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 さて、こちらは部屋に残ったガイザールとサイシャである。

 先ほどまで腰を掛けていたソファに、ガイザールは彼女を横向きに膝へ乗せ、どっかりと腰を掛けていた。

 自分が置かれている状況にサイシャは大いに慌て、盛大に照れている。引き締まった筋肉を纏う腕から抜け出そうと、必死にもがいていた。

 しかし、小柄で華奢な彼女がどんなに暴れようとも、ガイザールはビクともしない。それどころか、彼女が暴れるほど、「危ないぞ」と言って、さらに腕の力を強めたため、密着度が増してしまう。

 そこで、サイシャは言葉でもって懸命に説得を試みる。

「お願いします、降ろしてください!」

「嫌だ」

 僅かの間すらおかずに返ってきた言葉に、サイシャはなんとか言葉を返した。

「私は平民なんです! 貴族であり、エンゾルト国軍総隊長のガイザール様に、おいそれと触れていい身分ではないのです!」

「触れているのは俺の方だから、気にすることはないさ」

「ガイザール様!?」

 声を上げるサイシャの額に、彼は羽根が舞い降りたような静かなキスを贈る。

「ようやく、魂が選んだ伴侶に出会えたんだ。放すはずないだろう?」

「で、で、で、ですが!」

「サイシャ……」

 真っ赤な顔をして半泣きの彼女に、ガイザールはソッと微笑みかける。

 嬉しさと切なさが絶妙に混じった表情に、サイシャは口を噤んだ。

 ずっと好きだった彼にこんな顔をされたら、彼女はなにも言えなくなってしまう。

 照れ隠しのためか、下唇をキュッと噛みしめる。

 そんな彼女に愛しさがこみ上げてきたガイザールは、さらにサイシャを抱き寄せる。左手を小さな頭に添えて引き寄せると、その頭に頬ずりした。

 大剣を扱うことに慣れたガッチリとした右手は、彼女の背中にやんわりと添える。

 不器用なガイザールはドレスを整えることができず、三つのリボンは解かれたまま。そのため、素肌に硬い皮膚に覆われた手の平の感触を覚えるサイシャ。

 ピクッと肩を跳ね上げた彼女を宥めるように、ガイザールは左手でポンポンと小さな頭を撫でてやった。

「すまなかったな。意識が薄れつつあったとはいえ、背中に大きな痕を付けてしまった」

 優しいけれど気落ちしていることがありありと分かる口調に、サイシャは広い肩口に頭を預けたままフルフルと首を横に振る。

「あ、あの、気にしないでください。痛みはすぐに引きましたし、傷口もすぐに塞がりました。それに痕が残っているなんて、ソニア様に教えてもらうまで気が付かなかったくらいで、日常生活には支障がなかったんです。だから、皆さんが驚くほど痕が残っているなんて、本当に気が付かなかったんです」

 十六になったサイシャが親と風呂を共にすることもなく、また、共同浴場に訪れた際にはいつも彼女以外に客がいなかったため、自分の背中がどうなっているのか、まったく知らなかった。

