逃避
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月曜の朝、HRの時間前にメイは職員室にいた、担任教師千葉唯香の前に。
「どうしたのメイさん? これからホームルームでしょ」
その質問には答えず、無言でジーと先生の顔を見つめるメイである。
「先生あたしに、いえあたし達に何か隠していることあるんじゃありませんか?」
そういってから黙って唯香の瞳を見つめる。
爽やかな微笑を湛えたまま、ゆっくり首をかしげる唯香と無表情のメイ。
30秒程、お互い無言の熾烈なやり取りだ。他人の介在する隙はカミソリ一枚もない。
「……そうですね、分かりました」お辞儀して帰ろうとするメイに唯香が心配そうに声をかけた。
「手首の疵、もう増やしたりしないでね。先生心配だから」
「どうも」振り返らずにぼそり呟く。全身が泡立ってくる。……
その会話を聞いていた教頭が立ち上がり、ぽかんとメイの後姿を眺めていたが、「あの子と何かあったのかね」と唯香先生に訊ねる。
「いいえ何も、ただあの子の自傷癖が心配なもので……難しい年頃ですから」
ちょっと困った様に、言い出しにくそうに答えた。
梅雨の開けた空気がこんなに気持ちイイのに、江戸川河川敷の夏空がこんなに広いのにメイの心はどん底だ。
HRは休んで、トイレで手首にカッターを当てるしかなかった。そんなことをすればまた唯香から心配されるのが嫌、超厭、死ぬほどイヤ、でも切る事しかできない。
「結局唯香先生ってメイのお父さんの三番だったの?」彼氏の和成が聞きたかったことだ。
「あんな奴に先生なんてつけないでくれる、きも過ぎ」
「それにしても三番が二番を本妻にチクるって一体どんなわけなんだろ」
「豚野郎、ざけんな、あんなののと一緒にすんじゃねえクズ、すこしは自分の脳みそ使え」
言って欲しい言葉があった、素直に口に出せない言葉が。
「手首段々凄いことになってるね」
そうじゃないだろ、どうしてわかってくれないの、貴方にもリスカして欲しんだよ、ボクも切るって言ってよ、わかってよ。
「ねえもう二人で死んじゃおうか」
期待以上のプレゼント! 身体が震える程嬉しいとはまさにこのことなの、もうどれだけ和成さんがカッコよく見えたと思う? 鈍色だった梅雨空が一気に青空に変わった、素敵、なんて素敵なんだろう。本当に言葉には力があるって感動しちゃうのよ、心が震えたわ。恋に恋してる痛い奴って自分のコト思っていたけど、今なら愛が分かる。今まで酷い言葉ばかり投げつけてすみません、心から愛してます和成さん。
夏休み前の修了式。……
校長先生の話が終わった頃を見計らい、二人は体育館の壇上に上る。
「えっあの二人何やってるの」
「手にカッターナイフ持ってない?」
「メイどうしちゃったの?」
ざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわ……
『糞豚共め、お前らはセックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックスの事しか考えられないウジ虫以下の存在だ!!!!!! アタシたちはそんな世界から逃げてやる、逃げてやるんだ』
すごく恍惚としてしまう、自分に自分が溶けてとろけてしまいそう。油の中に油を一滴落とせば他と区別できなくなるように、アタシの言葉にあたしは酔っている、酩酊する、ラリって来ちゃうの。全然怖くない、あの言葉にあたしはどれだけ救われただろうか。きれいごとなんか何にも役に立たない、彼が綺麗ごと並べてたら本気で殺していたかもわからないもの。
体育館中に響き渡るほどの声で叫ぶ二人を皆ぽかんとした表情で眺めていた。事の起こっていることの理解が追いついていないよう、さあフィナーレね。
にっこりと二人は見つめ合い、
「やっぱ豚とは無理、でもありがと、感謝してるよ」
笑顔のまま壇上から和成さんを突き落とした。
そうして手に持ったカッターナイフを首筋に当てると目を閉じ、あたしは一気にその刃を滑らせたの。
白のシャツが一瞬にして赤く染まったわ、血圧のせいで血が噴き出る程の出血よ。すぐに足元に血だまりが出来たもの。血って暖かいの、そして物凄く、壮絶にキレイ! 最後に綺麗なもの見れて幸せ、こんなドロドロの世界にも綺麗なものがあったのね。
「メイ、てめぇ~~~~!!!!」
周りの大人も教師も生徒も唖然としている中、部の仲間鈴木今日子だけがメイの元に駆け付け、その傷を指で力いっぱい押さえた。
彼氏が唖然と見ている中今日子が叫ぶ、「呉本茜音師範、早く、車体育館脇に付けて!」
「おう、そのまま圧迫止血続けたままそっちに連れて来い! 走れ、走れ今日子!」
その時ようやく事態に気が付いた生徒の幾人かが貧血の気分悪化でバタバタ倒れるのが見えた。と同時にスマホを取り出す何人かの生徒も、もちろんこのグロ画像を撮影するためだろう。無論ほとんどの生徒、そして教師は何も出来ないでいた。
メイを担ぎながら今日子は叫ぶ「何テメエら写真なんかとっていやがる、それでも人間か!」
「かまうな今日子、メイの命が最優先だ、早く後部座席に乗り込ませるんだ、ここからなら壇チクロ先生が早い!」
あたしの記憶はそこで途切れた。
気が付いた時には白い天井が見えた、格子にシマシマの模様の入った天井。そこをほぼ無音で箱がレールに沿って運ばれていく、カルテや薬とかだろうか? だったら多分ここは病院だ。ということは……
「ああ良かった~~、……はぁ~~目覚めたのね」
母だった。
「……」
「遺書読んじゃった、メイ、悪かったかな?」
「……」
「どうしたい?」
「……」……
「いきなりこんな事聞いても無理よね」
「……二人が別れるのだけは、嫌」
了
心中未遂事件、これで終わりです。