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中編「先輩、たすけて」




「せんぱい、今度、せんぱいのおうちに行ってもいいですか?」




 冬休みを控えた季節です。

 つまり商店はどこもかしこもクリスマスに向けて準備中、街の至る所でクリスマスソングが鳴り響き、ネット通販だってクリスマスセールを予告するぐらいにクリスマスの季節。

 こうなってはもちろん、後輩としては先輩のおうちにお邪魔するのが筋というものでしょう。

 暖房の効いた図書室で、携帯端末にダウンロードした動画を見ていた先輩は、イヤホンを耳から抜いて怪訝そうに一言。


「待て。なんで俺に訊いた」


「せんぱい、あたしはアポなしで突撃するほど躾がなってない子じゃないですから」

俺の妹(ナツミ)と遊ぶなら勝手にすればいいだろ」


 兄に失恋から早く立ちなおって欲しいナツミさんは、あたしの恋を応援してくれている心強い戦友ともです。

 つまりこれは、そういう話ではないのです。


「女の子に全部言わせるつもりですか……?」

「コミュニケーションの基本は言葉にすることだからな」

「せんぱいのおうちでクリスマスを過ごしたいです!!」


 元気よく声を張り上げた。

 こうなれば既成事実化していくしかない。

 三歳の年齢差がなんだというのでしょう、あたしはきっと美人になる予定です。

 目指せモデル体型美少女です。

 ナツミさんからの情報によれば、先輩はえっちな本を隠し持っていて、おっぱい大きい子が好きらしいですが。

 そういうのはいいから。

 いいから。


「クリスマスはおじさんたちと祝ってもいいんじゃないか。おまえ、仲悪いわけじゃないだろ」

「ぐぅ」


 痛いところを突かれました。

 今のあたしの保護者、おじさんとおばさんはいい人たちです。

 子宝に恵まれなかったお二人は、あたしの境遇を悲しみながらも、精一杯の愛情を注いでくださっています。

 つまり、名実ともに家族といっていい間柄。

 先輩のご指摘は正しい。 

 正しすぎるのです。

 ですが。


「最近、おじさまもおばさまも、あたしが明るくなったって喜んでるんです。お友達の家で遊んで帰るぐらいなら、許してくださいます」

「……気のせいか? おまえ下心ありそうな口調だったけどな」

「あたし、友達少ないので」

「こういうときにそれ持ち出すの卑怯だろ」


 先輩は深々とため息をついた。

 つまり「仕方ないな、俺が折れるしかないか」という感じの妥協を示す動作。

 勝った、あたし勝ったよナツミさん!

 恋人同士的な浮いた雰囲気ゼロ、明らかに手のかかる妹みたいな目で見られてる気がするけど!!


