もしも女子中学生がぶっ飛んだ架空戦国時代にトリップしたら。
ぷおぉ、とどこか間抜けな、しかし体の奥がぞわぞわしてくるような音が響き渡ったのと同時に、うおおおおっ、とかなりうるさい、しかしこれまた体の奥がぞわぞわしてくるようなむさ苦しい雄叫びを挙げた大勢の男たちが、がしゃがしゃ甲冑を鳴らしながら走って行きました。目指すは目の前の赤い集団。こちらから走って行ったのは緑の男たちです。赤い集団は我ら緑の集団の敵でございます。先程走って行ったのは槍を持った足軽さんたちです。何人か、いや、何十人かは帰ってくることはないでしょう。ここは、そういう世界です。
私は涙目になりそうなのを堪え、空を見上げました。空は見事な晴天。眩しすぎて逆に涙が出てきました。そういうことにしておきました。
足軽さんたちに続いて、緑の集団の上の方の人たち、いわゆる武将さんたちも、緑と赤が混ざってなんやかんやしているところへ突撃していきます。私としては、大変な立場にいらっしゃる武将さんたちはできるだけ混ざって戦わない方が賢明だと思うのですが、どうにも我ら緑の集団の武将さんたちは血の気が盛んなようです。私のアドバイスも聞かず、やはり突撃していきました。私のような小娘のアドバイスをちゃんと聞いてくれる人はいないようです。私が彼らの立場でも聞きませんが。武将さんたちは全員無事に帰ってくることができるのでしょうか。帰ってきてくれなくては困ります。死んでしまっては国を支える重役が数人減ることになるのですから。困ります。ストッパーがいなくなってしまっては、ただでさえ女遊びに現を抜かしているうちの総大将が国そっちのけで遊郭通いをしてしまいそうです。困ります。
私は将来を想像しものすごく酷い表情をしそうになるのを堪え、空を見上げました。空は見事な曇り空。それも整った感じの男性の顔の形をしていました。うちの総大将でした。
「どうしてここにいる。というかどうやってここに来た」
声は落ち着いていますが、かなりご立腹のようです。眉間の皺が恐ろしいです。小娘相手に本気で怒らないでください。
「さあ吐け、どうやってここに来た、近い方だとはいえ馬使わないと来れない距離だろう。そしてお前は一人で馬に乗れないだろう。どうやってここに来た」
「いや、あの、それは、ですね……」
「わたくしがお連れしましたのよ、殿」
総大将の後ろから、ゆったりと声をかけたのは、なんとも優美な美女でした。明らかにいいところのお嬢様にしか見えないのですが、身なりは動きやすそうな格好です。馬に乗るためですね。はい、私をここに連れてきた張本人です。本人も言っていますね。
「ここではない世界からいらしたんですもの。この世界のことを知るには、戦場にお連れした方が早いかと思いましたの」
「だからといってな、ゆり。お前がそんな恰好をしてまでここに連れてくるのは危険すぎる。もしも何かあったらどうするんだ」
「大丈夫ですわ。わたくし、こう見えても武家の娘ですのよ? 殿もわたくしの腕を知っておりますでしょう?」
「ああ、わかっている。だが、いざというとき男に襲われてしまっては、きっと勝てない。お前に何かあったら……俺は……!」
「もう、殿ったらしゃんとしてくださいませ。わたくしは殿を残して死んだりはしませんわ」
はい、恒例のいちゃいちゃ始まりました。南野政之さま(総大将の名前です)は私へ向けていた怒りをゆりさま(政之さまの正室です)への愛情に変換したようです。眉間の皺もその表情だとすごく美しいものに見えますね。ゆりさまは相変わらずゆるりと微笑んだまま表情を変えていませんが。ゆりさま強いです。色々と。
政之さまは生粋の女好きですが、ゆりさまのことは本当に愛しているようです。ほんとリア充爆発しろって感じですね。政略結婚も案外うまくいくようです。
「さつきさまがいらしてから、もう三月も経っていますのよ。さつきさまも、もうこの時代のことを充分理解なさっています。あとは、ご自分の目でお確かめになるだけでございましょう?」
「ああ、そうだな、もう三月も経っている。百歩譲って連れ出すことを許し……いや、許さないが、出てくるなら出てくるでこんな奇妙な格好で連れてくるな!」