 そこまで一気に告げたサイシャが、ふとあることに気付き、恐る恐る言葉を続けた。

「……もしかして、傷痕を残してしまったから、責任を感じて、私と結婚するのですか?」

 嫁入り前の娘に怪我を負わせてしまった男性による責任の取り方は、金品で償うほかに、婚姻という手段を取るというのもよくある話だ。

 もし、この傷痕のせいだというのならば、ガイザールが責任を感じる必要はない。そのようなことを、彼女は少しも望んでいないのだ。

 それに、彼らが言う『本能云々』の話を、どこまで信用していいのかサイシャには分からなかった。

 ソニアがガイザールの許嫁から外れたという話は納得できても、自分が彼の伴侶になるという話には、すんなりと理解が及ばないのだ。

 疑問のままに尋ねれば、頭の上に低い唸り声が降ってきた。

「馬鹿を言うな! 俺がサイシャを欲しいと思ったからだ。サイシャをこの手で守り、永久に亘って共にありたいと思ったからだ」

「本当ですか? 万が一、私の背中から傷が消えても、同じ事を仰ってくださるのですか?」

「当然だ!」

 きっぱりと言い切られても、やはりサイシャの頭の中は整理ができない。急転過ぎてうまく処理できず、なにを聞いても嬉しさより戸惑いが先立つ。

 逞しい腕の中で身を縮めて蹲っているサイシャに、ガイザールが苦笑を漏らした。 

「言っておくが、その痕は間もなく消える」

「……はい?」

 顔を伏せたまま、サイシャが首を傾げる。

 聞いた話では、加護を受けたガイザールが自分の伴侶に定めた者に証を刻むのだと言っていたではないか。

 それが消えるということは、なにを指しているのか。

「……つまり、私は、まもなく伴侶の定めから外れるということでしょうか?」

 そうなると話が繋がらなくなってしまうが、どうしても、否定的な展開しか考えられないサイシャ。

 そんな彼女を諭すように、ガイザールは華奢な体を優しく揺すり上げる。

「その反対だ。その定めを絶対的なものにするから、証を残す必要がなくなるんだよ」

「絶対的なものにする、とは?」

 さらに首を傾げるサイシャの耳に、ガイザールが口元を寄せた。そして、甘く蕩けそうな口調でガイザールが告げる。

「夫婦となり、契りを交わすことだ。俺の精をその身に受けることで、聖痕は消えるらしい」

 サイシャの顔がボンと音を立てて赤くなる。

 経験はなくとも、この年となれば、それなりの情報が耳に入ってくるものだ。

 ガイザールが口にした意味を理解した途端、頭の天辺から湯気が噴き出す。

「あ、あの、それは……」

 恥ずかしさで落ち着かない様子を見せる彼女がとにかく可愛らしくて、ガイザールはなおも耳元で囁く。

「問題は、この体格差だな。いざ事に及んで、理性を飛ばした俺が華奢なサイシャを壊してしまわないか、それが心配だ」

 真っ赤な顔で俯くサイシャの耳に、彼は自分の想いを込めた言葉を注ぎ込む。

「愛しいサイシャ。聖狼の加護を受けた者として誓おう。この命に代えて君を守り通し、この命の限り君を愛し続ける」

 サイシャは思い切って顔を上げると、怖いほど真剣な表情のガイザールが真っ直ぐ見つめていた。

「だから、俺と結婚してほしい」

 アウアウと言葉にならないものを漏らしている彼女が、唇を震わせて問いかけた。

「あ、あ、……あと、き、訊きたことが、まだありまして……」

「ん、なんだ?」

「わ、私の背中にある聖痕が、その、や、やっぱり間違いだってことはないんですか? こ、この爪痕は、ガイザール様が苦しんだ時に付けたものです。もし、あの時のガイザール様を助けたのが私以外の人であったなら、その人に聖痕が刻まれた可能性があるのではないでしょうか?」

 彼の傍にいられることは幸せかもしれないが、単なる偶然の上に積み上げられたものではないかという疑念が消えない。

 聖獣様に選ばれたことが嬉しくないわけではない。

 しかし、それがガイザールの気持ちとは関係ないものであれば、自分はただのお飾りでしかないのではないだろうか。

 物理的な距離は縮まっても、精神的な距離は遠いまま。いくら彼のことが好きでも、それでは悲し過ぎる。

 目の奥がジワリと熱くなった時、相変わらず真剣な眼差しのガイザールが答える。

「それはない」

「どうして、そのように言い切れるのですか?」

「魂が選ぶと言っただろう? もし、伴侶と認められない人間であれば、それは単なる傷痕でしかなく、俺の瞳の色には染まらない」

 紫紺の瞳を見つめて、サイシャは消えない疑問と不安を訴える。

「……魂が選べば、伴侶にするのですか? その人が、もしかしたら、ガイザール様の伴侶に相応しくないかもしれないのに……」

 彼女の問いかけに、凛々しい眉が僅かに下がった。

 ガイザールは苦笑いを浮かべながら、静かにサイシャの疑問に答える。

「公にされてない文書からすると、どうやら我が国の聖獣様というのは、おせっかいな性分らしくてな」

「え?」

 キョトンとするサイシャに、ガイザールは苦笑を深めた。

「聖痕を刻み付ける際、相手の心の中に入り込むそうだ。そして、伴侶に相応しい魂の持ち主であるかを見極めると言われている。それから……」

 少しだけ言いにくそうに、ガイザールがポツリポツリと話を続けた。

「まぁ、なんというか、俺の好みに合った相手を選ぶというか……。見た目とか、性格とか、俺ですら気付かない細かい好みまで把握して、それに見合った相手に聖痕を付けるというか……。そういうところが、おせっかいと言われている理由らしい」

 少しだけ視線をうろつかせたのちにガイザールは目の前にある深緑色の瞳を見つめると、うっすらと頬を赤らませながら告げる。

「つまり、サイシャは俺の理想そのものだってことだ」

 またしても、サイシャの顔が真っ赤に染まった。

「で、でも、私は、ガイザール様のことをほとんど知りません。ガイザール様だって、私のことは知らないでしょう? そんな私が、ガイザール様の理想と言われましても……」

 戸惑いを極めるサイシャに、ガイザールは追撃の言葉を緩めない。

「それでも、サイシャのいない人生は考えられない。俺の全身が、心が、魂が、サイシャを求めているんだ」

 顔どころか、耳や首もとまで赤く染めたサイシャに、ガイザールは真剣に懇願する。 

「闘いしか知らない武骨な男だが、どうか、どうか、この俺と共に歩く人生を選んでほしい」

 サイシャの心は戸惑いに大きく揺れているものの、恋い焦がれた人にここまで熱心に求婚されて、断れる女性がいるだろうか。

 震える自分の手をキュッと握り締め、しばしの間、黙り込む。

 やがて手を開いたサイシャは震えが治まらない指をおずおずと伸ばし、ガイザールの精悍な頬に触れた。

 ピクリと体を震わせた彼を真っ直ぐに見つめ、サイシャはぎこちないながらも精いっぱい微笑んだ。

「色々と未熟者ですが、どうか、末永くお願いします……」

「サイシャ!」

 喜色満面のガイザールは、力いっぱい華奢な彼女を抱き締める。

 あまりの腕力にサイシャは一瞬息が詰まったが、それはとても幸せな苦しさでもあった。




 聖狼が守護するエンゾルト国では、二組の挙式が執り行われる運びとなる。

 見事な体躯の凛々しい花婿の隣には、恥ずかしそうにはにかむ笑顔が愛らしい小柄な花嫁。

 穏やかな眼差しを浮かべる花婿の隣には、無表情ながらもほんのりと耳を赤らめる長身で美人の花嫁。

 誰しもがこの二組の挙式を喜び、国を挙げて祝福することとなる。


 太陽と月の色を思わせる毛並みを持つ聖狼は、遠い空の上から挙式の様子を静かに見守っていたのだった。




●本編はここで終わります。

次話はみやこ基準の一話分に満たななかったので、オマケとして投稿することにしました。

もう少しだけお付き合いくださいませ。

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