病んでいくのが止められない
4
ガサツな女鈴木今日子がクラスでいの一番の声をかけてくる。他の女子はグループに別れひそひそ声を潜め、メイが拡散してしまった昨日のリストカットのことを話し合っているのだろう。
「メイてめぇ何だぁ? あの昨日のグロ画像は?」
もう少し言葉にオブラートかけてもいいのにほんとにストレートな言葉だこと、聞いているあたしのほうが胸がすくくらいだから不思議ね。クラスのみんなの関心もそれでしょ。
「えーグロイかなー、結構綺麗でイケテると思ったんだけどなあ」
決して理由は話せない、いかに男勝りなサバサバした友達今日子にだって話せないことがある。
「メンドクセェ事は聞かない、力になるぜ、なぎなたの仲間だからな」
この言葉に思わずくらっとなってしまいそうにもなるけど、しゃべって楽になりたいけど。
そんな空気感じ取っていたのかどうなのか、隣のクラスにいる先日やったばかりの彼氏、中島和成がひょっこり顔を出した。やっぱり送りつけてやった自傷の疵の画像が気になったと見える。ちょっと嬉しい。
「メイ大丈夫か」
心配そうなしたり顔をしてやってくるが、あたしは彼氏の左手首を見るなり蛇蝎を見るような目になった、だって包帯すらしてないんだもの。
「キモッ朝っぱらからキモイんだよこの豚野郎」
どうして、どうして、和成は左手首を自傷してくれないの?
「えっ」動揺を隠せない和成だ。
「わからねーのかよ、朝っぱらから盛るなよなこのエロ豚!」周りが一瞬何が起こったのかわからないほど怒りを込めて叫んだ。
あなたもあたしと同じ立場でしょ、私の気持ち分かれよ和成! あたしの親父はあんたの母親と出来てるんだよ、不倫してるの、あたしと一緒になって自傷しろよ、心中してよ!
「おいメイ、何があったかしらねーけど言いすぎだぞ」違和感を覚えた今日子がメイをたしなめる。
「いいんだこいつは無価値のど変態糞豚で、犯罪者予備軍なんだから、な、そうだろ?」
爽やかににっこり笑って、同意を求めるメイに思わず和成は「……はい、そうです」と答えてしまう。
「みんな聞いた~? この豚変態って自分で認めちゃったよ、クソムシが這いつくばれ」
完全見下す目で命令をし、それに従うしかない和成だ。こんなことを言っていてメイは切なかった、胸が張り裂けそうなくらい切ない。いっそあたしが和成だったなら良かったのに。
「てめぇローアングルからどこ見てんだ、この変態糞豚ぁ!」
スカートを抑えながら和成の背中を踏む、踏む、踏みつける、踏みにじる、蹴り飛ばす。
それを見ていて唖然となった今日子だが、はっと我に帰りメイを羽交い絞めにし止めた。
「止めろメイ!」
「はぁはぁはぁはぁ……豚小屋に帰れ、目障りだ。これ以上あたしの靴底を汚すな」
涙目になって背を丸め、とぼとぼ帰る彼氏の後姿が悲しい。
教室中騒然となったが、この後すぐにホームルームの時間だ。ざわつきの余韻を空気中に溜め込み、そこに担任の千葉唯香が入ってきた。
この担任のつける香水は独特な香りを孕む、
ミルクの香りを混ぜたかのような甘ったるい石鹸の香りだ。
不思議なことにこの香りを嗅ぐとメイはリストカットの疵がうずき痒くなる。何かの記憶の蓋が開きそうになりながら、それが何か分からないもやもやにあたしの心がいっぱいになりそう、ああもう嫌だ。
「神鳥谷さん、この後ちょっといいかしら」
さすがは担任なのかメイの左手首の包帯を目ざとく見つけてきたようだ、まじウザイのが正直なところだけど。
周りの女友達もすぐに察したようで、腫れ物に触るようでいて興味深々と言ったそぶり、後で色々聞かれるだろうな、あーめんどくさい。
案の定その内容はあたしにとって苦痛以外の何ものでもなかった。進路相談室の二人だけの空気って何でこんなに重いのだろう。
「その、最近変わった事でもあったの……」
大アリよ、だから? アンタとは関係ないでしょ。
「その、聞きづらいことなんだけど、ね」
じゃ聞いてこないでください、どうせ言いたいコトくらいわかるし。
「神鳥谷さん、いえメイさん、その包帯は自分でした、痕よね」
見れば分かりきったことなんで聞いてくるのだろう、話せないことだから察することなのに。大人ってみんなそう。
「……」
「話せないことなの?」
当たり前だ、誰に話せるって言うのよ。
「先生力になるわよ」
無理でしょ、あんたなんか無理。
「自分の身体を傷つけるようなことはしないで、教え子が傷つくの私もつらいわ」
アーそうですか、ほっといてください。これ以上泥沼にはまりたくありませんから。
「親に話せないことでも……私は秘密を守るから、しゃべってもいいのよ」
確かに心底心配しているのかもしれない、あたしの手をそっと優しく包んでくれる手の温もりが伝わる。
でも今はダメ、自分の気持ちに整理がつかない、混乱している。
「これ以上リスカは止めますから、心配かけました、すみません」