「まあ、まあ殿! 奇妙な格好とはなんですか! とってもお似合いのお着物ではありませんか!」
「そうだそうだ! セーラー服侮辱すんな! 女子中学生の最強装備だぞ! スカート膝下だぞ! 若干田舎っぽいところがまたいいんだよ!」
「さつき! お前誰に向かってそんな言葉使いをしているかわかっているのか! あとせーらーだかすかーとだか意味のわからん言葉を使うな!」
政之さまに軽く頭を叩かれました。私の言葉使いの悪さは生れてこの方こんな感じなので仕方ないことですし、セーラー服もスカートも私の世界では当たり前にわかる言葉なので仕方ありません。ジェネレーションギャップというやつです。ちょっと違う気もしますが。
私はまた緑と赤のよくわからない集団を見下ろします。言っていませんでしたがここはちょっとした崖になっていて、高さはまあまあなのですが、木々があるためにあちらからは見えないでしょう。あちらにいたはずの政之さまが私を見つけたのは一体何故なのでしょうね。謎です。
完全に「戦!」って感じのその光景は、私にとって見慣れていないものでした。見慣れたくもありません。私は平和そのものな平成の世から来たのですから。平和ではないところもありますが、少なくとも私の周りは平和でした。
ある日、目を覚ますと私は森の中にいました。それはもう完全に森でした。田舎のおばあちゃんの所有する山を思い出しました。
おじさんの家に泊まっていたはずなのに、と戸惑いつつ、色々あってこれは夢ではないとわかり、私は山から脱出しました。色々とは転んだり落ち武者に殺されかけたり色々です。今思えば、明らかにこの世界は私を歓迎していませんでした。寝ていたはずなのにセーラー服だったり、体育着に下着にカロリーメ○トにタオルにノートにシャーペンにとお泊りセットな私のリュックが落ちていたりしていたことだけは、今でも謎です。
なんとか山から脱出した私は、賑やかな城下町に出ました。大きなお城が見えました。某映画村のような町が広がっていました。そして何より、道行く人がみんな着物を着ていました。ここでまた夢ではないかと思いましたが、色々あって夢ではないとわかりました。色々とはお侍さんに捕まったりお城のお殿様に会ったり色々です。
そして色々あって保護されました。この、政之さまにです。政之さまはお殿様です。どこの夢小説だおい、と思ったのは不可抗力だと思います。
ぶっ飛んでいることを除いて、この世界は私の知っている戦国時代とほぼ同じでした。何故私がいた世界とは違うと気付いたのはここにあります。有名な武将の中に知っている名前が一つもなかった上に、私のいた世界では絶対に、ぜーったいにありえない色々な特技を持った武将がわんさかいたからです。色々とは、自称天使な常に後光がさしている武将とか妖を従える武将とか死者を操る武将とか色々です。こんなの、ぶっ飛びすぎて私の理解力が追いつきません。びっくりです。
おいおい嘘だろー、とは思いましたが、政之さまもその色々な特技を持った武将の一人らしく、実演して見せてもらったので信じる他ありませんでした。政之さまは、私の目の前で、謎の生物を作り出してしまったのです。本当にもう謎な生物です。猫なのか兎なのか、キメラのような生物でした。これは信じるしかありません。くしゃくしゃに丸めた紙が、可愛らしさの皆無な小動物に変わったら恐ろしすぎて、か弱い女子中学生である私は信じるしかないでしょう。
それから、同盟国の武将にも会いました。彼は何もないところから水を噴出させました。びっくりでした。二度驚かされたら、馬鹿な私でも理解します。
ああ、ここは違う世界なんだ、と。
最初こそ「なんだこれはよくある夢小説やら乙女ゲームやらじゃないか」と突っ込みまくりでしたが、ここは、そういう世界です、とゆっくりゆりさまに五百回ほど言わされたのでもう突っ込みません。そう、ここは、そういう世界です。
「おわかりですか、さつきさま。この世界は、戦の世なのです。どこもかしこも戦ばかり。一日に一体何人の人間が死んでいるのかわかりません。さつきさま。この世界に来てしまった以上、あなたさまも戦に巻き込まれてしまうでしょう」
