8話
男わらしと河原が退散してしまうと、気まずい空気だけが残った。
わらしとベイビーちゃんは隣り合って座っているものの、お互いツンとそっぽを向いたまま。
いかにも現代っ子なベイビーちゃんとわらしでは、最初から相性が悪かったのかもしれない。
真理もなんとか仲を取りもとうと努力はしたのだが、結局は匙を投げてしまった。
わざとらしく「あー、そろそろ夕飯の支度をしないとなー」なんて言いながら。
――この二人なら、いい友達になれると思ったんだけどな……。
本来ならば今頃は、部屋に笑い声が満ちていた筈。
現実には、部屋はしんと静まり返り、真理が玉ねぎを刻む音だけが妙にリズミカルに響くばかり。
こうなってしまっては、さっさと夕飯を食べさせて、さっさと寝かせてしまうに限る。
明日には、ベイビーちゃんを両親のもとに返さなければならないのだから。
真理は黙々と、調理につとめることにした。
みじん切りにしたため玉ねぎはよく炒めて、合いびき肉とその他材料とをよ~く混ぜて――
今晩のおかずは、わらしも大好きなハンバーグだ。
ベイビーちゃんの好みはわからないが、ハンバーグを嫌いな子供がどこにいるだろう。
そんなことを考えながら、小判型に成形し、フライパンでじゅうと焼く。
食欲をそそる匂いが、みるみるうちに部屋いっぱいに広がった。
それにつられたのだろう。
ベイビーちゃんがいつの間にか忍び寄り、真理の手元を覗きこんでいた。
「なんか……すごくいい匂いがする……」
数日、食べなくとも平気なようだが、だからと言ってベイビーちゃんに食欲が全くないというわけではない。
それが証拠に、腹の虫が盛大に、ぐうっと鳴った。
小さな手が慌ててお腹を押さえるが、それで音が消せるわけもなく、ベイビーちゃんのほっぺは一瞬にして真っ赤に染まった。
――なんだ、可愛いところがあるじゃないか。
もじもじと俯いてしまったモコモコ頭をわしゃわしゃとかき混ぜてやりたい衝動にかられたが、真理は生憎、調理中。フライ返しを持つ右の肘で、コツンと小突くくらいのことしかできない。
「待ってな。すぐご飯にしてやるからな」
安心させるよう、ベイビーちゃんに笑いかけて、それから、真理はわらしを振り返った。
「おーい、わらし。もうすぐ、ご飯ができるぞー!」
「はーい」
このところ、食卓の準備はわらしの係だ。
真理がこうして合図を送ると、せっせとテーブルセッティングに取り掛かるのだ。
まずは、収納スペースから折り畳み式のテーブルを引っ張り出す。
どうということがないように見えて、わらしにとっては、これがなかなかの大仕事だ。
これまで使っていたミニテーブルをやめて、男わらしや河原と一緒に食卓を囲めるように少し大きめの長方形のものに買い替えたのだが、小さなわらしが運ぶには大き過ぎるのが玉にキズだ。
「うんしょ、うんしょ」
その姿は、まるでビスケットを運ぶ蟻んこのようだ。
そんなわらしを、ベイビーちゃんは棒立ちで、ただ眺めていた。
雲の上で、ベイビーちゃんがお手伝いを頼まれることはまずない。
何かしようものなら、過保護な両親が先回りして、あれこれやってしまうからだ。
だから、真理に「ベイビーちゃん、わらしを手伝ってやってくれないか?」と言われて、本当に本当に驚いてしまった。
お手伝い!
頼まれ事!
この魔法の言葉は、ベイビーちゃんの気持ちを浮き立たせた。
「うんしょ!」
ベイビーちゃんが張り切って反対側の角を持ち上げたおかげで、テーブルが急に軽くなる。
「わー、楽ちん!」
わらしは思わず叫んでいた。
「ベイビーちゃん、ありがと!」
「べ、別に。このくらいどうってことないんだけど」
ぶっきらぼうな物言いになってしまうが、それは内心のドギマギを隠そうとしてのこと。
「そ、それで? 次は何すればいーの?」
「えーとね、次はねー、お茶碗を出すんだよ。どんどん、運んでね」
バケツリレーの要領で、お茶碗やら箸やらが一膳ずつ、手渡されていく。
まどろっこしいことこの上ないが、二人は至極真剣な表情だ。
こんな調子で、三人分の配膳が整う頃には、ハンバーグはすっかり焼きあがっていた。
「わあ、美味しそう」と、ベイビーちゃんが言えば、「真理のご飯は美味しいに決まってるよ」と、わらしが胸を張る。
それから、二人は競うように『いただきます』をして、競うようにハンバーグにかぶりついた。
箸で食べられるくらいにふわふわなハンバーグは、わらしが食べやすいようにと、改良に改良を重ねた真理の自信作だ。
とは言え、ベイビーちゃんに「こんな美味しいもの、初めて食べた!」と大絶賛されると、少々面映ゆい。
「いやいや、それ程でも」
そう言いつつも、顔がにやけてしまう真理と比べて、わらしは素直に、「そーでしょー。おいしーでしょー」と得意満面だ。
真理のことを褒められるのが、嬉しくって仕方がないのだ。
嬉しくて嬉しくて、もっともっと真理を自慢したくなる。
「あのね、これはね、えーっと、えーっと『ドロまみれソース』って言うんだよ」
わらしはエッヘンとふんぞり返るが、もちろん、そんなまずそうな料理を作った覚えは真理にはない。
しかし、「おーい、ドロじゃなくて、『デ・ミ・グ・ラ・ス』な。一文字も合ってないからな」と、
喚いたところで、二人は少しも聞いちゃいない。
「ふーん、ドロソースって、美味しいね」
「そーなの。ドロだけどね、おいしーの!」
