。って、君は?」
「私はカーラ・ルーマンだよー」
「カーラ! 王子の前だ。まずは頭を下げて言葉を正しなさい!」
アルベルがカーラの手を地面に向かって引いた。
「いえ、かしこまらないでください。俺たち姉弟は子孫を作れなかったので、今は王家ではないはずです」
「ですが、それでもあなた様は英雄です!」
「ならばあなた方は俺の恩人です。氷漬けとなった俺の体を守っていてくれたのですから。正直なんとお礼を言って、何をして恩を返せばいいのかわからないくらいです」
「そんなっ? そのようなことは必要ありません」
「なら俺もかしこまってもらう必要はありません」
にこやかに言い返すシークに、アルベルは黙った。父が、カーラと同じくらいの年の少年に言い負かされているのは、娘として気持ちのいいものではないはずだが、それを当たり前と思わせるほどの落ち着きをシークから感じられる。
ぐぅ。
シークから、かわいらしい音が聞こえてきた。
本人も恥ずかしいようか横を向いて頬を赤らめていた。
「すみません。体の時間は止まっていたため四百年分の空腹というわけではないのですが、凍る直前は戦争が佳境でして……食事をとる余裕がなかなかなかったのです。申し訳ありませんが、何かお食事をいただけないでしょうか?」
食事といってももう今日は食べてしまった。残り物は--
「ああっ……」
カーラは小さな悲鳴を上げた。
カーラは、自分のおかわりがシークに出されることを悟って、視線を落とした。