「安心してください、二四日の昼にお邪魔しますけど、二五日はきちんと家族で祝いますから」

「送っていくから、二四日にはちゃんと家に帰れよ」

「せんぱい、紳士なんですね……そういうところもかわいいです」


 かわいいってなんだよ、と不機嫌そうな先輩ですが、趣味はお菓子作りでアップルパイが絶品だとか。

 お菓子作りをする先輩、これはもう可愛いに決まっています。


「まあ、ナツミもよろこぶだろうしな」

「可愛い後輩が遊びに来てくれるんですから、少しは浮かれてもいいんですよ?」


 すねたように口をとがらせると、先輩はやや愉快そうに笑ってみせた。


「残念ながら、俺の友達も呼んであるからな」

「……あたしが人見知りすると知っての仕打ちですか!?」

「クリスマスパーティなんて人が来るに決まってるだろ!?」


 くっ、言われてみれば……うかつでした。

 そう、先輩は元々、そんなに人付き合いが悪い方ではないのです。

 クラスの主流派マジョリティかと言われたら否だけれど、普通に友達はいるし男友達と遊んだりもする男子高校生なのです。

 しかしそうなると懸念事項があります。


「それじゃあ……(せんぱいをフッた)例の幼馴染みさんは……来るんですか?」


 春先の告白玉砕から、やや疎遠になっていると聞いてはいますが。

 先輩がそれらしき女の子――高等部の制服を着ているけれど背丈はあたしより低いぐらい――と談笑しているのを、あたしは知っているのです。

 もとい、先輩に会いに行ったら出くわしてしまったというべきでしょうか。

 どうやら女友達ぐらいの距離感で関係修復がされているらしいのは、一目見てわかりました。

 何より、先輩は未練たらったらです。

 これはよくない。


「あー……どうだろうな。あいつの親父さん、今年はパーティとか開くのかな」


 そう言って端末に目を落とす先輩。

 つられて画面をのぞき込むと、身なりのいいスーツ姿の紳士――ダンディってこういう方のためにある言葉かも――が、何か喋っている。

 彼の背後の大型モニターに図面が表示してあるから、たぶん無料配信されてる大学の講義か何かだろう。

 目で問いかけると、先輩は「ああ、言ってなかったか」と呟いて。


「この人が親父さんなんだよ。専門分野はエーテル情報集積体とエーテル流体の相互作用について、だったかな」


 すごい、何言ってるかぜんぜんわからない。


「あ、頭いい人なんですね」

「大学教授で、その筋じゃ有名な研究者だからな……初心者向けの講義らしいんだが」


 全然わかんねえ、と呟く先輩を見てちょっと安心しました。

 よかった、先輩も頭悪い側の生き物だった!