三か月前を思い出していると、ゆりさまが唐突に私に話を振ってきました。どうして私がいるだけで戦に巻き込まれるのか疑問に思いますが、ゆりさまには着物をもらったり頼んでもいないのに城下町に連れ出されたり凶暴なイノシシ狩りに連れ出されて人生初の骨折を経験したりと、ずっとよくしてもらっていたので何も言わずに頷きます。骨折したのに一週間で治ったのは驚きです。この世界の薬はあちらの世界よりはるかに進んでいます。吐くほどまずかったけれど。
「さつきさま。あちらをごらんになってください」
「どちらですか」
「十二の方向です」
「十二時の方向ですか、真正面ですね」
見えますか、と言われましたが、そこには赤の本陣しかありません。
「間違えました。わたくしたちの後ろです」
「間違えすぎですゆりさま」
いくらあちらの世界にいたときから歴史が好きだったからといえど、古典はあまり得意ではなかったのでこの世界での時間、例えば丑の刻だとかなんだとか言われてもわからなかったので、ゆりさまに無理を承知で数字で言ってくださいと頼んでそれを呑んでくれたのはとても助かるのですが、ゆりさま少々間違えることが多すぎます。正面を十二に定め、それから時計と同じように、とお教えしたというのに、ゆりさまは後ろを正面ととらえているのでしょうか。不思議ちゃんにも程があります。
溜め息を飲み込みつつ、私は後ろを向きます。過去に思いを馳せている間に、政之さまは帰って行ったようでした。後ろにはいませんでした。政之さまは、いませんでした。
はい、そうです。
政之さまがいないだけで、見知らぬ男性がいました。
「このように合戦をしているだけが、戦ではないのです。こうやって何もしておらずとも、襲われることもあるのです。ここは、そういう世界です」
はい来ました。ゆりさまの「ここは、そういう世界です」。
ゆりさまは、緑と赤の戦を見下ろしたまま、私にそう言いました。見知らぬ男性と目があったままの状態で何か行動を起こす勇気など一ミリもない私としては、早くゆりさまに振り返ってもらいたいものです。見知らぬ男性は大変イケメンな方で正直超タイプなお顔をしているのですが、流石は戦国の世に生きる男性。目つきが悪めです。まあ、私が出会ってきた武将の方々は大抵目つきが悪かったので珍しくはないのでしょうが。むしろ政之さまくらいです、覇気のない目つきをしているのは。
イケメンと一言で片付けてしまうのは勿体ないですね。少しは描写しましょう。私の日本語力が試されるときが来たようです。
この世界では割と当たり前のようですが、まるでゲームやアニメやマンガのように格好の良い服装をしています。がっつり甲冑、鎧、なんてものではありません。全体的に、というよりは、ワンポイント的に紫があしらわれているので、彼のイメージカラーは紫なのでしょう。お顔はというと、切れ長の目に不敵な笑みがお似合いな格好良いヤンキーのようです。ヤンキーと言ったら失礼ですね。ワイルドなお顔です。背はとても高く、百八十は優にあります。百九十近いのではないでしょうか。腰に提げた刀は少し大きめ太めなだけなので特に描写しません。こんなものでしょう。もう無理です見つめられません。
「緑国の南野の正室はお前……じゃないな。そっちの女か」
声渋っ! 耳がぞわぞわしました。正直超タイプなお声です。惚れそうです。結構アニメとか見てた方で声優さんとかも結構知っている方なのですが、ここまでドンピシャで好みなお声の方はいませんでした。やばいです。これぞイケボって感じのお声です。ちなみに緑国とは政之さまの国です。このあたりの国は色が国名になっているそうです。他の地方は一体どんな国名なのでしょう。
