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きみは小さな居候  作者: むめみつき梅
雷様と秋の夜長
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10話

「じゃあな、ベイビーちゃん」

 真理が声をかけても、ベイビーちゃんは父親の胸に顔を埋めたままだった。

 もう家には帰らないと大騒ぎしておきながら、大泣きした挙句、やっぱり帰りますなんて、かっこ悪いやら、恥ずかしいやらで、とてもじゃないが顔なんて上げられない、といったところだろう。

 でも、本当はしっかり顔を上げて、突き飛ばしてしまったことをわらしにちゃんと謝りたいのだ。

 でも、なんて言ったらいいのか、ベイビーちゃんにはわからないのだ。

 とは言っても、わらしの側には、わだかまりなどなかった。

 確かに、突き飛ばされて、打ちつけた尻は痛かった。

 両親に抱きしめられているベイビーちゃんを見ていたら、『わあ、いいなあ』と思うと同時に、胸のあたりが何故だか、しくしくと痛み出したりもした。

 でも、そんなものは真理に、ぎゅっとされているうちに不思議と消えてなくなってしまった。

 きっと真理が『痛いの痛いの飛んでけ~』と、心の中で唱えていてくれたのだろうと、わらしは考えていた。

 だから、今はただベイビーちゃんが帰ってしまうのが、寂しくてならなかった。

「また遊びに来る?」

 もうこれっきりだなんて、悲し過ぎる。

 それはベイビーちゃんだって、同じ気持ちだ。

 顔を上げないまでも、精一杯コクコクコクと頷いた。

「わーい、じゃあ、また絶対に遊ぼうね!」

 しかし、この約束が果たされるのは多分ずっと先のこととなるだろう。

 過保護な両親が、ベイビーちゃんを当分離さないだろうから。



 そうして、雷夫妻は真理とわらしに何度も何度も頭を下げて、ベイビーちゃんと空へと帰ることとなった。

 去り際、雷夫人はわらしを抱きしめた。

 わらしにしがみつかれたとき、その小さな背中に腕をまわしてやらなかったことを悔やんでいたのだ。

「ベイビーちゃんと友達になってくれて、ありがとうね」

 苦しくて息ができないくらいに強く、雷夫人はわらしを抱きしめた。

 それはわらしにとって、一旦は諦めた母ちゃんのぬくもりだった。

 やっぱり欲しいなあ、ベイビーちゃんが次にいらないって言ったら、今度こそ、わたちがもらおう! と、夫人の胸の谷間であっぷあっぷしながらも、わらしは改めて思いを強くしたのだった。

 雷夫人は真理への抱擁も忘れなかった。

 その際、耳元で「ベイビーちゃんは私たち夫婦が、大人になるまで責任をもって育てるから、それまで待っていてちょうだいね」と囁かれたのだが、これは一体どういう意味だったのか。

 問い返す間もなく、一家は空へと駆け上がっていってしまったので、真理はそれ以上深く考えないことにした。



 来たとき同様帰る際も、もうもうと土埃を巻き起こし、真理とわらしを大いに咳き込ませるなんて、本当に、なんて迷惑な一家だったろう。

 ようやく帰ってくれて、ほっと一安心だ。

 そう思うのに、境内が静けさを取り戻すと、あの騒々しさが恋しくなるのだから不思議なものだ。

 たった数日、関わっただけだというのに。

 わらしも同じように感じているのだろうか。

 姿がすっかり見えなくっても天に向かって手を振り続けている、わらしの横顔を真理はそっと窺った。

 その横顔には屈託がなく、寂しさの欠片も見受けられない。

 しかし、何でもないふりをしているだけかもしれない。

 寂しさなんてものは、目に見えない部分に隠れていたりするものだから。

 下手すると、わらし自身、気づいてない場合もある。

「俺たちも帰るとするか」

 真理はいつもよりも陽気に振舞った。

「帰ったら、ご飯にしような。何が食べたい? 今日は何でも好きなものを食べさせてやるぞ」

 少しわざとらしかったのかもしれない。

 わらしに「えー、なんでー?」と言われてしまう。

 何を食べたいか聞くことはあっても、リクエスト通りとはいかないのが普通だ。

 それが今日は何でも好きなものでいいぞ、と言われて、わらしの頭ははてなマークでいっぱいだった。

「なんで? ってことはないだろ。早く好きなものを言わないと、ご飯なしになるぞ」

 それは困る、とわらしは慌てて考え始めた。

「待って、待って! えーっと、えーっと……。そうだ、ハンバーグ! ハンバーグがいい!」

 散々考えた挙句、出てきたのは昨夜と同じメニューだった。

 でも、わらしがそれが良いと言うのだから仕方がない。

 その晩の食卓には、再びキノコたっぷりのハンバーグが登場したのだった。



 次の日も、そのまた次の日になっても、甘やかしキャンペーンは絶賛継続中だった。

 おかげで真理は三日連続で、ハンバーグを食べるハメになった。

 そして、今夜もハンバーグがいいと言われているので、とうとう四日連続ということになる。

 真理だってハンバーグは嫌いではないが、さすがに飽きる。

 そろそろキャンペーン期間を終わりにするか、と思い始めた頃、河原がキュウリを手土産にやって来た。

「いつもすみません」

 真理がキュウリを受け取っている間に、河原は無断で部屋に上がり込んでしまった。

「あ、えっと、夕飯はハンバーグなんですよ。一緒にどうですか?」

 普段の河原なら奥ゆかしく、二度くらいは固辞してから「そうですか、それじゃあご相伴にあずかります」となるところ。

 なのに、この日は「はい、いただきます」と、最初から夕飯を食べる気満々で来たような態度だ。

 河原の不自然な態度はそれだけではなかった。

 部屋の真ん中に腰を下ろすと、「あー、食事ができるまで暇ですねー。わらしっこと人形遊びでもしてましょうかー」と、やけに棒読みのセリフを言い出したのだ。

 ――どうしちゃったんだ、河原さんは?

