目覚めと出会い1
窓から差し込む日差しが、閉じたまぶたを貫通するかのように目を刺激する。
十分睡眠をとっていたため、カーラ・ルーマンは心地よく目を覚ました。腰まで伸びた白髪がベットの上で好き勝手に乱れている。
カーラはゆっくりと浴場に向かった。カーラの一日はこの乱れ髪を整えるため水を浴びることから始まる。一度これをさぼって母の前に出たときは、女の子が髪を手入れしないなどありえないと激高されたため、それ以降は水浴びを欠かしていない。
服を脱ぎ、備え付いた井戸から水をくみ上げ、思いっきり頭のてっぺんからかける。
「ふっふー。冷たいー」
現在は土の月。一年で寒さが一番厳しい時期である。港町ならば暖かいお湯がでる設備があるというが、ここにはそのようなものはない。生まれてからずっとこのような生活を繰り返してきたため、この冷たさには慣れている。
体を洗った後は朝食である。いつもどおり、母であるクロットが昼までを乗り切るための食事を用意してくれていた。
「いっただっきまーす」
「はい。召し上がれ」
朝食時はその言葉だけで食事中の会話はしない。お腹を満たし朝の仕事のエネルギーとするためおいしい朝食をひたすら口に放り込んでいく。家族の団らんは一日の勤めを終えた夜に行うものだ。ただ父は港からの呼び出しのため昨日からおらず、今日も帰ってくるかわからないので、今晩は二人で過ごすことになるだろう。もう一人いると言えなくもないが、まぁそれはいないも同然だ。
山のようにあった朝食がすぐになくなった。
「行ってくるー!」
「はい。いってらっしゃい」
カーラは笑顔で見送る母に、大きく手を振って外に出た。
「さーて、働こー!」
カーラは鍬を構えた。
来年十五を迎えるカーラは、次の花の月からは港町の学院に通う必要がある。そうすればこの家に残された両親が畑の面倒を見ることになる。ならばせめてそれまでの間は、カーラが広い畑を手入れしていたい。
この家はルミナス島の東端に位置しており、港町へは歩いて半日ほどかかる。住人は両親とカーラ、それと住人と言っていいのかわからないもう一人。
すぐ近くには岸壁があるが、波が押し寄せてくる心配はない。大昔は荒れていたようだが、現在では波があれることはなかった。
この国は約四百年前の防衛戦以降、外国との交流が物理的に途絶えており、国としては自給自足している。その中でもカーラの家は、家族以外のだれにも頼らずこの地で生活をしていた。
「いっくよー!」
カーラは鍬を持って畑に走り出した。
走りながら目にも止まらぬ速さで地を耕していく。昨日から始めたこの広大な土地の地慣らしだが、数日で終わらせることが出来るだろう。
自身の全力で鍬を振ってはいるが、制御をおろそかにしているわけではない。同じ角度から地に突き刺さるよう正確に繰り返してく。
これも鍛錬の内だ。
理想の動きをイメージし、そのとおり体が動くよう意識しながら、全力で体全体を動かしていく。
これがカーラの日課であった。
「はぁっ、はぁっ」
今日のノルマまで一気にやりきった体は悲鳴を上げていた。
数時間は全力で動いていただろう。幼いころからの繰り返した結果、これだけの時間を繰り返せるようになっていた。比較対象がいないためわからないが、同世代の女子だけでなく、男子にだって引けを取らないだろう。
カーラは持ってきた弁当を広げた。両手に収まらない弁当箱が二つ、布にくるまれている。弁当箱の中には、パンに芋に野菜に肉にと溢れんばかりに敷き詰められていた。昼食後はより厳しい自主訓練の時間となるため、たくさん食べて体力を回復する必要がある。
「いっただっきまーす」
今日の昼食は一日で一番寂しい食事である。
父は仕事に出て母は家事。つまり一人で食べなければいけない。本には港町には人がたくさんいて人々は友人と食事をすると書いてあったが、ここにはルーマン家しか住んでおらず、友人など生まれてこの方できたことが無い。さみしくないかと以前母に聞かれたが、友人が近くにいる状況をうまく想像できず答えることが出来なかった。
「おいしーっ」
外気の影響で弁当は冷えているが、それでもおいしかった。
食べ終わると大分回復したが、それでも疲れは残っている。持ってきた毛布にくるまってひと眠りすることにした。
目を閉じると自然と体が休息に入った。
息をゆっくりとすってゆっくりと吐く。これを繰り返すだけで自然と体から力が抜けていき――
危機を察知した。
意識せず目が開かれ、耳が周囲の音を取り込む。体が警戒モードにとなったのだ。
畑の奥にある森から、かすかな草木をかき分ける音が届いた。距離が大分あるのに音が聞こえてくることから、人の何倍もの大きさであることがわかる。魔獣だろう。
木で隠れているため、魔獣を視界に収めることはできていない。
音が大きく、細かくなる。走り出したようだ。カーラの匂いをかぎ分けたのだろうか。
どんどんと音が大きくなる。
「ガァアアアアアアアアアッ!」
魔獣が木をかき分けて畑に姿を見せると、雄たけびを上げてカーラへと一直線に駆け出した。
「まだ種を植えてないからよかったー」
もしも作物を植えた後だったならば、今頃絶望に明け暮れていただろう。
カーラは持ってきていた、等身大の木刀を持って駆け出した。
走りながら魔獣の詳細を確認していく。
カーラの二倍背が高く、カーラの四倍横に太い。重さなどそれこそ桁が違うだろう。四足歩行をしていながら、背中から長い腕がさらに二本生えている。茶色い毛はなかなか刃を通しそうにない。人とは程遠い顔には、鋭い歯がたくさん生えている。
ベアクアッドと呼ばれる魔獣だ。港町ならば騎士団や魔法師団が出張って集団で戦う相手だが、ここにはカーラしかいない。逃げると家まで追ってくるだろう。
「はぁっ!」
カーラはベアクアッドの上へ跳び上がる。
そのまま空中で木刀を構え、回転しながら頭上に木刀を叩き込んだ。
「ガウッ!?」
まるで岩に打ち込んだかのような手ごたえであった。
ただダメージは通っているようで、ベアクアッドは頭をクラクラさせている。
「さすがに刃がないと一撃では無理かー」
カーラは木刀を背中に担ぐように構える。
「ガァアアアアアアッ!」
ベアクアッドは意識を取り戻すためか、叫びながら四つの手と頭を振り回す。さらに体まで揺らしだした。
「はぁあああああああああああっ!」
カーラは木刀を思いっきり振った。ただし今度は、木刀の先端がぎりぎりベアクアッドの頭にヒットするように。頭に当たって止まらず、振りぬくためだ。
「まだまだぁー!」
振りぬいた勢いを振り上げる勢いに変え、さらに振り下ろす。
「こんのぉー!」
相手に反撃を与える機会を与える気はない。
大振りの連打を二十ほど繰り返したところで、ようやくベアクアッドが倒れた。
最後の一撃でベアクアッドの首の骨は折れていた。同時に命も絶たれただろう。
ベアクアッドに肉は鍋にするとおいしい。そして、今すぐ持ち帰らなければ、今日の夕ご飯の変更には間に合わない。
「急いで持って帰らなきゃ」
カーラはベアクアッドを引きずりながら家に向かって走り出した。せっかく耕した畑を荒らさないよう畑と畑の間を丁寧に弾きづりつつも、速度を落とさないよう絶妙なバランスであった。
「ふっふっー」
いつもの鼻歌も心なしかテンポが速い。食事だけでなく、何かいいことが起こる。そんな予感がカーラの頭の中を駆け巡っていた。