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きみは小さな居候  作者: むめみつき梅
雷様と秋の夜長
89/97

2話

「すごーい、すごーい、本物の雷様だー!」

 頑丈そうな太ももを、わらしはモミジの手のひらでペチペチペチと叩いている。

 機嫌次第で雷を落とし、地上の者を震え上がらせてきた雷様は、恐れおののかれることはあっても、懐かれるなど初めてのこと。

「奥さんや、わし、どうしたらいい?」

 隣の美人に助けを求める声は、なんとも情けない声だった。

「あらあら、すっかり懐かれちゃったわね」

「笑ってないで、助けておくれ」

 雷様の凛々しい眉がどうして八の字になっているのか、わらしにはわからない。

 ただ、その隣で妖艶な笑みを浮かべている美人さんを『奥さん』と呼んだことにびっくりしていた。

「雷様の奥さんなの? 雷夫人なの?」

 雷様に奥さんがいたとは初耳だった。

 真っ赤な唇が「そうよ」と弧を描くのを見て、わらしは口をあんぐりと開けた。

「ほわ~、知らなかった、知らなかったー!」

 奥さんがいたことも驚きだったが、それよりも……。

「こーんなきれーな雷様、わたち、初めて見たー!」

 わらしは、いつだって思ったことを素直に口にする。

 それは時には相手を面食らわすが、裏表のないことはしっかりと伝わる。

 雷様と雷夫人は一瞬顔を見合わせて、それから、同時に破顔した。

「そうだろう、そうだろう。わしの奥さんは美人だろう」

 奥さん自慢が大好きな雷様のご機嫌は急上昇。

 雷夫人も「私だって、座敷わらしがこ~んなに可愛らしい子だなんて、知らなかったわ」と、満更でもない様子。

「んもうっ、ウソのつけない子ちゃんなのね」

 小さな体はひょいと摘み上げられて、雷夫人の胸の中。

 夫人は抱擁のつもりかもしれないが、大きな胸に顔をむぎゅうっと押しつけられては、わらしもたまったもんじゃない。

「ぐ、ぐるじ……」

「あら、ごめんなさいね。私ったら、つい」

 体格差を失念していたと、夫人は慌てて抱擁を解いた。

 わらしはプハーッと息継ぎをして……、しかし、何故か再びパフッと夫人の胸に顔を埋めてしまう。

「すごーくいいにおいがする」

 うっとり顔で呟くと、もう一度パフッ。

 そして、またパフッ。

 思う存分堪能すると、おもむろに真理の方を振り返った。

「真理、真理。すごーくいいにおいだよ。真理もいっしょにパフってしよーよ」

 ちょいちょいちょいと手招きされて、真理は思わず「はあっ!?」と大声を出しそうになった。

 ――それが許されるのは、子供だけだから!