 しかし、わらしは遊び相手の登場に大喜び。

「わー、人形遊び? じゃあね、じゃあね、クマゴロウを貸してあげる!」

 自分は市松人形の松子を手にして、お母さんと子供にしようか、お医者と患者にしようかと、早速あれこれ設定を考えている。

 そこへ立て続けに「俺様が遊びに来てやったぞ」と、男わらしまでもがやって来た。

 ベランダの窓をバーンと開け放ち、なんだか偉そうなのはいつものこと。

 でも、「忙しいんだが、ちょっとの時間なら、人形遊びにつき合ってやってもいいぞ」だなんて、普段の彼なら絶対言わない。

「ふうむ」

 真理は男わらしと河原を交互に見比べて、首をかしげた。

 まるで、わらしを元気づけに来たみたいではないか。

 でも、あの日、境内にいなかった二人は何も知らない筈だ。

 あの場にカラスでもいて、あちこちで喋って回っているのなら話は別だが……。

「ん? もしかして……、あの場にカラスたちがいたのか?」

 あの日、境内はひっそり静まり返っていたので真理は全く気づいていなかったのだが、実はいたのだ。

 木の枝に隠れて、カラスが数羽。

 真理たちの様子を覗いていたのだ。

 一部始終を目撃していたカラスたちは、あっちのカラス、こっちのカラスに事の顛末を話して回った。

 話があっという間に広まったのは、そのうちの一羽が喉自慢のカラスだったからだ。

 わらしが雷夫妻に親になってと頼んだくだりをそのカラスが浪曲調に節をつけたものだから、聴衆は爆発的に増えていった。

 聴衆は名調子に酔いしれて、何度も同じ場面で涙した。

 その中に、噂を聞きつけた河原や男わらしも交じっていた。

「そのカラスたちから話を聞いて、それで、わらしを元気づけに来てくれたってことかな?」

 二人は「な、なんのことやら」と、すっとぼけているが、顔には『図星です』と書いてある。

「そうかあ、そうだったんですね、河原さん。ありがとうございます」

「い、いや、私は何も……」

「お兄ちゃんも。ありがとうな」

「だから、俺様はたまたま寄っただけなんだからな!」

「はいはい、わかった、わかった。今夜はハンバーグだから、出来上がるまで人形遊びをしててくれよ」

 わらしのことを気にかけて、こうして二人が遊びに来てくれた。

 その気持ちが嬉しかった。

 真理はご機嫌で、台所に立った。

 男わらしには、大きめのハンバーグを作ってやろう。

 河原には特別に、キュウリのスライスを張りつけてやろう。

 玉ねぎを刻むのも、鼻歌交じりだ。

 後ろから、わらしに「でも、お兄ちゃんのお人形さんはないよ。手に目と口を描いてあげるから、お兄ちゃんは右手さんで参加してね」と言われた男わらしが「はあ? なんで俺様の人形がないんだよ!」と

ギャーギャーわめいていたが、それさえも、真理には環境音楽のように心地よかった。


 ところが、しばらくすると男わらしが空を気にし始めた。

 ベランダにいる彼は、天候の変化に真っ先に気づく。

「これは……ひと雨きそうだぞ」

 男わらしの言葉の通り、やがて本格的に空がゴロゴロと鳴り始めた。

 さすがに真理も気になって、エプロンで手を拭き拭き、三人の横に並んでみれば、遥か上空で雷が発生しているのが見えた。

「おいおい、まさかなー」

 嫌な予感が頭をよぎる。

 でも、あれはついこの間のことで……、あの両親は猛省していた筈で……。

 真理があれこれ考えている間に、ひと際強く光った雷が地面目指して落ちていった。

 ベランダの四人は一斉に「あーっ!」と、指をさした。

「見えました?」

 河原が聞く。

「見えた!」

 残りの三人は一斉に頷いた。

 落ちていく雷の中に、モコモコ頭の女の子が確かにいた。

 びっくり眼も、「わーっ!」と叫んでいるような大きな口もはっきり確認できたくらいだ。

「あの、バカ夫婦!」

 本当はもっと悪態をつきたいところだが、のんびりしてはいられない。

「俺、ベイビーちゃんを保護してくる!」

 真理は部屋を飛び出した。

「神社の裏の公園の方角ですよ~!」

 河原は真理の背中に向かって叫んだ。

 空のケンカは益々ひどくなっていく。

 頭上でひっきりなしにピカピカ光るので、道行く人は頭を抱えて駆け足になる。

 こんなときに浮かれているのは、わらしだけだ。

「わーい、またベイビーちゃんが遊びに来る!」

 わらしにとっては大切なお友達。

 でも、河原と男わらしからしたら、お騒がせの雷娘だ。

 暴言をまき散らし、また騒動を持ち込むに決まっている。

 河原と男わらしは顔を見合わせて、同時に呟いた。

「くわばら、くわばら」と。

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― 新着の感想 ―
久しぶりに再読しました。胸の温かくなるような作品で大好きです。落ち込んだ時に読み直してます。 続きを書くことはないのかもしれませんが、どこかで続きを読めることを願っております。
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