そういって頭を下げ、もういいといわれるまでメイは顔を上げず、最後は先生が諦めそこで話は終わった。
この週の日曜日もやっぱり雨模様で、しとしと降る雨がうらめしい。親父は例の如く仕事だという、休みの日曜だというのに大変。メイの彼氏の母親の由貴さんっもマルナカ商事の仕事で留守らしい、お互い大変ね。
逢引していることは確実よね。
雨だから今日誰もいない彼氏の部屋でデートしようということになり、いつもの水本公園で待ち合わせる、そこでクレープを食べて彼の部屋でHするのだ。
その公園でメイは奇妙なものを見つける。
大きな三匹のなめくじである。
大きさは15センチにも達するだろう、ぶっといなめくじで背中におぞましい斑模様がある。
あまりの気持ち悪さに、しげしげと見入ってしまう。人ってキモいものに引き付けられたりしちゃうものでしょ、なんか不思議と。
「ご免メイ待った?」彼氏の和成が遅れてやってくる。
「見て和成、きもいんだけど」なめくじを指差す彼女と「あ、コイツ知ってる」という彼氏だ。
「マダラコウラナメクジっていうんだ、うえっ三匹もいんじゃん、気持ち悪い」
「げえ凄い、なんか頭のそばから青白いのだし始めてんですけど、和成ナニこれ? 知ってる?」
何かもじもじして素直に話せない様子だ、ンだこいつと怪訝な顔をするメイ、「たぶん……交尾の相手、探してる……」彼女と視線を合わせずぼそりつぶやく。
「……そっか」
やがて三匹のうち二匹、その青白い粘膜を絡めあいらせん状に吊るされ、身体と青白い粘膜を抱き合う。ぬらぬら怪しく光るなめくじが一つになる様ってなんておぞましいのだろう、それをもう一匹のなめくじが青白い粘膜を出し近づこうにも近寄れないのがとてももどかしく切ない。一匹残されたなめくじの気持ちがひりひりと塩をこする様に心のひだに染み渡る。
「きもい、死ね」
そういってあたしはその三匹のなめくじをブチュリッと踏み潰した。それでも三匹は生殖器をうねうね動かし続けていた。
(死ぬことよりセックスの方が大事なわけ? あり得ないよね、畜生って)
最悪の気分のまま彼氏の部屋に行く時、超最悪の事態が訪れた。
中島家の前に以前のあのスーツ姿があったから、直ぐにメイは和成を捕まえて物陰に隠れた。
「あいつ、あたしの家に例の怪文書届けた奴、隠れて」
「え、じゃあまさか今度はボクの家に」
「そのまさかでしょ、他に理由ないもん」
「でもアイツ何者なの」
「それこれから確かめよう、付いてきて、あんただって当事者なんだよ」
「う、うん」
帽子にサングラス、おまけにマスクまで、怪しさ100パーセントそのものがポストに手紙を投函したとき、後ろからメイがその腕を引っつかんだ。
「あんた、一体何者?」
びっくりしたように振り返ったスーツ姿を見て、その僅かな顔の輪郭にメイは驚いた。
「え、あんた、お女?」
無言で腕を振り払い、その女はメイを全力で突き飛ばす。それを和成が支え、二人してよろめいた時、その女は逃げ出していた。
走る、走る、走る。全力疾走だ。
メイたちもその後姿を追うが、とんでもない気迫が女の背中から伝わってくる。
以前のメイ達だったら追いつけたかもしれない、しかし覚悟無く知ってしまうことの恐さを知っている二人は、何か嫌な気にさせられ、どこか追いついてはいけない気にさせられていた。そして、駅の人込みに紛れられ、見失ってしまう。いや見たくなかったことなのかもしれない。
中島家に戻る道すがら、メイは男物のスーツで変装した女の残り香が気になって仕方ない、とてもとても嫌な気がする。
中島家のポストに投函されていた手紙はやっぱり和成の父宛に、不倫を告発する内容だ。
メイが気になったのはそこではない。
残り香だ。
ミルク系の甘い香りが混ざった石鹸の匂い、その匂いにメイは覚えがある、いやメイだけでなく和成もだ。
女の勘がささやきかける、もう一度親父のメールやSNSすべてを調べてみろ、と。
「おい豚、テメエのドタマで考えられるか?」
およそ何処にも持って生きようのない感情が鎌首をもたげてくる。誰も信用できない世界に真っ黒に塗りつぶされそう。誰かにぶつけなくては発狂してしまう。助けて和成!
「このクソ溜めのような世界で、お前はもっともありえない、でっしょー?」鼻をつまんで息もしたく無いと、厭なものを見る仕草のメイ。
あいつはあたしのコト心配する振りなんてしていたくせに、あたしたちのコト裏切っていたんだよ。親切に何でも相談に乗るからねって、力になるからねって。あたしの手をとって来た時の記憶が蘇る、あの人肌の生暖かさが、あたしの母親にでもなったつもりかよ、ふっざけんな!
「マジ、無理!」和成のあそこを触り、触ってはいけないものに触れた、おぞましい汚物に触れたかのような顔をし、後ずさる。汚してよ、あたしをめちゃくちゃにして和成。
それから二人は家に上がり、行為の間中、メイが徹底的にののしり倒し、そのすべてを和成はどこか嬉しそうに受け止めた。
後でなんか書き足すかもしれません