異世界での暮らし
4
夕食の後、アセムさんに、この世界の事について色々なことを質問した。アセムさんは「こんなことも知らんとは、お前さんは本当に遠い所からきたんじゃなあ」と驚いていたが、その分俺に分かりやすいよう、かみ砕いて説明してくれた。
そこで気付いたことだが、やはりこの異世界――ファンタゴズマは地球と似ている物が多いということだ。
四季があり暦もある。この世界の暦は春夏秋冬にそれぞ九十日あるらしく、一年の長さとしては地球とあまり変わらない。食べ物についてもジャガイモやりんご、地球と同じ物がほとんどだった。
食事の変化については問題無さそうだったが、一番の問題として、やはり言語の壁が存在した。
アセムさんは顎ひげを撫でる。
「ふうむ。では、お前さんの言葉はニホンゴというのか。聞いたことない言葉じゃなあ」
「…この言語を使うのも本当に一部の民族だけですからね」
「”ニホンジン”という民族か。確かに。わしはこの世に生をうけてからもう70年近く経つが聞いたこともない名前じゃ」
世の中まだまだ知らないことがあるもんじゃな、と、アセムさんは笑うと自分の指にはめていた『交流の指輪』を抜き、俺に差し出した。
「!アセムさん、これは…」
アセムさんはにっこりして頷く。俺に付けろということか。
手のひらに置かれた指輪を、俺は丁寧に受け取ると。ゆっくりと左の人差し指にはめた。
「うむ。わしの言ってることは分かるな。それはしばらくシュウに預けよう。これでシーナとも会話できるじゃろう」
「…アセムさん。これはかなり希少な物だと聞いています。それを、今日初めて喋ったような俺に渡していいのですか?」
「なんじゃ、お前さんそれを盗もうとでも考えておるのか?」
「い、いえ。そんなことは無いですけど…」
冗談めかしてそう言うので慌てて否定する。そんな俺を反応を見て、アセムさんはまたにっこりと微笑んだ。
「なあに。少しの間貸すだけじゃ。ここを出るときにはちゃんと返してもらうんで、そのうちにシーナにでもこちらの言葉を教えてもらうと良い。さあ、そろそろ寝るとしよう。しばらくここにいると決まったんじゃから、明日からはお前さんにも働いてもらうぞ。今日はもう休んで明日からまた頑張るとしようぞ」
お前さんの寝床はさっきの部屋じゃ、そう言ってアセムさんは自室らしき部屋に消えていった。
俺は、何か肩透かしを食らったような気になりながら、用意された部屋に戻る。ベッドにぼふりと身を投げ出すと、すぐに睡魔が襲ってくる。
(これからのこととか、色々考えなくちゃいけないのに…)
俺は睡魔に抗えず、すぐに深い眠りへと落ちた。
翌朝、控え目なノックの音で目を覚ます。部屋に一つしかない小さな窓からは、陽射しが差し込んでいる。
「シュウさん。朝です。起きてください。あ、そういえば言葉が分からないんだっけ。えーと、朝の挨拶とかは無いのかなー…」
ドアの奥からそんな声が聞こえてくる。そういえば昨日はすぐに寝てしまって指輪も付けたままだったのか。
俺はドアの前まで歩いてくると、がちゃりとおもむろに戸を開けた。
「朝はおはようって言うんだよ。シーナ、おはよう」
「…ッ!」
いきなり出てきた俺に驚き、その場でぴょんと飛び上がる。
「シュウさん…、何で言葉が…あ」
そこでシーナの目線が俺の指に向けられる。しばらくアセムさんに借りることになったんだ、と言うとなるほど、という顔で頷く。
「そうだったんですね。びっくりした〜。…あの、今日燃やす分の薪がなくなってしまったので、切ってもらえないでしょうか?」
「ああ、それくらいおやすいご用だ。すぐ準備して行く」
分かりました、と言うと、シーナはそのまま居間へ向かおうとする。が、途中で何かを思い出したかのようにくるりと振り返り、手を合わせてこう言った。
「シュウさん、おはよう!」
「…ああ、おはよう」
すると満足したかのように足取り軽く立ち去っていくシーナ。
俺はそれを微笑ましい気持ちで見送ると、ポツリと独り言を漏らす。
「おはようの時は手を合わせないんだけどな…」
シーナが出て行ってから気づいたが、部屋の前には男用の着替えが置いてあった。おそらく俺用に用意してくれたのだろう。確かに、いつまでも制服のままというわけにもいかない。後でシーナにはお礼を言わないと。
俺は手早く着替えを済ませ、外へ出る。用意してくれていた着替えは暖かい生地だったが、さすがに上着がないと体が冷える。
「やあ、シュウ。昨日はよく眠れたかな?」
家を出るときにシーナが教えてくれた井戸まで行くと、アセムさんがいた。井戸からちょうど桶を引き上げたところで問うてくる。
