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(5)

 背中の傷も治り、サイシャは仕事に精を出す日々に戻っていた。……そして今、城の裏庭と思われる場所で迷っていた。

 今日は孤児院の使いで城に来ていたのだが、物珍しさでウロウロしているうちに、出口が分からなくなってしまったのだ。

「ど、どうしよう……」

 誰かに聞きたくても、人影が見当たらない。

 時間が来れば見回りの兵士に会えるかもしれないが、その兵士がいつ来るのかは分からない。

 もし、ついさっき見回ったばかりだとしたら、次にここに来るまで、どれほど待たなくてはならないだろうか。

 不安に押し潰されそうになり、サイシャは粗末なスカートをギュッと握り締める。

 その時。

「そこでなにをしているの?」

 女性にしては少しばかり低めの鋭い声が飛んできた。

 ビクリと肩を竦める彼女のもとに、長身の女性が足早に近付いて来る。

 膝下丈の編み上げブーツを履いた足でやや乱暴に歩み寄ってきたのは、戦女神と呼ばれるソニアだった。

 腰まである艶やかな黒髪を後ろで一つに纏め、襟の高い軍服に身を包んだエンゾルド軍副隊長の姿は、女性であるはずなのに威圧感がある。

 まして、無表情で頭一つ半高い位置から見下ろされれば、小柄なサイシャは自然と怯えてしまう。綺麗な顔であるほど、表情がないと恐ろしいものだ。

 オロオロと視線を彷徨わせる彼女の顔を、ソニアがおもむろに両手で包んだ。

 突然のことにサイシャが声も出さずに固まっていれば、グイッと上向きにさせられる。

 女性には似つかわしくない硬くなった指先と手の平が頬に触れ、サイシャはギクリと顔を強張らせる。


――なに、されるの?


 ここに来るまで、門や垣根といった境界らしきものはなかった。つまり、立ち入り禁止ではないということだ。

 それでも、うろついていたというだけで罰せられるのだろうか。

 怖さと泣きたい思いが入り混じり、目の奥が僅かに熱くなった。

 すると、ソニアがフンと鼻を鳴らす。

「何て顔をしているの? そんな変な顔をしていると、幸せが逃げるわよ」

 素っ気ない口調で告げられた内容に、サイシャは唖然となった。


――ソニア様は、なにを言ったの?

 

 身を潜めて生きているサイシャは日頃から感情を抑えこみ、また、ソニア程ではないが表情が動きにくい。

 おかげで、盛大に顔を顰めずに済んだ。しかし、頭の中では「?」が忙しなく飛び交っている。

 無言で全身を固まらせているサイシャに、ソニアは特別、気分を害した様子ではないようだ。

「まぁ、いいわ。あなた、ここでなにをしていたの?」

 相変わらず素っ気ない態度のソニアだが、怒りは伝わってこない。それでもだんまりを続ける訳にはいかないと、サイシャは必死に口を動かした。

「あ、あの、帰り道が分からなくなってしまいまして……」

 すると、ソニアがまたフンと鼻を鳴らす。

「それなら、城壁を左つたいに進んでいくと、詰め所があるわ。そこで門番に話をすれば、出してもらえるから」

 そう言ってから、ソニアがサイシャの頬から手の平を離す。それから、なぜかサイシャの頬を指で摘まんで左右に軽く引っ張った。

 自分になにが起きているのか分からないサイシャは、ただ、ただ、頬を引っ張られている。

 やがておもむろに指を離したソニアが、ズカズカと大股で立ち去っていった。


「ええと、なんだったんだろう」

 ヒリヒリと痛む頬を撫で擦っていると、また声をかけられた。

「お嬢さん、どうかなさいましたか?」

 顔を押さえながら振り返ると、次に現れたのは参謀長官のトニアス。先程のソニアと色違いの軍服を着ている。

 今日はどうしたということだろうか。この国の有名人に、次々と声をかけられるとは。

 ふたたび全身を固まらせていると、トニアスはさらに優しく微笑んできた。

「大丈夫ですか? 痛むようであれば、冷たい水で布を濡らしてきますが」

 どうやら、先ほどの一幕を目にしたようだ。

 申し出は非常にありがたいものの、参謀長官の手を煩わせるなど、平民のサイシャにとっては寿命を縮めるものでしかない。

「い、いえ。大丈夫です。もう、痛みは治まりました」

 心配してくれたことに、ペコリと頭を下げる。

 視線を戻したサイシャは、複雑な表情で微笑んでいるトニアスと目が合った。

「ソニア様のお言葉ですが、あれは『せっかく可愛い顔をしているのだから、楽しそうに笑いなさい』と、言いたかったのですよ」

「……え?」

 どこをどう解釈すれば、そのような物言いになるのだろうか。サイシャの頭の中が、またしても「?」で埋め尽くされる。

 とはいえ、二十年近くの付き合いがあるという戦女神と軍の頭脳なのだから、彼女のことを正しく理解できるのだろう。

「幼い頃からの徹底した教育のせいで、あの方は非常に言葉が不自由なところがあります。なにしろ、迂闊な発言は足元を掬われますからね。軍人にとって、致命傷になる場合もあります」

 彼らが三柱として敬意を向けられているのは、なにも家柄によるものだけではなかった。自身の能力を最大限に引き出すため、血の滲むような訓練を受けてきたという事実による。

 そして、そんな彼らが体を張って国を守ってくれているからこそ、平穏に暮らせるのだ。

 軍人になること。軍人であり続けること。それがどれだけ大変なことなのか、平民のサイシャでも想像がつく。

 トニアスの言葉に、サイシャは黙って頷いた。

 するとトニアスは腰を折り、低い位置にある彼女の目を覗き込む。

「優しさを表現できないからといって、優しさを知らない方ではありません。どうか、そのことを分かっていただけますか?」

 穏やかな口調で言われた言葉は、すんなり理解できた。サイシャはコクコクと頷いてみせる。

 ソニアが優しい人だということは、本当だと思ったからだ。

 自分のようなみすぼらしい格好をした者が城の裏庭にいれば、問答無用で切り捨てられても仕方がない。軍人である彼女には、それを実行に移すことを許される地位がある。

 しかしソニアはこちらへと歩み寄り、事情を説明すれば、ちゃんと帰り道を教えてくれたのだ。頬を抓ってきたのは意味不明だが。

 サイシャが何度も頷きを繰り返せば、トニアスの微笑みがさらに深くなる。

「では、気を付けて帰りなさい」

「はい、失礼します」

 ペコッと大きく頭を下げ、サイシャは詰め所に向かって駆け出した。



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