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<R15>15歳未満の方は移動してください。

約束<another story>

作者: アーク(の仲間)

 俺が彼女と初めて会ったのは、初等訓練が済んだある夏の日曜日だった。

 二等兵卒は軍用犬や軍馬にまで敬礼せねばならぬ。

軍隊とはかようにおかしな世界だとか、そんな疑問を抱く頭なんぞも、そろそろすり潰されて、「娑婆しゃば)()」の抜けてきた頃だ。

班長が言ったのだ


「今日は貴様らの初陣だ」


 有無を言わさず俺と同期たちは、近場の色町に連れてこられた。

 ここいらで徴兵される連中はたいてい小作の次男三男だ、当然家を出る時、給金は仕送るよう言い含められている。


「おごりだ」


 班長は皆に1回遊ぶ分の金を配った。



 夢のような世界だった。

 その時初めて俺についてくれたのが彼女だった。

 初めて女に触れた。

 初めて女に惚れた。

 月末にいつも通った。仕送り以外は全部彼女に会いに行くために、付き合いの酒も博打もせず、煙草も覚えなかった。

 通うたびに彼女は床を整える、余り手先が器用でないのかすこしとろくさい。

 しかしそこがまた愛おしい。

 ある時、ことを済まして、色屋の薄暗い部屋にぼんやりと浮かぶ彼女の潤んだ目を見て、自分が何をしているのか、ハッと恥じた気になった。

 時間がきた。気の利いた言葉をかけることができずそそくさと出た。

 次は話をしたいな、そう思った。



 最初の出戦があった。

 これで死ぬかもしれぬというのに、準備と訓練で兵営から出られず、あたふたしているうちに列車に乗っていた。

 初めて弾の下を潜った。ただの匪賊(ひぞく)討伐に随分とビビるものだと皆に笑われた。

 帰営すると何人かが勲章をもらっていた。

 負傷した者、勇敢だった者、敵を多く殺した者、そして死んだ者。順に恩給は高くなる。

 兵舎で同期の一人がいった。


「お前、入れ込んでいるやつがいるんだろう」


 俺の答えの前にやつは続けた。


「次はもっと気合いを入れて勲章でももらって身請けしてやれ」


 彼のひょうきんな言い口に班の皆は笑った。



 その月末また、彼女の店に行った。

 ことを済ますべく布団を整える彼女に「今日はいいよ」と言った。


「キミの事でも話しておくれよ」


 彼女は戸惑った様子だった。

 しばらくおどおどと口ごもっていた。


「今13です」

「へえ、誕生日はいつだい」


 聞くともうすぐだ。

 何か渡してやりたい。しかしここに入るだけで俺の財布はカツカツだった。

 弾の下を潜って度胸が据わったのだろうか、


「いつかキミを身請けしたいな」


 口をついて出た。

 添い寝していた彼女はプイと顔を背けた。

 こんな下っ端じゃぁだめだな。

 そう思った。



 また、匪賊が出たらしい。

 勲章にありつこう、そう気合いをいれて簡単に入るものではない。

 ただ、いっぱしの兵隊として働けたと思う。

 会いたい気持ちを我慢して二月か三月に一度だけにした。金を貯めねばならぬ。

 兵隊としてもっと一人前にならねばならぬ。

 兵隊の基礎は足だ。行軍するのも突撃するのも足ありきだ。

 こっそりと消灯後に走り込みをした。夜警の歩哨(ほしょう)に見つかると文字通りぶち殺されるため、その注意もまた良い訓練になった。

 正規の訓練でも手を抜かなかった。



久方ぶりに彼女の下に通った。


「もう、いらっしゃらないかと思いました」

「そんなことはない。断じてない。俺は君に惚れているんだ」

「ご冗談でも嬉しいですよ」

「冗談ではないさ」


  彼女は手際よく床を整えた。


「そういえば14の誕生日には何も出来なくてすまなかった」

「もうすぐ15になります」


 そうか、時が経つのは早い。来週には俺も二等兵卒から一等兵卒にあがる。

 ことを済ませ添い寝した。もうすぐ時間という頃、俺は軍装を整えた。


「身請けしてくださるというお話」