 本人に聞かれたらとってもにらまれそうな感想が湧き上がってきます。


「え、エーテルってアレですよね。こう、ハイテクなやつですよね」

「物質とエネルギーの総体とか、時間と空間の起源とか、なんかこう、そういうやつだな……最近だと人の意識もエーテルで記述されてるなんて研究もあるらしい」

「……せんぱい、急に畑違いの勉強始めましたね」


 俺は勉強熱心だからな、と先輩。

 わからない、最近の先輩はよくわからない。

 何か、隠し事があるような気がある。


 それがなにかわからないから、妙に不安になってしまう。

 胸の痛みを誤魔化すように、あたしは笑顔を作る。



「じゃあ、せんぱい。二四日はごちそうお土産に持ってきますから。先輩のお菓子、食べさせてくださいね!」



 願わくば、この時間がいつまでも色あせなければいい。

 そう、永遠がほしいと祈った。









 鏡を見る。

 よくくしを入れた長髪は、わずかに紫がかった黒髪。

 きめ細かい肌は淡雪のように白く、黄褐色の瞳が涼やかな面差しに花を添えるよう。


 つまり、あたしです。


 そう、美しい。

 我ながら今日は一段と可愛いと思う。

 自画自賛しながら外套コートを着込む。

 おじさんたちにご挨拶して、用意していただいたごちそう――冷めても美味しい鶏肉料理――の包みを手に、うきうきと胸を弾ませながら家を出る。



 息が白く染まる。

 まだ昼前だから外は明るいけれど、ちょうど雲が被さっているせいで、空は灰色の雲一色だ。

 一面の銀世界は、ちょうどホワイトクリスマスにぴったり。

 ちらちらと降る雪は、鈍色の空からの贈り物みたいだった。


「……似てる」


 ふと嫌なことを思い出した。

 そういえば、あたしが事故に遭った日――パパとママがいっぺんに亡くなったあのとき――も、こんな風に雪が降っていた気がする。

 嫌だな、と思う。

 もうすぐあれから一年経つのだ。

 いい加減、あたしだって前に進まなきゃいけない。

 だから、そう、今日は楽しいことだけ考えよう。



――せっかくの降誕祭クリスマスなんだから。



 天国のパパもママも、きっとその方がいいだろうと思う。

 あたしは憂鬱な連想を振り払って、さくさくと雪を踏みしめながら歩き始めた。





 先輩の住んでいる住所は、ここからさほど遠くない場所だ。

 駅まで歩きで一〇分、環状線の電車に乗って一〇分、向こうの駅から一〇分。

 多少のロスタイムを考慮しても、四〇分とかからずに到着する計算になる。

 ピンク色の携帯端末を取り出し、ナツミさんにテキストメッセージを送信――『今、家を出ました』。

 返信はすぐに来た。


 曰く『了解です、兄貴を迎えに行かせますんで。今日こそ兄貴の心からあの女の影を追い払うときですよ!』。


 何故だろう、あたしより気合いいれてるよね。

 前々から気づいていたのだけれど、ナツミちゃんは先輩の幼馴染みをかなり嫌っている。

 因縁浅からぬってやつなんだろう。

 件の幼馴染みがどんな人柄なのか、あたしは全然知らないけれど――


「仲良く、なれたらいいよね」


 恋敵なのはわかってる。

 でも、先輩が好きになる人が、悪い人だと思いたくはなかった。

 あたしは甘いのだろう。

 たぶん先輩は、あたしが見ているよりもずっと多くの人と関わっていて、その中には先輩のことが好きな女の子――男の子もいるのかな――だっているはずだ。

 なんだかラブコメの主人公に恋をしたヒロインみたいで、ちょっとおかしいなって思う。

 さあ、駅が見えてきた。



 あたしは足を前に出して。











――世界が塗り変わる。










 一面の赤。

 崩れ落ちた廃墟の街並み。

 遠く、遠雷のように鳴り止まない獣の咆哮。

 どす黒い空に浮かぶ月は、地上を睥睨へいげいするかのような黄金色。


「な、に……ここ」


 そこは赤黒い光だけが降り注ぐ、見たこともない世界でした。

 先ほどまでの銀世界は消え失せて、どこか鮮血を思わせる色彩の、無人の街並みだけが広がっているなんて。

 そう、変だ。

 ここには生き物の気配がない。何十年の放置されたかのように、ひび割れたボロボロの建物しかなくて。

 そのくせ聞いたこともない動物の遠吠えだけが聞こえる。

 まるで、まるで。


 あたし以外の人間が、みんないなくなってしまったかのような風景。


 その発想に行き着いた途端、背筋をぞくりと駆け上がるもの。

 恐怖。

 いいえ、いいえ。

 もっと甘美で救いようがないこの感情は。



――よろこびだ。



 ありえない。

 こんな気持ち悪い光景を見て、そんな感情、湧き上がるわけがない。

 なのに。

 どうして、あたしはこの状況を怖がることができないんだろう。

 どうして、口の端がつり上がってしまうんだろう。


 ちがう、ちがう。

 こんなのはあたしじゃない。

 気が狂いそうになりながら、鶏肉料理の包みを抱えて走り出す。

 おばさんが用意してくれた料理、先輩のおうちで一緒に食べるごちそうのぬくもりが、帰るべき世界を示している気がした。


 走って、走って。

 いくら走っても、この赤黒い世界に終わりはないと気づいて。

 うずくまるように足を止めて、空を見上げた。





 目があった。





 あたしが月だと思っていたものが、何なのか気づく。

 気づいてしまう。

 あれは月なんかじゃない。いいや、それどころか、どんな星でもなかった。




 それは虚空に穿うがたれたあな、始原の一へと通ずる門――この世ならざるものの瞳が、じっとあたしを見ていた。




 先輩の言葉を思い出す。



――昔、この土地には独特の信仰があったらしい。


――なんでも『空の果てから神が降りてくる』って伝承でな。



 ああ、わかった。

 これがそうなんだ。


 ここではないどこか、空の果てから降りてくる神様。

 ぞくぞくと背筋を駆け上がる歓喜が、いったい誰のものなのかもわからないまま、あたしは膝をついた。

 畏敬とも親愛ともつかない、得体の知れない感情。


 ちがう、これはあたしの思考じゃない。

 自分の中に混じったよくわからないものを感じ取って、喉にせり上がった悲鳴すら、より巨大な本能に押しつぶされて消える。

 ぎゅっと料理の包みを抱きしめて、穴だらけの道路に座り込んで、あたしは壊れた人形みたいに震えていた。

 