お顔もお声も超私好みな見知らぬ男性は、私が正室なはずはないと、私の少し後ろにいるゆりさまに近付こうと、一歩足を前に出しました。彼に見惚れていた私は、はっと我に返りゆりさまに近付かせまいと、彼を睨みつけます。小娘に睨みつけられても痛くも痒くもなく、むしろ笑いそうになっているのでしょうが、そんなことは気にしません。私がどれくらい普通で平凡な顔をしているか、ちゃんとわかっているつもりです。こう自分で言うと、平凡設定なのに何故かモテまくり男を落としまくりあげくそれを迷惑がる、よくある夢小説、もしくは恋愛小説、もしくは乙女ゲームの主人公と同じかこいつは、と思われてしまうかもしれません。ですがご安心してください。私は平凡であってほしいと思っていますが、本当はよくて中の下だと思っています。そしてこの世界では平凡は武器ではありません。私が初対面の政之さまに殺されかけたことから、ここはかなり常識的な世界だとわかります。ここは、そういう世界です。
「あの、大変失礼ながら貴殿はどちらのお方にございましょうか」
使いなれない敬語はとても嫌いです。国語は得意な方でしたが、敬語はさっぱりです。古典も。ですのでかなりおかしいところがあると思いますが、一生懸命に敬語を使ったので許してもらいたいものです。
「神室の神凪真澄、だ。知らねえのか」
全く知らない国名でしたが正直超タイプなお名前でした。このお顔で真澄ちゃんって、真澄ちゃんって。どこまで私の好みを突いてくるのでしょう。もう惚れたので許して欲しいです。
ゆりさまが「神室……城主自ら何故……」と呟きましたが、なおも振り向こうとしないので私は戸惑うばかりです。名前を聞き出したはいいのですが、正直言って見惚れそうになって困ります。人生初の恋ですかね。二次元男子になら一度本気で好きになった男性がいるのですが、三次元男子は初です。ここが三次元だという証拠はないのですが。どうでもいいのですが、城主がそう軽々と名乗ってしまっていいのでしょうか。ああそうか、名乗って殺す派の誠意ある武将なのでしょう。それも私好みじゃないですか。
「わたくしを殺そうと言うのですか」
「いや、人質にする。無駄に殺しても何も得しないからな」
「そういう世界ですものね。ですが、残念でしたね。あの方の正室はわたくしではありません」
ゆりさま、真澄ちゃんを見ることもなく会話をします。ゆりさまやはり強いです。色々と。正室でないと言ったのは正解だと私も思います。流石ですゆりさま。
「正室は、そちらにいらっしゃるお方ですもの。わたくしではございません」
「……なんだと」
ゆりさま一体何を! そう叫びそうになったのを耐えたのは褒めていただきたいものです。ゆりさまは一体何をおっしゃったのでしょうか。信じられません。私を敵に売ろうとしているのでしょうか。私を、自分の、身代りに。
いやいやいや、ゆりさまに限ってそんなことはありえません。ゆりさまはとてもお優しい方なのです。私は信じています。私に着物をくださったことも、城下町に連れ出してくださったことも、イノシシ狩りに連れ出してくださったことも、全て私を思いやってくださったことだと信じています。
幸い真澄ちゃんもゆりさまの言葉を信じていないようなのでいいのですが、ゆりさまはきっと笑っていらっしゃるでしょう。面白い悪戯を思いついた小学生のような笑みを浮かべていらっしゃるのでしょう。嫌な予感がします。全神経が逃げろと叫んでいます。
「わたくしはただの妾にございます。先程のやりとりを見ていらしたかはわかりませんが、緑国、南野政之さまが真に想いを寄せていらっしゃるのはそちらのお方にございます。わたくしなど、比べるまでもありません」
ゆりさま一体何を! 二度目ですが叫びそうになったのを耐えたのは全力で褒めていただきたいものです。流石の私でも顔がものすごく酷いことになってくのがわかります。元より口が悪く喧嘩っ早いところのある私です。いくら恩人とはいえ笑えない冗談を言われると怒ります。烈火のごとく怒ります。
「……この奇妙な格好の女が、正室だと?」
「奇妙とはなんだ奇妙とはこれは女子中学生の最強装備セーラー服だぞスカート膝下という田舎臭さがまたいい味を出しているんだぞ二次元じゃ膝上数十センチが多いが現実的な膝下が私は好きだ馬鹿にすんな」
一息に捲し立てましたが、真澄ちゃんには半分も伝わっていないでしょう。私のセーラー服は二次元でよく見るようなふわっとしたネクタイではなく、普通のネクタイの幅が広い方狭い方の違いのない布をネクタイとして使っているので、少し不格好にも見えますが、私は好きです。好きなものを馬鹿にする人は許しません。例え惚れた相手だとしても、です。