「おはようございます、アセムさん。はい、おかげさまで」
「おはようございます…。なるほど。それもシュウの民族の習慣か。後でわしにも教えてくれ。――ほれ、タオルじゃ。わしはもう済ませたから、この桶に入っている分は、お前さんが使うといい」
「はい、遠慮なく使わせてもらいます。あと、シーナから薪を切るよう頼まれたのですが」
「ああ、そうじゃったな。顔を洗ったあとでいいからやってもらえるか。お前さんの剣は木材置き場のすぐそばにおいてある」
「ここでは斧ではなく、剣で薪を切るのですか?」
「わはは。さすがにそれは無いさな。今はうちにある斧が刃こぼれしてちょうど鍛冶屋に預けとってのう。まあお前さんは剣士じゃろうしできるじゃろ?でなければ今頃あの荒野で荒れ地ゴブリンの餌になってるじゃろうて」
俺がいた荒野はファンタゴズマの北東に広がる地域で、作物もほとんど育たず、しかも荒れ地ゴブリンの縄張りとなっている大変危険な場所だそうだ。それを昨日聞かされたときは、あの白い女を今すぐ殺したい衝動に駆られて必死だった。
だが、確かにこれは剣を扱ういい機会だ。日本にいた時は、せいぜい喧嘩で木刀を使うくらいだった。復讐するためにはまず、力を付けなければならない。
(そういえば…)
俺は井戸まで来ると、水が入った桶をアセムさんからありがたく受け取る。
「わかりました。それはそうとアセムさん。アセムさんは昔は魔法使いだったんですよね?」
「うむ。そうじゃが?」
「時間が空いているときでいいので、よかったら俺に――魔法を教えてくれませんか?」
「ほう?」
アセムさんは真意を探るように俺の目をのぞき込む。俺はその視線から目を離さず、真正面から見つめ返す。
「…魔法使いの掟でな。魔法は悪しき者に教えるべからず…。」
アセムさんは俺に顔を近づける。
「シュウ、お前さんは魔法を何のために使う」
アセムさんのライトブルーの瞳が俺の緊張した顔を映す。その瞳は、どんな嘘や偽りも、たちまち看破されてしまうような不思議な迫力を持っていた。
(嘘をついたら確実にばれる。復讐のためと言っても教えてはもらえない…。なら)
「未来を護るためです」
「…ほう」
俺は気圧されないよう精いっぱい胸を張ってこたえる。そんな俺をしばらくアセムさんは見つめていたが、やがて顔を離して破顔した。
「よかろう。嘘は言ってないようじゃな。試すようなことをして悪かったの。これも魔法使いの義務でな。時間が空いたときに魔法の稽古をしてやろう」
「…ありがとうございます」
俺は九十度に体を折ってお辞儀する。
「…お礼を言うときお辞儀するのは一緒のようじゃな。まあ面を上げなさい。それより早く顔を洗って薪を割っておくれ。それが終わらんと部屋が凍えてたまらん」
アセムさんはそう言うと、家に戻っていった。俺はその間ずっと頭を下げ続けていた。しかし、それには感謝とは別の意味もあった。
(すみませんアセムさん…。俺はきっとこの世界で最も”悪しき人”となるでしょう…)
自らの意思ではないにせよ、魔法使いの掟をアセムさんに破らせてしまうのが申し訳なかった。ファンタゴズマに来てから何の縁もなかった俺にここまで優しくしてくれた人を、俺は裏切ってしまったのだ。
(でも、復讐だけは譲れない…)
この世界には破滅を呼ぶかもしれないが、俺の世界を救うという意味ではさっきの言葉に嘘偽りはない。ただ、もしも俺が今顔を上げ、アセムさんが俺の顔を見てしまったら、きっとアセムさんは俺に魔法を教えようとはしないだろう。
地面に置かれた桶の中には、歪んだ笑顔を浮かべる俺の顔が水面に映っていた。
「全く、本当に礼儀正しい男よなシュウは」
家に戻ったアセムは、未だ頭を下げ続ける一人の少年を見て苦笑した。アセムに位置からはシュウの表情は窺えない。
「見たところなかなか男前じゃし…狙うなら今のうちじゃぞ、シーナ」
こっそり覗いていた自分の義娘にアセムは声を掛ける。
「~~ッ!もう、お父さん!からかうのはやめて!」
「わはは。シュウの前でもそのように元気にしていればよかろう。お前はあやつの前では大人しすぎる」
「だ、だってお父さん以外の男の人となんてまともにしゃべったことないし…。どう接すればいいかわかんないよ」
「ふん。まあ一緒に過ごしていくうちに分かっていくじゃろう。ほれ、それよりシュウが薪を切っているうちに直しておけ。お前、朝から思ってたんじゃが後ろ髪がはねておるぞ」
「~~ッ!もう!気づいてたんなら早く言ってよね!お父さんの馬鹿!」
そうして慌てて姿見に走っていくシーナを、アセムは目を細めて見送った。