 ふと顔を上げると、人影が見えた。

 青い戦闘服にフルフェイスのヘルメット、見たこともない形の自動小銃てっぽうを構えた兵隊たち――映画のコスプレといわれたら信じてしまいそう。


『カテドラル、こちらアルファ。オーバー』

『アルファ、こちらカテドラル。オーバー』

『カテドラル、こちらアルファ。恐怖領域テラーフィールド内で生存者一名を確認。これより選別に移る。オーバー』

『アルファ、こちらカテドラル。ラジャー。アウト』


 聞こえるはずもない無線のやりとりがわかった。

 あたしはどうしてしまったんだろう。

 ひょっとしたら気が狂ってしまっていて、何もかも幻覚で、本当は赤黒い世界も、巨神の瞳も、青い兵隊たちもまぼろしなんだ。

 そうだ、そうに決まっている。

 現実逃避だと理性ではわかっているのに、もう何も考えたくないから、そんな推測にすがってしまう。


 あたしは愚かだった。

 彼らの銃口が誰に向けられているのか、思い至らないほどに。




『変異エーテル反応、第一段階フェーズ・ワンを感知。対象を降臨者アウターデーモンとして駆除する』




 そんな無線が聞こえた。

 えっ、と目を見開いた直後。


 燃えるような銃火の光。

 体を何度も何度も鈍器で殴りつけられるような衝撃。

 視界に焼き付くオレンジ色の燃焼ガス。

 肉が裂けて、骨が砕かれて、真っ先に両足がなくなった。


 熱い。

 痛い。

 息ができない。


 地面に倒れ込んだあたしの体は、手足をもがれた蟻みたいにぴくぴくと痙攣けいれんしては、着弾の衝撃で踊り狂った。

 鶏肉料理の包みが、バラバラに吹き飛んで。

 あたしの血肉と混ざった鶏肉が、べしゃっと道路に散らばって。

 額に銃弾が突き刺さって、後頭部に真っ赤な花を咲かせる。

 血と脳漿のうしょうのジュースを吹き出しながら、あたしの頭は吹き飛んでなくなってしまった。


 あたしは、そうして壊されていく自分の体を、他人事のように見下ろしていた。

 乳房おっぱいもお腹も穴だらけになって、腕も足も半ばで千切れてしまったから、芋虫の出来損ないのような肉の塊が今のあたしだった。

 どうしてだろう。


 怖くない。

 悲しくない。

 痛いはずなのに、ちっとも痛くない。


 そうして念入りに壊されたあたしだったものに、兵隊たちは火をつけた。

 火炎放射器。

 いつまでも消えない炎、よく燃えるゼリーみたいな燃料。

 燃やされて、肉片の一欠片まで焦げて。


 それを見届けると、兵隊たちはどこかに去っていった。

 汚らわしい獣を始末したかのように、何の感情もない歩み。

 あたしは、そうして。











――人間として終わった。












 目を覚ますと、赤黒い世界はどこにもなかった。

 雪の積もった路面に、あたしは仰向けに倒れていた。

 最寄り駅の前にいたはずなのに、見たこともない、古びた建物と建物の間の路地に、あたしは倒れ込んでいた。

 悪い夢を見たのだと思った。


 そうではないと気づいたのは、自分が生まれたままの姿で地面に横たわっていたから。

 考えたくもない可能性――意識を失っている間に性的暴行の被害に遭った――すら考えて、身を起こそうとして。

 あたしは最悪の光景を目にする。


 まず、両足がなかった。

 根元からもがれたように二本の足は消え失せていて、代わりに見たこともない、目のない蛇の群れがうじゃうじゃととぐろを巻いている。


「えっ……な、に、これ」


 悲鳴を上げられなかったのは、うねうねとうごめく蛇の群れが、あたしのお腹からこぼれた腸管の成れの果てだと気づいたから。

 おへその下から股間にかけて、ぽっかりと巨大なあなが開いているのが見えた。

 そこから臓器が露出していて――まるで別の生き物のようにもぞもぞとうごめきながら、おぞましい形状の触手を形成していく。

 まるで別の生き物を無理矢理くっつけられたような有様の下半身なのに、触覚も味覚も嗅覚も繋がっている。

 どうして裸で寝ていたのに、寒さを感じなかったのかわかった。

 あたしは、とっくの昔に人間じゃなかったんだ。




――大切なことは、いつだって手遅れになってからそうとわかる。




 ああ、そっか。

 あの日あのとき、何が起きたのかを思い出した。



 今から一年前、あの自動車事故の日。

 あたしは奇跡的に無傷の生還者なんかじゃなかった。

 衝突の瞬間、パパとママと同じように、あたしも即死していた。

 細い胸郭きょうかくはひしゃげた車体に押しつぶされ、内臓は破裂し、ぐちゃぐちゃになって無傷にはほど遠い状態で息絶えた。


――それを、『神様』が直してくれた。


 壊れた体を元通りに治して、自分の一部を混ぜ込んで創り直して。

 あたしは、自分がそういうものだと気づかないまま過ごして――こうして、ようやく現実と向き合っている。


 お腹の中の臓物はらわたすべてが、粘っこい音を立ててうごめき変異していく絶望的な音を聞きながら。

 あたしは、叶うはずもない願い事を口にした。










「せんぱい……たすけて」








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