7話
あれほどお友達になると息巻いていたのに、いざベイビーちゃんと対面すると、わらしは、もじもじするばかり。
人懐っこいようでいて、時折、こうして気後れしたように立ちすくんでしまったりもする。
人間に話しかけて、でも、相手にはわらしが見えなくて、ということを何度も繰り返すうちに、そうなってしまったのかもしれない。
特に、確実に友達になってくれそうな相手には、ドキドキが勝ってしまうようだ。
最初の一歩を踏み出してしまえば、いつもの人懐っこい面が出てくるのだが、この日は『遊ぼう』の一言がなかなか出てこない。
見かねて、真理が仲介役を買って出た。
「この子が、さっき俺が言ってた子だよ。座敷わらしの『わらし』って言うんだ。二人はいい友達になれると思うんだけど、どうかな?」
ベイビーちゃんは、座敷わらしと聞いて、黒目をくるりと回してみせた。
「座敷わらしなんて初めて見た!」
わらしの周りをぐるぐる回って、珍しいものを見るかのように上から下、表から裏へと検分している。
トラ柄のスウェットの上下を着ているせいで、このままバターにでもなってしまいそうだ。
「わたちだって、雷様を見たのは初めてだよ!」
ずっと大人しくしていたけれど、さすがに言われっぱなしは嫌だったのか、わらしが言い返すと、ベイビーちゃんはピタリと足を止め、ケタケタと楽しそうに笑い出した。
「そうだよね、初めて会ったんだもんね」
つられて、わらしも「そうだよ、初めて会ったんだよ」と言って、笑う。
ぎこちないながらも、距離が縮まっていく。
二人の様子が微笑ましくて、真理は思わず目を細めた。
一歩縮まれば、あと二歩三歩はあっという間だ。
もう真理が手を貸す必要はない。
二人に任せておけばいいだろう。
真理は二人に留守番を頼んで、最近休みがちだった大学に顔を出すことにした。
帰りにはスーパーに寄るつもりだ。
いくら本人が大丈夫と言っても、ベイビーちゃんがこのところ何も食べていないというのは心配だった。
――何か美味しいものを食べさせてやらなきゃな。
といっても、ベイビーちゃんの好きな食べ物など、真理は知らない。
悩んだ結果、これを嫌いな子供はいないだろうということで、今夜の献立はハンバーグにすることにした。
――キノコのソースをたっぷりかけてやろう。
明日には空に帰ってしまうベイビーちゃんに、なるべく楽しい思い出を作ってやりたかった。
それに加えて、わらしにようやくできた女の子のお友達を手厚くもてなしたいという気持ちもあった。
わらしに友達ができて、本人よりも、真理の方が余程はしゃいでいるかもしれない。
しかし、子供が初めて友達を家に連れて来たときの親というのは、きっと皆、こんなものなのだろう。
足取り軽く出て行った真理は、やがて足取り軽く帰ってきた。
「ただいまー」
帰ってくるまでウキウキは収まらず、元気いっぱいの小学生のように玄関ドアを開ける手につい勢いがついてしまう。
けれど、部屋の中は思いのほか、しんと静まり返っている。
賑やかな声が出迎えてくれるものと思っていたのに……。
「おーい、帰ったぞ」
遊び疲れて寝てしまったのだろうか。
声を落としつつ部屋に上がると、わらしとベイビーちゃんは部屋の奥に二人で並んで座っていた。
真理が部屋を出たときとほぼ同じ格好だ。
二人の顔が、ツンとそっぽを向いていることを除いては。
「なんだ、なんだ、この険悪な雰囲気は?」
狭苦しいワンルームに、何故だか暗雲がたちこめている。
両手にスーパーの袋をぶら下げたまま、真理が首をかしげていると、そっぽを向いていた二人の顔が一斉にグルンとこちらを向いた。
「だって、ベイビーちゃんが!」
「だって、わらしが!」
二人は堰を切ったように、文句を言い始めた。
「わらしがアタシの服を変だって言った!」
「だって、変だもん! お腹のところで虎がガオーッてしてる服なんて、ぜーんぜん可愛くない!」
――あー……、まあな……、確かに、可愛くないけどな……。
同意はするが、大人として、それを口に出してはならない。
「そういうことは言っちゃダメなんだぞ、わらし」
真理にたしなめられて、わらしのほっぺがぷぅっと膨らむ。
「ベイビーちゃんの方がひどいもん。松子ちゃんのこと、ブスって言ったんだから!」