 声をかけるタイミングがわからなかっただけで、真理はことの成り行きを後ろからずっとハラハラ見守っていた。

 でも、だからと言って、こんな形で話を振られても困る。

「まあ、そこの人間の坊やも可愛いわね。抱っこしてほしいのなら、坊やもどうぞ、いらっしゃい」

 さあ、と手を広げる夫人は、完全に面白がっている。

 真理はもちろん、ぶるぶるぶると首を振った。

「あら、照れちゃって」と笑われるが、もちろん、照れているわけではない。

 夫人の隣で、正に鬼の形相で睨んでいる雷様がただただ恐ろしいだけだ。

 夫人が「まあ、可愛い」だのと言うたびに、雷様の顔が険しくなる。

 頼むから、これ以上雷様を刺激しないでと、真理は切に願った。

 でも、雷様も悪いのだ。

 夫人に「ねえ、あんたも可愛いと思うでしょ」と振り向かれると、デレデレとした顔で「思う思う、わしもそう思う」と、調子よく返事をしてしまうのだから。

「そうでしょう? しかも、人間なのに座敷わらしを連れ歩いているのよ。なんて珍しい人間なのかしら!」

 夫人はそう言ってから、自分の言葉にハッとしたように口に手を当てた。

「もしかして……、大ガラス様が言ってた『人間』って、この坊やのことじゃないかしら」

「そうだ、そうだ、きっとこの坊主のことだ」

 雷様も頷き返す。

「確か、大ガラス様はその人間を神社に呼びつけておくって言ってたわ」

「言ってた、言ってた」

 雷夫妻は顔を見合わせ、うんうんと頷き合っている。

 どうやら大ガラス様は、真理を彼らに引き合わせたかったようだ。

「えっと……、大ガラス様に呼ばれて来たのは確かですけど……」

 真理がおずおずと申し上げると、夫人は「やっぱり」という顔をした。

「坊やは大ガラス様に大恩と聞いたわ」

「え……ああ、はい。わらしを助けてもらいました」

 そもそもそのお礼を伝えたくて、やって来たのだ。

「やっぱりそうなのね。大ガラス様が坊やのことを言ってたのよ。その人間を自由に使いなさい、とね。大ガラス様の名前を出せば、頼まれごとを断れるはずがないから、とね」

「えぇっ!? 何ですか、その話! 俺は何にも聞いてませんよ?」

 話の流れからいくと、雷様の頼みごとを真理は受けなければならないようだ。

 いくら大ガラス様と言えど、何の説明もないままに勝手に決められては困るというもの。

「ちょっと大ガラス様が来るまで待ってもらえませんか? 直接事情を聞いてからでないと」

 しかし、真理の言い分はあえなく却下されてしまった。

「待っても無駄よ。大ガラス様は現れないわよ。だって、謹慎中だもの」

「えぇっ!? 謹慎って、何でですか」

 真理が今日何度目かの驚きの声を上げると、わらしも「キンシンチュー?」と口を挟んでくる。

 だが、「あのね、わたちもね、昨日の夜ご飯に白いシチューを食べたよ?」と言っているところをみると、意味はわかってなさそうだ。

 雷様と夫人は「よしよし」と、おかっぱ頭を撫でくりまわした。

 雷様たちからしたら、わらしが言葉を知らないことよりも、真理が大ガラス様の謹慎を知らなかったことの方が驚きだった。

「坊主を助けたからに決まっておるだろう」

「そうよ。大ガラス様ったら、坊やを連れて空を飛んだんですって? 高天原じゃ、そりゃあ大騒ぎよ」

 何を今更という勢いで言われて、真理は衝撃を受けた。

 ――知らなかった……。神様の世界では、そんな大ごとになってたのか……。

「大ガラス様はわしらと違って、気安く人間の前に姿を見せてはいけないからのう」

「そうよ。しかも、一人の人間をえこひいきしちゃったんだもの。そりゃあ、怒られるわよ」

 あれから、一度も姿を見せてくれなかったのはそういうわけだったのか。

 項垂れた真理に夫人が、人差し指を突きつける。

 指一本でも結構な大きさで、とがった爪はまるで凶器だ。

 本人にそのつもりはなくとも、少し脅迫めいていた。

「だから、坊やは大ガラス様に恩を返さなきゃいけないのよ」

 項垂れたまま「はい」と頷きそうになって、真理は「いやちょっと待てよ」と顔を上げた。

「でも、そこからどうして雷様の頼みごとを聞くって流れになるのか、わかんないんですけど」

 すると、「そりゃあ、わしらが大ガラス様を困らせているからだ」と、雷様は何故か自信満々にふんぞり返る。

「わしらはうちの可愛いベイビーちゃんを探しているのだ。地上に落ちてから、ずっと行方不明でな」

「そうなのよ。私たちの可愛いベイビーちゃんは自力で空に戻れないのよ。今頃きっと冷たい地面の上で膝を抱えて泣いてるんだわ!」

 夫人は、突然、よよよと泣き崩れた。

 それを抱き支える雷様の大きな目も、心なしか充血している。

「わしらはベイビーちゃんを探して毎日のように地上に降りてたのだが、うるさくて迷惑だと大ガラス様に叱られてしまったのだ」

「あ……ああ……、確かにちょっと……」

 雷様たちの登場シーンを思い出して、そりゃあ迷惑だろうと真理は妙に納得してしまった。

「うむ。ここの神社の神様方からも苦情が出てるようなのだ。でもな、絶対にこの辺りに落ちたはずなのだ!」

「そうよ! この神社にいた浴衣の娘にあんたが鼻の下を伸ばしてたから、……だから私もついカッとなって、手当たり次第に物投げてしまったんだもの。……でも、まさかベイビーちゃんまで投げてしまうなんて……!」

 雷をつかさどる彼らは、愛情深い性質を持っている。

 彼らが地上に振らせる雨は慈しみに満ち溢れ、地面を潤し、稲を育てる。

 反面、その愛は時に荒々しく、大木の幹を割り、一つの山を火の海に変えてしまうこともある。

 愛情の分だけ嫉妬も、それはそれは激しくなるのだ。

 真理が出会って早々、睨まれたように、雷様は夫人をガードするように絶えず周囲をけん制している。

 しかし、夫人の場合、嫉妬の矛先は雷様に直接向けられる。

『ちょっとあんた! 今、あの女のこと、目で追ってたでしょ!』

 それは大抵夫人の誤解なのだが、いったん怒り出したらもう止まらない。

 雲の上だけで済むのなら、勝手にやってくれて構わない。

 しかし、夫人の怒りは雷となって地上に降ってくるのだから困りもの。

 あの日は、特にひどかった。


『ヒー、奥さん、誤解だ誤解! 祭りだというのにあの浴衣の娘が悲しそうにしておるから――』

 雷様の弁解も最後まで聞かず、夫人は手当たり次第に物を投げつける。

 雷様はそれをひょいひょいと器用にかわしながら、夫人を必死になだめていた。

 しかし、まさか二人の愛の証である、大事な大事なベイビーちゃんまでもが飛んでくるとは、雷様は思いもしなかった。

 とっさのことだったため、雷様はうっかり華麗によけてしまった。

 ベイビーちゃんは雲の切れ間から、地上に向かって真っ逆さま。

『奥さん、奥さん! 今、わしらの可愛いベイビーちゃんが!』

 しかし、頭に血が上っている夫人には、今、自分が何を投げたのか、ちっともわかっていなかった。

『わしは奥さん以外、目に入りゃあせん。奥さんが一番! それにほら、あの娘は男と抱き合っておるではないか! 恋人がいるようだぞ』

 しかし、いったん頭に血が上った夫人が、冷静さを取り戻すのにはそれなりに時間が必要だ。

 それまでは雷様は、雲の上をひたすら逃げまどわなければならないのだ。


「おっ、そういえば、あのとき、娘の隣にいたのはこの坊主じゃなかったか?」

 雷様がそう言うと、夫人は涙をぬぐいながら顔を寄せてくる。

「あら、本当だわ。どこにでもある顔だから、すぐには気づかなかったわ」

 全く失礼な言い草だが、真理は言い返せなかった。

 自分がどこにでもある顔なのも事実だし、落雷に驚いて、この神社でつぐみと抱き合った覚えもある。

 雷様が雲の切れ間から覗いていた娘というのは、つぐみのことだったのだ。

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