4...【殺意系譜】
「なんでスウさんだけで行かせたんですか!」
小さな声だが、その声に含まれる感情は憤怒だった。
「ハルジオンとしては異世界人が大切というのはわかるが、そこまで激昂せずともよいではないか」
ハルジオンでは異世界人を手厚く保護する方針の国である。国内でこの世界の知識を得てもらい、そこからこの国の戦力となるか、外へ行くのかを選ばせる。異世界人は誰しも強力なスキルを持ち、戦力としては申し分ないので、勧誘するのだ。
無論どの国も異世界人を欲しいと思っている。扱いが奴隷か、労働者かの違いではあるが、ハルジオンはその中でも至って優しい部類に入るだろう。
「納得いく理由があるんですよね。確かにスウさんは魔神であるあなたと魂で繋がり、強力にはなっているでしょう。しかし相手は上位の魔者――鬼人です。しかも通常の鬼人よりも魔力量が多い。この世界に来たばかりで、戦い方も知らないスウさんが勝てるはずありません」
「それは違うぞネネよ。スウは戦い方を知らぬわけではない。あやつは元いた世界で幾千もの怪異に巻き込まれ、化物とやりあったり、逃走したりと修羅場を潜っておる。そこまでヤワではなかろうよ」
「その戦ってきた化物が鬼人より強いとは限りませんが」
「まあ、わらわにもわからぬよ。ま、死にそうになったら介入すればよかろう」
実際、ミィユならばスウの体に剣が刺さる瞬間に介入し守る事ができる。力を半分以上失っているとは言え、そのような芸当は朝飯前である。
ネネはその事実を知っているため、ここは見守ることにした。
***
「アタシの名は心紅――シンクと呼べ」
「わ、わたしは江風 枢です。……スウでいいです」
緊張して声が若干高くなる。
「いつでもどうぞ」
「ならば行く」
シンクは大剣を振り上げ、スウに向かって振り下ろす。まずは様子見と言った風の大振りな一撃だった。しかしそこは上位種の一撃――速度はとても普通の人間が追えるものではなく、無慈悲にも棒立ちだったスウへと振り下ろされた。しかしその刃がスウを真っ二つにしたかといえば、そうではなかった。刃は横数十センチ程横に突き刺さるという形で、スウには擦り傷すら付けられないでいた。
しかし威力は凄かったのか大剣が振り下ろされた瞬間の風圧――もとい剣圧でよろめいてはいた。
シンクは目を見開き、対してスウはニヤリと笑ってみせる。無論スウの笑みはハッタリで本当は心臓がバクバクと鳴り響き、冷や汗で背中が濡れていて内心かなりビビっている。
スウが行ったのはスキルによる殺意の操作――矛先の誘導であった。【殺意系譜】の内の『殺意操作』の効果を持って殺意の矛先を数十センチ横に誘導した。ただそれだけである。
元々スウは殺意や殺気というものに敏感であった。見えないものに敏感というと第六感が強いということになるが、あくまで殺意と殺気だけに敏感であった。口説く女性の感情まで読み込めるほど敏感でもないそのセンサーは、この世界に来てからさらに敏感になった。
具体的に言うと見えるし触れるのだ。殺気は線になって見えるし、殺意の度合いは色で判断できる。なんなら匂いも感じ取れる上に、味も感じ取れる(美味しくはないけれど)。もちろん音としても感じ取れる。
今までの第六感に加え五感で殺意と殺気を感じ取れるようになった、ということになる。そして触らずとも殺意や殺気は操れるし、強制的に殺意を喪失させることもできるのだが、今回はやらなかった。なにせシンクが孕んでいたのは殺意というよりも怒気だったからというのが理由である。
それはさておきと、スウは行動を開始する。
「じゃあ、反撃と行きますよっと」
スウは手始めにはシンクの大剣の刃にスタンプ式文字魔法で『K』の文字を刻む。今回は葉っぱの時よりも大量の魔力と強い意志の命令を込めた。魔法は魔法を行使する最低ラインの魔力さえ投入すれば発動できる。勿論過剰投入すれば効果は上がる。
元々自分のいた世界で魔術を多少かじっていたためか、スウの魔力保有量は高かった。そこにミィユと魂を融合させたためさらに上がり、尚且つミィユの魔力も注ぎ込めるようになっている。その上ミィユの持つスキルで、通常できない大気ないし地面にある魔力及び魔力の原液マナすら注げる。
強化した石で鍔が破壊できなかったこともあり、スウは想像以上の魔力を投入した。
結果大剣の刃はガラスを割ったかのようなけたたましい音を立てて、砕け散る。
(これで石の仇は取れましたね!)