と、いった具合に。
結局、真理はそれ以上、料理名を訂正することはしなかった。
わらしに正しいカタカナ語を覚えさせるなんて、土台無理な話なのだし、なにより二人があんまり楽しそうだったので、もう泥でもなんでもいいや、という気分だった。
二人が友達になったことが、真理には何よりも嬉しかったのだ。
「雲の上には、おいしいご飯がないの?」
「あるけど、全部ふわふわしてて、あんまりお腹に溜まんないんだ」
食事中、ベイビーちゃんはわらしから質問攻めにあっていた。
「ほえ~、全部ふわふわ!?」
ベイビーちゃんから聞く、雲の上の生活はどれもこれも驚くような話ばかり。
「うん。食べ物だけじゃないよ。ちゃぶ台も文机も全部ふわふわなんだから」
「ほえ~、ちゃぶ台も!?」
びっくりする度に、わらしの箸を持つ手は止まってしまう。
お喋りばかりしてないで早くご飯を食べなさいと、本来ならば真理が注意しなければならないところだが、真理も一緒になって身を乗り出してしまっているのだから、どうしようもない。
「ってことは、タンスの角にうっかり足の小指をぶつけても痛くないってことか。そりゃ、いいな」
真理は雲上の生活を想像して、したり顔で頷いた。
「うん、うん。そりゃー、いいねー」
わらしはわらしで、ふわふわの寝床を想像していた。
そうして、二人は「いいなあ、雲の上!」と、口を揃えた。
しかし、羨ましがられた当の本人は、ちっとも嬉しくない様子。
「雲の上なんかより、地上の方がずっといいよ。だって、雲の上には、わらしもいないもん! それに、
真理のご飯も無い!」
「えっ……」
真理とわらしは顔を見合わせ、それから、同時に照れ笑いした。
しかし、真理がわらしと一緒になって、呑気に笑っていられたのはここまで。
ベイビーちゃんは続けて、とんでもないことを言い出した。
「だからね、アタシ、雲の上には帰んないで、ずっとここに住むことにした!」
「えぇっ!?」
慌てふためく真理の横で、わらしは小躍りしそうな勢いで「わーい、わーい」と大はしゃぎ。
「じゃあさ、じゃあさ、どこで寝る? わたちと一緒にする?」
トントン拍子に話が進んでいってしまいそうで、真理は急いでわらしの口をふさいだ。
「いや、そういうわけにはいかないだろ。雲の上でお父さんもお母さんも、ベイビーちゃんの帰りを待ってるんだぞ」
しかし、ベイビーちゃんは頑なだった。
「帰りを待ってるなんて、絶対ウソ! 父ちゃんも母ちゃんも、ケンカが始まったら、アタシのことなんて目にも入らなくなるんだから!」
「だからさ、今頃それもうーんと反省してるって」
「……反省してる? ……ううん、そんなの絶対ウソ!」
ベイビーちゃんの剣幕は相当なものだった。
その姿は雷夫人を彷彿とさせる――なんて言ったら、更に機嫌を損ねてしまうだろう。
真理は困ったなあと頭を掻いた。
それで、わらしはようやく「ぷはっ」と息継ぎができたのだが、二人が何を揉めているのやら、さっぱりだった。
ただ、ベイビーちゃんが父ちゃんと母ちゃんのことをすごく怒っている、ということくらいは、わらしにもわかる。
でも、昼間、出会った雷夫妻は悪い奴にはとても見えなかった。
どうしてベイビーちゃんがこんなに怒っているのか、わらしには不思議でならなかった。
「ベイビーちゃんは父ちゃんと母ちゃんのこと、キライなの?」
こてん、と首を傾げる、わらしに、ベイビーちゃんが即答で返す。
「うん。大っ嫌い!」
しかも、全力で。
――おいおい、こんなの聞いたら、あの夫婦、泣いちゃうぞ。
確かに、ケンカのたびに空の上でドンガラガッシャンやられては、地上に住む者としても溜まったものではない。
だが、はた迷惑な夫婦であっても、我が子への愛は本物だ。
「そう言わずにさ、今回は許してやろうよ。明日、神社の境内までベイビーちゃんを迎えに来るって言ってるんだからさ」
「そんなの知らない! 帰らないって言ったら、帰らない!」
ベイビーちゃんは益々ふくれっ面になるが、真理はそれでも諦めない。
「そうだよな、頭にくるよな。子供を投げるなんて、あり得ないよな。だからさ、明日、その怒りを直接ぶつけてやろうよ。面と向かってさ、『ふざけるなー』って言ってやろうよ。な?」
「直接?」
「そう、直接」
ベイビーちゃんは少しだけ考えて……。
「うん、それもいいかもね」と、頷いた。
「おっ、今、頷いたな? じゃあ、明日は神社に行くんだな? 絶対だぞ?」
急かすようにして約束を取りつけたのは、両親に引き合わせさえすれば、なんとかなるだろうという
算段からだった。
強がっていても、所詮は子供。
親の顔を見れば、家に帰りたくなるだろうと、真理は考えていた。
「よしっ、それじゃあ、今日は明日に備えて早く寝るぞー!」
張り切る真理につられて、わらしは「おーっ!」とグーの手を突き上げてしまったが、夜遅くなっても目は冴えるばかり。
もっともっとお喋りしていたい。
眠るのなんてもったいない。
ロフトに上がってからも、二人はずっとお喋りを続けた。
下で眠る真理のために、声を潜めてはいたが、ヒソヒソ声とクスクス笑いは夜には逆に響くものだ。
真理は注意することもできたのだが……。
――あいつらにとっちゃ、修学旅行の夜みたいなもんだからなあ。
真理は見回りの教師のような無粋な真似はしなかった。