 俺は振り向いた。


「信じてよろしいのですか」


 階下からお時間でございますと女主人の声がする。


「ああ、待っていてくれ」



 相変わらず金は無かった。

 貯金を下ろすわけにもいかぬ。

 カンカンと風呂の薪を割って、継ぎ足した。

 二等兵卒としてのこの仕事も今日でしまいだ。

 思いたった。木彫りなどどうだろう。

 あの年頃の娘は可愛いものが好きだろうからな、うさぎにしよう。

 出来上がったものはなんとも不格好なものだった。尻尾が身体に対しうさぎにしては大きく鏡餅のようだし、耳の長さも違う。

 だが自分にはふさわしい気がした。



 その月にもう一度彼女の所に通った。

 15になったことを祝うつもりだったが、やはり小っ恥ずかしいきもちになった。

 おりしも、俺たちの駐屯する近くでまた匪賊がやかましいらしい。また動員が下るだろう。


「これは、お餅ですか」


 困惑する彼女に


「う、うさぎだよ」

「お守りだよ」

「俺が君の元に帰って来られるように」

「そこで手柄をたててきっとキミを身請けするから」


 有無を言わさぬようにまくし立て、押し付けるように渡して、唖然とこちらを見つめる彼女に、


「約束」


 と言った。


「……はい」


 彼女の頬が赤らんでいたのは、決して火鉢を炊きすぎたからだけではなかったはずだ。



 色町から早足で兵舎に戻った。

 途中、基督(キリスト)教の教会が「いーすたー」とかいって色つきの卵を配っていた。

 もう、何度目かになるかわからぬ出戦だ。

 遺言は入営の時に書いたままだが、出戦ごとに書き換えられる。

 もしものことがあった時、彼女に何か送れまいか、そう思った。まとまった金は実家が持って帰ってしまう。軍装で一番綺麗な所と手紙を渡すように書き加えた。

 手紙といっても、端から死ぬつもりなどないので、「必ず迎えにゆくよ」と、洒落て西洋人の真似をして「基督の誕生日にでも」と書いた。



 いつものように進軍し、いつものように襲撃された村の周りに布陣した。

 若い少尉なんぞは突撃命令を出したくてウズウズしているだろう。

 だが匪賊討伐は害虫駆除と同じだ。

 餌場から出てきた所を一網打尽に殄戮(てんりく)するのが正しい。

 俺たちは待った。

 やがて腹に鶏を抱えた巨漢が出てきた。

 初めは単に韃靼(だったん)系だと思った。

 だが違う。明らかに違う。

 何てことだ。匪賊どころではない。露助(ろすけ)じゃぁないかあれは。

 途端隣の小隊が掩蔽(えんぺい)もなしに布陣した場所が煌めいた。

 砲撃だ。

 とにかく砲撃の間隙をついて散開だ。

 駄目だ。

 凄まじい。即席塹壕など掘る余裕などない。

 戦士として最高の軍であった我々は、ただ確率によって死者か死を待つ者に分断された。

 グググググっと貨物列車が通り過ぎるような風切り音がした。

 グワッと世界が轟いた。



 街は変わりないな。よく生き延びたものだった。

 基督教の教会では教祖の誕生日らしく、随分と賑やかだった。

 気がつけば色町についていた。

 軍装には勲章が煌めいていた。これは一番恩給がもらえるやつだ。

 あまり覚えていなかったが、俺はよく戦ったらしい。

 これで彼女を身請けできる。

 手持ちの金は、出戦したままでなかったのが勲章を見せてツケにしてもらおうと思った。

 彼女の店の番頭も女主人もこちらを見ようともしない。常連相手に失礼なことだ。

 見つかれば適当に言い訳しよう。

 彼女の部屋の前にきた。

 戸を叩く。

 パッと彼女が出てきた。胸には俺が渡した不格好な木彫りの兎が抱いてある。

 大事にしてくれていたのだな。

 嬉しくなった。


「迎えにきたよ」


 手を差し伸べると彼女は


「はい」


 と言ってとても嬉しげに俺の手を取ってくれた。

 その手はとても暖かかった。



 色部屋の畳の上には血で黒ずんだ軍帽が転がっていた。

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