わらしに抱かれて、市松人形の松子も心なしか頬が膨れているように見える。
真理は間髪入れずに「いや、松子はブスじゃないぞ」と、フォローを入れた。
松子を怒らせてはいけないと、本能が告げていた。
「そうだよね、真理。松子ちゃんは可愛いよね?」
「ああ、こんなに可愛い人形は見たことがない」
真理は大きくうなずいてから、今度はベイビーちゃんをたしなめる。
「ベイビーちゃん、そういう悪い言葉を使っちゃダメだろ」
当然、ベイビーちゃんは面白くない。
「アタシは人形遊びなんかしたくないのに、わらしがしつこく『やろう』って言うからいけないんだよ!」
「特別に松子ちゃんを貸してあげるって言ってあげたのに!」
真理は思わず『おぉっ』と声を上げてしまいそうになった。
わらしが松子を誰かに貸すなんて、滅多にあることじゃない。
ベイビーちゃんを精一杯もてなしたつもりだったのだろう。
残念ながら、ベイビーちゃんには通じなかったようだが。
「いらないよ! 人形遊びなんて、子供のすることだもん!」
そもそもベイビーちゃんは、女の子向けのこういった遊びが好きではないのだ。
「困ったもんだな」
子供同士、仲良くなれるだろうと、真理は簡単に考えていた。
でも、考えてみれば真理だって、子供の頃、母親同士が仲が良いという理由で気の合わない子と無理やり遊ばされ、辟易した覚えがある。
年が近いんだから仲良くやれるでしょと母に言われ、頑張ってはみたのだが、いかんせん相手に全く協調性がなかったのだ。
母親の理屈で言うと、同じクラス、同じ学年全員と友達になれるってことになるじゃないか、と子供ながらに反発したものだった。
全く気の合いそうもない、わらしとベイビーちゃんを前にして、真理はその頃のことを思い出していた。
大人になって、母と同じことをしていたことに気づいたのだ。
「けど、参ったなあ」
どうしたものかと頭をポリポリ掻いていたところ、突然、ベランダの窓が開いた。
ひょっこり顔を出したのは、男わらしだった。
「よお。雷様の子供を見つけたって? カラスたちが噂してたぞ」
駅前を根城にしているカラスが、ゲームセンターから出てくる真理たちを見ていたのだろう。
それを、あちこちで言いふらしているらしかった。
それにしても、良いところで来てくれた。
八方手づまりの真理には、男わらしに後光が差しているように見える。
「ちょうど良かった! この子が雷の子供のベイビーちゃんだ。一緒に遊んでやってくれないか? ついでに夕飯も食べて行けよ、な、な?」
間に男わらしが入ってくれたら、心強い。
部屋に入ってこれない男わらしのために、真理はベランダの窓を全開にして歓迎の意を表した。
「そ、そうか? じゃあ、夕飯もここで食べていくとするかな」
出されたクッションに腰を落ち着けたのを見届けて、あとは男わらしに任せたとばかりに真理は夕飯作りに取り掛かった。
キッチンに立ち、わらしたちに背を向けても、話し声はちゃんと聞こえてくる。
「雷様を見たのは初めてだ」
男わらしが言えば、ベイビーちゃんも「こんな大きな座敷わらしがいるなんて、知らなかった!」と興奮気味だ。
「ああ、俺様のことは『お兄ちゃん』と呼んでくれていいぞ」
「お兄ちゃん?」
「わたちもね、『お兄ちゃん』って呼んでるの!」
わらしが言うと、ベイビーちゃんも「じゃあ、アタシもそう呼ぶ」と素直に応じている。
「アタシ、お兄ちゃんが欲しかったんだ」
玉ねぎをみじん切りにしながら、真理は、何だ可愛いところがあるじゃないかと笑みを漏らした。
男わらしを間に入れたのは、正解だった。
再び空気が和やかになり始めている。
これで安心して、夕食作りに専念できるというものだ。
材料を大目に買っておいてよかったと思いながら、真理は玉ねぎを炒め始めた。
しかし……。
「にしても、おまえ、何だ、その服。腹のところに虎がついてるじゃないか。趣味悪いなあ」
真理はフライパンを持つ手を、ギクリと強張らせた。
この展開は……。
「ムッ、お兄ちゃんだって、何その着物! 丈がつんつるてんですごーく変!」
「こっ、これはこれで良いんだよ!」
「ぜーんぜん良くない。すごーく変!」
「な、なんだと!」
始まってしまった。
可哀想に、わらしは「お兄ちゃん、ベイビーちゃん」と、間に立っておろおろしている。
――ああっ、まったく!