「ええ、そちらのお方が、南野政之さまの正室、ゆりさまにございます」
「歳が随分若いようだが」
「日頃の努力の賜物ですわ。ですので、神凪さまでございましたか。そちらのお方をお連れしたらどうでしょう。わたくし政之さまにお伝えしますので、傷をつけぬのであれば、どうぞお連れになって」
ゆりさまちょっと頭おかしいんじゃないですか! そう叫びたかったのを耐えたのは以下省略です。
ですが、私は成績オール二の足りない頭で考えました。それはもう考えました。ここでゆりさまが連れ去られてしまうのは、とてもまずいんじゃないでしょうか。ゆりさまは正室です。そして、政之さまはそれはもう病気なんじゃないかってくらいゆりさまを愛しています。ゆりさまが連れ去られてしまうと、政之さまは鬼のように探し回るでしょう。あの可愛らしいとはとても言えないキメラの軍勢を率いて、真澄ちゃんの国を滅ぼすでしょう。惚れた相手の国が滅ぼされるのはとても辛いです。ですが、私が身代りとなって真澄ちゃんに連れ去られたらどうでしょう。私は地下牢だかどこだかに閉じ込められるだろうとは思いますが真澄ちゃんの比較的近くにいることが出来ますし、ゆりさまはこれまで通り普通に暮らせますし、政之さまはゆりさまとうざったいくらいイチャイチャする毎日を送れます。キメラの軍勢も出来上がりません。
ゆりさま、素晴らしいことを言ってくださったのではないでしょうか。
真澄ちゃんは半信半疑ながら、ゆりさまの主張を信じたようです。刀を抜き、私をぐっと捕まえて喉元に峰を当てました。人質にすると言っていたので殺されましないでしょう。多少の暴力はむしろ歓迎します。ええ、そうです、私は自他共に認めるドMです。
ゆりさまは、まだ振り向きません。
「南野政之に伝えろ。てめえの正室は神室の神凪真澄が預かったってな」
「そのままお伝えしますわ」
そこでようやく振り向いたゆりさまは、やはり悪戯を思いついた小学生のような笑みを浮かべていましたが、私にはわかりました。
ゆりさま、かなり罪悪感を感じています。
まあ仕方のないことでしょう。この場面では、私が身代りになるのが一番です。元の世界に戻る方法のわからない今、目が覚めたあの山から離れるのはよくないでしょうが、まあ仕方ありません。人質になってしまったら、帰る方法を探ることもできなくなるでしょうが、仕方ありません。喉元に刀を向けられれば、いくら私が馬鹿で短気だとはいえ、流石に強気に出ることは出来ません。政之さまが優しい人だったら、助けに来てくれるかもしれません。そうであってほしいと願っておきましょう。
正直、かなり怖いし焦っているのですが、頑張って冷静を装います。真澄ちゃんすごくいい匂いです。惚れました。
「くれぐれも、そのお方に傷をつけるような真似は、しないでくださいませ」
「ゆりさまっ!?」
嘘だろ嘘と言ってくれ! 一体何をどう考えたらそんな行動に出るんだ!
ゆりさまは一際美しく微笑んだかと思うと、崖から飛び降りました。まあまあな高さとはいえ、落ちたら死にます。きっと死にます。それくらいの高さはあるというのに、ゆりさま頭おかしくなったんじゃないでしょうか。
駆け寄りたかったのですが、真澄ちゃんも驚いてはいるものの私を掴まえたままだったので、そうすることが出来ませんでした。真澄ちゃんいい匂いとか思っている場合じゃありません。
「ゆり、さま……」
いくら運動神経抜群なイノシシを女の身で一人で狩る程だとはいえ、絶対に怪我はしているでしょう。最悪死んでしまっているかも……とも思うのですが、思ってしまったら本当にそうなってしまいそうで思いません。私今すごく泣きそうです。
「ゆりさま……なんで……自殺とか……」
「自害なんてしませんわ、さつきさま」
幻覚と幻聴が一気に私を襲いました。
ばっさばっさと鳥の羽ばたくような音が聞こえたので、それがあまりに大きい音だったので、音が聞こえた方を見上げてみると、背中に真っ白な翼を生やしたゆりさまがいらっしゃったのです。
「ええっ! えっ、うそっ、そんな馬鹿な! なんで人が飛んで! えええっ!」