シンクは武器を破壊されたことにかなり動揺するが、すぐさま柄から手を離し、後退しようとする。しかしチャンスとみたスウはそのまま突っ込み、掌底をシンクの鳩尾に放った。
確かな感触――手応え。ついでに近くの大きなスイカも、というところで手が空ぶる。掌底をくらった時点で後退の準備はできていたらしく、後ろに大きく引いていた。
「この、おま、今胸を触ろうとしただろ!?」
「あ、ごめんなさい。つい」
シンクの白い頬はほんの少しだけ赤く染まっている。
「つい、じゃないだろう。決闘にそんな邪な心をもって挑むなど……だが、つい、か。癖ならば仕方ない……のか? どちらでもいいがアタシの剣の敵は取らせてもらうぞ」
シンクは一歩踏み出した。まるで掌底の一撃などなかったといった風で。
しかしその一歩でシンクは恐ろしく速い速度でスウの目の前まで来た。今度はスウが驚く番だった。驚くスウにお構いなく、シンクは振り上げた右拳を振るう。
だが、スウも全くの無反応だったわけではない。後ろに退きながら、殺意の誘導を行い、間一髪でシンクの拳を回避する。
しかしこの拳、空気を切る音がおかしい。小さな爆発でも起きたのかというくらい大きく、パァンと風船でも割れたかのような音を鳴らす。当たれば恐らく粉微塵になるだろうと容易に想像できる。
「貰った!」
急な回避だったため、体勢を崩していたスウ。それが隙に見えたシンクは追撃を開始する。
当たれば必殺。
しかし一撃必殺の拳をスウはあろうことか涼しい顔で受け流した。しかも片手だけで、である。しかしシンクは更に追撃の手を緩めない。今度は蹴りを繰り出す――が、これも受け流される。
「当たれ!」
シンクは二発目の、スウが体勢を崩していたときに放った拳が受け流されたときに、認識を改めていた。
シンクは旅人である。自身が鬼人ということもあり、事情を知らぬ人間や魔物が急に襲って来るということもあった。
そしてその中には異世界人も含まれる。シンクは今まで襲いかかってくるスキル持ちの異世界人を屠ってきた。いずれも平和ボケした戦いの『た』の字も知らない者ばかりで、強力なスキルを所持していようが問題なく対処できていた。しかし目の前の異世界人――スウは最初こそスキルを使っていたが、今はスキルを使う素振りを見せていない。
つまりは完全に素の力――スウ自身の実力で対処されていた。しかも普通の人間では、目で追うことすらできないほどの速度を持つ拳や蹴りを、だ。
スウ自身は勘と反射神経を十全に活用し、なんとか人外じみた対応をしている、ということを知らないシンクはそれを実力と判断する。しかし、勘と反射神経を『利用』しているわけで、見方を変えればそれは実力といっても間違いではないのだが。
目の前の異世界人が人間ではないという可能性が脳内を過ぎったが、すぐさまその考えを捨てる。
(強くはない。ないが、勝てる映像が浮かばない。なんなんだコイツは)
「そろそろ反撃しますね」
その言葉がシンクの耳に入った瞬間、視界が一転していた。地面が上に、空が下に来ていた。一瞬の変化――自分が拳を振り抜いた瞬間に起こった出来事。
しかし自分が今どういう状況なのかを察することができた。振り抜いた右腕には添えられるようにしてスウの左手があり、自分の顎にはスウの右手があった。勢いを利用され、自分は今、地面へ頭から突っ込まされる。そう予感した数秒後、地面と頭が接触していた。
スウはシンクの勢いを利用し、顔面を地面へと叩き込んだ。土煙が舞う。
ある程度魔力をブーストして、叩き込んだが、無傷という可能性もある。攻撃を終えたあと、瞬時に後退して【恋華】を抜刀する。右手に【恋華】、左手には【恋華】の鞘を逆手に持ち、擬似二刀流状態である。
ゆらりと、シンクは立ち上がった。視界が安定しないのか、それとも意識が少し飛んでいるのかフラフラとしている。そのフラフラとした影は、土煙を突っ切り、スウへと突っ込んでくる。スウは飛んできた右拳を鞘で受け流しながら、【恋華】の峰をシンクの脇腹に叩き込む。それと同時に毒を注入する。
『殺意猛毒』――【殺意系譜】の効果の中で最も攻撃的なもの。それはスウの殺意を毒へと変えるもの。毒の量、濃度の調整ができる。効果は麻痺、眠気、苦痛、幻覚、快楽、灰化、死滅、即死と色々あり、自由に変えられる。今回使用したものは麻痺である。