仲裁に入ろうと、真理が手を洗っている間にも二人の口喧嘩はエスカレートしていく一方だ。
「こ、こうなったら指相撲で勝負だ!」
「指相撲なんてつまんないからヤダ! ゲエムで勝負するならいいよ」
「ゲエム?」
「もうっ、座敷わらしは古臭いなあ。ゲエムも知らないの?」
「なんだとっ、このチビ助!
真理が「ほらほら二人とも」と、間に入ったときにはもう既にかなり険悪になっていた。
「なんだとー、ヘソ取るぞ!」
「ヘ、ヘソッー!?」
想像したのだろうか、男わらしはとっさに腹を押さえると、大きく一回身震いをした。
そのままじりじりと後ずさるが、狭いベランダのこと、すぐに背中が手すりにぶつかってしまう。
「ヘソを取られるなんて、冗談じゃない」
男わらしは顔を青くして、あっと思ったときには手すりをひらりと乗り越えていた。
「くわばら、くわばら。逃げるが勝ちだ」
「あっ、待って、お兄ちゃん、お人形遊び……!」
わらしが呼び止めても聞く耳を持たず、びょーんびょーんと屋根を伝って、後ろ姿はあっという間に小さくなってしまった。
「あーあ」
真理は大きくため息を吐いた。
これは、さすがに厳重注意だ。
と思ったところで、今度はインターフォンが鳴る。
やって来たのは、河原だった。
「聞きましたよ、雷の子供を保護したんですってね~」
カラスがお喋りだとは知っていたが、広まり方の速さには舌を巻くよりほかにない。
「ほう~、この子が例の……。ベイビーちゃんと言うんでしたか?」
「わあ、カッパなの!?」
今日、何度目だろう。ベイビーちゃんの目が真ん丸に見開かれるのは。
「アタシ、初めて見た!」
そう言うと、わらしのときのように、ぐるぐる河原の周りを回り始め、やがてピタリと足を止めた。
「でも……、甲羅もお皿もないよ。本当にカッパ?」
ベイビーちゃんは首をかしげると、おもむろにぴょんとジャンプして、河原の頭を引っ張った。
その拍子に、ズルリとカツラが脱げ落ちて、河原の頭頂部がむき出しになる。
「あっ、本当にカッパだった!」
真理とわらしがかたまる中、ベイビーちゃんは自分がどれだけ大変なことをしたのか気づいてない。
呑気にケタケタ笑っている。
「わたしは怒りましたよ……、本当に本当に怒りましたよ」
河原はぷるぷると体を震わせて、静かに静かに怒っている。
「ふん、カッパが怒ったって、ぜーんぜん怖くないんだから。文句があるなら、ヘソ取るぞ」
「そんな脅しは通用しませんよ。わたしにはヘソなんてものは最初からありませんからね」
「おぉ~!」
真理とわらしは同時に感嘆の声を上げた。
河原が最強かと思われたが、ベイビーちゃんが言葉につまったのは一瞬だった。
「ふん、じゃあ、カッパが泳いでいるところに雷を落として、ビリビリ感電させてやる!」
「か、か、か、感電っ!? ひぃっ!」
河原は床からカツラを拾い上げると、男わらしと同じように「くわばら、くわばら」と逃げて行った。
「あっ、河原さん、待って!」
必死の呼びとめも空しく、玄関ドアは閉ざされてしまい、真理は頭を抱えてしまった。
「ああっ、まったく! 全方向に喧嘩を売っていくスタイルなのか……」
小さな小さな雷様は、とんだトラブルメーカーだった。