「落ち着いてくださいませ、さつきさま。ここは、そういう世界です。はい、言ってくださいませ」
「あっ、はい、ここは、そういう世界です……」
何が何だか理解出来ないししたくもないのですが、不思議なことに、「ここは、そういう世界です」と言ったら落ち着いてきました。ゆりさまに洗脳されかけているような気がします。
「神凪さま、おわかりでしょうが、そちらのお方はさつきさまで、わたくしがゆりにございます。騙してしまって申し訳ありません。ですが、卑怯な真似をしたのは神凪さまも同じ。ここはひとつ、国に帰ってくださいませ。再三申し上げますが、さつきさまに傷一つつけることのないよう、心がけてくださいませ。では、さつきさま、必ずお迎えに上がりますので、後のことはよろしくお願いしますね」
そう言い残し、ゆりさまはばっさばっさと羽ばたいて、政之さまのいる我らが緑国の本陣へと行ってしまいました。
私も真澄ちゃんも、ついていけていません。
「……お前」
「はっ、はい!」
私より早く我に返った真澄ちゃんが、緩んでいた刀を持つ手を持ち直して、私を呼びました。正直私はまだ何も考えられないくらいびっくりしているのですが、真澄ちゃんの声で我に返ることが出来ました。感謝です。
「お前……言っちゃなんだが可哀相なやつだな」
「私もちょっとそう思います」
可哀相なやつ認定されました。もう少しオブラートに包んでほしかったです。
はあ、と溜め息を吐くと、真澄ちゃんのそれと被りました。いや、私の溜め息より真澄ちゃんの溜め息の方が重たいんですけどね。だって真澄ちゃん、城主です。武将です。きっと緑国を潰そうとしていたのでしょうが、ゆりさまの嘘のせいで台無しですから。よくよく考えると真澄ちゃんがゆりさまを簡単に信じてしまったせいでもあるので、自業自得とも言えばそうなのですが、そう言ってしまうと私が黙ってゆりさまの身代りになることを受け入れてこういうことになってしまったのも自業自得ということになってしまうので、真澄ちゃんと私は悪くないことにしておきます。ゆりさまが悪い。
「あの、逃げないんで刀どけてもらえますか……。私あんな風に飛べないんで……あんなに色んな意味でぶっ飛んだ人間じゃないんで……」
「あ、ああ……」
私があんまり可哀相だったのか、頼めばすんなり刀をどけてくれました。真澄ちゃんの顔を見上げると、若干まだ戸惑ったままでした。戸惑いの表情もかなり格好いいです。惚れました。
「とんでもねえ女だとは聞いてたが……ここまでとはな……」
「私も、とんでもない人だとは思ってたけど、ここまでぶっ飛んだ人だとは思わなかったです……」
真澄ちゃんの気持ちがかなりわかります。びっくりするくらいわかります。さっきからびっくりしまくりですがこのびっくりの連鎖は続きそうです。そんな気がします。
「とりあえず、行くぞ」
「えっ、どこに」
はいびっくりきました。私の予感はよく当たりますね。真澄ちゃんは一体どこに私を連れて行こうと言うのでしょうか。
「お前、逃げねえっつっただろ」
「あ……言っちゃってた……」
私の頭は二分程前のことまで忘れてしまうようです。というよりは、ゆりさまが残していった衝撃が大きすぎて、ポンコツな頭が更にポンコツになったようです。
真澄ちゃんが来い、と言ったのでついていきます。ゆりさまに身代りにされてしまったので、私は人質になる他ありません。なるしかないのです。むしろなれて幸せです。真澄ちゃんを近くで舐めまわすように眺め……いえ、ゆりさまと政之さまに、今までお世話になった分の恩を返せるのですから。
真澄ちゃんの乗ってきた馬は結構近くに待機させてありました。私もゆりさまと一緒に乗ってきた馬があると言うと、お前はそれに乗れと言われたのですが、真澄ちゃん、私馬乗れません。平成生まれ舐めんな。
ひいひい間抜けな声を上げながら、猛スピードで先を行く真澄ちゃんを追います。真澄ちゃん、私が馬に乗れないのは見てわかったと思うけど、そう簡単に人を信じているとかなりやばいことになると思います。私はとても心配です。
拾ってくれた恩人に身代りにされた事実に涙しながら、私は未来を案じました。
平成に帰りたい。切実に。