毒の耐性を無視して突き刺さる猛毒はシンクの体を蝕んでいく。途端にシンクの動きが鈍る。というよりシンクは拳を突き出した状態から動けなかった。原因は毒の過剰注入――つまりスウが加減を間違えたためだった。
そもそもスウはスキル自体使うのは初めてだった。『使おう』と思えば使えるというのがスキルである。効果はわかっていたため、自在に使用できたが、毒の分量だけはわからなかった。そもそもスウは警察官ではあったが、検死はできなかったし、無論化学なんて学校で習うレベルの知識しかない。青酸カリがどれくらいで致死量に至るのかすら知らない。
しかしスウの感覚が鋭かったのか、運が良かったのか、ギリギリ永遠に体が動かなくなる、というような量ではなかった。
「さて、白旗上げますか? シンクさん」
【恋華】の刃を首の皮に少し食い込むくらいで止めて、降参を迫る。
『わたしは貴方を殺す覚悟がある』という意思表示を込めて、の行為ではあるが、傍から見ればやりすぎなくらいである。
「わかった。アタシの負けだ」
流石に動けない状態では勝ち目はないと察したシンクは負けを認めた。
しかしスウが解毒の方法を知らなかったため、少しだけ騒ぎになったのはご愛嬌である。
「むふん。ほれ見ろ、心配なかったであろう? しかもスウが終始翻弄しておった。流石はわが相棒だなっ!」
胸を腕組で支えながら、ドヤ顔でミィユが家の残骸の影から現れる。あとに続く形で「ハラハラしましたよ」とこぼしながらネネも付いてくる。
「み、ミィユ様!? な、なぜここに!?」
そう驚きの声を上げたのはエルフの少女だった。
「久しいなエルフの娘。全く成長しておらなんだからすぐにわかったぞ。ところでスウはどこへ行ったのだ? あの鬼人の姿も見当たらぬが」
「あぁ、あの人間ですね。まだ無事な家を貸して欲しいと言って、鬼人と一緒に入って行きましたね。一時間で戻るから待っててと言っていましたが」
「ふむん……。ならば待つか。ちょうどよいことに話し相手がおるしの。ネネもこの村の現状を不審に思わぬわけでもなかろう」
「まあ、そうだけど……鬼人がいるのは、まあ、置いといて。オーガがこの辺りに出てくるのが異常だね」
知性のあるオーガは群れを作り、集落を築き、一箇所に留まる。だが、知性のないオーガは単独で、獲物を求めただひたすら徘徊するという習性がある。前者を『集落オーガ』後者を『徘徊オーガ』と呼ぶ。
今回のエルフの村の襲撃の惨状を見て得られた情報は『オーガが集団で襲ってきた』ということ。単純に徘徊しているオーガが偶然にも一箇所に集まったという可能性もあるが低い。
「ま、それ以前にオーガって集落、徘徊関係なく、極東地方に生息する種族ですし。これは扇動者がいるかもしれませんね」
そうネネは結論付ける。
「ふむん。シンクと名乗ったあの鬼人の口ぶりからすると、この死体は集落オーガの可能性が高いかの。あやつはこの死体を『同族』と呼んでおった。ま、オーガ種という種族内の括りで言った可能性もあるであろうがな。もしそうでないのならば集落オーガであろう。知性のない者は進化という可能性を導き出せぬのだからな。というよりも、そこなエルフの娘……確かティナ、と言ったか。お主、オーガと戦ったのであろう。その時言葉を発しておったか? そうなれば集落オーガで確定であろう」
ティナと呼ばれたエルフの少女は一瞬目を輝かせ、首を振って気持ちを切り替えると話を返す。
「確かに、命令をしているオーガが一体いました。ですので集落オーガでしょう。それと、あの、名前……覚えていてくれていたのですね。ミィユ様」
真剣な顔から一変して、しおらしい姿相応の少女らしい雰囲気を醸し出すティナ。憧れの人物との再開といった風だ。
「わらわは種ではなく個でモノを捉えるからの。そこまで感激するものではないぞ」
肩を竦め、ドヤ顔を作るミィユ。その顔からは「凄いであろう」という言葉を言いたいという思いが想像できる。
オーが談義に一時間と数分。話し込んでいるとスウが鬼人のシンクを連れて戻ってきた。
スウの顔はスッキリしたのか、肌がつやつやと輝いており、シンクは「すごかった」と小声でブツブツと繰り返しつぶやいていた。
「何をしておったのだ、スウよ」
「夜の運動会です!」
「ヨルノウンドウカイ? 今は夜ではないが?」
「ま、なんというか、シンクを使ってスキルの実験をしていました。結果シンクをわたしの眷属にすることができました!」
自信満々にピースしながら高らかに宣言するスウ。そんなスウの発言に周囲の者はなんとも言えないといった雰囲気を出す。
「弱体化はしちゃいましたけれど、シンクの情報も知れましたし、なによりこれから旅で連れていけます。ね、シンク」
「シンクだ。よ、よろしく頼む」
シンクは自分の名前が呼ばれたのを反射的に感じ取り、ぎこちない挨拶をする。
「……シンクよ、お主その刀今までぶら下げておったか?」
そんなシンクにミィユはジロジロと品定めするかのような目線を向け、指摘する。
それは戦闘中スウ相手に使えたであろう刀が腰に差してあったからだ。大剣を壊され、武器がなくなった状況で腰に下げた武器を使わないのもおかしい。しかしそれ以前に腰にそんなもの差してあった風に見えなかった。
ミィユちょっとした疑問だった。
「戦闘中は幻術で隠していた。一応親からの贈りものでな、滅多には使わない。使うとしても真に切羽詰まった状況でしか使わない」
「そうか」
それ以上の追求はせず、引き下がる。
そしてほどなくした頃、ビオラがエルフの戦士を連れて救援に駆けつけてきて、その流れで首都へ向かうこととなった。無論重要参考人という扱いで。
***
神仰国家ハルジオン――通称『神の聖地』とも呼ばれる極南地方の最東端にあるそれほど大きくない国。海沿いということもあり、主食が魚である。
『神の聖地』と呼ばれる所以は神が国を統治しているからである。しかし神という存在は人の前には現れず、神の言葉を聞き、実行に移す神官が神の言葉として治めているというのが現状である。
しかし国民は神の存在を信じている。なにせ神に仕えている『天使種』――いわゆる天使が国の警備をしたり、占いをしたりと、国民の生活に溶け込んでいるからだ。下位の天使とは言え、中位の魔物や下位の魔人程度は簡単に屠れるほどの力はある。下手に手を出したり、神を侮辱する発言はできない。とは言え、天使にも感情や意思は有り、少しは融通が利くのだが。
そんなハルジオン国内の一番大きな神殿――神が鎮座していると名高い『クルセイ』にて二人の男が会話をしていた。白い装束を纏い、フードを被った男と、白銀の鎧を纏った中年の男だ。
中年の男――ナルミスはもう一人の男、神官に魔神ミィユのいた檻にて何があったのかを報告していた。
「ナルミスの言うことが正しければ、あの魔神を我が国で管理できるのではあるまいか?」
その声は初老の男を思わせる少し掠れた声だった。
「いや、それは厳しいのではないかと思いますよ、とだけ言っておきますか。あの魔神は必ず駄々をこねますよ」
「ナルミスよ。確認しておくが、その異世界人はミィユを従えているわけではないのだな?」
「ええ、そうです。どちらかというと友達と話すような、そんな感覚でしたね。なんでも魂を掛け合わせたとか。まったくもって規格外ですな。あの魔神」
「現在はエルフの森にて滞在中ということか。友好国内にいるのであれば安心ではあるが、エルフだからな、あの国の民は。どの道エルフの民の中から監視をつけるとはいえども、我が国から監視者を出さない理由になりえぬ。それは非公式暗部に任せるか。念のためだ。頭領に同行させる」
「そいつは……気の毒だ」
ナルミスは軽く肩を竦ませ、微笑する。
頭領――ハルジオンの諜報部隊の長のことを指す言葉である。諜報部隊とは言っても暗部――やっていることはとても公表できないことだらけである。ゆえに非公式。
ハルジオンはこの国に諜報部隊や暗部を名乗る組織はいないと公表している。国の認めていない、国が動かせる存在として非公式と銘打っている。いわゆる屁理屈なのだが、こうしてハルジオン国内が平和なのも、彼らの行動の成果とも言える。
「そいじゃ、私はここでお暇させていただきますよ。他にも仕事が溜まっているのでね」
そう言ってナルミスはその場から立ち去ろうとする。
「おぉ、そうだそうだ。ナルミス、神からお前へ言葉がある」
だが、神官の言葉に立ち止まり、耳だけ澄ます。
「『近々森にて厄災が降りかかる、部隊の準備をしておけ』とな」
「そいつは。これから忙しくなりそうだ」
苦笑いしながらナルミスはその場を後にした。